清香散歩(1)
御多分に漏れず、今日も葉揺亭は暇の気配を漂わせていた。店にぼーっと立っていても仕方がない、アメリアは家の事――掃除、洗濯、その他細々とした雑務をすべて済ませると、単身町へと飛び出して行く。この流れは、近頃すっかりお決まりとなっていた。
まず商店街の貸し店屋で変わった出店が無いかを見回る、その後は図書館へ行ってみる。今日はマスターにそう伝えて出て来た。しかし今アメリアが居るのはどちらでもなく、高台の上であった。さらには一人ではなく、たまたま出会った親友のレインと一緒だ。
レインは仕事中であった。某農園主から人形劇の上演依頼を受け、ちょうど屋敷に向かっている所だった。いつも街頭で披露しているよりも仕掛けが大がかりになっていて、運ぶ荷物がいつもの倍。大きな箱型の鞄を左右の手で一つずつ下げて、時々左右によろめきながら歩いている。そんな後姿をアメリアが偶然見つけ、荷運びを手伝った次第だ。
目的地は高台エリアの中央付近。その古い屋敷の門扉の前で、アメリアは両手で下げていた鞄をレインに返した。
「じゃあ、頑張ってくださいね」
「ありがとう。アメリアのおかげで助かっちゃった、今度ちゃんとお礼するね」
「いいんですよ。一緒に昇降機に乗らせてくれただけで十分です」
ふふっとアメリアは屈託なく笑った。
ノスカリアの北側は切り立った崖で上下に分かれ、行き来するための大階段が築かれているが、その脇に滑車を利用したかご付きの昇降設備があるのだ。これを使うと楽に早く崖を昇れるが、一基しかない都合上、使用するのは徒歩で荷運びをする者に限られている。アメリアには高台へ何かを持ち運ぶ機会は皆無だから、この偶然がなければ乗ってみる事はなかっただろう。そういう意味で、今日はお互い幸運だった。
レインと別れ、アメリアは一人の散歩を再開した。せっかく上って来たのだから、今日の予定は高台の散策に変更だ。ぐるりと東へ西へ大回りをしてから大階段へ戻る、そんなルートで歩こう。
さて、高台の豪邸が並ぶ街並みは、同じノスカリアでありながら別の街に来たように錯覚させてくる。華美な建築物、豪奢な外装、清潔な道先、人が少なく落ち着いた空気。あまり来たことが無いから、アメリアにとってすべてが新鮮だった。
「お庭がある家っていいなあ。木とか、お花とか」
通りかかった屋敷の鉄の門扉の向こうに見えた光景に、アメリアはうっとりとした吐息を漏らした。庭園は葉揺亭には無いものだ、そもそも敷地が無いから作りようもない、だから憧れてしまう。
ふと、先日の不思議な夢で見た家の事を思い出した。あの家には大きなリンゴの木も、花咲く生垣もあった。さらには庭どころではない広大な緑の真ん中にあったのだ。やはりあの夢の場所は、考えるほどに自分の理想的だ。本当に本物の未来だったら素敵でたまらない。アメリアは歩きながら小さく笑った。
あてもなくぶらぶらする中で、広めの通りに面した小さな公園を見つけ、アメリアはちょっとした休憩をとっていた。大きな木と何かのモニュメントとベンチがあるだけの場所であるが、新葉を茂らす木陰の下でぼーっとし、さわさわと囁く木の葉の音を聞くのが非常に心地よかった。
大きく腕を伸ばして、くあ、とあくびを一つ。今日は暖かく気持ちが良い天気だ、このまま横になったらあっという間に眠れてしまいそう。
と、その時、せっかくののんびりした空気を壊す、慌ただしい足音が響いて来た。遠くから、だんだんこちらへ近づいて来る。アメリアは目を点にしてその方を見た。
右手の道から、黒い礼服を着た男性が脇目もふらず一直線に、全速力で走ってくる。そんな彼のシルエットには、後頭部で高く結われた髪をまとめる簪が。その特徴的な格好は一度見たら忘れない、世話になっただけにアメリアもよく覚えている。あれはラスバーナ商会が令嬢の従者、シユ=ジェツェンだ。
思わぬ知り合いの登場に頬を緩ませたものの、結局アメリアが声をかける間もなく、シユは視界を横切って、次の十字路を左に曲がって消えてしまった。アメリアはぽかんとしたまま、中途半端に上げた右腕をそろそろと降ろした。
「……どうしたのかしら、あんなに急いで」
表情も含めた全身で慌てていた。理由が気になるが、しかし、わざわざ追って問い詰める程のことでもない。まあ、いいかと含み笑いと共に流した。気にせず、こちらはゆっくりとした散歩を続けよう。
再び歩き始めたアメリアは、シユが曲がった十字路を真っ直ぐに進んだ。西へ向かう道筋だ。こちらは劇場や画廊がある一帯に通じているはずだ、今年の不夜祭の頃に一度だけレインと劇場に行ったことがある、その時の記憶が正しければ。
果たしてアメリアの覚えは正しかった。道なりに進むと、巨大な劇場の裏手にたどり着いた。今日も何か芝居がやっているらしい、周囲が活気に満ちている。
そして人が集まる場所には、様々な店も集まっているのが常である。画廊や書店、骨董屋に宝石店といった、特に文化的な高級さを感じる店々が劇場の周辺に密集していた。また店構えも商店通りとは違い、静かで落ち着いた姿だ、大声で客引きをする店など一つもない。
――静かなのは葉揺亭も同じだけれど……なんだか、入りづらい。
原因は格調高く洗練された、お金持ちのお屋敷に入るのと変わらない雰囲気だ。
だから、アメリアは店先を遠くから覗きながら通り過ぎるだけにした。ちらちら見える店内に色々と気になるものはあるけれど、普段着のワンピースで突入するのは場違い過ぎて気が引ける。現に近くを通りかかる人々からも不思議そうな目を向けられるし、店によっては入口に警備係が立っていて明らかに警戒の目を向けて来る。
他人の目は気にしないようにしながら、劇場の周りをゆっくりと歩いて、大階段の方へ戻る道へ向かう。買い物はどこでもしない、散歩に来ただけ、遠巻きに景色として眺めているだけ。自分に心の中で言い聞かせながら、ついでに周りにも伝わるよう気配をにじませる。
しかし、それでも、どうしても一軒だけ見逃せなかった。その窓から中の棚がちらりと見えた瞬間、アメリアは磁石で引かれるよう駆けていた。
そこは葉揺亭よりさらに小さな店で、幅狭いドアと大きな硝子窓が前面を占めている。白木の窓枠に切り取られた店内の風景にアメリアが見つけた物とは、壁の棚に置かれたティーセットだった。そう、喫茶店ないし紅茶屋だと思ったのである。
しかし、近寄って覗いたら思った形と違った。茶器の類はほんの少しあるだけで、他は硝子の瓶がずらりと並んでいた。食材を保存するような無色透明で飾り気のない瓶もあるが、色硝子や芸術的な形状の瓶の方が多い。
アメリアは入口ドアの上に控えめに掲げてあった、窓枠と同じ色の看板を確認した。
「そっか、香水屋さんだったのね」
アメリアは感心して呟いた。香水は商店通りにも扱っている店があるにはあるが、これほど彩り豊かではないし、もっと味気のない小さな瓶だ。装飾家具に足る華やかな色形の香水瓶が並ぶ風景は、こうして窓越しに眺めているだけでも乙女心をくすぐられた。
そして店内には当然ではあるが人も居た。二人の女性が中央に置かれた小さな丸テーブルを挟んで座り、談笑していた。
さて、アメリアが窓越しに中を見えるという事は、店内から逆もまた同じ。テーブルの奥手側に居た栗色の髪の女性がアメリアに気づき、小さな会釈と共に微笑みを向けた。三十過ぎの落ち着いた大人の女性で、人好きのする柔らかい顔だった。しかし反射的にアメリアはびくりと肩を震わせてしまった。どうしようか迷って、とりあえず、おずおずと会釈を返しておいた。
すると、手前側の女性も同調するようにアメリアの方を振り向いた。その時、アメリアの記憶の泉に波紋が立った。なんだか、どこかで会ったような人。
答えはすぐにわかった。振り向いた彼女と目があった瞬間、お互い驚き顔になった。
偶然とは不思議なものである。先ほどは従者を見かけたが、今度は大商会の令嬢サシャ=ラスバーナ本人に出会うことになったのだ。まさに開けた口が塞がらなかった。今日も彼女はドレスではなく、むしろ下町の風景の方が似合うような動きやすい格好をしている、もし初めて会うのだったら、大商会のお嬢様だなんて欠片も思わなかっただろう。
一方、サシャの方はすぐに破顔すると、跳ねるように椅子から立ち上がり玄関先へとやって来た。
「アメリアさん!」
中から引かれたドアの向こうから嬉しそうな顔が覗いた。アメリアもつられて笑んだ。サシャの事は風変りだと思いこそすれ、嫌いではない。付き合いづらい常識外れの変わり者? そんな人物、四六時中おなじ屋根の下に居るのだから慣れっこだ。
「遠慮しないで入ってよ」
「ここはサシャさんのお店なんですか?」
「いいえ、フララのよ。でも問題ない、私の十年来の友人だから」
それは理論として正しいのだろうか。アメリアは内心首を傾げたものの、野暮な指摘はしなかった。こんな魅力的な場所、招かれるならば喜んで。そしてアメリアは香水屋へと足を踏み入れたのだった。
サシャに導かれるがまま、店の主のフララへ挨拶をする。直接話しても見た目通りの、物腰柔らかく上品で優しい人だった。自身も香水をつけているのだろう、彼女の近くには花束のような甘く華やかな香りが漂っていた。
聞く所によると、フララは元々ラスバーナ商会で働いていたのだとか。十年以上前の新米の頃から香料の取引を担当しており、その魅力に取り憑かれて調香の技能を磨いた末、二年前に独立して自分色の店を開くに至ったそうだ。
アメリアはその話を感心して聞いていた。同時にフララへ強い憧れを抱いた。自分も同じだ、葉揺亭に働く内に紅茶に魅せられて、いつか自分の喫茶店を開きたいと思っている。だから、同じ夢を叶えたフララがアメリアにはとても眩しく見えた。
ところで、サシャと再会した瞬間から、アメリアには気がかりな事が。フララとの話が一段落したところで、サシャの方を向いて聞いてみた。
「さっきシユさんを見かけましたよ。なんだかものすごく慌てていらして――」
「それで大階段の方へ行ったんでしょ? あれはね、私を探しているの。騙し討ちのような事をして、こっそり抜け出して来たから」
「抜け出した」
「だって、そうでもしないと、どこにでもくっついて来るから。過保護なのよ、シユは」
サシャは困ったように笑い、きゅっと肩を寄せてみせた。そしてテーブルに向き、置いてあったリボンを構い始めた。テーブルには他にも色とりどりの帯が広げられ、あるいは蝶結びにされて並んでいる。どうやらこうして暇をつぶしながら執事による捜索をやり過ごしていたらしい。
アメリアはどうしても、奔放な主に振り回される従者に同情してしまう。しかし今回は、サシャの気持ちもよく分かった。令嬢という身分だ、周りの意図は手厚い保護なのだろうが、本人からすると常に監視されていると等しい。たまには、誰にも縛られず自由に羽を伸ばしたくなって当然だ。
――私も似たようなものだから。
干渉が過ぎるマスターの顔を思い浮かべ、心の中でふうと息を吐きだした。
それにしてもシユは大失態を見せたものである。なぜ近くから順に探さなかったのか。今頃、下の広大な市街地を必死で駆けずり回っているだろう。
「すぐ近くに居たのに、シユさん、見つけられなかったんですね」
「そこが彼の甘い所なのよ。私の事をよく理解しているつもりでいる、だから私がここに居るなんて『絶対に』あり得ないと思い込んでしまった」
「えっ、なんでですか? お友だちの所なんて真っ先に探しに来そうですけど」
「私、香水ってあんまり好きじゃないから」
サシャが軽やかに言い放った言葉に、アメリアは笑顔を引きつらせた。そっとフララを見る、と、彼女は眉を下げ、細身のブラウスの袖を口元にやり小さく笑っていた。尊敬に値する心の広さの持ち主だ。
それと、とサシャは話を続けながら、テーブル上の白地のリボンを引き出し、蝶結びを作りはじめた。
「彼は、私が真っ先に頼る人の事も知っているから、短絡的にそちらへ向かってしまうのよ。ま、私の目的地としては正解なのだけれど……だからと言って、落ち着いて待ち伏せするのもシユの性格では無理。その辺が残念よね、私の執事は」
楽しげにうそぶく間に、サシャの手の中で白いリボン飾りができていた。結び目の裏にピンをつけて、装身具としても使える仕上がりだ。ただし、結んだ形自体が若干いびつでくたっとしているのは目を瞑らなければいけないが。
それからサシャはアメリアの正面に歩み寄って来て、左胸に手を伸ばすと、ブローチのようにリボンを留めた。そうするのが当たり前といった自然な動作だったから、アメリアはただ黙って見ていただけだった。サシャが手を離した所ではっとし、改めて見下ろせば、斜めに傾いたリボンが胸に輝いていた。
意図がよくわからない。アメリアは当惑したまま彼女の顔を見る。すると、サシャがぱちんとウインクをした。
「じゃあ、私はそろそろ行くね。ゆっくりしていきなさい、アメリアさんの気に入りそうな物がたくさんあるから」
えっ、とアメリアは心の中で声を出した。
――結局これ、どういう事なんですか?
サシャはすでに一歩引いて、満足気な顔をしているだけ。どのような考えを持って動いているのか、教えてはくれなさそうだ。もしかすると大した理由はないのかもしれないが。
幸いにもアメリアはこの手合いへの対処法をよく心得ていた。質問しても意味が無い、だから相手と同じように笑って流すのが一番である。下手なことを口走れば、揚げ足を取られたり更なるからかいの種にされたり――少なくとも、相手が葉揺亭のマスターの場合はそうなる。
曖昧な笑みを浮かべるアメリアを他所に、サシャは去る準備をしていた。散らかした机上を適度に片し、引かれたままだった椅子を押し込む。そうしてから、はっとフララを顧みた。
「フララ、費用は私の負担にして、彼女の気に入った物を一つ包んであげて」
「ふふっ、かしこまりました」
えっ、と今度は口に出して困惑した。リボン一つならまだしも、なんらかの商品を貰うなんて重すぎる。いくら好意だと言われても、だ。
アメリアはあわあわと手を泳がせながらサシャに迫った。断ろうと。しかしその手は簡単に捕まえられて、優しく下へと押し戻された。
サシャはなだめるように微笑んでいた。
「いいのよ。この前、店主さんに不作法なことしたお詫び。あの人に、よろしく伝えてちょうだい」
「……はい」
サシャの有無を言わせぬ強い言葉にアメリアは閉口した。先日彼女が葉揺亭へ来た時の事は記憶に新しい。あのマスターをして、サシャは天敵に等しい曲者だと言う。ここは彼女の気持ちに甘えておいて、変に踏み込まない方が良さそうだ。
そしてサシャはひらひらと手を振ると、風のように去っていった。
アメリアは困惑顔のままフララを見る。彼女は「どうぞごゆっくり見ていってください」と笑っていた。サシャの事は気にしなくて良い、と言葉の外に含まれている気がした。だからアメリアは深く考える事を止めて、普通の買い物客の感覚で、店の中を見てみる事にした。




