呪い返しのおまじない(2)
いくら心配したところで呪いなど降っては来ない。仮に信じられる通りに神や使徒が居たとしても、悪口を言われたからなどという子どもじみた理由で天罰を下すほど狭量なものとは思いがたい。第一、そんな理由で天誅が与えられるなら、もっと早くなされているだろうに。
件のエルジュの伝説も、二つの国が血みどろの戦いを続けている様子を見るに見かねて、彼が安寧を導くべく仲裁に入ったというのが詳細な経緯である。強大な力を使う時には、やはり相応の理由が必要なものである。
というわけで、アメリアが思い描くような結末には絶対にならない。
しかし、だ。ここまで恐怖してしまうと、無いはずのものが現れて来るのだ。日常で起こる悪い事をすべて呪いのせいだと考えて、そうして自らが勝手に創り出した呪いに縛られてしまう。そしてますます苦しみ、精神をすり減らし、果てには身を滅ぼしかねない。病は気からなどと言うが、まさにそれ。
特にアメリアという少女は一段と思い込みが激しい。暗い妄執に憑かれたまま過ごせばどうなるか。――手を打つ必要がある。
マスターはあれこれ方策を思案して、一つ、とっておきを思いついた。
「よし。じゃあ、おまじないをしようか」
「……おまじない?」
「そう。呪いも災いも、悪いものは全部追い返す、そんなおまじないさ。魔法には魔法で対抗するのが一番有効だよ」
アメリアはくしゃくしゃになった顔を上げ、まほう、と小さく反芻しつつ、期待を込めたまなざしでマスターを仰いだ。
さて、具体的なおまじないの手法をどうするか。一応、本格的な力のある呪い返しも実行可能である、特殊な魔力を持った材料を使えば。マスターはちらりと食器棚下部の引き出しに目をやった。四段で二列ある内、一つだけ形の違うつまみの段へ。だが、すぐに目線を戻した。――今回はパフォーマンスだけ十分だ。
マスターは作業台に並べてある普段使いの材料へ手を伸ばした。使用頻度の高い茶葉とハーブは筒型の紅茶缶に入れ、台上に出しっぱなしにしてある。そこから二つ缶を取り、さらに台下の引き出しからも数種の材料を取り出して並べた。こちらは小瓶に入れられているから、中身は一目瞭然である。
それを見たアメリアが、むう、と口をとがらせた。
「お茶で使うハーブじゃないですか。どこが魔法のおまじないなんですか」
「甘いよ、アメリア。ハーブやスパイスの類には魔よけの力がある。昔から常々言われてきた事さ」
これも嘘ではない。まだ魔法使いがありふれたものとして存在していた遠き時代から続く、ある種の信仰である。持ち出される種類や具体的な効能は変異に富むが、ハーブ類のまじないへの利用はイオニアンの世界中に広く根付いている。かつての人々は香草や香辛料特有の香りや刺激を神秘的なものと考え、さらに草本が持つ薬効が魔法的な力と結びつけられた、その結果ではないか。そうマスターは考えている。
「ミント、タイム、ローレル。ほんの少しのシナモンと。ニワトコの花と、ラベンダー」
手を動かしながら歌うように名を連ねる様は、さながら魔法の詠唱のようである。彼に呼ばわれたハーブたちは、その手にあずかって一つの器の中に集った。
単に二人で飲むハーブティを淹れるには量が多い。これだけあると普段使いのティーポット三つ分は出せるだろう。
マスターは器の中で軽く混ぜ合わせたハーブを、薄紙を折って作った袋へ一匙分すくい入れた。それから袋の口を折り曲げたたみ、錐で穴をあけて糸を通す。両端を結んで輪っかに仕立てたら完成だ。
「これを玄関の扉に吊るしておいで。営業中のプレートと重ねてもいいから、どこかに」
「それだけで効くんですか?」
「降誕祭の花だって吊るしてあっただけじゃないか。考えてもみなよ。もしも玄関に狼が繋いであったら、君はここに入って来られるか、って」
楽しく買い物から帰ってきたら、毛を逆立てた狼が店の前に陣取り吼えている。ちょっとでも近寄ったら、ずらりと並んだ鋭い牙でがぶりとやられそう。そんな想像がしっかり浮かんだのだろう、アメリアは青い顔で肩を縮めながら否定した。
理解したらすぐ行動。即席のお守りを受け取ると、アメリアはさっそくまじないを実行に走った。
それを見送りながらにマスターは次に移っていた。調合したハーブはまだたくさんある。そしてここ葉揺亭は喫茶店だ、魔法屋ではない。となればやることは一つ、お茶を淹れること。
普段はあまり使わない、四、五人前の紅茶がまとめてつくれる大型のティーポットを引っ張り出し、器に残っていたハーブをすべて投入する。かさが増えても茶の淹れ方は変わらない。熱い湯をなみなみ注ぎ、ゆっくりじっくり抽出されるのを待つ。その間に用意したカップは、計六つ。
無事におまじないを終えてきたアメリアも、台上の様子を見るなり状況を理解した。ただカップの数には疑問符を浮かべる。首をひねりながらも、ひとまずは黙って待つ事にしたらしい。
しばらくしてハーブティができあがる。マスターの手によって六つのカップに注ぎ分けられた。しかし均等ではない。二つは普段の紅茶と同じ、カップに八分目の量だが、残りの四つは半量しか入っていなかった。特別な意図があるのは明らか。そう、まだおまじないは終わりではない。
マスターは手で示しながら、アメリアに続きを教えた。
「これを室内各所に置いて香りを広げる。それぞれの窓辺と、この棚の隅にあれば大丈夫だ。あと一つは君の部屋に持って行くといい。僕のアメリアに狙いが向いたら悲しいから、念のために、ね」
「じゃあマスターのお部屋も」
「あとでやっておくつもりだ。くれぐれも勝手に入らないでくれよ」
マスターはさらりと言ってから、話題を逸らすように残りの二杯へ手を向けた。一つはアメリアに渡し、もう一つは自分で持つ。こちらの利用方法はまったく正当なもの。
「で、仕上げに僕たちがこれを飲んだら、おしまい。色々な方法があるけれど、最終的は守りの力を自分の体に取り込むのが一番いいって事だ」
言うなれば、三段構えの防衛陣。隙が無いように見えるその施策に、アメリアは素直に感心の色を示して、さっそく柔らかい黄緑色のハーブティに口をつけた。
魔よけの茶のお味はお世辞にも良いとは言えなかった。色々な素材が個性を主張し合った結果、甘くて刺激的でエキゾチックで、何一つに代表して示す事が不可能、そんな仕上がりになっている。少々飲みづらさすら覚えるほどで、アメリアはぐっと目をつむって喉に通した。でも呪いを解くならこれくらいの我慢はしないといけないんだ、そんな気持ちがありありと現れている。
アメリアが無事にカップを空にした直後を見計らって、マスターは一つ手を叩くと、晴れやかな声で言い聞かせた。
「はい、もう完全に大丈夫だ! 呪いだろうがなんだろうが、全部まわれ右して帰って行くよ。ここに居れば怖いものなんて何もない」
「やったあ! さすがマスターです!」
手を叩いて喜ぶアメリアには、いつもの無邪気で素直な笑顔が戻っていた。少し泣き腫らした目も、すぐに元通りになるだろう。
それから何事もなく時間が流れて、ちょうど昼下がりの休憩時になった。この時間の来客は比較的に多い。仕事を早くおさめて羽を伸ばしに、あるいは家事の休憩がてらお茶を一服、そんな感じだ。
そして今日もお客がやってきた。一瞬のみ玄関扉の動きが変に止まったのは、把手にぶら下がっている妙な紙袋を発見したせいだろう。何も知らなかったら、それこそ怪しい呪術の道具と勘違いしそうな代物だ。
幸いにこの客は、多少奇妙なものを見せられたとて怯えも逃げ出しもしない手合いであった。外の光とともに店内に顔を出したのは、葉揺亭の常連かつアメリアの友人、人形師のレイン=リオネッタだった。今日は人形劇の日ではない。清潔だが地味めの服装をして、手には仕事鞄ではなく、小ぶりのバスケットを下げている。
「こんにちはー」
「あっ、レインさん。もう今日のお仕事は終わりなんですか?」
「いーや、今日は気持ちが乗らないから仕事は休みって決めたんだ。それで紅茶のケイクを焼いたから、アメリアも一緒に食べてくれるかなって思って、持って来たんだけれど」
「わあっ!」
アメリアは台に手をついて勢いよく立ち上がった。今にもカウンターを飛び越えて、レインに抱きつきに行くつもりだ。
しかし彼女はそうする前に、きらきらとしたまなざしをマスターに向けた。にいっと笑って、少し声をひそめて嬉しそうに言う。
「おまじないの効き目、ばっちりですね」
「そうだね。……あれ?」
アメリアの満ち足りた笑顔につられて顔をとろけさせてしまったが、よくよく考えればおかしい。冷めたハーブティは今でも置かれたままで、おまじないは確かに継続中である。が、これは呪い返しの、だったはず。いつの間においしいものを呼び込むためのおまじないに変わったんだろうか。マスターは傾けた頭を軽くかいた。アメリアの部屋に行くはずのハーブティにも、困惑した顔が映っていた。
しかし。
「まぁ、君が元気ならなんでもいいさ」
玄関を入ってすぐの所でアメリアはレインを捕まえて、大きな身振り手振りと共に楽しそうに話をしている。そんな姿を見ていると、わざわざ蒸し返す気にはなれなかった。
呪いの本質は、目に見えない暗い念が常にまとわりつき、人の心を苛ます事。だから、楽しいとおいしいで、恐ろしい呪いの存在なんて欠片も忘れてしまったと、そんな風になるのが一番の対抗策なのだ。
葉揺亭 本日のメニュー
「魔よけのハーブブレンド」
ハーブやスパイスの類には魔よけの力があると古来より信じられている。
信仰の的になる植物は地域によって様々、好みや目的に応じてうまく取り合わせるのが吉。
実は今回のマスターは、割と適当に選んだ。大事なのは効くと信じることである。
魔法とまではいかないにしろ、ハーブを煎じて飲むことで得られる効能もある。
健康に不安がある時は、おまじない程度に力を借りてみるのも悪くない。




