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天衣無縫の人形師(1)

 木を基調とした店内に、本のページをめくるかそけき音が響いた。正午を前にした葉揺亭には、マスターを除いて誰も居ない。客も、店員のアメリアも。よくある風景だ。


 葉揺亭には定休日が無い。開けていても閉めていても大して生活に違いはなく、マスター自身が休暇を取る必要性を感じていないためだ。


 その代わりと言ってはなんだが、アメリアには好きなタイミングでの外出や休養を許している。営業中にたびたび姿を消すのはそういうわけである。


 幸いにも、ノスカリアは割と良い治政が敷かれている町だ。昼間の大通りで店屋を覗いて回るくらいのことなら、うら若き娘一人でも危険は無い。安心して送り出せる。


 それに火竜(かりゅう)の日ごと――このイオニアンの世界では、暦の上で十日を一周期として扱い、それぞれの日に個別の名前がついている――昼前に彼女が行くところは決まっている。かつ、戻って来る時間も把握できている。


 ――まだ心配はいらない。


 マスターは一人優雅に紅茶を飲みながら、すすけた表紙の分厚い本を読みふけっていた。そんな彼の顔に寂しげな影が差しているように見えるのは、読書のために俯いているからとの理由だけではないだろう。



 独りに浸りすぎ、時の流れも忘れた頃。玄関が開き、光と風が空気を動かした。


 アメリアが戻って来た。その途端、無色透明で無味無臭だった小さな世界が明るく彩られ、持ち上げられたマスターの目にも活き活きとした光が灯る。雇用関係というよりは、歳の離れた兄妹、いや、若い父と娘の風情だ。


「ただいま戻りました!」

「ああ、おかえり。それと――」


 優しい声で紡いでから、マスターの視線はアメリアに伴う娘に向く。フリルやレースをあしらった華やかな衣服をまといながら、ごつい留め具のついた四角鞄を両手で下げ持っていて、一見ちぐはぐだ。しかし、これもまたなじみの光景、なじみの客人である。


 同時に、彼女はアメリアの大事な友人だ。名前はレイン=リオネッタという。


「いらっしゃい、レイン。紅茶はいつものでいいかい?」

「はい、お願いします」


 はきはきと答え、レインは人好きのする笑顔を浮かべた。そのまま軽く会釈をすれば、よく手入れされた艶やかな黒髪が肩の上でさらりと流れた。


 マスターが茶を用意している間、アメリアとレインはカウンター席に並んで、おしゃべりを楽しんでいた。


 耳をそばだてて会話を聞いていると、レインの方がずっと大人に感じられる。実際にアメリアより二つほど歳上なのだが、それ以上に。


 その要因は自立度の違いだろう、そうマスターは考えていた。

 

 レインは齢十七才にして一流の人形師として自ら稼ぎを得て、工房と兼ねる自宅にて一人で暮らしている。主な仕事は人形の製作と販売だ。小さくかわいらしい子供のおもちゃから、美術品の意味合い強い精巧な人形まで、頼まれたものを器用な手先で創り出す。


 そしてもう一つ、彼女には大事な仕事がある。十日に二度、火竜の日と陽光の日に、時計塔の広場で人形劇を行うことだ。扱う操り人形はもちろん、舞台装置の類や脚本まですべてが手作りで、レインの人形さばきも見事なもの、まるで生きているような躍動感があり、老若男女問わず人気を博している。


 アメリアも最初は人形劇の一観客だった。感激して足繁く通ううちに、歳が近かったこともあり仲良くなって、今ではこうして、火竜の日の劇の合間に葉揺亭で共に過ごすのが日課となった。



 少女たちの他愛ない話に耳を傾けながらも、マスターはきちんと手を動かしていた。レインの紅茶はもう仕上がっている。ポットの蓋を取って一かきすれば、普通の紅茶とは一風違う香りが立った。これは、紅茶の葉にカカオと呼ばれる豆の粉を混ぜて風味をつけた一品だ。


「さあ、待たせたね。『カカオ・ブレンド』だ」


 会話劇に興じていたレインの目の前に、真っ白のティーセットを一式差し出した。ポットにカップ、加えて、さらさらの砂糖が入ったシュガーポットと、銀製のミルクピッチャーも忘れない。


 レインはにまりと笑顔を見せた。まずはシュガーポットに手を伸ばす。そこから付属の小さな匙で甘い白砂を一掬い。ここで欲張らないで、摺り切り一杯に収めること。それが、この紅茶を一番おいしく飲む秘訣だ。


 砂糖をカップに入れたら、今度はミルクを注ぐ。量はピッチャーのちょうど半分。ティーポット一つでだいたい二杯分だから、ぴったり使いきれる計算だ。量を細かく調整する必要もないだろう、紅茶をおいしく飲むなら、茶の店の主に任せれば間違いない。


 ミルクを加えた時の味わいこそ、カカオ・ブレンドの真価である。とはマスターが熱く語る処だった。ストレートで飲むと、カカオ豆のほろ苦さに角が立つ。そこにミルクが少し加わると、苦味が丸くなって口当たりがよくなる。持前の香り高さも損なわれることがなく、逆にすばらしい調和を生む。


 マスターおすすめの通りに下準備を終えてから、レインはようやく茶を注いだ。陶器のポットは保温性が高い。静かに傾けると、口からは深茶色の液体と共に、熱い蒸気も静かに流れ出た。


 濃い色の紅茶がカップの中に着地すると、瞬間に優しい色合いのミルクティへと変化する。あたりにふわりと漂うのは、ほろ苦くも甘やかな心安らぐ香りだった。


「いい匂い」


 お客以上に、アメリアが蕩けるような表情を見せていた。ミルクティは彼女の大好物でもあるのだ。


 レインはと言うと、柔らかい表情を浮かべたままゆっくりとカップを口につける。わずかに苦味があるものの、基本は甘く優しい。不思議と母親の気配を感じる。


「うん、おいしい! やっぱり私、紅茶はマスターのが一番好きだな」


 レインの満点の笑顔には、子どもらしい色がありありと現れていた。



 それから、温かな紅茶の香りを漂わせながら、時がゆったりと流れていく。少女二人の晴れやかな声が空間に彩りを添え、どことなく店内が明るくなったようだった。


 マスターは読書を再開していた。女の子同士の楽しそうなおしゃべりに横槍を入れるのは無粋だろう、と。もっとも、知らん顔でも耳だけはそちらへ向けているのだが。


 二人は先刻の劇の話題で盛り上がっている。今日レインが披露したのは新作だったらしく、アメリアが興奮で息を弾ませながら感動を伝えて、なおかつ質問攻めにしていた。レインの方も、とても嬉しそうに応じている。


 あまり熱心なものだから、劇を見ていないマスターにも内容が伝わってきた。簡潔にまとめると、邪竜に捕われた姫を王子が救いに来る、という王道の物語だったらしい。


 ――王道を選ぶのはいいことだよ。


 そうマスターは心の中でレインを褒めた。観客には伝わりやすいし、使いこなされた素材をいかに魅せるかで、演者の腕も発揮できる。


 紅茶も同じだ。奇をてらったブレンドは評価が激しく分かれる、何日も引きずるような酷い不評を受ける事すらある。誰にでも広く好まれやすいのは、カカオ・ブレンドのように、基本に一を足したようなシンプルなものだ。


 このような真面目な議論ならば、どれだけでも説いてみせる。しかし今は場違いそうだ。アメリアが感情のままにきゃあきゃあと騒いでいて、真面目な話をする余地が無い。


「それと、あの大きな竜が出てきて、王子様の部下を全部蹴散らしちゃったときには、もうどきどきです! そこからの王子様の活躍! とても人形の動きとは思えませんでした」

「ありがとう。あの場面は特に気合い入れてるから。よかったあ、ちゃんと伝わって」


 レインが嬉しそうに拳を握った。


 そして、不意に店主に話を向けた。レインはカウンターに腕をかけ、人懐っこい笑みを浮かべる。


「ねえ、マスターもたまには見に来てよ」


 その誘いは大それたものではない。だがマスターは、むう、と苦く場違いな唸り声をあげた。すっかり冷めて渋が立ってきた茶で口を湿らせる。そしてレインに柔らかく断りを入れる。


「これはみんなに言っているんだけれど、僕は、外は駄目なんだ。太陽の光の下は、僕が歩くには明るすぎる。行きたいのはやまやまなんだけれどね、申し訳ない」

「肌が弱いの? 私の知り合いにも一人居るけど、大変だよね。外に出る時は暑くても頭から分厚い布をかぶってるから、訳を知らない人から変な目で見られるし。でも、そんな出で立ちでも私は構わないよ。なんなら私も同じ格好しちゃう」

「いや、それは僕が構うよ。それに、僕の場合は、眼も少し普通じゃないから」

「そうなの? でもさ、最近は黒眼鏡ってのもあるじゃん。マスター知らない? 赤目の人とか、目に怪我してる人とかが付けてる、前は見えるけど目が隠れる眼鏡。今度、売ってる場所探して来てあげるよ」


 レインはこげ茶色の眼をはちきれんばかりに輝かせ、有無を言わせない強さで押してくる。マスターは苦笑いしながら、少し腰を引かせた。


 確かに防備を完全に固めれば、出られないことも無い。が、身を守るためには必要でない外出を避けるべき、その方がより賢い判断だ。残念ながら人形劇を見るために出かけるのは、マスターにとって必要なことではなかった。


 そんな個人の事情以前に、もう一つ、店を離れられない理由があるのだが。マスターとしては何より大事な理由が。


「駄目だよ、僕はここの主だ。僕が出かけて居なくなったら、誰がお客さんのお茶を用意するんだい?」


 葉揺亭は二人体制の店だ。しかしアメリアには、まだ茶で代金を取れる技量が無い。


 紅茶を淹れる、その手順は一見するととても簡単だ。しかし、おいしさを極める、あるいは客の期待に応えるといったことを含めると、一朝一夕で身に付けられるものではない。経験を積み、感覚を養う必要がある。どちらも現状のアメリアには不十分、そうマスターは判断していた。


 もちろんアメリア自身にも、店主の代わりを務める気はさらさらなかった。だから、マスターが言ったことに対して、心の中で「その通りです」と同意を送っていると顔に出ていた。


 結局、レインが口を曲げてしまった。カウンターの上で腕を組んだまま、なんとかマスターを自分の舞台へ導きたい、諦めのつかない思いがありありと溢れている。


 得も言われぬ湿った空気が漂った。


「それじゃあ、いい案がある」


 マスターはぴっと人差し指を立てて言った。続けて、腰を折ってレインと目線を合わせた。まるで親が子をさとし、あやすように。


「店の中を自由に使って構わない、だから今ここで見せてくれないかな。道具は揃っているのだろう? 難しいかい?」

「うーん……それは……」

「慈善でやってるわけじゃないとは知っている。大事な商売道具だ、無償でなんて言わない。今日のお茶代のかわりってのはどうかな。当然、相応の長さで構わないからさ」


 レインは少し迷いを見せていた。しかし、ややして、にっと笑った。


「じゃあ、ちょっとだけね」


 そう言って、カップに残っていた一杯目の茶を飲み干して席を立った。

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