蔦の葉扉の向こう側(2)
「あっ、いらっしゃいませ!」
「おーう、おはよう。なんだアメリアちゃん、今日は早いじゃないか」
毎朝の常連、宿屋のオーベルはからからと笑ってカウンターへやってくる。珍しく先客があることに眉目を上げて、興味津々とばかりに左隣の席へと腰をおろした。どっこらせ、と声を漏らしたのは無意識だったらしい。
その入れ替わりにマスターが立ち上がった。顔は客の方へ向きながら、足先は食器棚へ向かっている。
「オーベルさん、おはようございます。今日もいつものでいいかな」
「おうっ、もちろんだ」
オーベルの朝は、コルブの熱めに決まっている。変更があるとすれば、二日酔いの朝に「うんと濃い目で」と付け加えられるくらいだ。マスターは迷うことなく仕事にとりかかる。ついでにアメリアにも「カップを湯通ししておいてくれ」と仕事を与えた。
茶を待つ間オーベルは小脇に抱えて持って来た新聞を読む、というのが通例だが、今朝は違った。新聞をカウンターに置いて、目線は隣席の青年へ釘づけになっている。相手は目を合わせてくれようとしないが、お構いなしだ。
そしてオーベルは目を細めて呟いた。
「あんちゃん、堅気じゃないな」
――さて、どうやりすごしたものか。
ヴィクターは内心うめき声を上げながら、努めて自然に、威嚇や警戒の気も出さないよう注意して、オーベルへと視線を移した。相手は明らかに善良な一般市民だ。表向きの肩書、風来の賞金稼ぎというだけでも印象はよくないだろう。ましてギルドにも所属しないアビリスタ、政府からも鼻つまみものの存在だと知れたら。おまけに闇社会では名の知れた殺し屋だと発覚したら。治安局に通報されての大騒ぎが予測される。よりにもよって葉揺亭でそれは、なんとしてでも避けたい。
ヴィクターが返答を迷っている間も、オーベルはじっと目を見つめている。
そして待っても答えがないと判断した途端、オーベルは、笑った。
「なんだい、そう警戒すんなよ! 俺ぁ別にアビリスタだからって差別はしないぞ、安心してくれや」
「は、はあ……?」
「ん? 違うのか。うちの連中と似た雰囲気醸してるもんだから、てっきりどっかのギルドのやつかと思ったんだが」
おかしいな、勘が外れたか、とオーベルは首を傾げている。髭をさすっているのは、おそらく意識したものではない。
そこへオーベルの勘は正しいと、茶の仕込みを終わらせたマスターが割って入ってきた。
「何とはあえて言わないようにするけど、彼は使える方の人間だよ。でもギルドには所属していない」
「へぇ、そりゃ大したもんだ。政府がうるせぇもんだから、単独活動ってのは大変らしいな。おっ、そうだ。よかったらうちのギルドに来ないか、割と気質は合うと思うぜ、なんとなく」
「あんた、ギルド長かなんかなのか?」
「いんや、俺は宿屋だ。で、うちの宿屋にギルドが籍を置いている。『緑風の旅人』ってんだが、聞いたことないか?」
「ほー『緑風』。ノスカリアじゃかなり古株の方だな。悪い評判もほとんど聞かない」
「その通り! あいつらは、ほんっと、いいヤツだぜ」
高評価がオーベルの気をよくさせたらしい。まるで我が子を自慢する親のように、ギルドについて熱く語り始めた。
ヴィクターは若干引き気味に聞いていた。正直なところ興味はない。が、自分の事を根掘り葉掘りやられるよりはずっとまし、好きなだけ喋ってもらおう。ただ、時々紛れる勧誘は丁重にお断りする。
オーベルは結局、茶が出てくるまで一方的に話し続けた。
「はい、先にオーベルさんのから」
「ん? そうなのか。あんちゃん悪いねえ、俺の方が後から来たのによ」
「構わんさ」
ふっと気取った笑みを浮かべる。少しだけ安堵も混じった。
オーベルは広げた新聞に目を落とし、目覚めの一杯を味わっている。とても静かだ。響く音といえば、時計の針が一歩進んだ音だけ。アメリアも少し気分が落ち着いたのか、頬杖をついてぼんやりとし、暇そうに足をぶらぶらさせているばかり。
と、マスターが立ち上がった。静置してあった黒いポットを手に取り、蓋は開けることなく円を描くように揺らす。そうしてから、口に詰めてあった栓を抜いた。
こちらもマスター手づからカップに注ぐ。
「さてヴィクター、待たせたね」
そう言って出されたカップに大きな反応を見せたのは、当人ではなく隣で盗み見ていたオーベルだった。呆気にとられて目を丸くしている。
「なんだいそりゃ、えらい赤い。血みたいじゃないか」
「……せめて炎と言ってくれよ」
ヴィクターはすねたように鼻を鳴らした。
だが、血だと指摘したくなっても仕方がないだろう。カップの中に湛えられているのは濃い赤の液体、紅茶が赤みがかっているのとはまるで違う、褐色味のない純粋な赤だ。マスターとしては、ヴィクターの操る炎を模して着色しているのだが、知らぬ人には伝わるまい。
鮮烈な色の茶を、ヴィクターは静かにすすって口に含んだ。ほんの一瞬、眉間に皺が入る。が、その理由を言葉にする事はない。もう慣れたものだから。
しかし隣で見ている分には、味その他諸々気になって仕方がないようで。オーベルは新聞を脇にやり、直球に尋ねた。
「あんちゃん、それ、ほんとにうまいのか?」
「うまいまずいというよりは……あれだ、力の源、みたいな」
「……ははーん。マスター、例のアレを仕込んでるんだな。いや、何とはあえて言わないけどよ」
したり顔で顎をさするオーベル。それを見て、今度はヴィクターが胡乱になる番であった。
葉揺亭、そしてマスターは、いくつか秘密を抱えている。例えば食器棚の引き出しに隠されている不思議な力を持った品々の話、そして店主にはその力を存分に引き出す天才的な知識技術がある話。誰にも知られたくないマスターの秘密だ、ヴィクターはそう認知していた。だからオーベルの問いかけに対し、返す言葉を選んだのに。
どうやら知らぬ間に少し状況が変わっていたらしい。すました笑みを浮かべ「ご名答」と講釈を垂れはじめるマスターを見て、ヴィクターは理解した。
「とは言え、そんなに複雑なものではない。湯に『焼け胡桃』の炎の魔力を溶かし込み、それらしい色をつけただけだよ。焼け胡桃の実力は、見てもらった方が早いかな」
そう言って秘密の引き出しから、該当の小瓶を取り出した。金属の小皿を一枚、オーベルとアメリアが共に見やすい位置に置き、そこにピンセットでつまんだ小柄な胡桃を一粒落とした。
皿とぶつかった瞬間、焼け胡桃は赤く光を放ち、すぐさま熱の球と化した。まるで木炭が燃焼しているかのよう。
これと同じ事を黒いポットの中で行ったのである。このポットは特殊な陶土でできており、放たれる魔力を外に逃さない構造になっている。焼け胡桃が放つ炎の力を内部に充満させ、そののち注いだ湯へ溶かしこむ。そうして仕上がったものを飲みこめば、体内の魔力へと移行する。ヴィクターは自分も炎の術を使うから、取り込んだ魔力をそのまま利用できる、すなわち力の増幅に繋がる。そうした算段だ。
「それはいいが、魔力が入ったお茶ってよ、味はどうなんだ?」
オーベルの興味はそこに尽きた。
が、その話題になったとたん、マスターは言葉を詰まらせた。ヴィクターもわざとらしく顔を明後日の方向へ逸らす。そしてアメリアまでもが、頭を横にぷるぷるさせて、やめた方がいいと訴えていた。彼女とて飲んだことはないのだが、ヴィクターが一度もおいしそうに味わう姿を見せた事がないとは知っている。
「なんだい、みんなして。まずいだとか変な味だとかよう、もっとはっきり教えてくれよ」
「……オーベルさんなら、まあ、大丈夫かな」
「うん?」
「そんなに気になるなら飲んでみるかい? まだ少しだけ余っているんだけど」
「いいのか!」
マスターは黒いポットから一口分の茶を新しいカップに注ぎ入れると、オーベルに差し出した。淹れてからかなり時間が経っているにもかかわらず、沸きたてのように湯気が昇っている。違和感や危機感を覚えてもいいものだが、好奇心で燃えている男は何もおかしく感じなかったようだ。欠片もためらいなく、普通に紅茶を飲むように口へ含んだ。
「ぅぐ! あっつ! 水、水!」
カップが激しい音を立てて叩きつけられた。オーベルはかっと見開きひいひいと息を荒げ、まるで毒物を拭うかのように服の袖で舌をこする。アメリアが慌てて差し出した水入りグラスもひったくり、驚異の勢いで干し上げた。
隣の惨状をヴィクターは神妙な顔で見ていた。
マスターの処方する魔法は、免疫のない一般人には刺激が強すぎることが多い。特定の人を見定めて調合したような物は殊更にそうだ。だから、こうなるだろうと予想がついていた。止めなかった自分に責任はあるだろうか。
いや、悪いのは全部わかっておきながら誘いをかけたマスターだ。現に店主は、苦悶するオーベルに向かって、悪い笑顔をたむけている。これは絶対に故意犯だ、周りが止めてオーベル自身が渋っても、結局カップは渡されていた事だろう。
恨めしげなオーベルに向かって、マスターはにやにやしながら問いかける。
「で、お味の方は?」
「炭の味だ! まずいどころじゃない! ……まったく、あんちゃん、よくこんなもの飲めるなァ!」
「まあ。もう慣れたから」
涼風のごとく言ってはみせる。が、おいしくないものはおいしくない。相応の益がなければ決して飲むものかと思う。言うなれば、良薬は口に苦し、と。
「マスターは自分でおいしいと思うんですか?」
そう訊ねたのはアメリアだった。問われた方は目線を宙にやって、とぼけた顔をしている。
「それは……まあ、味を求める飲み物じゃないから。効能が重要で、その面では百点満点だからいいんだよ」
「つまり、まずいって認めるんですね。マスター、ひどいです」
「まったくだ。そんなもん、他人に飲ますんじゃないやい。改良してやれよ、あんちゃんがかわいそうじゃないか」
「じゃあ次の時までには改良しておくよ」
「絶対ですよ」
「ああ、善処する」
非難を浴びせられたマスターは、そう約束して場を収めた。
――たぶん何も変わらないだろうな。
ヴィクターは赤い薬をちびちびすすりながら思った。理由の一は、マスターが自分にそんな甘さをみせはしないという点から。二は、自分が他人へ無駄な期待をしたくないために。梯子を外されて裏切られた気分になるくらいなら、最初からあてにしない方が不快にならずにすむ。特に、ささいな調子狂いが死へ直結するような生き方をしているこの身では。
消し炭のにおいを味わっている内に、ふと、初めてこれを飲まされた時の事を思い出した。あの時は、まだ子供だった。
『独りで生き抜く力が欲しいのだろう。ならばまずはこれを飲め。ほら、四の五の言わずに飲んでみろ』
そうカップを差し出された過日のあの時も、マスターはさっきみたいに意味ありげな笑みを浮かべていた。ただ、より棘があるような風であった。だから嫌な予感がして、はじめは拒否した。すると、怖いのか、臆病だな、などと煽られて、ひねくれ者の少年はかちんと来た。反抗心から勇んで怪しい液体を口に含み、そして盛大に吹き出し、今日のオーベルと同じく熱い苦いと大騒ぎした。違うのは、恨み言を無遠慮に延々と吐きかけたことか。
懐かしい。甘い思い出ではないが、不思議と口角が持ち上がる。
そうして夢想に浸っている間、ヴィクターは外の声をまともに聞いていなかった。どんな流れでそうなったのか、マスターがぽんと手を叩いた事により、ようやく葉揺亭に意識が帰ってきた。
「そうだ、アメリア。君にもちょっと飲んでもらいたい物があるんだった」
「わ、私ですか。今度はなんですか」
「そう警戒しないでくれよ。昨日教わってきた新しい手合いのお茶さ。自分でも飲んで、これはちゃんとおいしいと思ったよ」
マスターは作業台の端に据えてあった布包みを引き寄せた。解くと、中から茶の道具らしきものが色々と出てくる。ただ、いずれも葉揺亭では見慣れないものだ。たとえばニス塗りの茶筒、この中身は緑色の粉末だがれっきとした茶葉である、と。深い陶器の茶碗も食器棚にあったものではない。一番妙な外観をしているのは、泡だて器と箒を足したような道具だ。
未だ知らない茶の気配に、アメリアもオーベルも興味津々だ。道具を一つ一つ見せながら得意気に語るマスターに、やいのやいのと茶々を入れている。
一方のヴィクターは、そろそろ場違いだなと感じた。ちょうどカップの中身は残り一口まで減っている。最後は目をつむって一気に飲みくだした。火の力を持つせいか、これだけ時間が経っても熱く感じられる。
その熱はそっくりそのまま自分の力として満ち満ちる。体のどこかで燃える命の炎、普段は静かなそれがにわかに激しく燃えだしたよう。血流と共に体内を巡る気が、服用前とは段違いに力強くなっている実感がある。――これだ、この感覚だ。こうでなくては旅立てない。
ずれていた歯車が正常化され、狂いっぱなしだった調子が戻ってきた。その勢いのままにヴィクターは立ち上がった。
外套のポケットからあるだけの金をひっつかんでカウンターの上に置く。薬の代金はいつもこうして払い、釣りはもらわない。実際いくらなのかも知らない、請求された試しがないからだ。
「ごちそうさん。そろそろ行くよ、邪魔したな」
「ヴィクターさん……」
「そんなしょんぼりしてたら、かわいい顔が台無しだ。見送ってくれるなら笑顔で頼むぜ」
アメリアはこくりと頷いて、弱々しく笑った。
それに手を振って、ヴィクターはカウンターに背を向けた。
「ヴィクター。生きて帰れよ。僕はいつだってここで待っているから、必ず」
「私も、私も待ってます!」
背中に投げられた言葉に、ヴィクターは返事の声ひとつあげない。ただ、右手をひらひらと振って後ろ髪を引く手を払いのけ、葉揺亭から立ち去ったのだった。
外の日差しが眩しかった。背中を丸めてうつむき気味に、それでも足りず、家々がつくる日陰にもぐりこむ。
そのまま少し歩いて、しかしまた立ち止まった。
振り返って見るのは葉揺亭の玄関。蔦の葉扉が変わらずそこにある現実を確かめる。耳をすませばその扉の向こうより、集う人々の温かな笑い声も聞こえてくる気がした。無意識の内に笑みがこぼれる。
「来たときは、こんないい気分じゃなかったんだが」
今朝はひどく嫌な夢を見たのだった。だが、もうはっきりとした内容は覚えていないし、あえて思い出そうともしない。思い出せば、せっかく取り返した調子がまた崩れそうだから。
ただし一つだけ胸に刻み込んである。それは最後に送られた言葉。蔦の葉扉の向こう側、そこが自分の帰るべき場所だ、と。
世界がどんなに深い闇に覆われても、その扉を見失わないように。葉揺亭の姿をはっきりと目に焼き付けると、ヴィクターは再び自分の生きる世界へ続く暗い道を進み始めた。恐れは無い、胸には暖かく明るい炎が燃えている。
葉揺亭 本日のスペシャルメニュー
「赤色の魔力強化茶」
炎の魔力がたっぷり溶け込んだ火炎のように赤い茶。色は調合した花から出たもの。
飲むと体内の魔力を活性化し、それに伴い使い手の能力を向上させる。
ただし魔力のタイプは人それぞれであるため、個々人の体質に合わせた調合でないと逆効果となる。
味は炭の味そのもの。花からでるわずかな酸味や甘味、香気は完全に負けている。




