時はざまの宝物(1)
昼前。葉揺亭にはアメリアの手製のパンが焼ける香りが漂っていた。そんな所へ、常連のアーフェンが息を弾ませやって来た。小脇に真新しい木の箱を抱えていて、入り口を開けるなり声を張った。
「自慢してもいいですか?」
中折れ帽子の影で緑の目は弧を描き、口元も無邪気に上がっている。何事だろうかわからないが、悪い事ではなさそうだ。迎え入れる方は口を揃え、もちろんだと応じた。
アーフェンは堂々と胸を張って歩んで来ると、木箱をカウンターへ下ろした。歪みない直方体の箱だ。薔薇を彫刻した蓋と重厚な金具で補強された作りで、箱自体が価値の高い物に見える。しかしもちろん、自慢したいのは中身だ。
よく見てくださいね、ともったいぶりながらアーフェンは蓋を開いた。
クッションとして綺麗な布が詰められている。その上に収められていたのは、純銀に赤色の宝石をあしらったティーセットであった。短い足の着いた雫型のポットが一つと、カップとソーサーが二組。いずれにも繊細な紋様が彫金されている。よく磨かれていて、葉揺亭の淡い照明の下でもまばゆく輝いている。
アーフェンの隣に来て覗いていたアメリアは感嘆の息を長く漏らした。
「すっごく綺麗ですね。自慢したくなるの、わかります」
「でしょう? 一生に一度、手に入れられるかどうかの代物ですよ」
アーフェンは鼻高々だ。しかし無理もない、この銀器には明らかに巷の食器には無い、一目で宝物だと認めさせるだけのオーラがあるのだ。
「失礼、触らせてもらっても?」
「構いませんよ」
アーフェンがカウンター越しに掲げた宝の箱へマスターは手を伸ばし、カップをそっとつまみあげた。遠慮もなく眼前でまじまじと眺める。その黒い目は活き活きと輝き、口元は自然とこぼれる笑みを隠せないでいた。
「素晴らしい、まったく素晴らしい。この燃えるような彫金模様はエイグ朝か、あるいはスィーヴァン王国か――いずれにせよ、考古学的な価値もある古の王朝の宝物だ」
「わかるんですか、マスター」
「知識だけは誰にも負けないよ。それにしても、いくらノスカリアでもこんな大層な物がよく売りに出て来たものだ。君も、よく買う気になったね」
マスターはカップを箱に返しつつ、何気なくアーフェンに言った。すると少年はにやりと笑んだ。
「買ったんじゃないんですよ、自分で拾って来たんです」
「拾うだって?」
「私も異能者ギルドの端くれですからね、たまには宝探しくらいしますよ」
「あの、そもそもギルドって宝探しをするものなんですか?」
「なんでもやりますよ。特に、うちはかなり自由ですから」
アーフェンは自慢げに鼻を鳴らした。彼の言う通り、異能者ギルドとは活動の幅が実に広い。特定の分野の仕事を専門に請け負っているギルドもあるが、多くは頼まれればなんでもやる便利屋であるのが実態だ。そして仕事の依頼が無ければ、彼らはしばしば自ら狩猟採集や冒険家じみた活動で食い扶持を稼ぐ事になる。こうした稀品が見つかる事もあるから、そちらの活動も意外と馬鹿にできないのだ。
ではアーフェンはどこで古代の銀食器を見つけたのか。誰が問うまでも無く、彼はべらべらと喋りだした。
「実は、私、『時忘れの箱庭』に行って戻って来たんです。すごいでしょう? ほら、東の森に『神隠しの家』ってあるじゃないですか、あそこから」
アーフェンは誇らしげに語る。そんな彼の目論見通り、アメリアは顎が外れそうになっていた。
『神隠しの家』はアメリアも知っている、以前ハンターと共に森へ行った際に実際に見た。高い塀に囲まれた小さな古家が『時忘れの箱庭』と呼ばれる異世界空間へと繋がっている、ノスカリアで昔からまことしやかに囁かれる噂だ。根も葉もない流言ではなく、実際にあばら家の扉をくぐって消息を絶った人間が数多く居たそうだ。ゆえに決して近寄ってはならない、まして入ろうと思うなんて厳禁だ、帰って来られなくなる、アメリアもそう老翁から釘を刺された。
ところが、アーフェンは行って帰って来たと。ハンター曰く、神隠しの家に入って何かを得られたのは百人に一人居るか居ないか。にわかには信じがたい話だが、しかし現に古に滅びた王国の遺物を目の前に見せられては、信じざるを得ない。
驚愕に支配されていたアメリアの顔が、徐々に尊敬の色に塗り替えられて来た。すごい、かっこいい、見直した。異世界にはどんなものがあったのか、どんな景色だったのか、どんな人に会ったのか。言いたいことが聞きたい事が激流のように溢れて上手く言葉に出来ず、ただただ手をじたばたさせていた。
そして同じく絶句していたマスターが、アメリアより先に口を開いた。だがそれはアメリアとは違って、苦味と呆れに溢れたものだった。
「呆れた。あれがどういう場所か知った上で入ったのか。自殺と同じだ。まさか君がそこまで浅慮な事をするとは」
「いや、最初に言いだしたのは、私じゃないのですが」
「止めなかった時点で同罪だ、いわんや同行したのなら。すべてを失ってから悔いるのでは遅いぞ」
マスターは腕を組んで、重く息をついた。叱責を受けたアーフェンは、少し眉をひそめ、弁明するように手を開いた。
「半信半疑だったんです、どうせ我々のような若輩をおどかすための嘘だと。よくありますから、そういうの。それで、実際に探検してみたら……という所です。本当に異空間に行ってしまったのは偶然です」
「その偶然が何より恐ろしいんだ。あそこは完全に時空の摂理が破綻している、どこに連れて行かれるかわかったものじゃない。二度とするなよ。いくら君でも、二つの世界を分かつ不可視の壁は越えられまい」
知ったような口ぶりの説教に、むうとアーフェンは眉をひそめて唸った。しかし、すぐに不敵な笑みを浮かべて言い返した。
「でも、ちょっとくらい危ない橋も渡らないと、どこにも行けませんから。私はその繰り返しでここに居るのです」
自信に満ちた顔つきはいつもよりずっと頼もしく見えた。いつだったか、降りかかった災いに震え上がって飛び込んできた少年と同じには見えなかった。
羨ましい、とアメリアは思った。それだけ彼を変える素晴らしい事が起こったのである。それが偶に見た異界で起こった事なのか、はたまた生家の籠を破って得た日常の世界そのものなのか断定はできないが。
マスターはこめかみに手をやり、ため息をついた。
「確かに、時には逃げずに立ち向かうのも大切だと僕も教えた。だがアーフェン君、自分が『ちょっと』と思う危険が実は絶望的な大事であり、だから周りが必死に警告を出している。そういう事もあるとは覚えておいてくれ。僕は君に易々と死んで欲しくはない」
「……わかりました、気を付けます。私も死にたくはないですから」
アーフェンは静かに話を終えて、席に着いた。その姿を見て、アメリアは再度感心した。以前だったら食って掛かっていただろうに、ずいぶん大人になってしまったような気がする。
「いいなあ」
アメリアは思わず呟いた。当然、二人の視線が集まる。
「アーフェンさんが羨ましいです。私も見てみたいなあ、別の世界」
夢見るように言ってから、アメリアはマスターの反応をうかがった。彼は顔を引きつらせていた。
「ねえアメリア。僕の話、聞いていた?」
マスターは笑っているが、笑っていない。もし手の届く所に居たら物理的にアメリアを捕まえて懇々とお説教だっただろう、これは。
聞いてはいましたが、と、アメリアはマスターよろしく腕を組み、不満に口を尖らせた。
「ちょっと思うくらい、いいじゃないですか。アーフェンさんは無事に帰って来ているんですし」
「それが低い確率の偶然だからいけないんだよ。今回はたまたま神の機嫌が良く誰も不幸にならない運命が採択された、それだけの事。次は無い、だから考えるのも止めた方が良い。邪念が差すからね」
あっ、とアメリアは思った。カウンターに戻りながらしたり顔で、店主を問い詰める。
「おかしなマスター、ずいぶん都合がいいですね。いつもなら、神様なんて信じないって言ってるくせに。今日は神様の機嫌がいいだなんて」
そうだ、マスターは一貫性も何も無く、ただ相手を批判したいだけではないのか。それこそ神様気取りで、自分が絶対で、もっともらしい理由をつけて自分の気に入らない事をさせたくないだけ。
アメリアがじっとりと突き刺す疑いの視線を、マスターはいたって平静に払いのけた。腰に片手を置きつつ、淡々と、しかしどこか重々しい口ぶりで話し始めた。
「少し言い方を変えようか。ルクノールは全知全能の神だ、なんて戯言は信じない。無論、他に地域ごとで神と呼ばれる存在ついても同様。しかし、無意識的に僕らを操る、実体のない正真正銘の神なる存在は居ると考えている。地に足着く人間には不可視不可触の次元にね」
伏し目がちにマスターは締めくくった。どこか悲愴さすら感じさせる静かな声だった。しかし次の瞬間にはぱっと目を開いて、飄然とした風をまといながらアメリアの方へと向き直った。
「そして今、オーブンの中の空間は二つの運命の分かれ道に立っている。パンが黒焦げになるか、そうでないか。さて神はどちらを選ぶのかな?」
あっ、とアメリアは声無き声を上げた。言われて気づく、辺りに漂う匂いが若干焦げ臭くなっていた。慌ててオーブンに駆け寄って重い扉を開ける。途端に吹き出した高熱に、アメリアは思わずのけ反って、勢い余って尻餅を付く。
「火は丁寧に扱わないと危ないぞ」
「マスターが煽ったんじゃないですかっ!」
もう、と頬を膨らませてから、改めてオーブンの中を確かめる。幸いにも、パンは真っ黒になる前だった。大きく浅い長方形の型の中で、予定より焼き色が濃いものの、ふっくらと仕上がっている。香ばしい匂いの影に潜むハーブの香りが実に心地よい。
パンを取り出して作業台の片隅に置き、オーブンの火を落とす。型から外して切り分けるのは粗熱が取れてからだ。やれやれとため息をついてから、アメリアはもう一度むっとしてマスターを見た。
「マスターはどうして私に意地悪するんですか」
「してないよ。僕は忠告をしただけだ。それを受け取った君が自分で慌てたのさ」
「言い方が悪いです! ねえ、アーフェンさん」
「え、ええと……」
眉間に皺を寄せて怒るアメリアと、すました顔で肩をすくめるマスターと、少年は二人の顔を見比べて困っていた。そして結局どちらの味方にもなりきらなかった。
「あの、まったく話を変えてもよいでしょうか」
「どうぞ」
「今日はこのティーセットを実際に使ってみたくて、持って来たんですけれども」
「ああ、なるほど、そうだったのか。ただ見せびらかしに来ただけかと。いいよ、貸してくれ」
マスターは大切な茶器一式を箱ごと受け取った。そして改めて状態を確認する。特にポットは蓋を開けた中と注ぎ口の部分もしっかり見て、ごみが詰まっていやしないか確認する。
「うん、破損や劣化はなく使用に耐えうる、しかし実際に使用された形跡はない新品だ。軽く水洗いだけして使おう」
そう言ってマスターはシンクへ行くと、銀器を水ですすぎ始めた。水に濡れた銀は、いっそう輝きを増したように感じられる。その様をアメリアとアーフェンは遠巻きに見ていた。
「ねえアーフェンさん、もったいなくはないんですか?」
「なぜですか?」
「だって、使ってしまったら宝物としての価値が下がってしまうんじゃないですか」
アメリアの問いかけに、アーフェンはかぶりを振った。
「使わない方がもったいないですよ。食器は当然、使うために作られた物ですから。大事な物だからとずっと箱に閉じ込めていては、持っていても何の意味もないですよ」
「……アーフェンさん、すごく良い事言いますね」
「そうですか? まあ、私の言葉が参考になるのならとても光栄です。なんなら、もっと色々言いましょうか?」
「あっ、それは結構です」
アメリアは笑顔で断った。得意気に目を輝かせていたアーフェンは露骨にしゅんとしてしまい、少しだけ気まずさを覚えた。パンを切らないと、とアメリアは呟いてその場を離れた。
マスターの仕事とぶつからないように気をつけながら、アメリアはパンを切る。まずはナイフで縁を切り、型から外す。それから片手で取って食べやすい小さな四角形へと切り分ける。空気のたくさん詰まった断面は、使っている材料の関係で少し褐色がかった色合いだ。
まだ温かく柔らかいパンを二切れ取って、小皿に乗せる。それを振る舞う先は、もちろん客人だ。
「アーフェンさん、どうぞ。ローズマリーとフィダーのパンです」
「いいんですか」
「素敵な物を見せてもらったお礼です」
笑いかけながら、アメリアは自分でもパンを頬張った。フィダーは魚粉を塩と植物油で練ったペーストで、普通は焼き上がった後に塗って食べる。しかしこうして生地に練り込んでもなかなか良いものだ。塩気が全体にほどよく馴染むし、魚特有の生臭さもローズマリーを併せる事で気にならなくなる。
ただ、塩気も相まって喉が乾く。せめてアーフェンに出すのは、お茶が仕上がった後にすればよかった。アメリアは口をもごつかせながら少し後悔した。
そんなアメリアの横にマスターが来た。まるでタイミングを合わせたように完成したティーセットを手にして。
「はい、お待たせ。陶器より表面が熱くなる、気を付けて手にしてくれ。持ちにくいようなら、これを」
マスターは最後に折りたたまれた白いクロスを添えて提供した。この銀のポットとカップはどちらも持ち手が小さめで、意図しなくても指が熱々の茶が入った胴に触ってしまう可能性がある。クロス越しに掴めば、その危険性が抑えられるというわけだ。
アーフェンはまず素手で美しいポットへそっと触れた。そして間髪入れずに慌てて手を引っ込めた。なるほど、と頷きながら、白いクロスで手を覆うようにした。
ポットの中身をソーサーに乗せたカップへ注ぐ。中身についての注文は特になかったため、マスターにお任せだ。先細った口から現れたのは、暗い色合いの紅茶だった。カップの材質による錯覚を差し引いても、ずいぶんと重たげな見た目であった。
「かなり濃いようですね。どのようなものでしょうか」
「アセムを主軸にして、あえて渋みを強く出すブレンドにしてみた。これは僕の感覚になるが、古くさい風に」
古くさい、と若い二人が口を揃えた。マスターは短く相槌を打ち、ぴっと人差し指を立てた。
「古い時代の権力者には、薬のごとく苦く濃い茶が好まれたのさ。茶葉は高級品だった、それを湯水のように消費する事で、周囲に対し権威を示していたわけだね。味わう事は二の次で、紅茶を嗜むその姿自体に価値があった時代とも言い替えられる。だから、更に――」
マスターはシュガーポットを取り出した。蓋をとり、付属のスプーンで砂糖をこんもり掬って二人に見せる。
「茶葉たっぷりの紅茶に、これまた貴重品だった砂糖を山盛り投入するのさ。贅の限りを尽くすために」
二度、三度と、マスターはシュガーポットの上で砂糖を掬っては落としを繰り返した。本当はそれをティーカップとの間で行うのだろう。
アメリアとアーフェンは顔を見合わせていた。揃って渋い顔をしている。あれはない、ないない、甘い物が大好きでもやり過ぎだ、と、お互いの雰囲気で会話をした。
そしてマスターはシュガーポットに蓋をすると、そのままアーフェンの前へと出した。アーフェンは眉をひそめ、苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「……これは、茶の味を殺してしまうのでは」
「好み次第ではあるが、僕自身はあまりおすすめしないよ。ただ当時の者たちには、味よりも権力を誇示する方が重要だった。そんな時代があったと伝えたかったのさ、せっかくだからね」
マスターは小さく肩を揺らした。
「だから、もちろん君は好きなように飲めばいい。君は現代を生きる人間なのだから、過去の慣習に必ずしも従う必要はない」
そう言ってマスターは自分の語りを締めくくった。
話を終わりまで聞いたアーフェンは、シュガーポットには手を出さずに最初の一口をすすった。しばらく舌で味わった後、「確かに苦い」と呟いて、それからシュガーポットを取った。スプーンの半分くらいの砂糖を紅茶に加えて、もう一度飲み。そうしてやっと眉目を上げた。
銀色のカップを明かりに掲げて麗しい見た目を鑑賞する。それから、また紅茶を口にする。そうするとアーフェンの頬はさらに緩んだ。
「おいしいです。器がいいものですから、余計に」
「それには同意するよ。味は目でも耳でも感じるものだ」
「私もわかります。私もクシネちゃんの魔法のカップで飲むお茶、大好きですもの」
そうだ、味覚には気分の影響も大きい。まったく同じ中身でも、一級品の食器を用いれば、あるいは使いこなしたお気に入りの道具なら、不思議と味が良く感じられる。
「もしかしたら、昔の偉い人たちも、砂糖の味しかしないお茶をちゃんとおいしいって思っていたのかもしれませんね」
「そうかもね。気分は最高だっただろうから」
真実は時を遥かさかのぼった先だから、知る術はないけれども。アメリアはアーフェンの持つ煌びやかなティーセットの向こうにあった茶会の様子に思いを馳せた。ひょっとすると、今の自分たちと大して変わらないのかもしれない、と。




