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壁越え来たりし迷い鳥(1)

 ある晴れた日の午後。葉揺亭には男女の大きな笑い声が響いていた。店の者も男女の取り合わせだが、彼らのものではない。


 ガハハと豪快に声をあげているのは、随一の常連オーベルだ。彼は決まって朝にやってくるが、それとは別に、昼過ぎにもう一度やって来る事がたまにある。こういう時は大抵、誰かを連れて来る。親族か、友人か、あるいは彼の宿屋を本拠とする異能者ギルド「緑風の旅人(グリンワンダラー)」の面々か。


 今日、熱い珈琲をちびちび飲みながらオーベルと談笑している赤毛の女性は、ギルドの者であった。「緑風」の古株で、名前はルルーという。彼女は単なる人間の異能者――アビリスタとも一風違う存在だ。と言うのも、彼女は血筋上人間ではない、「深緑(しんりょく)の民」と呼ばれる亜人の生まれなのだ。


 深緑の民は冴えた神経と人間の倍近い寿命を持つ種族で、樹海の中に暮らし、人間とはまったく異なる文化の下で生きている。本来はあまり外と関わろうとしない者たちだ。


 が、ルルーは平原に出てもう長い。すっかり人間世界に毒されてしまっていて、衣服も言動も思想も、人間とたいして変わらない。唯一、自然の音を細やかに拾うために生まれつき耳が長く尖っている外見で、普通の人間ではない事を示しているのみだ。


 ――異種族交流の趣は、無いな。


 くだらない冗談で笑いあう声を聞きながら、マスターは密かに苦笑した。客同士で盛り上がっている時は、静かに耳を傾けこそすれ、誘われない限り話に割って入ろうとはしない。


 賑やかな声は燕尾の垂れる黒いベストの背中で受けながら、食器類の整理を進めていた。物置部屋にしまってあったティーセットを、客からも見える食器棚に並べてある物と入れ替えている。頻繁に使う白い陶器はどうしても傷や汚れがつくため、適宜綺麗な物と交換するのだ。色や柄の入った物については、マスターの気分次第で入れ替える。ずっと同じ物が置いてあるのは、自分も客も飽きてしまうから。


 天井まで届く食器棚の、上から二番目にあたる高所の段に、星空を思わせる柄のポットを上げた後、マスターはふと窓辺に居る店員の少女、アメリアを見やった。


 今朝方どこぞで貰ってきた切り花が、花瓶にさされて窓辺に置かれてある。それをじっと見つめて、次は手元に視線を落とし、真剣な顔つきで細々と手を動かす。


「そういや、アメリアちゃんはさっきから何してるの?」


 そう発したのは、マスターの視線を追ったルルーだった。


 名指しされたアメリアは、にこっと笑って顔をあげると、手に持っていた真新しい帳面を開いて見せつけながら言った。


「絵の練習をしてたんです!」

「絵? アメリアちゃん、絵描きになりたいの?」

「違いますよう。メニューの端っこに描いたりすると、楽しいかなって」


 客に渡すメニューブックが傷んだ時は、アメリアが都度新しく書き直している。今はマスターが最初に作った、文字とシンプルな飾り枠のみでできたものを写しているだけだが、ゆくゆくは自分で華やかにアレンジできたら。そう考えているのだ。


 それに、とアメリアはさらに付け加える。


「壁になんにもなくてつまらないから、絵とかを飾るといいかなって思いまして」

「なるほどねぇ、いいんじゃない」

「でしょう? たとえば、ほら、この辺とか!」


 ブロンドの三つ編みを大きく跳ねさせながら、アメリアはぱっと椅子から立ち上がり、玄関から向かって右手側の壁に寄る。高い位置にある、燭台を模した光源石の照明以外に何もなく、一面に暗色の木目が広がっているのみ。少女の感性には寂しく感じるらしい。


「この辺に大きな原っぱの絵とかあったら、窓の向こうに原っぱが広がってるみたいになって、すごく開放感があると思うんです。お店自体が広くなったような気持ちになれるんじゃないかって、そう思いませんか?」

「おう、俺も賛成だ。アメリアちゃんが言うんだ、間違いないぜ」


 オーベルがからからと笑った。完全にかわいい盛りの娘を甘やかす親父だ、顔にしまりがない。彼の隣で、ルルーもにこやかに口を開く。


「じゃあさ、もし、本気で原っぱの絵を書きに行くってんなら、ぜひうちのギルドにおいで。いい風景の場所も知ってるし、護衛がてら案内してやれるから。アメリアちゃんのお願いなら、割安にしとくよ」

「わぁ、ありがとうございます!」


 喜ぶアメリアを目にした途端、マスターがわざとらしい咳払いをした。いやに不機嫌で、難しい顔をしている。


 彼はずばり言って、過保護な主人だ。ちょっと町の外へ野原を見に行くだけ、それすらも許せない。町の中なら人の目が多く安全だし、治安局の巡察も盛んに行われている。だが一歩外へ出たら目の届き方が全然違う。そんな場所へ愛し子を送りだせるものか。


 マスターの心の声を察して、アメリアは曖昧な笑みを浮かべた。大丈夫ですよ、勝手に出て行ったりしないから安心してください。そう言外に伝えたつもりだ。


 しかし。アメリアはなんの変哲もない無愛想な壁に向き直り、もしも自分がここに飾る絵を描くなら、と夢想を続ける。心は完全にここにあらずだ。


「はぁ、いいですよねぇ。広い青空の下、きれいな花畑を前に、思いっきりキャンバスを広げて――きゃあっ!?」


 突如、鋭い悲鳴が上がった、その原因は。


 正面から人影が現れた。ただの壁を見ていたはずなのに。外と内とを隔て建物を支える強固な木目の向こうから、足が、頭が、体が、瞬く間に壁のこちらに飛び込んで来た。


素っ頓狂な声を上げたまま凍り付いているアメリアに、同じく焦りこわばった表情をした侵入者。互いに避けるなどできない至近距離だ、勢いよく二人は衝突し、床にもつれこんだ。


 遅れて、中折れ帽が一つふわりと宙を舞い、静かに板張りの床に着地した。


 青天の霹靂である。


 真っ先に動いたのはやはりマスターだった。血相を変え、押し倒された愛しの店員のもとへ駆け寄る。やや遅れてルルーが、鬼が出るか蛇が出るか、と、腰に帯びていた短剣を抜いて構えた。


 いくつもの視線を身に刺しながら、アメリアに抱き付くようにして床に伏せっていたのは、彼女と似た年頃の少年だった。


 しばらく傷みに顔をしかめていた少年は、不意にばっと顔を上げ、すぐに状況を察し、ひぃっと裏返った声をあげながら慌てて飛びのいた。そうやって尻餅をついた姿勢のまま、壁のきわまで後ずさり。あるいは、腰が抜けて立てないのかもしれないが。


 彼はやや長さのある亜麻色の癖毛を揺らし、アメリアに向かってひたすら頭を下げた。


「すいません……! 違うんです、乱暴するつもりは、なかったんです!」

「な、なんなんですか、あなた!」


 アメリアはマスターに助け起こされながら少年をきっと睨んだ。迫力は欠片も無いが、心を締めつけはしたようだ。少年はばつが悪そうに口ごもる。


 その時だ。今度は外、店の前で、野太い声の男たちが喚いているのが聞こえてきた。


「どこだ!? 行き止まりだぞ!」

「この辺の家に逃げ込んだんじゃないのか?」


 壁越しとはいえ、店内が静かな分、言葉の一つ一つがはっきりわかる程に反響する。同時に、少年の顔からさっと色がひいた。


 マスターは取りも直さず動いた。


「君、こっちへおいで。早く!」


 言うより早くへたり込む少年の腕を取り、カウンターの中まで引きずり込む。しゃがんで静かにしていれば、客席側からは死角に入って見えやしない、と。


 小さくなって震える少年を元気づけるように、肩を軽く叩いてから、マスターは襟を整えて立ち上がった。


 ふいに緊迫感に包まれる店内。見れば、床に少年の忘れ物が。緑のリボンテープを巻いた、暗色の中折れ帽。それはアメリアが拾い上げた。


 その時、叩きつけられるような勢いで扉が開いた。アメリアが冷や汗を流しながら玄関を向く。拾った帽子はとっさに後ろ手に隠した。


「いらっしゃいませ」


 マスターは普段通り愛想のいい笑みを浮かべ、穏やかな声で招かざる客を出迎えた。そのすぐ足元で、少年が飛び跳ねる心臓を押さえつつ息を殺している。


 がらの悪い訪問者たちは全部で四人も居た。みなで店内をなめ回すように見て、やがてリーダー格らしき男がマスターへ問いただす。


「おい、ここにガキが一人来なかったか? ちょっとすかした感じの野郎だ、帽子かぶっていてよ」


 アメリアが直立不動のまま、汗ばむ細い指に力を入れた。絶対にばれてはいけない、そう思いを込めるほど顔はこわばる。


 悪漢たちが怪訝にアメリアを見る。


 瞬間、マスターはわざとらしく両手を開き注目を集めた。そのまま鷹揚に構え、飄然と言う。


「いやいや、知らないなあ。うちの客はごらんの通り。小さな店だ、死角も全然無いだろう? ああ、その子はとってもかわいい僕のアメリアだ。どう見たって野郎なんてものじゃない、あんまりじろじろ見ないでやってくれよ、恥ずかしがるから」


 からからとマスターは笑っている。毒気のないその様が、ごろつき連中の苛立ちを煽り、明らかに表情を悪い方へ変えさせた。


 が、無関係の人に八つ当たりするほど落ちぶれてはいなかったようだ。やり場のない癇癪は、仕方なしに身内へぶつけられた。


「チッ……どこいきやがったあの野郎! 妙な力使いやがって! さっさと捕まえねぇから!」

「そもそもてめえが下手こくから逃げられたんだろうが!」

「見張ってなかったのは貴様だろうが!」

「んだと!?」


 狭い玄関先で始まった仲間割れの罵り合いから、次には手が出て胸倉をつかみ合い、いまにも殴り合いに発展しそうだ。


 さて、苛立っているのは悪漢たちだけではなかった。マスターもそうだが、それよりも、ルルーが。醜い争いを目の当たりにし、とうとう我慢の限界を超え、吼えた。


「ちょっと! あんたたちここで喧嘩する気ィ!? 用が済んだらさっさと帰れ、邪魔くさくってしかたない!」

「あんだと女ァ!」


 小娘が、殴るぞ、黙っていろ。悪漢たちが揃って凄む。が、ルルーは涼やかに受け流した。出自の都合で、見た目は若くとも、実はオーベル以上に歳をくっている。これ以上の修羅場もたくさん越えて来た。そしてとにかく気が強い、荒い。今も玄関に陣取る男たちからは見えない角度で、鋭く磨かれた短剣を手に握っている。来るなら来い、そう気配で語っていた。


 一触即発の空気は葉揺亭に似つかわしくない。マスターもいよいよ顔を曇らせ、どす黒いオーラを全身からにじませる。


 そこで慌てて、かつ堂々と、オーベルが仲裁に入った。とりあえずルルーの手を押さえ、彼女を諭す。


「まあまあ、待て待てルルー。ここで暴れちゃ、なによりマスターの迷惑だ。それに、あんたらもだ。この娘はよぉ、うちの異能者ギルドの柱でね。舐めてかかると、そらもうおっかねえもんだぜ? 一度怒ったら手が付けられん、えらいことになる。俺も何度泣かされたか……」

「ちょっと、人聞きの悪いこと言わないでよ」


 ぶうとルルーが口をとがらせた。


 さて、暴漢どもは。異能者ギルドと聞いた途端、争いの手を止めて顔を見合わせた。そのまま小声で何やら打ち合わせている。


 結果、分が悪いと判断したらしい。回れ右し去って行った。耳障りな舌打ちと、乱暴に扉を閉める音を残して。


 窓の向こうの風景に人影が遠く消えたのを確認すると、葉揺亭に会した一同は揃って胸を撫で下ろした。



 深呼吸しながら立ち上がった少年は、くたびれた顔をして、とりあえずマスターに頭を下げた。


「あ、ありがとうございました……助かりました」

「たいした事はしてないよ」

「いや、でも、本当に」


 少年は魂が抜けたように台上に手をつきへたり込む。どうやら言葉も出ないらしい。


 そこにルルーが睨みを利かせた。なぜか喧嘩腰で、きつい目は先ほど悪漢たちに向けたものをとそう変わらない。


「ちょっと、あんた、どこのギルドの? アビリスタが追っかけられるだなんて、まともなことしてない証よ。闇ギルドなの? 何やらかしたわけ? 殺し? 盗み?」


 歯に衣着せぬ詰問に、少年もむっと眉を顰めた。


「あいにく私はただの旅人です。それに、何も悪い事はしていません。むしろ私のほうが被害者です、あの連中に騙されたんですよ。ひどい言い草じゃないですか、まるで悪人扱いして」

「そりゃそうよ。こんなところでアビラぶっぱなして、見つかったら治安局に引っ張られるでしょうが。なんにも関係ないマスターやアメリアちゃんに迷惑がかかるし、あたしだって巻き込まれる。あんたみたいなのが馬鹿やるせいで、アビリスタみんなの肩身が狭くなるわけよ、わかるわよね? 異能者ギルドには信用が欠かせないのに、それが崩れたらどうすんの。あんたに責任とれるの?」


 噛みつくような勢いでまくしたてるルルーに、少年も負けじと言い返す。


「ああ、そうですか。でもお言葉ですが、『命の危機に瀕し、これを脱するためのアビラの使用は、処罰の対象外ないし減刑とする』とは異能取締規約で明言されていますよ? ギルドの方でしたら当然ご存じですよね? 私は自分の身を守るために仕方なく力を使ったのです。ほら、何も問題ない、法に則った正当な行為です。堂々と潔白を主張できますよ」

「ええそうね、規約上はね。でもね、実際はそんな融通きかない。現場はそんな能書道理に動く簡単なものじゃなくて……ああもう! むかつく! マスター、おかわり!」


 ルルーは目をぎらぎら輝かせながら、空になったカップを乱暴に叩きつけた。


「やけ酒じゃああるまいし、もっと心穏やかにやってくれないか」

「酒があるならそっちにしたいぐらいよ」

「残念ながら無い。カップを割ったら、弁償してくれよ」


 店主は苦笑しつつ珈琲豆を一杯分ミルに投入する。豆を挽きながら、未だカウンターの中に居る少年に顔を向けた。


「君も何かどうだい? とりあえず向こうの椅子に座って、少し心を落ち着かせるといい」

「はあ……。それにしても、まさか飛び込んだ先がお茶の店だとは」

「おや。察しがいいね」

「そりゃわかりますよ。これだけ道具が揃っているのを見れば」


 がりがりと言う豆を挽く音にマスターの忍び笑いが混ざる。それを背中に受け、少年はカウンターを出た。


 そこにはアメリアが待ち構えていた。嵐が去って今は快晴とでも言うべき表情だ。


「喫茶店『葉揺亭』です、ようこそ。メニューと、あと、これ、落し物です」

「ああ、ありがとうございます」


 少年は中折れ帽を受け取った。元から少しくたびれた風合いだったが、それに加えて、アメリアの握りしめた皺がつばにはっきり刻まれてしまっている。だが、少年は気にすることなく帽子を頭に乗せた。それからカウンターの一番右端に着席する。


 すまし顔の少年を、ルルーが何か言いたげに睨んでいたが、間に挟まれるオーベルが足で小突いて制止した。


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