その心は親心(2)
目をきらきらとさせているアメリアを見て、教師長はふふっと失笑した。
「彼は素晴らしいよ。なんなら少しお喋りしていくかい?」
「はいっ、お願いします!」
「じゃあ、適当な椅子を持って来て隣にお座りなさい」
アメリアは壁際に置いてある椅子から一つを抱え上げて来て、教師長が座った机の隣につけた。椅子に座り膝を揃えて真っ直ぐに向き合って話をする。まるで保護者面談だ、と教師長は笑っていた。
楽しく話してしばらく経った。それでもティーザは戻ってこなかった。それに外で遊んでいた子供たちが、喧嘩をしたのか、泣き騒ぎながら教師室に駆け込んで来て、教師長が対応に忙しくなってしまった。だから邪魔にならないよう、アメリアは帰る事にした。
小走りで葉揺亭まで戻って、アメリアがまず最初にした事は、忘れ物をきちんと届けられたとの報告だった。そして次には、教師長との面談の結果を自称保護者に報告だ。聞いた話を何から何まで一つ一つ丁寧に伝えた。ティーザの状況を知りたいのは、マスターも同じに決まっているだろうから。
「――という風みたいです」
「そうか。そうなんだな」
アメリアのお喋りなら大抵楽しそうに聞くマスターであるが、今日は殊更表情が柔らかい。賢く、優しく、誠実で、頼もしい、などと自分の子が誉めそやされるのを聞けば、だいたいの父兄はこんな顔になる、という顔をしている。
「あの子も立派になったものだ、本当に」
目を細めて優しげに呟いた。そんなマスターが今なにを頭の中に描いているのか、アメリアでも察しはついた。昔の思い出だ。
――ぜひ聞いてみたい。
むしろ今しかチャンスがないかもしれない。アメリアは隙間の開いた窓に手を伸ばしかけた。
しかし、またも思い出語りの機会を逃す羽目になった。秘密の扉を覗くより先に、葉揺亭の玄関扉が開いたためである。
「……あら」
噂をすればなんとやら。まさに話題の人だった青年が、入店するなり無言でカウンター席に歩んでくる。つんとした表情で眉ひとつ動かさず、手慣れたように椅子を引き、腰を降ろした。机上に腕を組み、ぼんやりとカウンターの中を見るが、店主の顔は直視しない。
マスターはニヤニヤと笑いながら立ち上がり、その視線を真っ向から受け止める位置に移動した。
「珍しい、どういう風の吹き回しだ。顔すら滅多に見せない奴が、一日に、二度も」
「……たまにはいいかと思ってな」
「ふうん、そうか。口直しはハニー・ローズでいいか? とびきり甘くして」
「頼む」
返事があるよりも先に、マスターは硝子のティーポットを食器棚から取り出していた。
ハニー・ローズはメニューにも載せているハーブティだ。名前が表す通り、ローズの花びらや果実をメインに配合し、仕上げに蜂蜜を加えた茶である。ピンク色の可愛らしい水色と、花々しい甘味とが特徴だ。とりわけ女性の客に評判が良い。
意外だな、とアメリアは思った。ティーザは甘党という雰囲気ではないのだけれど。しかしそれならば、飲み残しの珈琲の事や、マスターが「かっこつけ」と茶化した事もしっくりくる。
色がしっかり出るまで蒸らした後、ポットの中に蜂蜜をたっぷり溶かし込んでから、硝子の茶器がカウンター越しに供される。かき混ぜたことで渦ができ、薄紅色の花びらが舞っている。
続けてシュガーポットを出しながら、マスターはティーザの目を見て呟いた。
「で、今日は一体なんの相談だい?」
ティーザは目を見張った。なぜわかったのだ、と無言で訴えかける。
マスターはしたり顔で答えた。
「特に難しい理由が無いのなら、君がここに来るはずがないだろう」
ティーザは眉を下げて嘆息した。――すべてお見通し、昔からそうだった。
マスターは椅子を動かし、客人の真正面に腰を降ろした。足を組んで片肘をついた砕けた姿勢で、次にやって来る言葉を待っていた。真面目な空気にあてられて、アメリアは少し離れた所まで下がり畏まっている。
ティーザは無言のまま、まずはポットに手をかけた。硝子のカップに注いだ茶を一口飲んでから、「たいした事ではないのだが」と前置きした上で語り始める。
「ある子に聞かれた。母親に贈り物をしたいのだが、何がよいだろうか。一番喜んでもらえるものは何か、と。……俺には親の心はわからないから」
紺青の瞳が半分ほど伏せられた。ティーザはおもむろにシュガーポットに手を伸ばすと、白い砂糖を山盛りにすくい、カップの中に溶かし込んだ。
小さな匙でカップの中の液体をくるくる混ぜる手を見て、店主は眉間に皺を作る。その目線を保ったまま、さらに問いかけた。
「それで、君はなんと答えたんだい」
ティーザは少しカップを持ち上げながら、静かに答えた。
「物がなんだろうと必ず喜んでくれるだろう、と」
ふむ、とマスターは口元を押さえた。模範的、優等生、そんな言葉を連想する当たり障りのない答えだ。
ただ、相手は小さな子供。それが信頼する大人に対して尋ねた次第なのだから、もっと具体的な物事を答えとして求めていただろう。抽象的で大雑把に漠然と示した道では、子供心には響かない可能性が高い。現に、ティーザ自身がそうだった。自身たっぷりに疑問に模範的回答を与えたら、「違う、わからない」と泣きながら首を横に振られた。マスターにとって、今でもほろ苦い記憶である。
人に教えを授けられるくらい立派にはなったものの、やはりまだまだ青い。マスターはそんな風に内心で苦笑しつつ、相談に対する答えを考えた。自分だったら何を思うか、曲がりなりにも持つ親心を目一杯活用して。
ただ、例の子個人に対する最適解は持ち合わせていない、なにせ相手の情報がないのだから。それゆえどうしても、教授するのは一般論になってしまう。ティーザが出したものより一、二歩だけ具体的に寄せた程度である。
「君の答えも間違っちゃいない。僕がアメリアから何か贈られたら、手放しで喜ぶだろうさ」
少し離れたところでぼんやりと話に耳を傾けていた少女に、にっと笑いかけた。突然話題の渦中に引き込まれたアメリアは、あたふたとした様子を見せる。たどたどしい愛想笑いは、しかし真に愛らしい。
マスターは満足気にほほえみ、再びティーザを見た。仮面を貼り付けたような怜悧な表情のまま、澄んだ目で店主の瞳を射抜く。そこに浮かぶのは無垢なる者の持つ光。マスターから言わせれば、彼の青い双眸はアメリアのそれとまったく良く似ている。そして、等しく愛おしい存在だ。
今も昔も、己を慕う子にしてやれることは先人としての示唆だ。彼は慈愛に満ちた笑みを浮かべ、口を開いた。
「だけどね。子が立派に育ってくれていること、毎日を幸せに生きていてくれること。その事実の方が、親にとっては何よりも嬉しい。己の幸福、それが、子が親に与えられる最高の贈り物かな。もしどうしても形ある物として渡したいならば、それを表現した物がいいのではないだろうか」
少し気取りすぎただろうか、我ながら歯が浮きそうな台詞だ、とマスターは内心で自嘲した。だが、嘘ではない。己の率直な心だ。自分は何も要らない。ただ、君たちが笑っていてくれればそれで十分だ。その親心は果たして通じるであろうか。
ティーザは少し俯いた。黙ったまま肘を立て口元で手を組み、しばらく考える。静かな店内に、時を刻む音が数度はっきりと響いた。
やがて彼はおもむろにカップに手を伸ばしながら、マスターの顔を見た。深海のように青い目がきらりと光を反射する。
「今後の参考にはなった」
たった一言、それだけを呟いた。そして、カップに半分程残っていた茶を一気に飲み干した。冷めてしまって味が強調された薄紅の茶は、喉を焼く程に甘かった。
そして、まだポットにも三分の一程度残っていると言うのに、彼は席を立った。邪魔をした、と呟いて椅子を戻す。
己よりも長身で佇む男を見上げながら、マスターは笑顔で問いかけた。
「なんだ、相談事はそれだけだったのか? 本当に?」
「……ああ」
「そうか。なら、いいんだ」
軽く頷きながらティーザを見送る面持ちは、どこか寂しげであった。
ティーザが去った後も、マスターは頬杖をついたままぼんやり玄関扉を眺めていた。暗褐色の扉の向こうには陽が落ちる気配が迫っている。今宵の月も美しい紅に染まっていることだろう。
アメリアは片づけがてら、客の飲み残しのポットを持ち上げた。だいぶ濃くなってしまっているが、相変わらずかわいらしい色合いだ。自分も以前に作ってもらったことがあるが、甘い味わいは印象深くてはっきり覚えている。
「ティーザさんって甘党なんですね。全然知らなかった、ちょっとびっくりしました」
「もっとびっくりしたいなら、残ってるやつ、少し飲んでみなよ」
なぜか溜息混じりでマスターが言った。そういうことならば、とアメリアは棚から空のカップを出してきて試飲してみる。
「甘っ!」
一口なめるなり思わず叫んだ。甘味は好きだが、これは予想をはるかに超えている。カップを口元で固まらせたまま、親の敵であるかのようにポットをむうと睨んでいた。
以前に飲んだ時は蜂蜜がほんのり香る程度だったのに、今日は脳天を貫く甘ったるい芳香が襲ってくる。冷めている事を差し引いても、少し異常だ。ローズのお茶の風味など瀬戸際で生き残っている程度。マスターは客の好みには合わせるとしても、茶のおいしさを存分に生かした繊細な味わいを追求する姿勢は崩さない。そんな手で作ったとは思いがたい代物だ。
「マスター、これ……」
「あの子向けに蜂蜜を増やしてある。今日は殊更に、だ。さすがにやりすぎたかと思ったけど――」
「でっ、でも、ここに更にお砂糖入れてませんでした!?」
「偉い偉い、よく見ていた。あの子は昔から、弱っていたり困っていたりすると過剰に糖分を欲しがるんだよねえ……」
マスターは目を細めて虚空を眺めた。生まれ持ったものと言ってもいい性癖だ。ただし、まだ一度も当人に指摘した試しはない。心の中を無意識にひけらかしていることが発覚したら、きっと彼は意識して、それを包み隠し振る舞う。そういう性格だ。普段の何気ない行動に心の機微や心身の調子が現れるのは人間なら誰しものことで、恥じる必要も隠す必要もないのに。
ひねくれ者め、とマスターは心の中で叱咤し、嘆く。昔は素直だったのに、いつから仮面を被るようになったのか。どうして一人で抱え込むようになったのか。育てた親が悪かった、そうなのだろうか……そうなのだろう。わかっている、そうなのだ。
作業台に向かってうなだれ、頭を抱え込む。一人ではないのも忘れて、ぼそりと呟いた。
「寂しいじゃないか、変に気を使うなよ……堂々と甘えに来い、頼ってくれよ」
元気でいるのは知っている、己の道を歩んでいるのも知っている。一人で立とうとする中で助けを求められぬ以上、甲斐甲斐しく構う必要もない、むしろ彼の足を引っ張る事になる。重々承知だ。だが、苦しいならいつでも頼ってほしい、縋ってほしい。そう思うのも、一種の親心ゆえ。
悶々としている最中、不意に背中に重みと温もりを感じ、店主ははっと顔を上げた。首をひねって後ろを見ると、アメリアが己の背中に縋り付く様に顔をうずめている。
「アメリア? どうした? 何かあったか?」
「いいえ。たまには、堂々と甘えてみようかと思っただけです」
くぐもった笑い声が体に響く。
マスターは切なげに微笑した。どうやら気を使わせてしまったらしい。寂しいとは贅沢な言い方だった。
右手を後方に伸ばし、あやすように愛しき娘の頭をなでた。そして、囁くような声で心情を吐露する。
「ありがとう、アメリア。私が孤独に狂わずに居られるのは、君のおかげだ」
「マスター、大げさですよう」
気恥ずかしそうにアメリアは笑った。その声を聞くだけで、心に太陽が差し込む。この世界に一人ぼっちではない、助けてと言えば答えてくれる人がいる、その何気ない事実がどれだけ幸福なことか。しかと噛みしめながら、しばらくあまやかな心地に浸っていた。
葉揺亭 本日のメニュー
「ハニー・ローズ」
バラの花と実をメインにしたブレンドハーブティ。気品のある花の香りが強く薫る。
酸味が強いため蜂蜜を加えるのが標準レシピだ。
心身の疲労を改善する他、美容効果も期待できる。




