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呪い返しのおまじない(1)

 ルクノラム教の祝祭でにわかに繁忙を迎えた葉揺亭だったが、それも過ぎ去りしこと。降誕祭の翌日以降は穏やかさを取り戻していた。


 非常に快適だ。いつにましてマスターは朗らかに笑っていた。憑き物が落ちた、そんな風に。


 ただ、アメリアは隣でとても残念がっていた。暇になってしまった、つまらない、と。その嘆きがちっとも止まないから、マスターは懇々と説いて宥める羽目になった。


「あれは異常な事だったんだ。熱にあてられた狂騒で、冷めればこうなるのは自然、ごく普通の事だよ。むしろこうなってもらわないと困るくらいだ。惜しむものではない」


 するとアメリアは、むくれたまま言い返してきた。


「でも、あの時にお店を気に入ってもらえれば、もう少し賑やかさがつづいていたと思いますよ。それが残念です」


 その点はマスターとしても確かに歯がゆかった。早い話、自分の茶では彼らを魅了しきる事ができなかったというわけである。神に盲目な宗教家であるから、心を奪うのはもとより高い壁なのだが、であるからこそ引き込めたら本物の腕前と断言できただろうに。趣味的な店としてやっているから客数が増える増えないは大した問題でないのだが、見方を変えると複雑な心境にもなる。


 じゃあまったく成果がなかったかと言えば、そうでもない。降誕祭以降、葉揺亭にはルクノラム教徒の来客が若干ながら増えていた。布教とか例の茶を求めるとかではなく、純粋に喫茶を楽しむ客として。もとより総客数が少ないから、新顔が来ればすぐにわかるのだ。


 もちろん一時的に尾を引いているだけかもしれないと思ったが、数日の経過観察を経て、確かに常客の顔ぶれが変わったと断言できるようになった。それをアメリアに伝えたら、彼女の不満も解消され、いつもの元気で楽しそうな姿に戻った。



 そうしていつも通りの平和な日常が続いた、ある日。


 時は正午やや過ぎ。現在、葉揺亭の窓辺の席にて、若い女のルクノラム教徒が聖典を開き写経にふけっていた。少し甘口の紅茶・カメラナにレモンの輪切りを浸したカップを傍らに添え、一人集中して神の教えを写し、学び取る。真剣に静かに没頭する姿は、周りにも不思議な緊張感を染み渡らせる。店の者たちもなんとなく私語を慎んでいた。


 静寂な空間ではわずかな音もよく響く。例えば壁にかけてある時計の針が動く音など。たまたま歯車の調子がそうさせたか、今動いた長針は、ひときわ強く音色を奏でた。


 その音が、黒服の女の集中力をぷつんと切った。彼女は手を止め顔を上げ、時計を見やる。すると、みるみるうちに顔が青ざめた。ついでに、呻きとも悲鳴ともつかない謎の音を口ごもらせる。


 先ほどまでの静謐な気配をかなぐり捨て、彼女は慌てふためきテーブルの上に広げた亜麻紙をかき集める。そうして乱雑に束ねた紙を聖典と重ねて抱え、転げ出るように椅子を立った。あわあわとした手つきで懐から取り出したのは代金になる銀貨。それを半ば転げ落とすようにテーブルへ置くと、


「ごちそうさまでェす!」


 と、裏返った声を残し駆け出していった。


 マスターもアメリアも面食らって硬直したまま、所在なくしてゆっくりと閉まる蔦の葉レリーフの扉を眺めていた。


 ばたん、と玄関が完全に閉まった音で時は再び流れ出す。あぁ、とマスターが憐れむように苦笑した。


「あの様子じゃあ遅刻だろうな。何にかは知らないけれど」

「すごく集中してましたもの。時間が経つのも忘れちゃったんですね」


 ふふっと笑い声を上げながら、アメリアは客のカップを下げに出た。水で濡らした台ふきも息をするように片手に取り、店員としての仕事ぶりはばっちりだ。まずはカップと代金とをカウンターに持って来て、それから慣れた手つきでテーブルを拭く。それと大きくずれたままの椅子を元に戻すのも忘れずに。


 と、その時。足下に亜麻紙が一枚落ちていると気づいた。あんまり慌てていたから、手から逃げたことに気づかなかったのだろう。


 葉揺亭での忘れ物は、それがどんな物でも本人の手に戻るまで保管する事にしている。たかが紙きれ一枚でも、あの女の人には大事な物のはず。アメリアは皺一つ付けないように気をつけて、亜麻紙を拾い上げた。


 床に面していた側には、黒インクで書かれた字がつらつらと並んでいた。別に聖典とやらに興味があるわけではない、が、なんとなく、アメリアはそれを読んでみる。


 そして顔を暗くした。手もわなわなと震え始めた。


「アメリア? どうした?」


 大事な看板娘の異変に気づいたマスターが、カウンターの内より問いかけた。するとアメリアは、危急迫った顔を紙面から上げ、言った。


「マスター、あの人……悪い人です!」


 それはそれは真剣そのもの。が、マスターは曖昧な返事をするしかできなかった。一体なにがどうしてそうなった。見る限り、少々おてんばだが真面目な神の徒で、少なくとも悪事に手を染めている風ではなかったのだが。


 マスターの疑問の答えは例の亜麻紙に書かれているのだろう。そしてそれは、積極的に求めなくても手元にやって来た。アメリアが先ほどの女に負けない勢いで狭い店を駆けて、ぷるぷると震える手で差し出す。


 マスターは紙を受け取ると、柔らかい筆致で書かれている文章を、アメリアと共有するように音読した。少女は胸の前で手を重ね、一音一音に怯えひるんでいる。此方で読み上げる声には緊張感のかけらもないのに。


「主より賜りし言の葉にて、この地に晴れぬ呪いをかける。水は枯れ、大地は腐り、命は死ぬ。これも汝らの罪が成す業なり。かくして――」


 ああなるほど、確かにこれでは呪いの宣告文のようだ、そうマスターは思った。しかし、そんな大それたものではないと彼は知っていた。なぜならば、この一文は――。


 マスターの平然面を横から殴るように、アメリアの興奮した叫び声が届いた。


「ほら、ほら、ほらあっ! 大変です、このままじゃみんな死んじゃいます! ノスカリアが呪われて滅んじゃう! ああ、どうしよう、どうしよう……そうだ、あの人を止めないと! 早く治安局の人に知らせて、ええと、あと……どこかのギルドの人とか、誰かどうにかできる人を探して……それからそれから!」


 金色の三つ編みを振り回しきゃあきゃあと騒ぎ、わたわたと右往左往している。アメリアのそんな様は、傍から見ている分には面白くかつ愛おしい。だからと言って、放っておくわけにもいかない。アメリアは感情的かつ行動派、このままでは本当に外に飛び出して行って、あちこちに迷惑をかけてしまう可能性が高い。治安局とは政府の警察組織だ、こんな事で騒ぎを起こし政府から白い目を向けられるなど勘弁願いたい。


 ふう、と息をついてから、マスターは丸い声でアメリアを諭した。


「落ち着きなよアメリア。これは呪いなんかじゃない。第一、そんなものを実行しようとする人間が、こんな所でのんびりお茶を飲んでいると思うかい? 町を憎んで滅ぼす呪いを、こんな場末の喫茶店で起こすと?」


 アメリアがばたつかせていた手を止めて、黙った。マスターは追い打ちをかけるように、手元の紙をおもちゃのようにぴらぴらと振って、種明かしにかかった。


「これはルクノラム教の聖典にある文言を、そっくりそのまま写しただけだ。君だって見ていただろう? だからこんなの、呪法でもなんでもない」

「そんなのマスターの嘘です、あの人もそういうふりをしていただけです。だって、神様の本にそんな怖い文章が載ってるはず――」

「僕は嘘をつかない。本当に載っているんだって」


 葉揺亭の主はルクノラムの宗教に関しては批判的だ。しかし、その聖典は読破して、内容すべて頭に叩き込んでいる。理由は単純、ありあまる暇をつぶす読書に最適だったから。凶器になるほど極厚で、しかも比較的簡単に手に入る、こんな書物は他にそうそうない。


 さて、この物騒な文脈はどんな経緯で聖典に出て来るものなのか。マスターは人差し指を立てて講釈した。


「この文章は、ルクノラム教に数える第二の使徒・エルジュの伝説のくだりに出現する。信仰という面では、物事の因果や人の縁を司る使徒とされる人物だが、それ以前に、エルジュは長けた魔術師なんだ。修めていた魔法は幅広いが、特に秀でていたのが君が思うようないわゆる呪い、時間をかけて継続的に効果を現す類の呪法だった。よって、それが彼の象徴として扱われるのさ。ここに書かれているのは、聖典にあるエルジュの逸話からほんの一端を抜き出しただけで、これ自体は悪い力のある呪文じゃあない」


 真っ直ぐ目を見て丁寧に説いたが、アメリアはまだ疑いのまなざしを返してくる。


「本当ですか」

「本当さ。それともなんだ、僕の言う事を信じてくれないのかい?」


 アメリアは店主に無類の信頼を抱いている――少なくともマスターはそう思っていた。そんな人物の言う事と、今日あった人が落とした紙きれ一枚と。どちらに天秤が傾くか、悩むまでもない。アメリアはぷるぷると首を横に振った。不安に満ちていた表情にも光が戻っている。


 調子をよくしたマスターは、さらに解説を続けた。


「ちなみに、この前後を含めた物語を簡単にまとめると、『喧嘩しないで仲良くしましょう。相手の悪口ばかり言っていると、自分に災いが返ってくるぞ』という教訓だ。そもそも聖典とは、人生の指針となるような教えを説くため書かれたものだ。だからどんな説話も、必ず教訓めいた結末に繋がるんだよ」


 マスターは得意気にウインクした。


 するとアメリアから「そうなんですね」という風な返事がある……と思ったのだが。なぜだろう、今の話を聞いた途端、アメリアは先ほど柔らかくした表情を再び硬く暗くさせていた。目を真ん丸に見開いて、悲愴感あふれる気を立ち昇らせて。


 すわ、何かまずいことを口にしただろうか。マスターも心をさざめかせて顔をこわばらせる。そこへ、アメリアが悲痛な叫びを上げた。


「だったら、マスターが呪われちゃう!」

「はあっ!?」


 突拍子もない発想に開いた口が塞がらなかった。脱力のあまり、何故、と問い返す気にもなれなかった。が、何故かはアメリアが勝手に白状し始めた。


「だって、だってだって、マスター、ルクノール様の事をいつも悪く言って馬鹿にしているから。その使徒の人が怒って、マスターのこと懲らしめようと思うかもしれない! ううん、もう、呪いをかけられてるのかも……ああっ!」


 ぱあんと手を叩き、迫真の顔でマスターを見上げる。


「わかった、そのせいであんなにたくさん来たお客さんが居付いてくれなかったんですよ! きっと、いえっ、絶ッ対にそうです! お店が呪われているんですッ!」

「ねえ、待ってよアメリア。いくらなんでもさ、そんな……おっと!」


 アメリアが半べそをかきながらマスターの胸に飛び込んできた。重心がぐらりと傾いたが、どうにか押し倒されるは免れて受け止めた。


「私、そんなの、嫌です……お店がなくなるのも、マスターが死んじゃうのも」


 悲痛な叫びは胸に押しあてられ、こもった音になっていた。ひっく、ひっくと小さくしゃくり上げる音も続く。


 色々と呆れ、言いたいことはある。けれどこんな風にされては。マスターは一旦口を閉ざしてアメリアを抱きしめると、あやすように頭をなでた。


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