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恋心は夢のごとく(1)

 双月季、第三節、陽光の日、天気は晴れ。今日もいつもの一日――日記ならばそんな書き出しになる、穏やかな日であった。昼を過ぎても来客は朝一のオーベルを除いてゼロだが、葉揺亭には割とよくあることで、取り立てて慌てる現象ではない。


 掃除洗濯といった日課の家事もとっくに終わらせて、マスターとの歓談も少し休憩といったところ。アメリアは何をするでもなく窓辺の客席に座り、ぼんやりと外を眺めていた。


 磨き上げられた硝子窓に切り取られた風景も、いつもと変わらず平和そのものである。道むかいの建物から白皙の青年が覗いているとか、崖の方から怪盗なんかがかっこよく飛び降りて来るとか、そんなわくわくする事件が起こる気配もなし。平和だ、平和過ぎる。


 アメリアは沸いてきた眠気を逃がすように、くぁ、と大きく口をあけ、はふ、という音と共に閉じた。


 と、一瞬かすんだ視界に動く物が現れた。慌てて焦点を合わせる。


 幌馬車だ。店の前は大して広くはない、そこへ二頭の白馬が引く車が来るのは、無理やり押し入って来ると表現しても過言でない。そしてこの袋小路にあるのは葉揺亭だけだから、客であるのは明白だ。


 馬車を認識した瞬間、アメリアの表情が硬くなった。眠気も完全に吹き飛んだ。あの馬車の登場が何を意味するか。それは、穏やかな一日という主題が、瞬く間に破り捨てられたという事である。


「アメリア、奥に行っていなさい」


 玄関に横付けされた馬車を認めたマスターが、すぐさま優しく言い付けた。しかしアメリアは聞くより先に早足でカウンターに飛び込んで、そのまま扉の奥へ逃げ隠れた。


 背後でドアが閉まると同時に、店主も心を構えるように息を吐いた。


 葉揺亭は何者も拒まない。だから時には、限りなく厄介な客がやって来る。あの白馬の車に乗った人物は、そうした中でも一等にわずらわしい者なのだ。



 間もなく、静かに玄関が開いた。その扉を黒い礼装をした男が押さえる。白い手袋が眩しい。いたく身ぎれいにした人物だ、顔立ちも整っていて気品がある。いかにもティーセットなど似合いそうだが、しかし、彼そのものは客と違う。ただの付き人だ。これから来襲する者の。


 男が外の清涼な空気を店内に流し込む。それと共に、女のシルエットがやってきた。フリルをふんだんにあしらった桃色のドレスを纏い、頭には宝石にまみれたティアラを乗せ、全身で金持ちの娘だと主張している。


 彼女は従者に目もくれぬまま葉揺亭に踏み入れた。鋭い嗅覚のマスターが、歩みと共にふりまかれる甘ったるい香水の匂いに打ちのめされる。が、愛想笑いだけは崩さずにこらえた。


 その顔を見て、来訪者は甲高い声を上げた。


「ああっ、お久しぶりですわ、マスター! 今日も素敵……あぁ、世界一ですわ!」

「これはこれはソムニ嬢、ご機嫌麗しゅう」


 正面切って襲い来る熱風に動じず、マスターは形式ばった挨拶を返した。


 彼女の名はソムニ=クロチェア、齢十八で少女に毛が生えた程度の若い娘だ。そして見た目そのまま、名家の息女である。


 クロチェア家は、かつてノスカリア一帯が小さな公国だったころより、政の中核を担ってきた家系だ。当代、すなわちソムニの父は、現在の統一政府下にてもノスカリアの統治元首を務めている。ざっくばらんに言えば、この地域で一番偉い人だ。


 実際に高貴な身分ゆえ仕方ない部分もあるのだが、ソムニは少々、家柄を鼻にかけた言動が目立つ。根っからのお嬢様気質だ。ただ、そんな些細なことならマスターは気にしない。経験浅い若者だから調子づくのも仕方がない、これから世に揉まれる内に鼻が折れ、嫌でも矯正されるだろう。といった風に、年長者の温かい目で見守れる。


 だからソムニが葉揺亭にとって超級の曲者であるのは、まったく別の理由だ。


「ソムニ嬢、今日はどうしてノスカリアの町に? 愛しの父君にお呼ばれしたのかな」


 マスターは凝り固まったような笑顔で問いかけた。もっとも、答えは承知であるのだが。


 ソムニはふふんと鼻を鳴らし、腰に手を当てて堂々と宣言した。


「もちろん、あなたに会いに参りましたのよ。もうっ、わかっていらっしゃるくせに。当たり前のこと聞かないでくださいまし」

「ああ、そうかい。……でも、まさか本当に顔を見に来ただけじゃないだろう?」

「もちろんですわ! あなたのお茶を頂かずに帰れるわけがないですわ。だって――」

「わかったから、早く座ったらどうだ。お付きの方が困っているよ」


 困っている、と言うには語弊があるが、とにかく黒服の従者がカウンターの椅子を引いて、先ほどからずっと主が座すのを待っていることには相違ない。


 ソムニはマスターに向かってにっこりと笑うと、椅子にぼふんと腰を下ろした。しかし、カウンター越しの距離感すら邪魔だと言わんばかりで、すぐに腰を半分浮かせて身を乗り出す。従者が椅子を押したために亭主の顔がさらに近づいた、それだけで嬉しそうだ。


 嘗め回すように顔を見られるのも、到底くつろいでいるとは言えない姿で迫って来るのも、いつもの事だ、慣れている。マスターは努めて平静を保ったまま、茶の準備を始めた。改めて注文を聞くまでもない、ソムニの欲しがるものは決まっているから。初めて来店した時に出された盛りだくさんの要望をすべて聞き、十分に満たすように詰め込んだ、そんな特製の茶だ。


 マスターが呈茶をするしなやかな一挙一動、ソムニはそれに熱視線を浴びせ、顔を溶かしていた。おまけに夢に浮かされるような心の声が漏れてくる。


「ああ、相変わらずお美しい方ですこと。本当に、本当に、神の奇跡を一身に受けたようですわ。いいえ違いますわね、あなた自身が神、そうですわよ!」

「……御冗談を。場末の喫茶店の主を捕まえて、神だなんだと」

「うふふ、そういう謙遜のお気持ちがいっそう素晴らしいですわ」


 ソムニは頬杖をついて、宝石を愛でるような目でマスターを眺めていた。


 葉揺亭にとってソムニがいかなるわけで厄介者なのか。つまるところ、一方的に惚れられているためである。しかも一目惚れというかたちで。


 ソムニが初めて葉揺亭に現れた時の印象は、いかにも冷やかしの客だ、といったものだった。辺鄙な場所に一級の茶屋がある、かような噂を聞いて半信半疑にやってきた。ノスカリアの超有力者である自分が、ものを知らぬ下々の民に代わって適正な評価を与えてやろう。そんな心の声をだだ漏れにした、この上ないほど高慢な態度であった。マスターは確かに記憶している。


 そしてソムニが自分の顔を近くで見た瞬間、見事なまでに手のひら返しをしたことも、もちろん忘れていない。


 好きだ、愛おしい、結婚してくれ、あなたが運命の人だ。一体なにがそこまでソムニの琴線に触れたのかは不明だが、目を輝かせた猛アプローチが始まった。色目を使う女性客はこれまでにもいくらか居たが、婚礼の誓約を書いてくれと紙とペンを押し付けてくるまでしたのは、後にも先にもソムニ一人だ。


 葉揺亭は何者も拒まない、それがマスターの主義だ。ただし、それはあくまでも客である場合の話。店主と客という一線を越え、個人の領域に踏み込んで来ようとするのなら、気に入らない者は断固拒絶する構えだ。


 幸か不幸か、ソムニはまだかろうじて客の域に踏みとどまっている。カウンターの中には押し入ってこないし、来たらちゃんとお茶を飲んでいくし、代金もきちんと払うし、店の外で会おうなどとも言わない。そして客である以上、誠意をもって応対する義務が店主にはある。厄介だと思っていても、おくびに出さないで。


 マスターはソムニの熱視線を全身に突き刺したまま、黙々と働き続ける。今度は食器棚に向き、最上段左側の引き出しを開けた。あえて大げさな身振りで忙しなさを演出しながら。


 しかし、ソムニは空気を読んで黙る性質ではない。もしそうなら、そもそも曲者扱いなどされようもないだろう。身をくねらせながら、無遠慮に自らの思いを熱くまき散らし続ける。


「ねえマスター、あなた、まだ結婚してくださる気がありませんの? まったく、よろしくないですわ。こんな所で一人寂しく身を埋めるだなんて、とても損をしています。悲しいにも程がある人生ですわよ」

「結婚なんて必要ないし、相手が居ないさ。好きこのんで僕の隣に居てくれるのは、アメリアぐらいのものだよ」

「あらまあ、そんな嘘ばっかり! あなたのように見目もよく、器量もあって、お優しい方、放っておかれるはずがなくってよ! ですが、ウフフ、さすが賢いですわ。よくわかっていますこと」

「何が?」

「下賤な者に騙されて身を捧げなかった事ですわ。そう、あなたにはわたくしのように高貴な身分でなくては! そうでなくては、まるで釣り合いませんもの!」


 ソムニは胸を張ってきっぱりと言いきった。首から下がっている大きな宝石の飾りがはずみで揺れ、妖しくも下品にきらめいた。


 稚拙な口説きへの対応は鼻で笑って受け流すだけにして、細々とした茶の調合に注力する。


 下を向いたマスターの頭へ向けて、ソムニの顔がいっそう近く伸びて来た。


「もうマスター、つれないですわ。本当に、あなたはいつになったら、わたくしのもとに来てくださるの? わたくしいつも申し上げているでしょう? わたくしの運命の人はあなたですわ。だからずっと待っていますのに。寂しいですわ、悲しいですわ」


 甘い吐息は憂いの色をはらみ、瞳はとけるように歪められた。


 マスターは穏やかな微笑みを浮かべるのみで、何も言わない。呆れて言葉を失った、いやそれ以上に、呈茶を妨げられるのが好きでないのだ。特に、今用意しているような少し凝った品の時は。


 ともあれ、調合した材料を硝子のポットに入れた。熱湯を勢いよく注ぐと、ふんだんに使われた青紫の花から色素が溶け出し、水色を透き通った青に染めた。まるで夜明けの空を投影したように美しい。


 そっと硝子の蓋をかぶせて、ふう、と息を吐いて気を一区切り。それからマスターは柔らかい笑顔をソムニに向けた。


「いつも言っているけれど、僕は誰のものにもなるつもりはない。ここを捨てて出て行くわけにいかないし」

「んもう、つれないですわ。でもぉ、そういうところも素敵ですわよ」


 長いまつげから輝く星が飛ぶ。ばちんと放たれたウインクは、きっとそんなイメージだったに違いない。マスターはかすかに頬を引きつらせた。


 ソムニは両手を頬の横で組み、夢見心地で願望を述べる。


「ああ、一刻も早くお屋敷であなたのお茶を頂きたいものですわ。わたくしの料理長が作る甘いお菓子と一緒に、わたくしの自慢の薔薇の庭園で。もう、この世の楽園に間違いなしですわ」

「そうかな」

「ええ、そうですわ! ですから、次に来る時までには、わたくしの伴侶になる準備をしておいてくださいまし」

「……君はたくましいね」

「ウフン、褒めてもなにもでませんわよ。でも、嬉しいですわぁ」


 本当にたくましいことだ。マスターは苦笑しながら肩をすくめた。今後も間違っても心が変わることは無い。早く諦めてくれれば、お互いに楽になれるのだが。


 哀れなのは茶番劇を強制的に見させられるソムニの従者だ。甲高い喋り声が聞こえぬはずないのに、終始変わらぬ仏頂面で立っている。その腹の内ではどう思っているのか、機会があれば見てみたいものである、そうマスターは常々思っていた。


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