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異世界茶話(2)

 甘く優しいミルク・コーヒーで気分を落ちつけてから、アメリアは葉揺亭の外に繰り出した。


 ハンターの住居は広場から少し南へ下ったあたりにある。ひとまず歩きやすい大通りに出て、時計塔広場を経由して向かう。もう何度も行っているから、道を間違える事はない。


 すりへった石畳の通りを歩いていると、色々な人とすれ違う。大荷物を背負った旅商人や、どことなく一般人と顔つきが違う異能者ギルドの者たちなど。立ち話する女たちを追い越して、後ろから来た馬車に追い越されて。


 そうしている内に広場の口にたどり着いた。ノスカリアの象徴、天を穿つ壮麗な時計塔が目の前にそびえている。日常風景は今日も変わらない。


 そこで、アメリアはふと足を止めた。


 神隠しはなんの前触れもなく起こるという。時忘れの箱庭への入り口は、どこに開通するかわからないと。だとしたら。自分が次の一歩を踏み出したら、ノスカリアではないどこかに立っているかもしれないではないか。この巨大な時計塔が消え失せて、行きかう人々もみな姿を消す。町は虹色に染まり、並ぶ屋根は丸く柔らかくなり。ふわりと漂う甘い香りにふりむけば、たくさんのお菓子と紅茶がテーブルにある光景。


 日常が一変、非日常へ。自分の身にもそんな事が起こるかもしれない。もしも起こったら……それはそれは楽しい。


 アメリアはぎゅっと目を瞑り、ゆっくりと足を上げ、もっとゆっくり降ろした。


 そして着地する寸前、


『そんな事をしていたら、いずれこの世の神に見放されてしまうよ』


 と言うマスターの声が強く思い起こされた。どきりと心臓が鳴り、弾かれたように目を開ける。


 とん、と足が着いたのは、いつもと変わらない時計塔広場の石畳だった。周りをぐるりと見渡して、何もおかしな所がないとを確認する。


 はあ、とアメリアは息を吐いた。がっかりしたような、安心したような。


「心配しなくたって、こんな簡単に異世界なんて行けるわけがないですよ」


 ここに居ない過保護なマスターに向かって、ぷうと文句を言う。


 しかしそうなると、ジェニーの異世界茶が一層すごいものに感じられてくる。一体どんな紅茶なのか、楽しみだ。


 だが、今は目の前の用事が大切だ。マスターに万全な体勢でその日を迎えてもらうためにも。アメリアは気を取り直してハンターの家へ歩き始めた。




 やはりと言うべきか、最短だと言った日にジェニーは再来した。蔦の葉扉を引いて現れた面持ちは、努めて平静を装っている。が、内心色めきだっているのは隠せない。いつもならきつい音を鳴らす革靴が、今日はどことなく楽しそうな律を叩いていた。


 意外だったのはジェニー一人でやってきたこと。少なくとも会長は自ら乗り込んでくるのではないだろうか、マスターはそう踏んで準備をしていたのだが。それを指摘すると、ジェニーは「そのつもりだったのだけど」と控えめに笑んだ。


「誘ってはみたの。でも、断られちゃった。今日はお嬢様と劇場に行くからどうしてもだめだって。ほら、うちの会長、あちこち走り回ってばかりでほとんどに家に居ないでしょ? そんなのだから、私もこっちに来てくれなんて言えないわ」


 東奔西走する大商会の主には、いかに貴重な茶よりも、家族と過ごす一時の方が価値のあるものらしい。泣ける話じゃあないかとマスターも思わず笑いをこぼした。


 それはさておき。ジェニーはいつもの四角い鞄とは別に、分厚い布でくるまれた包みを胸に抱え持っている。それが問題の品だろう。


 ジェニーはカウンターにその包みを据えた。女性らしい綺麗な手で、固く結われた布を解く。そうして花のように開かれた中から、古びた木の箱が姿を見せた。飾りっ気も何もないが、木目の雰囲気からして年季の入り方を感じさせる。


 ジェニーはもったいぶることなく箱の蓋も開けた。一杯に詰められた綿の中央に、手のひらにすっぽり収まる壺が据えられていた。重厚感のある一輪挿しの花瓶として使えそうな外観で、口は細くくびれている。そこに布を固めた栓がなされていた。


「これまたずいぶんな骨董だ」

「あたりまえでしょう、古い時代からやってきたんだもの」


 こともなげに言ってから、カウンター越しに壺を手渡してくる。マスターは両手で包み込むようにして、大事に受け取った。


 軽く揺り動かすと、中から乾いた軽い物がこすれる音が聞こえた。隣で「私も私も」と目でアピールしてくるアメリアにも、耳の近くで鳴らして確認させてやる。


 マスターは詰められた栓を抜き、自前のティーソーサーに中身を少し出してみた。


 細い口からこぼれでてきたのは、確かに茶葉であると疑いようがない代物。そして紅茶の葉だけではなく、果実なども混ぜ込んだ品であるとも一目瞭然だ。


「どう? わかった?」

「ちょっと待ってよ。じっくり見てみないと……」


 マスターは小皿に顔を近づける。はらりとこぼれる右の前髪を手でたくしあげ、視界を鮮明に。真剣そのものの眼差しで相手の正体を見抜きにかかる。


 読み取るのは紅茶の葉の微妙な色味の差、揉まれ方や製法の違いによる形状の違い、広がった状態を想像しての葉の形、わずかに薫る香気といったもの。目を細め、神経を研ぎ澄まし、指にとったり鼻腔に寄せたりしながら、じっくりと正体を暴きにかかる。頼れるものは二つのみ、己の知識と感覚だ。


「……基となる紅茶は二種。シネンス……いや、この色と年代を考えるとカンデルの方だな。それと、現在カメラナとして普及しているものの原種だ」

「原種って、そこまでわかるわけ!?」

「カメラナに特徴的な匂いがかすかにするけど、葉の縁部がぎざぎざしているし、現代の物よりよじれ具合が弱い。カメラナが良質な紅茶として広められる以前の、土着の製茶法で作った物だよ、これは。ただ、その時代にこのようなブレンドをした茶はかなり珍しい」

「じゃあ、やっぱりジェニーさんの言う通り、すっごく貴重なものだったんですね!」

「うん。銘茶とかではなく、偶然の産物かもしれないけれど。さて……こっちの粒はなんだ」


 マスターは茶葉に混ざっている、透明感のある白の粒に指を押し付けた。一見、鉱物のようにも見える。しかし皺が寄っていることと、ごくわずかに弾力があること、そこからなにかしらの果物を干したものだと見当をつけた。


 見た目だけでは候補が絞り切れない。指を鼻に寄せて匂いを嗅いでみる。だが、ほぼ無臭だ。年季が入りすぎて香りが飛んだのか、そもそも匂わない物なのか、よくわからなかった。


 視覚と嗅覚でだめならば。マスターは指先についた正体不明の物体を、そっと口に含んだ。


 途端に固唾を飲んで見守っていた女性陣から非難の声があがった。


「そんな物、食べちゃだめです!」

「危ないから飲むなって自分で言ったじゃない」


 外野の音は耳に入れつつ、しかし黙って舌の感覚に集中する。


 しばしの後、マスターは眉を動かした。


 間髪入れずに立ち上がりシンクへ急ぐ。口内のものを溜まった唾液ごと吐き捨てて、水で口を何度もすすいだ。


 シンクの中も含め、残り香ひとつないように完全に洗い流したら、ようやく聴衆への対応が許される。マスターはにっと笑った。


「大丈夫、すぐに吐き出せば体に取り込まれる事はない。触っただけでどうにかなる劇物だったなら、運がなかったと諦めるだけさ。まあ、危ないのは確かだから、君たちは真似しないでくれよ。僕だって、必要がないならこんなリスクは取らないさ」


 肩をすくめておどけるように言ってみせたが、それは紛うなき本音だった。


「でもおかげでわかったよ。この粒の正体は白ブドウだ。あのさっぱりした味がした。そうすると、残りはこの薄くて白いかけら。こいつは、マツリカの花……」


 意気揚々と語っていたマスターの声がしぼんで消えた。視線は皿上の茶葉を見据えたまま固まっている。まばたきを繰り返して、どこか物憂げに。


 表情の急転にアメリアが不安を露わにした。


「大丈夫ですか、マスター。やっぱり毒があったんじゃ……」

「え? ああ、そうじゃない。それは大丈夫だ、元気だよ」

「じゃあ急にどうしたんですか」

「ちょっとだけ気になる事があっただけだよ。うん、でも問題ない。この白いかけらはマツリカの花びらで間違いないよ」


 ふっと微笑み、自信満面に首を縦に振った。


 これで謎の茶の構成物は明らかになった。ここで本題、材料がわかった所で再現ができるのか。ジェニーが息巻いてそう切り込んだ。


 それに際しては一切心配はいらない。マスターは気持ちのいい表情を見せた。


「大丈夫、厄介な物は入っていなかった。むしろ素直が過ぎる方だよ。ただ、僕、カンデルの茶葉はいま持ってないんだよね。シネンスとアセムをブレンドしてやり過ごさせてくれ」

「ちょっと、それじゃあ別物じゃない!」

「比率さえしっかりすればほぼ同じ味になるよ。カメラナも混ざるわけだしね」


 現代のイオニアンにおいて何をもって紅茶を呼び分けるかは、樹種や栽培地、あるいは環境や製法など多岐にわたっている。シネンスとアセムの場合、そもそも樹が別種であるため、風味がまったく異なる。しかしアセムとカンデルは同じ種が起源だ。そこから愛好家たちが特有の香りと濃く重い味を強める方向に手を加えたものがアセムで、特に大きな改良を加えていないものがカンデルと、歴史の中で分かれて来た。そんな由来ゆえ、この二種の紅茶は根源の味わいは近しいのだ。


 だからうまいことブレンドしてアセムの強い癖をひっこめてやれば、カンデルを使用したものと大きく乖離はしない。甘味のあるカメラナも一緒なのだから、微妙な違いはますますわからなくなる。マスターはそれを読み、絶妙なさじ加減で三種の茶葉を配合し始めた。


 にわかに緊張が張り詰める。マスターの目つきは針に糸を通す時のよう、とても声をかけられる雰囲気ではない。それならいっそとアメリアも客席側にまわり、ジェニーと並んで静かに主の一挙一動を見守り続けていた。


 一つ、また一つと時計の針が時を刻むとともに、呈茶も粛々と進められていった。


 静謐な空気の中、ふとマスターが大きく息を吐いた。腕を天井に伸ばし、首も回して凝りをほぐす。表情も和らいでいた。


「できあがりですか?」

「ああ。あとは注ぐだけだ」


 そう言いながら、マスターの手は食器棚のカップへ伸びていた。カウンター越しに熱視線を浴びながら、真っ白のティーカップを三つ湯通しして温める。


 清潔なクロスで余計な水滴を拭ったら、そこへちょうど蒸らし終わった茶を注いだ。ポットの口から流れてきたのは、ごく普通の紅茶色の液体だった。しかし香りは白ブドウのみずみずしさに満ちていて、あたりに爽やかな風が吹きぬけたかのようだった。


「さあ、時空を超えて僕らのもとにやって来たお茶だ。どうぞご賞味あれ」


 カップをカウンター越しに女性陣へ渡し、マスターは自分でもさっそく茶をすすった。


 深い紅茶の味わいがベースにある。しかし白ブドウの香りと、マツリカの花の甘くもすっとした香りが鼻に抜けて、過剰な重さは感じささせない。甘酸っぱく潤おしい、上等なフレーバーティだった。


「あ、おいしい! 私、すごく好きです」

「花の香りがすごいのね。なんとなく豪奢な感じ。ううん、雲の上の人が楽しむお茶だって納得できるわ」

「さっきも言ったけど、推察される時代背景からすると珍しいものだから……」


 はたとマスターが会話を止めた。直前のジェニーから発せられたなにげない言葉、そこに引っ掛かりを覚えたのだ。


「ねえジェニー。『納得』って事は、君はこれがどういう来歴のものか、本当はわかっているって事かい?」


 質問への返答は、意味深な笑みにて代えられた。ジェニーはカップを置いて、わざとらしい動作で眼鏡の位置を正す。


「来歴、聞きたい?」

「いらない。と言っても話すんだろう。話したくてしかたがない、そんな感じだ」

「まあね。だってそこが一番の大事なところだもの。会長にも教えて良いって許しをもらってきたし」


 ジェニーは得意気に笑った。そしてマスターが言った通り、待っていましたとばかりに自分から詳細を明かし始めたのであった。


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