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人形師レインの憂鬱(3)

 二人の夜も更けいく。アメリアのお泊りの申し出は二つ返事で受け入れられた。ただ問題は、ベッドが無い点。アメリアは作業室兼応接間の長椅子に眠ることにした。少々固いが、布製だから冷たくはない、一晩休む程度なら問題なく使える。レインは申し訳なさそうだったが、アメリアはむしろ非日常的な状況にわくわくしてたまらなかった。


 即席の寝台でアメリアは静かな寝息を立てていた。顔の半分まで掛布をかぶり、時々もぞりと身動きする。夢見は意外なほどに悪くない。


「――きろ。起きろ」


 ふと声が頭に響いたが、これは夢か現か。とりあえずアメリアは確かに聞いた。そしてなんだろう、と思った。どこかで聞いた事があるような、無いような。心の奥に沁みるような声は、優しく囁くようで、しかしどこか険しい。正体を掴もうとすればするほど音は朧に消え、逆に自身の意識が明瞭になる。


 やがてアメリアは暗闇にぱちっと目を開けた。


「……誰? レインさん?」


 目をこすりながら上体を起こす。あたりを見渡せど、自分以外に居るのは人形だけ。窓から差し込むかすかな月明かりは紅月季独特の色合いをしていて、夜闇に浮かぶ影をうっすら紅く染める。おかげでかなり不気味な光景となっていた。


 朝でもこうはいかないぐらい、すっきりと目が覚めてしまった。どうしたものか。なんとなく、眠っている間に絡まった長いブロンドを手で解きほぐす。


 その時、甲高い悲鳴が夜の帳を切り裂いた。


「レインさん!?」


 ちょうど起きていてよかった。アメリアはさっと長椅子から飛び降りて、レインの寝室に走った。



 事件の現場に辿り着いた少女が最初に見たものは、床に座り込み、壁に背をつけて小さくなっている友人の影であった。月明かりしかない部屋だ、どんな顔つきかまではわからない。


「レインさん!」

「ア、アメリア!」


 友人の救援にレインは希望の色を見せた。


 が、その途端、今度はアメリアが蒼白になる。闇の中、何かが鼻先を掠めて飛んだのだ。


「えっ、え!? なに、今の! キャッ!」


 騒いでいる内に足をすくわれ、尻から転倒する。痛みに顔をしかめていると、今度は自分のすぐ近くの壁に何ぞ割れ物が激突した。不快な乾いた音が耳に刺さる。


 レインが壁伝いにそろそろと立ち上がる。そして、アメリアの方へ動いた。間一髪、レインの影が消えた場所に本が飛んで来た。


「アメリア、に、逃げよう! まずいよ!」

「なに、これ! なんで、どうして色々飛んでるの!?」

「わかんないよ! わかんないけど、おかしいもん! 普通じゃないもん!」


 叫びながら二人は対話する。声を涸らすレインの背後で突然光が弾けた。演出用にストックしてあった風雷のアビラストーン・黄晶石(おうしょうせき)が割れて、秘められた力が暴発したのだ。


 二人ともひたすら混乱していた。しかし、ひらめく雷光に目を眩ませる中で、アメリアは見た。


「レインさん、窓! なにか――」

「もうなんでもいいよ! 死んじゃう! 早く!」


 半狂乱のレインが左手でアメリアの首根っこをつかんで、引きずるように家の中を横断し始めた。もちろん、すぐにアメリアは自分の足で動き始めたが。


――でも、窓に何か居た。


 それはまごうことなく見た事実。思い返そうとするが、一瞬の事、像はおぼろげであるし、じっくりと考えている余裕もない。


 二人は暗闇の中でテーブルに足をぶつけたり棚に手を当てたりして、人形の部品や細工の道具を辺りにめちゃくちゃに散らばらせながら、工房を真っすぐ走り抜けて外へ逃げ出した。別の部屋に隠れても、同じ屋根の下では意味がないかもしれないし、こんな状況、自分たちだけではどうしようもない。


 幸いにも逃げる先にはあてがある。アメリアの家、マスターが守る聖域。いつだって平穏を求めて頼るのは葉揺亭だ。




「命が助かって何より」


 縮こまって温かいマグカップを抱えている二人の少女に、マスターは穏やかに笑いかけた。深夜の町を駆け抜けてきた娘たちが、けたたましい音と共に暗い店内に転がり込んでの大騒ぎ。すわ一大事と飛び出して来たら、顔を合わせるなり憔悴しきった二人に抱きつかれ。とりあえず落ち着かせるために、温かいミルクをふるまって、今に至る。


 混乱冷めやらぬ二人からなんとか話を聞き出したところで、マスターは一つの疑いを確信に変えた。


 レインは何者かに狙われている、しかも怪なる力によって。


 悪夢を解消した直後に手の怪我、不幸な偶然と言えばそれまでだが、いささかタイミングが良すぎだと感じたのだ。考えすぎかもしれないが、最悪の場合を想定するのは常道だ。夕刻にアメリアを向かわせたのも、一人より二人で居る方が安全だとの理由から。

 

 レイン自身でも、誰かの悪意に晒されている状況なのだと察した。物憂げに、しかし怒気も混ぜながらぼやく。


「誰が、一体どうして? 私、恨まれるような事してない。本当に、全然心当たりないよ」

「敵の姿は捉えられなかったのか?」

「窓の外に誰かいたような……でも、はっきりと見たわけじゃなくって。一瞬だったし、暗かったし」


 アメリアは目を閉じて記憶を探る。刹那の閃光の中、窓に浮いた真っ黒の影。山型で、布がはためいているような。頭巾を被った人の頭? いや、違う気がする。それとも、光の加減で動いているように見えただけだろうか?


 ――ああ、わからない。


 アメリアの溜息が、口元に添えられたカップに小波を立たせた。


 手がかり無しで途方に暮れる。少女たちの間には、どんよりとした空気が流れていた。最初は悪夢、次は睡眠中の襲撃。昼間は平和だから、夜のみ避難すれば当面の安全は確保できる。が、それは根本的な解決ではない。どうしたものか。


 悩まし気に目を伏せていたマスターが、ふと静かに口を割った。


「……駄目だな。与えられた材料が少なすぎる。夜闇に結論を導くには、もう少し明かりが必要だ」


 それは独り言だったのか。言うなりすっと立ち上がり、マスターは奥の部屋へと姿を消した。


 残された二人は怪訝な面持ちで囁き合った。


「考えるにも情報が足りないってこと? そんなこと言われても困るよ、こっちも必死だったのに」

「だけどマスター、別に諦めてる風じゃなかったですよ」

「それで? 奥に引っ込んじゃったじゃん。どうするつもりなのかな」

「今からやれること……あっ、もしかして、今からレインさんの家に行って調べてみるつもりだとか」

「そういうことだ」


 張りのある声が響くと同時に扉が開いた。


 再登場したマスターは、足先まで丈のある白い長衣を着こんでいた。フードも被っており、目元もはっきりとは見えない。それだけでも防御力が高いのに、最後の仕上げとばかりに、黒い長手袋を装着して肌を完全に覆い隠す。


 これが噂の外出時の完全装備か、と、レインは感心していた。怪しいだの胡散臭いだのアメリアからは聞いていたが、現物を見てまず思ったのは、人形劇に出していた魔法使いと同じだな、ということ。今は己の手に無い「白の魔法使い」にぴったり重なる。馴染みがあるからか、あまり負の印象は抱かなかった。


 一方で、アメリアは露骨に眉をひそめていた。


「夜なのにそれ着なきゃ駄目なんですか? お日様の光なんてないですよ」

「月の光は陽の光より恐ろしいものだ。(あか)き月は魔性の月、光と共に放たれる魔の力は、時に生き物を狂わせる」

「そうやってまた難しいこと言ってごまかすんですもの。ほんとは、単に自分が着たいだけなんじゃないですか?」

「なんとでも言うがいいさ。……じゃあ行ってくる。ここに残るか一緒に来るかはご自由に」


 黒い手をひらひらと振りながら、マスターは悠々と外へ向かった。玄関扉は閉めないまま。葉揺亭には涼やかな風が吹きこんでくる。


 アメリアとレインは一度顔を見合わせて、しかし言葉を交わすより先に椅子から跳ね降りた。二人きりで待っていて、また理解不能な事件が起こったら。恐ろしい何者かが押し入って来たら。それよりは、危険な場所で頼れる大人と居た方がずっといい。


 先行している影に、より小さな影が二つ並んだ。彼らを高みから見下ろすように、紅の月が妖しく輝いていた。




 事件現場であるレインの寝室に、ランプの光が灯される。


 照らし出された風景を見て、嵐の渦中にいた少女たちは息をのんだ。棚にあった本や人形が床に散乱し、割れ物の破片も方々に飛び散っていた。ベッドはなんと横転してしまっている。


「私……目が覚めてなかったら、死んでたかな」

「怖いこと言わないでください」

「だけど、この惨状だよ。物が自由勝手に空を飛びかう……劇の話じゃ、なんとも思わないけど、実際同じ目に遭うと……」


 レインとアメリアは部屋の入り口で身を寄せ囁き合っている。いざ事件現場に立ってみると、恐怖の記憶が思い起こされて足がすくんでしまった。 


 マスターは一人で部屋を探索し、事件の検証をしていた。横倒しのベッドを乗り越えて、東の方角にとりつけられた硝子窓に近づいた。アメリアが何かを見たという窓だ。


 両開きの窓は、間を二本のフックで留められて閉じている。非常に単純なつくりだ。フックを外して窓枠を軽く押してやれば、一切の抵抗なく開いて、新鮮な空気が外から流れ込み、淀んでいた部屋に清涼感をもたらした。


 窓硝子自体も至極一般的なもの、破ろうと思えばたやすく破れるだろう。むしろこれだけ室内を荒らしたなら、意図的にしろ偶発的にしろ、真っ先に割れていてもおかしくない軟弱な物だ。ひび一つ入っていない硝子を軽く手の甲で叩きつつ、マスターはうなった。


「うーん……犯人の意図が見えないな」

「そんなの、私を襲いに来たんでしょ」

「まあね。でも、その気だけだったらこんな遠慮は見せまい。窓を叩き割って侵入し、すぐそこに居る君を直接手にかける。僕が襲撃者だったとしたらそうする。だから本気で殺しに来たとは思えない。しかし、ただの嫌がらせにしては度が過ぎる。これだけ派手に荒らす力は持っていて、窓を割る事だけはできないというのも不思議な話だ。ふむ……押し入るつもりは端からなかったのか、それともできない理由があったか……」


 マスターは口元に手袋で黒い手をやりつつ外を眺め、犯人の思考を追跡する。が、袋小路に入ってしまった。難しい顔をしたまま固まる。


 ずっとその様子を見守っていたアメリアが、ここで急にしゃがみこんだ。足下には一体の人形が転がっている。古めかしい甲冑を着た騎士を模した人形だ。それを胸に抱きかかえ、すっくと立ち上がり、レインに向いた。


「もうこうなったらお人形さんに守ってもらうしかないですよ。変な人が来たらみんなでやっつけろ! って。大丈夫です、これだけたくさんいますもの、守ってくれます」

「それ動かすのは結局私じゃないの。自律させるのは駄目だよ。そうなったら生き物になっちゃう、人形師の創るべきものじゃない」

「えっと、でも……レインさんの力が宿ってますから、きっと不思議な力でどうにかしてくれますよ! わあーっ、かかれーって!」

「それが自律ってやつだよ。私のアビラは、あくまでも糸で繋いだ時にいうことを聞かせやすくするだけ。意志を持たせるわけじゃないし、そんな風に使うなんてあり得ない」

「……だめですか。お人形さんに助けてもらうの。こうやって、とりゃー、って」


 アメリアは自分の指で騎士の小さな手を振り上げさせ、そのままレインに差し出した。少しきつく否定されたせいで、しょげてしまっている。それなら止めればいいものだが。


 ――ああ、そっか。


「ごめん。元気づけてくれようとしたのにね」


 レインは眉を下げつつ、静かに人形を受け取った。この人形にも自身のアビラが付与されている。その親和性ゆえだろうか、手の中にやって来るだけで少しばかり心が落ち着いた。


 レインは慈しむように、冷たい人形を撫でた。糸を介して自分の手と繋ぎ命令を与えれば、命を持ったように動き始めるだろう。剣をふるって悪を断つ。だがあいにく、勝手に戦い出すような脳はない。それでいいのだ。自分で考え動く生き物を気軽に創り出してしまえたら、それは神への冒涜に等しい。


 そんな少女たちのやりとりを、マスターが窓辺からじっと見聞きしていた。別に二人の愛らしさに打たれたわけではない、至って真剣な顔つきだ。彼女らの会話を聞いているうちに、少ない手がかりが頭の中で一つに繋がり、ある結論が浮かんできたのだ。


 もう一度窓の外を見やる。この時間帯、この窓からは月を見る事ができない。閉ざされた硝子の向こうに目を細め、それを確認した。


 それから飛散した物を踏まないように部屋を横切ると、入り口に佇む二人に声をかけた。


「僕はそろそろ戻るよ。君たちはどうする?」

「どうするって……」

「この家で過ごしても問題ないよ。もう今晩は何も起こらないし、誰も来やしない」

「ちょ、ちょっと待ってよ。何かわかったの!?」

「おおよそは見えた。後は捕まえるだけさ」


 マスターの顔はフードと部屋の薄闇で隠れて見えないが、得意気に笑っているのだと、空気だけではっきりとわかった。


 が、いささか言葉が足りないではないか。特にレインはその思いが強く、むっとして食ってかかる。


「もっとちゃんと説明してよ!」

「奇遇だなレイン。僕も似た事を君に言おうと思っていた」

「……え?」

「説明して欲しいんだ。悪夢が始まる少し前くらいから、君がしたこと見たこと聞いたこと、いつもと違ったこと、そのすべてを。そうすれば、『おおよそ』が『完全』に変わるだろうから」

「違った事って言われても、そんなの特に何もないよ。強いて言うなら、新しい劇を始めたとか? だけど、こんな些細な話なら色々ありすぎるけど」

「いいや、それでいい。他にはどんな事が?」

「自分用の髪飾りを新しく作ったとか、人形劇のセットを売ったとか。あとは――」

「あの、帰りながらお話ししませんか? 長くなりそうですし」


 話に水を差すアメリアの提案だったが、しかし賛同で受け入れられた。

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