引き出しに隠した秘密(2)
やがて熱々の紅茶が入ったカップがオーベルに出された。
「さて、オーベルさん、お待たせしました。一日の始まりが遅くなってしまって、本当に申し訳ない」
「いや、もうそんなの全然構わんぜ」
目などとっくに覚めているのだから。そんな無粋は口には出さず、オーベルは受け取ったお茶を飲んだ。マスターの不調は味には関係ないようで、いつもと同じ渋みが弾ける熱いコルブの紅茶だった。
客が茶を味わう姿を確かめてから、マスターはまた一杯、別の茶を作り始めた。とはいえ手順は単純、例の小鉢の中身をポットに入れてお湯を注ぐだけ。あっという間に終わった。
蓋をしたポットと、アメリアが気をきかせて用意したカップを手に取ると、青い顔をしたマスターは申し訳なさそうな声を出した。
「悪いけど、ちょっと裏に行かせてくれ。アメリア、しばらく頼んだよ。お客さんが来たとか、他にも何かあったらすぐに呼んでくれ。いいね、困ったらすぐに。遠慮したらいけないよ」
「大丈夫です。だから、ゆっくり休んでください」
「そうさせてもらおう。オーベルさんも、騒がせてしまって悪かった」
「いやいや、いいんだ俺は。むしろ休業にした方がいいんじゃないか。俺がここに居て言うのもなんだけどよ」
「本当に大丈夫だ。少し、眩暈のようなものが起きただけだから、すぐに治るさ」
マスターは弱った笑顔を見せて頷くと、燕尾を翻して扉の向こうへ消えていった。
背中を見守ったアメリアがぽつりと呟く。
「あんなふらふらのマスター、初めて見ました。ちょっとの風邪だって引いたことなかったのに」
「まあ、体壊すことくらいあるさ。一応動けるみたいだし、心配しすぎなくてもいいだろう。まあ、まだ若いんだ、寝てりゃよくなる、ゆっくり休ませてやんな」
「そうします」
アメリアは微笑んで頷いた。
さて。店主が去って静かになった所で、気になるのはやはり例の引き出しだ。オーベルはぼんやりと思いながらも、何もしようがないから持ち込んだ新聞を開く。
一方アメリアも同じ気持ちで、こちらは主の目が無いのをいいことに興味津々と歩み寄る。マスターはいつも身体でうまいこと覆い隠してしまうから、どうやって開けているのかはまったく不明だ。そんな風にぼやきながら、そっとつまみに触れた。
「えぇ!?」
途端に上がったすっとんきょうな声。驚いたオーベルが茶を吹き出しながら、がばりと新聞より顔を上げた。
二人は顔を見合わせた。ぽかんとしたまま、アメリアが先に口を開いた。
「あ、開いてる……」
「まじか」
アメリアが指で示して見せる通り、最上段の引き出しはごくわずかに定位置からずれて、閉まりきっていない。
「はっはあ、弱ったところでやらかしたな。……んで、なあにが入ってるんだ?」
「えーっと……うーん、でも、やっぱり、全部お茶の材料みたいです」
アメリアがそっと開けた引き出しの中には、色とりどりの小さな容器がみっしりと詰められていた。それぞれ形や材質は違うものの、容器でないものは見あたらない。
透明な小瓶をいくつか選び、食器棚のへりに並べる。中身は花びらだったり、何かの粉末だったり、あるいはどろりとした花の蜜だったり様々だ。
しかし、これならわざわざ隠す必要がないような。実はとても高価な品なのだろうか、それとも。
「材料はこういう時のためのひっかけで、下に別の物が埋めてないか?」
「いいえ、なんにもないです」
隙間をかきわけても、ただ底板の感触が伝わって来るのみ。二重底になっているとか、そういう風でもない。
ふうむ、とオーベルは腕を組んで天井を仰ぎ見た。
「じゃあやっぱり単に貴重な素材だってことか?」
「そうだと思います。特別な時にしか出さない、マスターの秘密のお茶です、きっと。さっきは元気を出さなければいけないから、ちょっと奮発して使ってみたんじゃないでしょうか」
くすくす笑いながら、アメリアは好奇心赴くままに別の硝子瓶を引き出しから取る。今度の中身は丸い実で、白い綿と一緒に詰めてあった。見た目はまるで大粒のチェリーのよう、艶があってほんのり紅色に色づいており、綺麗だ。
アメリアはそのまま蓋を開け上にかかっていた詰め物もどかし、一粒を左手の上に転がした。わかってはいたがチェリーではない、木のように固いから。ではこれは何の実だろう。顔を近づけてしげしげと眺める。ちょいと指でつついてみたり、爪でひっかいたりしながら。
と、その時。突如としてその実が弾けた。同時に一瞬視界のすべてが眩んだ。アメリアだけでなくオーベルも同じで、咄嗟に身をのけぞらせる。
「痛っ!」
アメリアの短い悲鳴、のち、反射的に手を引っ込めた。
慣性に従い空中に取り残された果実と、その中から弾けて飛び出した細かい種子とが、重力に引かれて床へと向かった。それだけに終わらず、驚いたあまり手を滑らせた結果、アメリアの右手にあったはずの小瓶もが宙を舞った。
硝子が割れる音が盛大に響くのと、オーベルが心配して身を乗り出すのが同時だった。
そして、刹那。葉揺亭に稲妻が走った。紫電の光は床から牙を伸ばす。落雷の轟音は、二人の人間の鼓膜を破らんかの勢いだ。
オーベルは動転して椅子から転げ落ち、アメリアはその場で腰を抜かしてへたり込み、どちらともが反射的に頭を抱いてかばった。
嵐よりも激しい電撃は、しばらく暴れ狂った後、今度は嘘のように急激に静まった。二人は床の上で脱力したまま、くらんだ目を白黒させて呆然とする以外どうにも動けなかった。
それから空間の無音を破ったのは、奥からの慌ただしい足音だった。
血相を変えたマスターが飛び込んで来た。朝一より蒼白だった顔は、一層青い。惨状の起こった現場を見渡して、すぐに事情を察したらしい。危急迫った声を発する。
「二人とも怪我は!?」
「お、俺は、大丈夫だ……ちょっとばかし、腰が、抜けただけで……」
「手のひらが、あと、服も……」
アメリアが放心した声音で、しかしどうにか返事をした。
マスターは散らばる硝子片や雷の種を踏まないように気を付けながら、素早く娘の元へと歩み寄る。小さな手を取り確認すれば、左の手のひらに赤い火傷の印が刻まれていた。ワンピースの裾にも黒い焦げが散って痛々しい。
それでも、これだけで済んだのならましだ。マスターは安堵した。
「アメリア、立てるかい? 水で傷を冷やしておいで。足下、気をつけてね」
「はい……」
ふわふわとした様子で食器棚に手をつき、どうにか立ち上がった。
が、瞬間我に返ったらしい。ひゃっと息を飲んで、壊れたようにぺこぺこ頭を下げる。
「ごめんなさいマスター! 私、大変なこと……! ここは触るなって言われてたのに。どうしても、気になって……」
「好奇心は良いものだ。だが時に大いなる危険を招く、そこは覚えておいてほしい」
「はい」
「だが、そもそもの原因は僕の不注意だ。己の事に気を取られて、この程度の管理すらしくじるなんて、いよいよやきが回ったかな。ごめんねアメリア、不甲斐ない主で」
言いながらにアメリアが出した瓶をすべて戻し、乱暴に引き出しを押した。重い何かがガタンと動く音がして、秘密はあるべき姿に戻った。
「ふぃー……よっこらせっと」
オーベルもどうにか指定席に戻った。ぬるくなったお茶を飲み、心を落ち着ける。
冷静になると、逆に苛立ちが襲ってきた。だん、と勢いよくカウンターに拳を落とす。
「待てよマスター、ありゃなんだ! 雷だなんて、どんだけ危ないもん仕掛けてるんだよ。死ぬかと思ったぞ!」
「だから厳重に保管しているんだよ。扱いを知っていればどうにでもなるが、知らなければ笑顔で毒を飲むようなもの。死ぬかと思った、じゃ済まない、本当に死ぬ」
「だったら教えといてくれよな。いや、俺はいいんだ、触らないし。でも、アメリアちゃんにまで何も知らせないのはひどいぜ、かわいそうだ」
「一理あるが……ああもう、いいや! どうせばれてしまったのなら、逆に詳しく知っていたほうがいい」
マスターは例の引き出しを、広げた手で叩いて示す。
「ここに隠してあるものは、強い魔力を持つ素材。古くより魔法薬の材料とされたものばかりだ。特性を理解し、うまく茶に魔法をかけてやれば、それはそれは素晴らしい味や効果を生む。だが、扱いを誤ればどうなるか。それは……身をもって感じて頂けたと思う」
店主は蒼白な顔をしている二人の聞き手を交互に見渡した。
それからしゃがみこんで、床に散らばる黒い種と、弾けて反り返った果実の残骸を拾った。
「例えばこの『天雷椿』。果実が熟して弾ける時に電撃を放出する。その時近くに他の実があると、共鳴して大きな雷となるんだ。弾ける直前の、魔力が最大限に高まった実を茶に浮かべれば、蒸らしている間に弾けて、痺れる味のお茶になる」
「……あの。完成品もただの危ない物にしか思えないんですけど」
手の水を拭いながら、アメリアが苦々しい顔で指摘した。
「まあ、これ単体ならね。だが、他と色々調合すれば、思わぬ力を産み出すんだ。魔法というのは実に奥が深い、単純な足し算では語り切れないものだよ」
マスターがにやりと笑った。そして人差し指を立てる。
「普段はこういう物を使うことはない。普通の茶葉やハーブで作っても、精神や身体になんらかの効用をもたらすことは十分にできるからね。だが、もし一層の力を望む客人が居る時は……こうやって内緒で魔法をかけているのさ。ほんのちょっぴり、ね」
「じゃあ、さっきあんたが裏に持ってったのは……」
「まあ、俗に言う回復薬ってところかな。だけど、あまりいい良い物ではない。まずいし。本気で特効薬を作ろうとしたら、とてもとても材料が足りないよ」
マスターは笑って手を振って見せた。彼の舌の回りは絶好調、顔色を見るにも、先ほどより体は楽になっているようだ。回復薬、嘘ではなさそうである。
しかし、もう、なにがなんだか。オーベルとアメリアとで、困惑した顔を見合わせた。ただの喫茶店のマスターだと思ったら、とんだ魔法使いではないか。喜ぶべきか恐れるべきか、どう反応していいものか複雑である。
それを察して、マスターは言い訳した。
「茶にあれこれ効果を求める人は多い。どうやって客人の望みを叶えるか、それを考えた時、僕なりに最善だと思った手段がこれだった。だけど、僕がやっているのは知識さえあれば誰にでもできる事。この僕は、ちょっと魔法に関して知識があるだけの、ただの喫茶店の店主だ。さあ、話はここまで。危なくないよう片づけておかなきゃ、おちおち休んでも居られないな」
マスターは苦笑した。疲れた雰囲気は相変わらずだが、いつも通りの余裕もにじませている。
「ああ、そうだ。もちろん、これは他の人には秘密だ。僕と、君たちとの間だけでの事実にしておいてくれ」
「どうしてだ。別に悪いもんじゃないだろ」
「僕はね、どっちかって言うと静かに暮らしたいから。今の政府下でこういう力がある物を使うと、色々と面倒なことになるだろう。ギルドに近しいオーベルさんなら、よく理解してもらえると思うけど」
異能者ギルドの認可制に代表されるよう、異能は厳しく制限、管理して、時には使い手の存在自体を罪とし処刑する、それが世界政府の方針だ。法規制には曖昧な部分もあり、政府の匙加減一つによっては自然の産物を利用して魔法的な現象を引き起こすのも異能使いの類型とされ、罪をこじつけられかねない。とかく用心するに越したことはない。マスターは肩をすくめて、さらに念押しするよう唇に指を立てて見せたのだった。
秘密の引き出しにあったのは、秘密の魔法のもと。それを知って秘密の共有者は何を思う。
アメリアは痛めた手に包帯を巻きながら、しかしいつも通り尊敬をマスターに向けていた。もともとすごい人だったのだから、今またすごい要素が一つ増えた所で、さほど印象は変わらない。
さて、オーベルは。ふう、と疲れたように溜息をこぼして、ふっと思いつく。
――もしや、飲むと顔が良くなる魔法のお茶とか、そういうのも作れるんじゃねえの?
お茶をぐびりとやった瞬間に美形に、ついでに腹も引っ込んだ自分の姿、想像して忍び笑いを浮かべた。誰もが驚くだろう、こんなにおもしろい話はない。他にもあれこれ突飛な考えが浮かぶ。どこまで叶えられるのか不明だが、実現できなくったって、空想するだけで楽しいものだ。
それにしても、もう数年来の付き合いなのに、まだ新たな手で楽しませてくれるとは、マスターもなかなかやり手である。やはりこの店が好きだ、朝は葉揺亭から始めなくてはならない。オーベルはごたごたの中で床に落っことした新聞を拾いつつ、しみじみと再確認したのだった。
葉揺亭 本日のメニュー
「体調が優れない時のシークレットブレンド」
体の状態が良くない時に亭主が自分のために調合する茶、というかもはや薬。
三種類の薬草と二種類の魔力源を配合。苦いし埃臭い、味は最悪の部類。だが効果は高い。
肉体回復力向上、精神安定、血行促進、新陳代謝の促進、一時的な運動機能増加など。
「他の人には飲ませたくないな。体質に合わないと三日三晩吐いて下しての地獄をみるよ」とマスター談。




