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引き出しに隠した秘密(1)

 いつもと変わらないノスカリアの朝だった。心地よい静けさに包まれた街並みも、道すがら乗合馬車とすれ違うのも。そして、少し出っ張った自分の腹が足取りに合わせて上下に揺れるのも、オーベルにとっては十年以上も変わらない現象であるから、気にする事ではなかった。


 広場で買った新聞を片手に向う先は、毎朝お馴染みの小さな喫茶店、葉揺亭だ。マスターも朝が早い、おかげで毎日の始まりをおいしい茶一杯からにできる。ありがたい話だ。


 蔦の葉のレリーフが印象的な扉の前に立つ。この向こうから、今日もいつもと変わらない日常が始まる。


 はずだったのだが。


「うん?」


 オーベルは葉揺亭の玄関を引くなり首を傾げた。なぜだろう、開いていない。なにかの間違いだと力を込めて繰り返したが、金具が暴力に対して悲鳴をあげるばかりで、扉は観念してくれなかった。


「おっかしいな。昨日も何も言ってなかったよな?」


 滅多にないことではあるが、葉揺亭も休業となる時がある。しかしその場合は前日に必ず告げてくれるし、そうでなくても、「きょうはお休み」とアメリアの文字で彫られたプレートが扉の手にぶら下げられている決まりだ。


 そうだ、プレート。日ごろかかっている「葉揺亭」と刻まれたそれすらも、今朝は出されていないではないか。


 オーベルはがりがりと頭をかいた。


「珍しい、寝坊か? しょうがねえなあ」


 待てば起きてくるかもしれないが、無為に待つことは嫌いだ。時間を無駄にすることなかれ、商売が盛んなノスカリアで生まれ育った者の気質である。


 今朝の目覚ましは商店街にある某大衆食堂でやろう。あそこだと何段も位が落ちてしまうが、しかたない。そんな風に嘆きながら、オーベルは回れ右をした。


 しかし、その時。わずかに木が軋む音が聞こえた。


 おや、と思って振り返ると、少しだけ玄関扉に隙間ができている。しかもそこから、青い目とブロンドの前髪がこちらを覗いていた。アメリアだ。こちらは逆に普段より早いお目覚めらしい。


 ところが様子がおかしかった。端的に言えば元気がない。表情がこわばり目は潤み、挙句の果てには悲痛に唇を震わせる。


「オーベルさぁん……マスターが、マスターがっ……!」

ドアに縋り付いたまま今にも泣き出しそうな声、オーベルは肝を冷やした。すわ、店主に一大事。病気か、怪我か、それとも……。いや、とりあえずは目の前に居るアメリアだ。オーベルはもう一度回れ右した。


「なんだなんだ、どうした。マスターに何かあったのか」


 こくりとアメリアは頷いた。そして言う。


「マスターが、起きてこないんです。何回呼んでも、お部屋から出てこなくって、返事もないし! 私、私っ、どうしたら……!」


 脱力。オーベルはこの上なく間の抜けた面を晒していた。ぼろっと本音がこぼれ落ちる。


「んなことで、なに泣いてんだ。それ、ただの寝坊だろう」

「まさかマスターがそんなこと!」

「……あのなあ、アメリアちゃん。人間、誰だって起きられない朝はあるもんだよ」


 オーベルは生温かい笑みを浮かべながら、アメリアの背中をぽんぽんと叩いた。まあ、アメリアならさもありなん。率直に言って少しお馬鹿な女の子、思い込みが激しい上に勢いよく突っ走る。今朝はいつもと違う主の様子を、悪い方へと考えてしまったのだろう。純粋にマスターを敬愛するゆえに。


 なおもアメリアは不安そうに胸に手を当てている。オーベルはその心の雲を吹き飛ばすように豪快に笑って、ひとつ教授した。


「解決は簡単だ。叩き起こしてやれ! フライパンでも打ち鳴らしながら怒鳴り込んで、布団を引っぺがして、まあついでに一発どついてやれば、どんだけぐっすりでもすぐ飛び起きるさ」


 声に妙な実感がこもっているのは、自分が妻にやられていることだから。とまでは口が裂けても言わないけれど。


 しかしオーベルの熱弁むなしく、アメリアはふるふると首を横に振った。


「だめです。私、マスターの部屋には入れないんです。言いつけられてますし、鍵もかかってますから」

「あー……なるほどなあ」


 オーベルはげんなりと肩を落とした。数年来の付き合いからするに、マスターは自尊心強く、自分の領域に人を踏み込ませないタイプであると容易に察しがつく。別に悪い事ではないが、こういう時に他人を困らせる。オーベルはあえて口に出さないように気をつけているが、ただの寝坊ではなく本当に重篤な状態なのかもしれない。それなのに救出はおろか現状を知る事もできず、ただ待つことしかできないのである。締めだされた近親者としては心配でたまらない。


 むむむとオーベルはうなった。他人の家の事情に立ち入るのは気が引けるが、だからとてアメリア一人残して去るのは心苦しい。


「よっし、アメリアちゃん。とりあえず中に入れてもらってもいいか? マスターが起きてくるまで一緒に待つよ」

「あっ、ありがとうございます!」


 一人じゃない。それだけで少し安心したようで、アメリアは弱々しくも笑顔を見せてくれた。



 主の居ない葉揺亭はひどく寂しかった。焜炉の火がなければ、湯気あげるケトルもなく、空気が冷え切っている。背の高い食器棚に並ぶ陶器類には塵除けの布がかぶったまま。さらには照明すらついておらず、夜が取り残されたようになっている。


 そんな状態をいま思い出したと言う風に、アメリアはあわてふためいた。「みっともないところをすいません」と、取り急ぎ真鍮のケトルに水を張る。


 オーベルは気にしなくてもいいと笑いかけた。


「いつもはマスターがやることだもんな。とりあえず、様子でも見てきたらどうだ? 意外ともう目覚めてるかもしれんぞ」

「はい、そうします!」


 少し乱暴な手つきでケトルを火の上に置くと、アメリアは奥の間へと続くドアへ飛び込んだ。


 残されたのは静かな世界。それだけならともかく、暗いのがどうも落ち着かない。足りないのはランプの灯りだ。


 玄関から向かって側方の壁にしゃれた意匠の燭台がある。一見すると蝋燭が立ててあるようだが、先端の火が灯される部分には、透明の石を雫形に磨いた物がくっついている。これは魔法の石・アビラストーンを利用した、魔力で光る照明だ。


 アビラストーン製の家具は色々あって、動かし方は物によって違う。だが誰でも簡単に使える構造となっているのは共通している。オーベルは燭台を叩いたり、息を吹きかけたり、他にも思いつく操作を一通り試してみた。


 しかし、部屋は暗いまま。


 腕を組んで、ふうむと唸り、強面で頑固なランプとにらめっこ。そんなことをしていると、再びドアが動く音がした。


 戻ってきたアメリアには、平素の明るい表情が幾分戻っていた。


「返事がありました! 『起きてる』って。オーベルさんには『すぐ行くから待っててくれ』って、マスターが言ってました」

「おっ、そりゃあよかった。これで一安心だな」


 オーベルが髭面を破顔させると、アメリアも嬉しそうに首を縦に振る。尻尾のように長い三つ編みが跳ねた。


「あの、ところでなんですけど、壁に何かありましたか?」


 アメリアは小首をかしげている。確かに、待たせていた客が壁に向かって仁王立ちしていたら不審に思って当たり前。オーベルは弁明するように手を振った。


「いやいや、ただ明かりをつけたいだけだよ。で、これどうすりゃいいんだ? どうやっても動かんぞ?」

「ああ、はい! それ、こっちなんですよ」


 アメリアが華奢な手を伸ばすのは、カウンター内、ドアのすぐ横の壁だった。よく見ると木目の一部が切り抜かれ扉状になっている。至極目立たないようにしてあるから、客席からでは教えられないとわからない。事実、オーベルも数年通って今日初めて知った。


 開いた中には丸い鉄のハンドルがあった。アメリアは手のひらサイズのそれを握ると、体重をかけて壁に押し込む。がこん、という音が響いた後、店中の燭台が一斉に光を放ち始めた。見た目と違わず蝋燭に火をつけたような、ほのかで温かみのある光だ。


 ほお、とオーベルは目を見張った。複数個所に飛び散っている家具を一括で操作できる、このような仕組みはかなり珍しい。アビラの専門家たる異能者ギルドに頼んでも、叶えてくれるギルドは極わずか。というのも、魔力発生機構、導線、建物の改造など、要求される知識技術が多方面になるせいだ。


 そのような事を口にして誉めそやせば、食器類に掛けられた布を取り払っていたアメリアが振り返った。あたかも自分が褒められたように得意気だ。


「これですねえ、なんと、お店を始める時にマスターが自分で改造したんですって。一から、全部!」

「はあっ!? 改造って……大工でもあるまいに、本当かよ」

「本当です。前に一回壊れちゃった時も自分で壁を剥がして直してましたもの」

「まじかよ」

「とにかくすごいんですよ、私のマスターは」


 主を称賛するにかまけて、アメリアの手は完全に止まってしまっている。


「マスターのお部屋のドアもですよ。それも自分で加工したらしいですけど、鍵穴が無いんですよ。それなのに、マスターが中に居ても居なくても、鍵がしっかりかかってるんです。すごいですよね、魔法みたい!」

「お、おう」

「それと、あと、そこの引き出しもです。一番上の。あれでしっかり鍵がかかってるんですよ」


 アメリアが指差したのは食器棚の下部に並ぶ引き出しだ。なるほど、四段二列の内、左の最上段のみが取っ手部分の形状を違えていて細工の跡が見られる。他は金色で丸いつまみなのに対して、金と銀の立方体を四つ寄せた四角いものに換装されている。


 しかし、なんでこんな引き出しにわざわざ鍵をつけたのか。


「それだけ大事なものがしまってあるってかい?」

「それが、何回か見かけたのはお茶の材料でした。でも、ただの材料なら鍵なんてかける必要ないですから、きっと他にもっと隠したい物が奥にあるんじゃないかって思います」

「はっはあ、なるほどねえ」


 愛しいアメリアにすら触らせられないもの、例えば全財産や権利書といったこの店の命に関わる大切なもの。あるいは超希少な材料で、勝手に使われると困るとか。はたまた店主の恥ずかしい秘密が隠されているのかもしれない。


 手前勝手な想像を進めると、どうしても答えあわせをしたくなる。とはいえ安易にマスターへ聞いていいものでなさそうなのは明らかだから、諦めるしかないだろう。


 そんな時、きいっと音をたて、奥の間につながる扉がゆっくり開いた。


 ようやくのマスター登場だった。「寝坊助」「遅いですよ」などと茶化す準備はしてあったが、二人とも結局なにも言わずに迎えた。否、ただならぬ様子に言葉を失っていた。


 マスターは右手でこめかみのあたりを押さえ、くたびれた顔を隠さない。もともと色の白い顔には、不健康な青さが加わっていて、一応形ばかりは整えてある黒い髪に艶がなかった。


 そう明らかに異常なのにも関わらず、マスターは薄く口角をもたげて静かに謝意を示した。


「申し訳ない。お待たせした」

「おいおい大丈夫か、顔色が悪いぞ。休んでたほうが……」

「いや、平気だ。もう大丈夫だ。すぐにお茶は用意するから、少し待っていてくれ。ああ、アメリア。ちゃんと準備はしてくれたんだね、ありがとう」


 大きな泡を作って湯が湧いているのを見つけ、マスターはそっとアメリアの金色の頭を撫でた。


 ずいぶん弱っている風だが、仕事の手つきはいつも通りだった。迷いはなく、失敗もない。紅茶の蒸らしに入り、手作業は一段落する。


 そこまでは注意深く見守っておき、それから宿屋の旦那は喫茶店の主人へ、年長者らしい忠告を与えた。


「あんたなあ、たまには外に出てよ、丈夫な体をつくらないとダメだわ。引きこもって本ばっかり読んでるのは健康的じゃあないぜ?」

「あいにく僕の場合は逆、陽の当たる下に出たら死んでしまうんだ」


 マスターは弱々しく笑って肩をすくめた。これぞ彼が外出を拒む常套句である。病気ならば仕方ない、と大抵の人はここで引く。


 だがオーベルは逆に前のめりになって言葉を続けた。


「だったら夜でもいいだろう。ちょうど今の季節は月が二つとも出ていて明るいし、夜風に吹かれる散歩も悪くないぜ? ちょっとでも運動して、筋肉つけて、ついでに酒でも一杯ひっかけてだなあ……」

「嫌だ。僕はみんなが思っているよりずっと臆病なんだ。何が歩いているのかわからない夜の道なんて、怖くて一人じゃ歩けないよ」

「それなら私が一緒に行きます!」

「アメリア、そんなの余計にだめだ。君を危険な目に遭わせるわけにはいかない。……それに紅い月はともかく、白い月は太陽の光を反射して光っているんだよ。回り道をすれどもその質は変わらない。だから、だめだ」


 何を言っても淡々と否定しされる。オーベルはとうとう匙を投げた。論を戦わせるような形にもちこまれては、到底敵う相手ではない。


 話が一段落したとみるや、マスターは体を重そうにしながら動いた。オーベル用のカップの支度をするアメリアを追い越し、食器棚の前まで行くと、新たなポットを一つ手に取った。


「ねえアメリア、こっちも湯を通しておいてくれ」

「はーい」


 後ろ手に差し出された白いポットを受け取ると、アメリアは仰せつかった作業を始めた。熱湯のケトルを両手で持って来て、いそいそと仕事をする。その集中する背後では、マスターが未だ食器棚に密着したままごそごそやっているが。


――もしや。


 オーベルは少し腰を浮かせて首を伸ばし、マスターの手元をカウンター越しに覗きこんだ。


 間違いない。例の細工した引き出しを開けて中を探っている。開いているのはわずかに握りこぶし一つ分の隙間のみ。そこから取り出しているのは、小瓶のように見受けられるが。


 オーベルは思わずアメリアに合図を送った。なんとなくマスターに気づかれてはいけない気がして、声は出さず、視線と手指の動きのみ。それでもアメリアは気づいてくれた。半分ほど後ろを向いて、驚いた顔になり、そこからは主の動きをじいっと見ている。


 マスターは食器棚の狭いへりに小鉢を置き、その場で引き出しから取り出した素材を選り入れていた。その仕事はいつも以上に素早く、かつ食器棚を見上げているのを装った風。作業が終わればすぐ、さりげなく引き出しを押し戻し、何事もなかったかのようにこちらへ振り向く。


 アメリアは慌てて前に向き直った。何も見ていないですよ、背中ではそう語るが、客席側に向けられた顔は緊張に引きつっている。温めておいたポットを手に取る動きもぎこちない。


「は、はい。マスター。お頼みのポットです」

「ありがとう」

「いえっ。あと、オーベルさんのお茶ももうすぐできます」

「大丈夫。わかってるよ」


 そう言うより早く、マスターは作業に取り掛かる。手にしていた小鉢は二人の視線をさえぎるポットの影に置いて、茶を仕上げる間は特に気にかける様子もなかった。

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