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人形師レインの憂鬱(1)

 若き人形師レイン=リオネッタが火竜(かりゅう)の日の恒例行事。それは時計塔のたもとにて、手作りの人形劇を上演することだ。人形師としての確かな技術と、生まれ持った秘密の力で創り上げられる小さな世界の物語は、老若男女、貴賤すらも問わず、かなりの好評を博している。


 今日もレインは昼前の興行を盛況に終え、葉揺亭での休憩の時を過ごしていた。


 カカオの香りがほのかに漂うお気に入りの紅茶を前に頬杖をついて、隣に座って喋り続けるアメリアに適当な相槌を返している。アメリアから興奮気味に語られるのは、先ほどの劇の感想。彼女は人形劇の熱心なファンであり、かつ、レインの親友でもある。仕事もそっちのけで会話に興ずるのも常なる光景だ。


 なのだが。カウンター越しに少女たちの語らいをじっと見ていたマスターが、言葉が切れた所へ割って入ってきた。


「レイン、大丈夫かい?」

「え?」

「今日はなんだか元気がなさそうだから」

「そうでもないよ。全然、元気だよ」


 レインはにまりと笑顔をつくった。そして何事もなかったかのようにアメリアとの談笑に戻る。別に何もない、いつも通りだよ、そう自分で自分の所作を確かめながら。


 だが、異常は無意識の内に表出するものである。表情こそばっちり作っているし、会話の受け答えもしっかりしている。しかしカウンターに両腕をつき前のめり気味になって、体の重さを他に任せている風だ。なおかつ会話の節々で小さなあくびをこぼしたり、瞬きより少し長めに目を伏せてみたり。


 マスターの観察眼は鋭い。そうしたサインが見逃されることはなかった。またも会話の切れめに併せ、声がかかる。


「どうやら寝不足かな」

「まあ、うん。ちょっとだけね」

「一生懸命なのはいいけれど、夜はしっかり休みなよ。特に、こういう月の変わる時期は体を壊しやすいからさ」


 月が変わる時期、すなわち季節の変わり目である。今は双月季(そうげつき)の終わりで、夜の空には、白と(あか)の二つの月が輝いている。これがあと十日も経たぬうちに、白い月が地平の下に隠れ、紅い月だけが天に昇る夜が来る。紅月季(こうげつき)と呼ばれる季節の始まりだ。


 単に暦が変わるだけでなく、気温が徐々に高くなり、雨も増える。そんな気候の変化に体がついて行けず、病に伏せる羽目になるのはままあること。誰しも親から気をつけなさいと言われて育つものである。レインも既に他界した両親から、耳にタコができるほど言い含められた。


「うーん、わかってるんだけどねえ……」

「お仕事が忙しいんですか?」

「それもある。ほら、人形劇も新作始めたじゃない。まだ練習が必要だし、改良したい部分も一杯あるからさ。製作の方もあるし、休んでいられないよ。待っててくれる人が居るんだもの」

「素敵な精神だが、もう少し自分を大事にしなよ。君は少々しっかり者が過ぎている」

「もう、マスター心配しすぎ。大丈夫だよ、倒れる前にはちゃんと休むからさ。しっかり者ですから、自己管理もしっかりしませんと」


 おどけたように言ってから、茶目っ気たっぷりのウインクを見せる。それからレインは残っていた紅茶を飲み干した。


 そんな何気ない日常の一幕だった。時間が経てば記憶の底に埋もれて、かような事実があったことすら忘れてしまいそうな。事実、店じまいをする頃にはもう、葉揺亭の二人の間でレインの名前をあげて心配する事もなくなっていた。


 しかし。こんなささいなやりとりが、重大な異変を報せる予兆だったとは。後に思い知らされると共に、忘れられない事件の一ページとして強く記憶される事となる。




 火竜の日から三日後、双月季最後の天黎(てんれい)の日。窓を横切った姿を見て、アメリアが「レインさんだ」と顔をほころばせたまではよかった。


 扉が静かに引かれ、来訪者と対面する。その途端、アメリアが悲鳴をあげた。


 まるで死人が歩いて来たような。佇まいには覇気がなく、どんよりとしたものを醸し出している。手肌にも張りがなく、普段ならさらりと流れる黒髪は、一応撫でつけた程度で艶がない。顔もすっかりやつれはて、目の下には黒々としたくまが浮いている。強張った表情は、何かを必死で耐えている証左か。


 尋常ではない様子に、マスターも思わずカウンターを飛び出す。ゆらりと店に入って来るレインを支えるように腕を取ろうと。


 が、レインに拒否された。


「もうっ、大げさだよ。一人で歩けるから」


 弱々しくも笑っている。見ている方は、明らかに無理をしていると感じた。ひどく痛々しい。


 レインは半ばすがるようにカウンターに着席した。そして机に両肘をつくと、額を抱えるようにして下を向く。肩から落ちた長い髪が、どんな顔をしているかを覆い隠す。


「別に、大した事じゃないの。どうにも最近、眠れなくってさ……」

「まだ寝ていなかったのか」


 叱責混じりの呆れ声に、レインがうなだれたまま首を縦に動かした。


 アメリアも目を尖らせて、半ば憤るようにどうしてだと問いかける。すると、レインはようやくながら弱音を吐いた。


「近頃ね、ずっと悪い夢を見るの。毎日、毎日。それも、同じ夢を」

「夢、ですか?」

「うん。私は暗い闇の中。何も見えない、何も聞こえない。不安で、寂しくて。怖くて逃げようと思っても、動けないの。叫んでも誰も来てくれない、ううん、声が出なかった。怖い怖いって思って立っていると、誰かが近寄って来て。それで私に触れて。それが氷のように冷たくって……そこで私はいつも飛び起きるの。もし目が覚めなかったらその先は……私、どうなっちゃうのかな」


 レインは自嘲した。夢の続きが恐ろしくて、とうとうまったく眠ることができなくなってしまった。それが三日前の夜。


 もっと早く、あの時に相談してくれれば。そう思っても過去の話はどうしようもない。大事なのは今どうするかだ。アメリアがレインの隣に座った。


「レインさん、何か嫌なことがあったんですか? 怖いこととか、心配なこととか……だから、悪い夢を見たんじゃ」

「なーんにもないよ。これは本当。だから、うん、ちょっと疲れてるだけなんだと思う。しっかり休めば大丈夫。休めてないのだけが問題なんだよ」


 レインはゆっくり顔をあげ、アメリアに笑顔を手向けた。


 続けて、反対隣りに腕を組んで立っていたマスターを仰ぎ見る。


「だからね、マスター。今日は何か心が落ち着くお茶をちょうだい。変な夢を見ないくらい、ぐっすり眠れるように」

「お安い御用だ」


 そう答えたものの、すぐに仕事場へは戻らない。マスターはその場でレインと目線を合わせるように屈む。


 マスターの黒い目が、レインの目を真っ直ぐに覗きこむ。心の奥を見透かさんとする力がある視線だ。レインの心臓がどきりと跳ね、ついでに肩もびくりと震える。


「失礼」


 小さな声と共に、マスターが腕を伸ばす。掌がまずレインの額に触れ、そのまま三つ数える間、時が静止した。その後、開かれた人差し指と中指で瞼を押し下げ、また三つの間止まる。さらにうなじにも揃えた指を伸ばし、そのまま首回りを喉に向けてすっと撫でた。


 それでマスターは十分満足した。神妙な顔で小さく頷きながら立ち上がり、そして、カウンター内の定位置に戻って仕事を始めた。


 何がなんだか。レインはただ呆然としていた。マスターは奇妙な言動は多くとも、無闇に女性の体に触れなどしない紳士的な人だ。それが突然体に触って来たからには、何か理由があるはず。いや、医師だと言うならすぐに納得ができる。だがあいにく、彼は喫茶店のマスターだ。


――まあいいや、深く考えないようにしよう。


 レインがそう割り切れたのは、アメリアが特に取り乱していないと気づいたから。マスターが良からぬ事をすれば、まず彼女がきゃいきゃい喚くか、不安な表情を浮かべるかする。それが無いのであれば、安心していいと受け取れる。ふうと一息吐くと、重い頭を安らげるように腕を組んで突っ伏した。


 陶器と金属が触れ合う音、お湯が沸く音、引き出しが開く音、瓶のコルク栓を開ける音、何かを混ぜる音。静かな空間には静かな音が響く。心地よい静けさは、鈍った脳での思考も邪魔しない。


 この安心感。レインが医師でもなく、異能者ギルド読み替えなんでも屋でもなく、あえて喫茶店に助けを求めたのは、このためだ。葉揺亭の穏やかな雰囲気も、おいしいお茶も、マスターの甲斐甲斐しさも、アメリアの懐っこさも、心に何よりの安寧をくれる。


 ――ああ、このまま眠れば悪夢を見ないで済むかも。でも、ここで眠ればお店の邪魔になるから――そんな考えで、レインは瞼を閉じようとはしなかった。


「お待たせ」


 マスターが声をかけると、レインはそっと顔を起こした。


 前に差し出されたのは、明るい黄色の花柄のティーカップ。中に湛えられているのは乳白色の液体だ。そして湯気と共に漂うこの匂い。馴染みがありすぎるもので、レインは少々拍子抜けする。


「ミルク?」

「ああ。単純なものではあるが、心を落ち着けるにはうってつけだ。だけど、もちろんそれだけじゃないよ?」

「あっほんとだ。甘い香りがする」


 レインはずっと固くしていた面持ちをはじめて和らげた。乳の匂いの向こうで、あまやかな花の香りがする。さらに深く香りを味わうと、かすかなシナモンの匂いも鼻腔をくすぐった。


「甘い香りはカモマイルだ。あとはシナモンとミントもわかりやすい匂いのはず」

「ミント? 逆に目が覚めちゃいそうだけど」

「加減次第さ。それに他にも色々混ぜてあって、まあ、総合すれば眠りにつくのにうってつけのブレンドにまとまっている。僕が言うんだから間違いない、信じてくれよ」


 マスターはあえて教えなかったが、「他」というのは普通のハーブではない。もちろんハーブティそのままで効能があるのを前提として、それがより強く作用するように、秘蔵品である魔法の材料が混ぜてあるのだ。精神の安定、催眠効果、夢見を良くし、嫌な事は忘れる。なおかつ体に負担がかからぬよう、穏やかに効くように仕立てた。


 アメリアもマスターが何ぞまじないをかけたことには気づいている。が、口には出さない。魔法の茶の話は葉揺亭の秘密、誰にも喋らないように、それがマスターとの約束だ。たとえ大親友でも教えられない。それに、変に詮索せずとも任せておけば良くしてくれる、と絶対の信頼を置いているから、細かい事なんて聞く必要がない。


 そんな事情は露知らず、レインは太陽の匂い香るミルクティをそっと口に含んだ。


「あ、おいしい。カモマイルとミルク、意外と合うんだね。ふーん、こんな感じなんだ」

「物足りないのなら、砂糖で甘味をつけてみてくれ」

「ううん、これくらいがちょうど好きだよ」


 温めたミルクには自然な甘みが宿る。母の愛によく似た優しげな味わいで、擦り切れた心を癒す温もりとなり体に染み渡る。


 レインが処方された茶を静かにゆっくり飲んでいると、マスターが巾着型の布袋を差し出した。


「気に入ったなら持って帰ってくれ。カップ一杯分のミルクに茶葉を一匙、その分量で軽く煮出してやればいいから。そうだね、普段眠る時間の半刻前に飲むのがいいかな」

「わあっ! ありがとう、マスター」


 さっそく袋を開けてみると、黄色い花の散りばめられた特製ブレンドの茶葉が顔を覗かせた。この物自体もさることながら、マスターの心遣いが何より嬉しい。思わず袋を胸に抱く。


「後は無理せず休むこと。こんな時くらい仕事なんて忘れて、眠気が来たときに寝るべきだ」


 そうだね、とレインは口にしようとした。が、声が出てくる代わりに、大きなあくびが一つ飛び出す。体が温まったせいか、ハーブの効果か、あるいは葉揺亭の雰囲気のせいか。心地よさがみるみる頭に昇り、瞼もどんどん重くなってくる。


 眠りたい時に眠るといい、違いない。だから帰ろう。帰って、自分のベッドでゆっくり眠ろう。レインは穏やかな気持ちでカップを空にすると、足早に葉揺亭を去った。来た時とはまるで違う、生気のある爽やかな風を纏って。




 それから日が沈み、月が昇り、また日が昇り……を幾度も繰り返した。その間、人形師の少女は一度たりとも葉揺亭へ顔を出さなかった。音沙汰がないのは無事だからか、それとも。


 アメリアは親友に対する不安をぬぐえず、何度も会いに行こうとした。が、マスターが止めた。心配せずとも大丈夫だろうから、と。


 不眠が解消されて体調が回復した、するとレインの性格からして、今頃は遅れていた分の仕事を取り戻そうと躍起になっているだろう。顔を見せないのはそのために違いない。ならば仕事の邪魔をするのは好まれないし、好まない。マスターは我が事のように語り聞かせた。それで、アメリアも渋々ながら納得した。


 そして紅月季最初の火竜の日を迎えた。一番初めにマスターが寝不足を指摘したあの日から、丸十日後である。


 アメリアはもちろん時計塔の下に向かった。人形劇を見に行くという名目なら、堂々と会いに行ける。昼前に二回ある公演のうち、いつもは後の回を観に行くが、今日は先の回を選んだ。朝の町を、表情を曇らせながら進む足取りは、無意識に駆け足となっていた。


 広場に入ると、既に塔のたもとに小さな人だかりが形成され始めていた。ということは、そこにレインがちゃんといるはずだ。アメリアは安堵の息を吐きつつ、走るスピードをさらに速めた。


 駆け寄ってくるアメリアの存在に、レインも気づいてくれた。手を振りながら笑っている。その顔はいつもどおり底抜けに快活なものだ。


「元気そうですね! よかったあ!」

「うん、マスターのお茶がすっごく効いたの。あれから毎日ぐっすり眠れたんだ。夢も何もなくて、ベッドに入って気づいたらもう朝! びっくりしちゃった!」

「効いてて当然ですよ、マスターの魔法がかかってますから!」

「……魔法?」


 レインが不思議そうに首を傾げた。


――しまった!


 アメリアは口を塞ぐように手をやった。ついでにきょろきょろと周りを見渡す。喜びのあまり気が緩んでしまった、周りはがやがやと賑やかな人だかりで見知らぬ人ばかり、レイン以外の誰かにも聞かれたかもしれない。マスターが一番嫌がる、良からぬ欲望を持っているような人に。


 しかし、杞憂だった。レインですら、ふふっと子供っぽく笑うばかり。


「確かにそうだ、よく眠れますようにっておまじないがかかったお茶だもんね。それに、本当に眠りの魔法みたいだったし!」


 アメリアは冷や汗を流しながら笑顔で相槌を打った。みたい、で済ませてもらえるのならちょうどよい。


 劇の開演時間が迫っていたのも幸いした。レインはすぐに雑談を打ち切って、仕事の顔に戻った。


 簡素な演台にはりぼての舞台装置を用意しながら、人形の状態も確認する。操り糸は切れていないか、関節が壊れたものはないか、期待する通りにきちんと動くか。確認に集中しているため、アメリアがそっと客席側に回ったのにも気づかない。


――よし。


 レインは納得したように頷くと、後方ずっと高くにある時計を仰ぎ見る。今はわずかに斜めになっている長い針が、間もなく動いて垂直になるだろう。そうすると時計塔の鐘が鳴る。それが、開演の合図だ。


 だがその前に。レインは息を吸う。すっかり調子の良くなった体からは、活き活きとした声が沸きあがった。


「さあさあ、火竜の日のお楽しみ! レインの人形劇が始まるよ! 今回の演目は『孤独な道化師と旅ネズミ』、先週からの新作だ! さあさあ、みんな見においで、人形劇が始まるよ! 鐘が鳴ったら始まるよ!」


 黒く艶やかな髪を太陽光に輝かせながら叫ぶ彼女は、生命力に満ち溢れていた。それはもう、見ている側も元気になるほどに。


 ああ、よかった。アメリアは心底安堵した。平穏な日常の復活だ。もう悪夢に怯える姿を見ることはないだろう。



 それから午前の人形劇を終えて、共に葉揺亭へ戻る。


 マスターも回復したレインの姿を見るなり、よかったよかったと心からの喜びを露わにした。もう大丈夫、そうレインが笑うのに、彼も太鼓判を押したものである。


 ……ところが。

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