恋心は夢のごとく(2)
ソムニの夢物語を適当に聞き流している間に、茶が仕上がった。
硝子の内に湛えられるは美しい青紫色の液体、その中で花びらやハーブ、果実などが、マスターの起こした流れに乗って静かに泳ぎ回っている。
ポットと、対になる硝子のカップとをソーサーに乗せ、銀のスプーンも添え。加えてもう一つ、添えなければいけないものがある。
それはレモン。通常なら輪切りにしてソーサーに乗せるが、そこはわがままなソムニ嬢のこと、搾った汁のみが欲しいと。なんでも「上品なわたくしには皮なんて汚く苦いものは不適切」らしい。店側には異論しかない。が、客からの要望は要望だ。くし切りにしたレモンを小さな陶器のピッチャーの上で絞って、期待に応える。
「さて、と。『デイ・ドリーム』、いつも通り、ソムニ嬢だけのために用意した、特別な調合だ。レモンはこちら」
カウンター越しに提供されたティーセットを、ソムニは頬を染めてうっとりと眺めていた。あるいは、マスターの手だけを見ていたのかもしれないが、真相は定かでない。
硝子にたゆたう幻惑的な紫色の茶。ソムニはふわりとした手つきで、透き通ったカップに注ぐ。立ち昇る花の香りが鼻腔をついた。
つややかな唇で夢幻の液体をすすると、口内には甘やかな香りが広がる。ソムニ専用仕立てのデイ・ドリームの第一の特徴だ。甘さの要因はリンゴの一種や花の蜜など。本来デイ・ドリームとメニュー上で冠された茶は、甘みもほとんどなく、かなりさっぱりとした風味に整えた一品であった。しかし、メニューの名前に惹かれて頼んだソムニの気に召さなかったのである。一口飲むなりへそを曲げ、くどくどと注文を付けてきた。色は綺麗なのに味が無い、貧相だ、もっと甘くて色々入っている方が名前にもぴったりだ。それと特別感も出してくれ、ついでにあなたの愛を見せてくれ、思いの丈を込めてくれ、などと。
きんきん声を浴びたマスターは軽い頭痛を覚えながらも、ソムニ専用のブレンドを作り上げたのである。そちらはずいぶんと気に入ってくれた。今日もひとしきりの夢心地にひたって、恍惚とした吐息を漏らしている。
カップの中身を半量ほど減らしてから、ソムニは深い色合いの茶が入ったカップを一旦ソーサーに戻した。そしてレモン汁の入ったピッチャーに手を伸ばし、中の液体をカップに落とす。
すると、どうだ。青紫色だった茶は、みるみるうちに色を変えた。夜明けが訪れたように色淡く、そしてさらに、温かみのあるピンク色へと変貌した。一瞬に起こった劇的な変化、まるで魔法のよう。
しかしこれは魔法でない。主材料として使っているマロウという花から出た青色には、レモンのような酸と触れ合うと色を変える性質がある。そんな世の理に従った変化だ。
もっとも、原理を知らなければ非現実的な現象に直面したかと思うだろう。だからマスターはこの茶に「白昼の夢」と名付けたのだ。
青い夢は甘酸っぱい桃色になった。ソムニは満足気にすすっている。これこそ愛の味だ、弧を描いた瞳は、確かにそう語っていた。
「ああ、今日もおいしいですわ。二人っきりであなたのお茶が飲めるなんて、わたくしは幸せ者ですこと」
「それはどうも」
「ですから、早くわたくしのもとに来てくださいまし。そうすれば毎日が幸せですわ。そちらの方があなたにもふさわしい身分ですものね。何もこんな騒々しい町で、あのような小娘と一緒に住まなくったってあなたは――」
マスターは熱烈に求愛されても何も答えず、ただ客商売ならではの穏やかな笑みを湛えている。唯一、アメリアへの蔑みを耳にした瞬間だけは、不動の表情をわずかに震わせたが。
ソムニは妄想と空想に泳ぎながら、長らく茶を楽しんでいた。もちろんカウンターの向こうに立つ男にしばしば色目を送ることは忘れず。
ところが、茶が残り二口程度になった頃、ご機嫌だった彼女の表情が豹変した。熱っぽかった瞳が急激に冷め、緩みっぱなしだった頬がこわばる。眉間には皺が寄り、大きく首をひねって左右を見渡すと、全身からあらゆるものを蔑むような気配を昇らせた。それはまるで夢から覚めたかのよう。傍で見ていたら、驚き、恐れ慄いてもおかしくない変貌ぶりだった。
しかしマスターは動じることなく、ソムニからの冷たいまなざしを一身に受け止めていた。余裕に笑んでいるのもそのまま。
「……ああ、いけませんわ。わたくし、こんなところであなたのような人と遊んであげている暇なんてなかったのでしたわ」
「おや、ご用事が?」
「ええ、ええ! 高貴で優雅で美しく楽しい、最っ高に素敵で幸福な茶会がございますの! あなた方のような下賤の者には縁が無い、夢の世界のお話ですわ! フン……さようなら、ごきげんよう」
それは飽きた玩具を投げ捨てるように。あれほどの執着心を見せていたソムニは、冷めた顔つきでドレスを翻すと、さっさと退出していってしまった。従者もまた手慣れたものとて茶代だけカウンターに置くと、主に寄り添い去って行った。
あとは流れるように。馬のいななきを一つ残して、幌付きの豪華な馬車は窓の向こうから消えた。
「ああ、さようなら。夢現をたゆたうお嬢さん」
マスターはやや疲れた様子で呟くと、腕を回して肩の凝りをほぐした。
客席側に出て、浮き沈みの激しい客人が帰った後を片づける。茶器を引き、卓と椅子を拭いて――と。きぃ、という静かな音が聞こえて動きを止めた。
マスターが顔を上げると、カウンター向こうの小さく開かれた扉から覗く愛しの店員の目と目があった。意識せずとも頬が緩む。
「……お帰りになられましたか?」
「うん。この通り」
自分以外に誰も居ない店内を示すと、アメリアはようやく扉を全開にして胸をなでおろした。
「もう、ほんっとうにしつこいですね。マスターはずうーっと断っているのに、結婚だ結婚だって。それしか知らないみたいに」
口を尖らせて、ぷんと腰に手を当てる。実はアメリアはずっと扉越しに聞き耳を立てていた。別に今日に限ったことではなく、ソムニが来たらいつものこと。
アメリアはアメリアでマスターのことを親愛している。そこに付きまとう不埒者がなにを言うのか、確認せずには居られない。万が一にも権力をかさにかけて強引にマスターがさらわれようものなら、店員として黙って見過ごすつもりはない。すぐに飛び出して行って、ソムニに噛みつく腹づもりだ。
それにしても、とアメリアは腕を組んで呟いた。
「本当に変な人ですよね。あんなにやかましいのに、ちょっとお茶を飲むと、今度は急に熱が冷めたみたい静かになって帰ってしまいますもの。おかしいですよ、絶対」
「まあ、もともとデイ・ドリームは鎮静作用のあるハーブのブレンドだから。ベースになってるマロウがそうだし、ラベンダーも入れているし……。なんだい、アメリア。そんな変な顔しないでくれよ、かわいいのが台無しだ」
それでもなお、アメリアは針で刺すような目つきを向けている。ぐっと細められた青い目に浮かぶのは、確固たる疑念だ。
「ねえマスター。もしかして、あの人のお茶になにか仕込んでませんか?」
「何かって?」
「変な魔法とか」
アメリアの指先は食器棚の引き出しに向けられた。
マスターは穏やかな表情を崩さず、詰問の視線を真っ向から受け止める。沈黙のひと時、そして。
「うーん、ばれちゃったか。さすがは僕のアメリア、勘がいいね」
降参だと言うわりにはどこか嬉しそうだ。マスターはカウンターに戻ると、片づけ中のポットを作業台に戻し、ふやけた中身を皿にかきだした。色々な花や葉などが混ざっているそれをアメリアに見せながら、右手に銀のスプーンを取り、秘密の魔法を説く。
「マロウとラベンダーはわかるよね」
「紫色のお花です。これは、もう色が抜けちゃってますけど」
「その通り。それと、こっちの葉がリンデン。この三種が合わさったものが、メニューにも載せているデイ・ドリームだ。普通はこの配合で出す」
スプーンを指示棒代わりにて教える。興味深そうに身を乗り出しているアメリアがふむふむと頷いた。
「で。ソムニ嬢専用に作るときは、さらにこれとか、これを加えるんだ」
「んー……これはリンゴっぽいような」
「おっ、いいぞアメリア」
「だけど、ただのリンゴじゃないんですね。あの鍵付きの引き出しにしまってある、変わった力があるものなんですよね」
「正解」
長らく秘密にしてきた魔法の素材。先日うっかりアメリアにも知れる事になった、だからもう仔細を隠す必要がない。マスターは調子よく手の内を披露する。
「石化林檎に天使の口づけ草。目には見えないけど、忘れ草の粉末も針の先ほど加えて。そして仕上げに心想花の蜜を一すくい」
聞きなじみのない言葉を連ねる口ぶりは、まさに呪文を唱えているようだった。
「マスター今の、本当の魔法使いみたいでした」
「嫌か?」
「そうでもないです。ただ、なに言ってるのか全然わかんなかったですけど」
「それで何も問題ない。過程を理解しなければならないのは使い手のみ、受け取る者には結果がすべてさ」
様々な力を重奏させて産み出されるのは一つの魔法である。果たして茶の魔法がどう帰結したのか、それをずばりと説く。
「効果は反・惚れ薬ってところかな。惚れ薬が恋に連れ込むためのものならば、これは百年の恋も冷ましてしまうお茶さ」
にんまりと語る店主だったが、聞き手は対照的に唖然としている。
アメリアの目線はやがて批判的なものに変わった。人の心を操るだなんて、ひどい。心の声が顔にありありと現れている。
その点で叩かれるのは想定内、マスターはきっぱりと弁明をした。
「このお茶の魔法はほんの軽いものだ、一時的にしか効かない。一節三十日すらも持続しないよ。だから効果が切れると、元の気持ちを思い出して同じ事を繰り返しにやって来るわけだ、君も知っての通りね。本当に一時しのぎの手なんだよ」
「でも、お客さんに内緒でそんな事するなんて」
「最初に一通り説明してあるよ。こういう材料を使うけれど構わないか、って。ソムニ嬢は、これでもかっていうくらい首を縦に振っていたよ」
「あの人、マスターの言う事ならなんでも頷くと思いますよ」
違いない。マスターは肩をすくめて返答とした。詭弁を弄しているとは自分でもよくわかっている。
しかし、何も対策せずして実害が出てからでは遅いのだ。色恋絡みの熱は、放っておくとどこまでも過熱するものだ、そうなる前に適宜冷ましてやる必要がある。常道で通用しないなら、罪にならない程度の邪道に走ってでも。
マスターがもっとも恐れているのは、ソムニが嫉妬のあまりアメリアを攻撃するような事だ。だからあれが来たときはアメリアを奥へ行かせるし、彼女自身も不快感ゆえ自らそうする。そして、もしもソムニが熱に浮かされて一線を越えてしまったら。己とアメリアの身を守るを優先する、どんな手を使ってでも。
マスターは自分が聖人君子だとは微塵も思っていない。だが、なるべくなら誰も傷つかない道を選びたいものだと思っている。客として最大限の歓迎はしながら、しかし客としての線以上には決して引きこませない。そうするための折衷案が魔法茶だった。
時がたてば、ソムニとの茶番はまた繰り返される。人の心は白昼夢ほど簡単に移ろうものではないから。
ただ。
「ソムニ嬢にはもっと自分の身分を顧みて、現実的な恋心を抱いて欲しいものだよね。僕みたいなのじゃ釣り合わないだろう、歳とか、立場とか、色々さあ」
夢見がちなお嬢様の将来を少し案じて、マスターは腕を組みやれやれと息を吐いた。
葉揺亭 本日のメニュー
「デイ・ドリーム」
マロウ、リンデン、ラベンダーのブレンド。青紫色が美しいハーブティ。
かなり薄味でさっぱりとしている。期待できる効果は美容と鎮静。
レモンを入れると水色がピンク色に変化する。真昼に見る淡い夢のごとき茶。
スペシャルメニュー
「百年の恋を冷ます白昼の夢」
上記のデイ・ドリームなるハーブティに、魔法効果のある材料を加えた品。花蜜を入れるためこちらの方が甘い。
強情な恋慕の想いをも一時的に凍り付かせる。一目惚れから始まったような、浅慮な感情には特に有効だ。
叶わぬ恋をしてしまい他の事が手につかなくなった人へ。
もし要望があればソムニ以外にも処方されるだろう。もちろん秘密裏に。




