壁越え来たりし迷い鳥(3)
船、とはうまく言ったものだ。昼だと言うのに薄暗い店内には、交易船の貨物を展示したように様々な物品が並べられている。見本として瓶詰にされた紅茶やそれに携わる道具、煙草や葉巻など喫煙具、四海の珍味や乾物、胡散臭い薬草――。冷やかしに来て、眺めているだけでもかなりおもしろい。
もう幾度となく足を運んでいる店なのに、アメリアは初めて来たかのような好奇の目で周りを見渡していた。
「いらっしゃい。今日は何が入用だ?」
ベルの音を聞いて店の奥から出てきた男、陸の船の店主が、低くもよく通る声色で言った。
葉揺亭との付き合いはそこそこ長く、かつ、珍しい子供一人の客。というわけで、アメリアの顔は完全に覚えられている。こちらが何かを言う前に、店主は既に紅茶の在庫がストックされている棚へと動く。
「ええと。『カメラナ』が二と……『アセム』が一。あ、あと、デジーランの新茶で、アグナスかタルーの物がもう入っていたらそれも……らしいです」
アメリアは大事に持っていたメモをちらちら見ながら、笑顔も忘れないようにして伝えた。いささかたどたどしくなったのは、マスターの走り書きが少し読みづらかったから。流れるような達筆が過ぎて、逆に汚く見える。
「あいよ。だが、『デジーラン』は、今年はまだだね。例年通りなら、紅月季に入ったぐらいになるだろうよ」
「マスターもそう言ってました。去年は早かったけど、って」
「去年はなあ、あっちの方は色々と気象がおかしかったらしいからなあ。二十日も雷雨が続いたとか、風が吹かないだとか。まあ、あるやつはすぐ包むから、ちょいと待っててくれ。入れ物は持ってきてくれているかい?」
アメリアはこくりと頷いて、持参した空の紅茶缶を渡した。
店主は大きな茶葉の保存容器を抱え、天秤に向かって作業をしている。仕事の邪魔をしないよう、アメリアは目を逸らし、また店内を見渡した。
壁に直接打ち付けられた棚板には、様々な形状の喫煙用パイプが陳列されている。値札がついた売り物であるが、パイプの蒐集は店主の趣味も兼ねている。数多の種類が並び、それぞれに手書きの説明書が添付されている光景は展示館のようだ。アメリアには縁のない分野だが、しかし、金の彫刻が施された舶来のパイプや、使いこなされた木のもたらす雰囲気は、なんとも言えぬ情緒を与えてくれ、芸術品としても鑑賞できた。
そんな沈静の時間は短く過ぎ、陸の船の主がアメリアに声をかけた。
「へい、お待ち」
「ありがとうございます」
茶葉を詰めてもらった缶を受取り、代金の金貨を渡した。
さあ、お使いは無事に終わった、後は店に帰るだけだ。そう思って入り口を振り返った時だった。ドアのベルが鳴り、一人の客が入ってきた。
が、その人物は入口を一歩進んだところで、ぴたりと足を止めた。
そしてアメリアも同じように固まる。逆光に浮かぶシルエットには見覚えがある。細身で、少し長めの癖毛で、中折れ帽子を被った少年は――
「あーっ!」
「あの時の!」
偶然再会した少年少女は、同時にお互いを指さして声を上げた。
陸の船からの帰路、商店街の石畳を歩くアメリアの隣には、件の少年アーフェンが並んでいた。過日の出会いは決して良いと言えない形であったが、それももう過去のこと。二人はすっかり打ち解けている。
「それにしても驚きましたよう」
「私もです。まさかこのような形で再会するとは」
「偶然ってすごいですよねぇ」
「まあ、この町で紅茶を買おうと思ったらお店が限られているようですし、必然であったのかもしれません。ええ、きっとこうなる運命だったのです」
アーフェンはしたり顔で言いながら、わざとらしく肩をすくめた。同じくらいの年頃の子が気取った口ぶりで物を言う、それが妙におかしくて、アメリアは失笑した。
「ふふっ、運命、ですか?」
「ええそうです。近いうちにお伺いしようと思っていましたから、そういう意味でも、今日アメリアさんとお会いできたのは偶然などではないと思いますよ」
すまし顔でさらに気障な言い回しを重ねる。なぜアメリアが吹き出したのか、まるで察していないようだ。アメリアは今度は力の抜けた苦笑いを返した。
そう言えば。アーフェンが抱えていた問題、悪い連中から追い回されている件はどうなったのか。解決したらしいとオーベルから聞いてはいるものの、詳細は不明だ。こうして堂々と道の真ん中を歩けているあたり察しがつくことではあるが、念のため確認してみた。
するとアーフェンはにいっと笑った。
「もうなんの心配もいりませんよ。ギルドの方に協力していただき、後顧の憂いはしっかり断ちました」
「協力って、ルルーさんたちが?」
「いえ、違います。……ああ、私、あの後別のギルドに加入したんです。そこの人が力になってくれまして。『銀の灯燭』っていうところなんですけど」
「うーん、知らないです、ごめんなさい」
アメリアは苦笑した。ノスカリアの町には異能者ギルドが山ほど存在する。そのいくつか――誰もが知っている有名どころや、あるいは馴染みの客に関わる名前については多少認知しているが、その他の自分に関係ない有象無象になると、把握しきろという方が無理だ。
異能者ギルドという集団そのものに対しても、アメリアの認識は、強くてかっこいい素敵なヒーローの集団みたいなもの、と抽象的かつ幼稚なものである。そのせいで、アーフェンがギルドに、と言う話も、なんとなく似合わないなと感じてしまった。
――でも、あれ? アーフェンさんって、旅の途中だったんじゃ。
マスターに対してそう自己紹介していた記憶がある。それなのに、決まった所属を持ってしまうのはおかしくないか。組織に身を置くのは集団の利点を得られる一方、そこに縛られて自由に動けなくなる弊害もある。さすがのアメリアにもそれくらいはわかった。
と言うことは、だ。
「アーフェンさん、旅はもうやめちゃったんですね」
他人の事だが、なんとなくもったいない気がする。そんな感想がありありと顔に表れていた。
ところがアーフェンは首を横に振った。
「いいえ。また気が向いたらいつでも出ていきますよ」
「えぇ? そういうのって大丈夫なんですか。ギルドの規則とか、色々ありそう」
「まあ大丈夫でしょう。ギルドがどれだけ偉くとも、人の自由を奪う権利はないでしょうから」
アーフェンはきっぱりと言い切った。何か琴線に触れる事があったらしい、その後も大げさな手振りを交えつつ、至極気持ちよさそうに言葉を連ねる。
「私はいつだって自由なのです。私のことを繋ぎとめる鎖も紐もなにも無い。そして、私は籠の小鳥とも違う。何にも囚われず、広い世界を飛び回る。私はそういう存在です。誰かのお飾りなどではありません」
「は、はあ……」
うっすらと微笑し、目を細めながら、夢を見るかのような口ぶりで語りだした、己と似た年頃合いの少年。無駄にかっこつけたような言い回しで、ちょっと何を言っているのかわからない。アメリアは大口を開けてぽかんとしていた。
聞き手が少し引き気味なのにはお構いなし、アーフェンは語りを止めようとしない。わざとらしく亜麻色の髪を手で払い、陶酔ともとれる表情。おまけに、無知な子供に言って聞かせるような口ぶりで、だ。アメリアが穏やかな性格だからよかったものを、相手によっては反感を覚えさせる言い様だ。
「それに、今も私は旅のまっただ中です。旅とは、つまり人生そのもの。だから私が生きている限り、私の人生と言う名の旅行記には一頁、また一頁と、叙述が増えていくのですよ。そう、こうしてアメリアさんと話している間にも、私は旅をしているのです」
「人生が、旅? 旅行記? えと、ちょっとよくわからないです……」
「人間は、人生と言う名の旅路をひたすら進む生き物なんです。目的地に名前を付けるとしたら……そう、『幸福』でしょうか。ま、私なりのたとえ、私の信条ですよ。別に他人にわかってもらおうなどとは思っていませんので、気になさらず。ただ、私はこういうものを尊いと思うのです」
「うーん……」
彼の高くとまった口ぶりは、アメリアの意識とは別に、脳自身が途中から受け入れを拒否していた。言うならば、マスターの遠まわしで難解な忠言と同じくらい飲みこみがたいもの。無理して理解しようにも、小さな脳は黒い煙を吐き出すばかり。
ただ一つだけ、アメリアの心を強く打った単語があった。それは、自由。いわく、繋ぎとめる鎖が無ければ、自由にどこへでも行けると。
それならば、遠くへ出かける事、冒険をする事を頑なに禁じられる自分は、自由な人間ではないのだろうか。葉揺亭という名の籠に捕われた、一羽の小鳥のようなものなのか。
もちろんアメリアは理解している。悪意で縛りつけられているのではなく、マスターの愛情ゆえ、過剰なまでに保護されているのだと。だが、それでも少しくらい、外の世界を飛んでみたっていいじゃないか。目の前で満足気に人生を語るアーフェンを見ていたら、そんな気持ちが沸いて沸いて仕方がない。
「アーフェンさんは、お父様とかお母様に反対されなかったんですか? 危ないから、絶対だめっ! って風に」
アメリアは単刀直入に尋ねた。マスターだけじゃなく、どこの親もそうなのだろうか。だとしたら、アーフェンの経験から何か自分に活かせる話を引き出せそうだ。
ところが。親という存在に言及した途端、ずっと穏やかな表情をしていたアーフェンが、突然顔色を暗く変えた。浅く俯き、なぜか警戒している気配もある。あれだけよく回っていた舌もすっかり勢いを失い、意味の無いこもった音しか漏れてこない。
一歩、二歩、三歩。たったそれだけの間が、いやに長く感じられた。
「……そりゃ、良い風には思っていないでしょうね」
ようやく絞り出したかのような小さな声で回答があった。
「ああ、やっぱり。そういうものなんですね」
「だから黙って出て来たのです」
「えぇ!? そんな、どうして」
「……このまま籠の鳥で終わるのは勘弁だ。そう思っただけですよ」
そう言ってアーフェンは帽子のつばをくいと下げた。それきり口は閉ざされ、半分伏せられた眼にも暗い色の光が宿る。――これ以上聞いてくれるな。放たれるのは、そんな無言の圧。
アメリアも大人しく口を閉ざした。世の中、親子関係が円満な家庭ばかりではない。それくらいは承知している。家族について話題に出されると苦痛でたまらない場合がある事も。かくいうアメリアだって、実の両親に関して聞かれたら、嫌ではないが、非常に返答に困る。
それに、アーフェンから話を聞いたところで参考にならないとも感じた。いくら遠くに行きたくとも、黙って抜け出すなんて真似できない。そんな真似をしたら、マスターをどれだけ悲しませることか。向こうがこちらを溺愛するように、こちらも親に等しいほど深く慕っている。そんな相手を傷つけ、絆を捨て去る勇気は無い。
それぞれ物思いにふけりながら、しばらく歩く。
いつの間にか商店街を抜け、時計塔広場にいた。ここから北西の区画に入っていけば、帰るべき場所、葉揺亭が待っている。心なしか足が早まった。
ちょうどそんな折、アーフェンの咳払いが聞こえた。アメリアが隣を見ると、先刻のように薄いほほえみを浮かべた少年の顔があった。ついでに悦に入ったような語り口調も復活し、アメリアに舌を巻かせる。
「それにしても、旅の羽休めに来た街にしては、なかなか素敵なお店に出会えましたよ。『葉揺亭』でしたっけ、あなたのお店は」
「あっ、はい! おいしいですよ、マスターの紅茶」
「それは楽しみですね。おいしいのでしたら、しばらく居ついてしまいそうです」
「じゃあ、ノスカリアにずっと住めばいいじゃないですか」
「気に入れば、ですよ?たいしたことなければ、去るにも後ろ髪を引かれることがないですからね」
「絶対に大丈夫です。私のマスターはすごいんですから」
アメリアがとびきりの笑顔を見せた。
こちら住宅地の奥にひっそりとたたずむ葉揺亭。マスターは閑古鳥が鳴く店で、一人茶を飲み店員の帰りを待っていた。広げている新聞は、今朝方とある常連客が置いて帰ったものである。
版で押された整然とした文字列を追っていると、視界の外で玄関の扉が静かに開いた。耳に聞こえた音と入れ替わりに、マスターは新聞を閉じた。
蔦の葉レリーフの扉から現れた姿は、間違いなく待ち望んでいた愛しの少女のもの。無意識に頬が緩む。
「おかえり……おや?」
アメリアの後ろに立つ人影に、マスターは眉を上げて反応した。見覚えがある。いつか妙なところから飛び込んできて、アメリアを突き倒した子じゃないか。また来ると言っておきながら、その後消息を絶っていた、あの。
「マスター、お客さんですよう! 羽休めの小鳥さんです」
「ははっ、ずいぶん大きな小鳥さんだね」
揚々としたアメリアの冗談に、マスターは軽い笑い声を上げた。
客人だけが涼やかな顔を貫いている。いや、神経を空間にほのかに漂う紅茶の香りに集中させていて、他のことに気が回っていないのだ。
「……『シモン』ですか?」
「へぇ、その距離からわかるのか。なかなか嗅ぎ取れる人はいないよ、さすがだね」
「香りが特徴的ですからね。これくらいわかって当然です」
事もなげな顔で胸を張っている。もっと褒めろという気配が漂っている。さらに自分を大きく見せるように語りを続ける。
「私はこの癖のある香りが好きです。なかなか理解を得られないのですが」
「うんうん。『シモン』のこの香りを悪いものだと言う人は結構多い。けど、ある意味これこそが個性だからね。僕も好きだよ」
「凡人にはわからないのですよ。色々と尖った特徴のお茶がある方がおもしろいんですけどね」
「君はなかなかいい事を言う」
マスターはくっくと笑っていた。
――でも、そうやって無意味に大言壮語する癖は改めるべきだな。
そんな風に内心で呆れの言葉を続けて。口に出さなかった理由は、まだ初対面に近い仲であるのが一つと、個性云々と説いた直後にそれを否定するのも悪かろうと思ったのが一つ。
「さて、じゃあそんな君には何を出そうかな。君もなかなかに尖っているからねえ、大海に飛び出す杭のように」
「そ、そうでしょうか。そんなことないと思いますよ。私は普通です、おかしいのは周りの方です」
「なんだ、尖っている方がおもしろいと言ったのは君の方なのに。まあ、話は茶でも飲みながら……アメリア、メニューを彼に」
「はい! ふふっ、二回目ですね」
「ええ、今度こそゆっくりお茶を飲めますよ」
アメリアが差し出した葉揺亭のメニューブックを受け取り、マスターの真正面にあたるカウンターの席へ着した。
前回メニューを見たときもそうだったのだが、やはり、よりどりみどりの紅茶に圧倒されてしまう。もちろん、他の飲み物にも。あれもこれも気になって、とても一度や二度来ただけでは満足できなさそう。
ふっとアーフェンは気障に笑った。
「良い店ですね、本当に」
「もう言い切ってしまうのかい?」
「ええ。見ているだけでなんとなくわかりますから。このお店、あなた方に出会えただけでも、ノスカリアに立ち寄った甲斐があります。いいえ、こうなるよう導かれた――」
そこでアーフェンははっとした。私は天才か、そう言いたげに表情を緩め、それからわざとらしく咳払いをすると、真剣に決めた顔で言う。
「交易都市ノスカリア。そこは人や物だけでなく、運命が交わる町。さしずめそんなところなのでしょう」
「ずいぶんと気取った言い方だね」
「あ、いえ、そんな、格好つけるつもりは……」
「いいや。嫌いじゃないよ」
マスターがさらりと流す傍ら、アメリアがもう耐えきれないと言わんばかりに口を押えて笑い声をあげていた。運命が交わる町、マスターがそう言った時はかっこいいと思ったのに、アーフェンが言うとこうも笑えて来るのはなんなのだろう。大人と子供の違いか、それとも自然か不自然かの違いか。
なんにせよ、個性的な新顔を常連客に迎え入れて、葉揺亭の日常がますます愉快なものになっていきそうだ。そんな楽しい気持ちで満ち溢れていた。
葉揺亭 本日のメニュー
「フローラル・ウォーター」
花を蒸して作った蒸留水。喉の奥でふんわりと漂う程度の、飲みやすい香りの濃さに調節済み。
使われている花は季節感や店主の気持ちにより様々。
またハーブティに似た効能を得られるらしい。
「シモン」
紅茶の種類の一つである。花のような香りと独特の燻香(煙っぽい匂い)を含んでいるのが特徴。
味は普通だが香りの個性が強いため好みがわかれる。




