白花の幻想茶話(2)
暖かいそよ風が髪を撫でつける。
彼女はテラスに立っていた。そびえ立つリンゴの大木が木陰を作る、丘の上のテラスだ。
――ああ、夢だ。少女アメリアはそう思った。夢を夢と自覚して、しかし体は動かせなかった。だってここに居る私は私じゃない。夢世界の主人公、もう一人の自分の意識が重なっている。
夢幻世界のアメリアは、テラスの向こうを眺めていた。ここは丘の上の一軒家だ、ぐるりと囲む生垣の向こうは緩やかに下っている。風にそよぐ黄緑色の中に、黄色や桜色の花畑が点々と散らばっている。さらに向こうでは、羊の群れが雲のようにのんびり動いていた。
生垣の植物にも花が咲いている。緑の中に散りばめられる白い花々、ああ、あれはマツリカだ。お茶によく使われる植物である。現実世界のアメリアも知っていた。
花々の間を舞う蝶を見て、リンゴの木で唄う鳥の声を聞いて、アメリアは微笑んでいた。
しかし、ここはどこなのだろう。明らかに葉揺亭ではない、ノスカリアの街の中でも。聞く所によるとノスカリアの北側に丘陵地帯はあるらしい、そこにある建物だろうか。――いや違う、もっと遠い処だ。もう一人の自分が教えるかのように、アメリアは確信めいたものを感じた。
アメリアは踵を返す。茶会の準備をしている最中だったのだ、あまりぼーっとしては居られない。
振り向いた先の小さなテーブルには生成のクロスが敷かれ、三段のティースタンドが既に設置されている。スタンドはおいしそうな食べ物で一杯だ。しかし今はクロスに皺が寄っている方が気になって、アメリアは端を軽く引っ張った。やはり、敷物はぴんと伸びている方が見栄えが良い、料理も引き立ててくれる。
ティースタンドへ目が移る。一番下の段には薄切りの白パンで野菜を挟んだ軽食。隙間からとろけたチーズが流れ出ている。真ん中の段には胡桃と木イチゴのパウンド・ケイクと、スコーンが二種、片方は押し麦の粒が見え、もう一方は干しブドウ入りである。ティースタンドの隣にある小鉢に入れたジャムやクリーム、これを塗って食べると絶品だ。
そして一番上の段、ここが一番色彩豊かだ。一つはオレンジのジャムの小さなタルト、二口もあれば食べられるだろう。その隣には木の器に固められた青色のプディングがある。その見た目はアメリアの記憶をさざめかせた。これらはそれぞれ三つずつ用意してあった。そしてもう一種、小さな宝石を山にしたような菓子が一緒に盛られていた。これは少女アメリアの記憶には無い品だ。鮮やかな色彩のジェリーを乾かして外側に砂糖の結晶をまぶしたような、幻想的な見た目の菓子である。――どんな味がするんだろう。
そんな小さなアメリアの思いに呼応したわけではないだろうが、夢の世界の自分は宝石の菓子をひょいとつまむと、ぽいと口に放り込んだ。つまみ食いのささやかな罪悪感になんとなく口元を手で隠し、きょろきょろと辺りを見渡す。夢を覗く方のアメリアはくすくすと笑った。口の中では、ほどけるように優しい甘い味が広がっていた。そして、しゃりしゃりとした不思議な食感にも舌鼓を打つ。
甘い。しかし、これは、お茶が飲みたくなる――お茶。そう求めたら、アメリアの視界が刹那ぷつと途切れた。
次の瞬間、アメリアの状態は変わっていた。ティーポットの乗ったトレイを持ち、テーブルへと向かって歩いていた。
ポットは二つあり、どちらも透き通った硝子製だ。一つは琥珀色の紅茶の中に白いマツリカの花が浮いている。もう一つはハーブティだ。水色は淡黄色で、カモマイルの花の他に葉のハーブが何種類か使われている。加えて新鮮な木イチゴも漂っていた。赤い果実は見ているだけでもかわいらしい。
アメリアはポットをテーブルに置いた。他のティーセットは既に準備してある。セットは全部で三人分だ。もちろん椅子も三脚用意してある。椅子の内一つだけは脚が高くて、さらには梯子のように踏み板がつけられている。高さと大きさからして、幼い子供のための椅子だ。
これは一体、誰との茶会なのだろうか。風景を覗き見るアメリアの疑問には答えが無く、代わりにアメリアはポットへ軽く触れた。熱い、淹れたてだ。今日は気候も良くうららかな日だから、すぐには冷めないだろう。
しかし、あまり時間が経てば温度は下がってしまう。それに、どんどん濃くなって飲み頃も過ぎてしまうだから今すぐ呼ばなければ、とアメリアは思った。それは一体誰を、ともアメリアは思った。
「――ねえ、早く。お茶が冷めちゃう。せっかくお店を休みにしたのに」
歩いて来た方向を浅く振り返りながら、アメリアは大きく声を出した。自分の声に違いないが、どことなく今のアメリアより落ち着いて聞こえた。見えた先にはテラスと室内の出入り口がある。室内は薄暗くぼやけていて、どんな内装かはまったく見えない。
遠く室内から、男の人の短い返事の声が聞こえた。ああ、とも、うん、ともつかないその音では、性別以上に主を推測する事はかなわなかった。アメリアはふうと息を吐き、腕を組んだ。
そこに、もう一度男性の声が聞こえた。今度ははっきりとしている。
「よおし、終わった! ごめん! アメリア。せっかく家族だけで過ごせるってなったのに」
「いいえ。大事な仕事だって、わかってますもの」
アメリアはにこやかに答えた。しかし意識だけでたゆたうアメリアは驚きと閃きに染まっていた。――この声はマスターじゃない。他の知っている誰でもない。
続けて、ぱたぱたと木の床を駆ける音が室内から響いて来た。これは子供の足音だ。
「お母さん、みてみて! すごいの!」
あどけない声が届く。薄暗い室内から明るいテラスへと出て来る小さな人影、その輪郭が定まるかどうかの内に、アメリアの視界がマツリカの花のように白く染まりあがった。
それから白が灰を経て黒になり、アメリアは幻想から現実へ引き戻されたのだった。
ゆっくりと目を開くと、アメリアはいつものベッドの上に居た。昨夜雑に引いたカーテンの隙間から柔らかい朝日が差し込んで、部屋の中を暖かく照らしている。
アメリアは寝ぼけ眼をこすりながら体を起こした。とても明瞭な夢だった。そしてそれは、自分の未来の姿だ。見聞きしたものは一から十まで思い出せる。
「お店で、家族が居て……子供? 私の?」
お母さん、と確かに呼ばれたのだ。妙に感慨深くて、腹の底から高揚した息を吐き出した。そして、あれが未来の姿だと言うのなら。
「じゃあ、私はやっぱり葉揺亭を離れるんだ」
あれが誰の店なのか、それとも自分だけの店なのか、真相は見えなかったが、しかし間違いなく葉揺亭での出来事ではない。独立する、どこか別の場所へ、それは胸中で望んでいた未来ではある。だが、いざ現実感を伴って突きつけられると少し寂しく思えた。まったく、笑っちゃうくらいわがままな話だ。アメリアは軽く目線を落としながら、切なげに口元を持ち上げた。
ただ、気がかりなのはマスターの事である。あの幻想の茶話会にはマスターの影は微塵も無かった。未来の自分はどうやってマスターに別れを告げたのだろうか、どうやって平穏に事を運んだのか、予想する手掛かりもなかった。それとも今のアメリアが過剰に恐れているだけで、別れは簡単に済んでしまうものなのだろうか。
「本当にあんな未来が……?」
所詮は占いだから、所詮は夢だから、アメリアの願望に則した夢物語でなにもかも嘘っぱちかもしれない。軽薄で胡散臭い占術師の姿を思い出しながら、アメリアは口を一文字に結び、枕の下に手を入れて件の札を取り出した。そう、このカードだって、それっぽく描いただけで魔法でもなんでも――
「あれっ?」
アメリアはカードを見て目を疑った。そこに書かれていた独特の雰囲気を醸す紋様は、欠片も残さず消え去っていた。そして代わりに、昨日には無かった文字列が現れていた。全部で四行だ。ただし、占い師の祖国の文字なのだろう、アメリアには読める物ではなかった。
こういうのはマスターの得意分野である。もう見たいものは見た、今からならカードを取り上げられても惜しくない。そしてアメリアは手早く更衣と髪の手入れを終わらせ、謎の札を手に、駆け足で階段を降りた。
「おはようアメリア。今日は早いね、まだオーベルさんも来てないよ」
「今日は夢見がよかったんです」
えへ、とアメリアは屈託ない笑顔を浮かべた。いきなり魔法のカードの話を出すのも変だろうから、まずはいつも通りに朝を迎える。
「マスター、お茶を一杯もらってもいいですか?」
「もちろん。それとも自分でやるかい?」
「いえ。今日はお願いしちゃいます」
「じゃあ、何にしようか」
「シネンスにマツリカの花を」
「ああ。いい組み合わせだ」
マスターはさっと立ち上がり、アメリアが希望した通りの白花の紅茶を作る。シネンスの茶葉を一匙に、乾燥させたマツリカの花を二つまみ。その配合に迷いは無い。
白磁のポットに蓋をし、蒸らしの待ち時間に入る。そのタイミングでアメリアは本題を切り出した。この終わりが決まっている隙間の時間ならば、マスターの話が冗長になることも無いだろうと。
「ねえマスター。これ、なんて書いてあるのかわかりますか? 昨日、旅の占い師さんにもらったんですよ」
アメリアが軽い調子で差し出したカードをマスターは手に取った。黒い目が上から下へと動く。表情は良しにも悪しにも傾かない。
そしてマスターはすぐに、カードをアメリアに見せ、指で文字列を上下に二行を分ける場所を示して答えた。
「ここで文字の種類が変わり、上下二行ずつ同じ意味の文章が記されている。どちらも西方大陸の旧言語、古典や少数部族の中に残る言語だ。『夢が現実になるかはあなた次第』だって」
「……いい言葉ですね」
「そうだね。ただ夢見ているだけでは、何も変えられないものさ」
マスターはそうして微笑んで、タイミング良く蒸らし終わった紅茶を仕上げた。
そして熱々のカップを手渡しざまに、再度口を開いた。
「ねえアメリア、君の夢ってどんなものなんだい?」
アメリアは冷や水を飲まされた気がした。マスターの闇夜のように黒い目が、柔らかく笑ってアメリアを見ている。それはいつもと何も変わらない視線だ、腹に抱える物があるから恐ろしく見え、穿った思いを抱いてしまうだけだ。そう心の内で自分に言い聞かせる。
凍りそうな体を溶かすべく、アメリアはいそいそと熱々の紅茶をすすった。熱気と共にマツリカの花の穢れない芳香が体に染み入る。落ち着く香りだ。
アメリアはふうと一息つくと、マスターに向かって悪戯っぽく笑いながら明るく答えた。
「それは内緒です。でも、占いの結果だと幸せな未来が待っていそうでした」
「そりゃ最高だ。君自身が幸せと思えるなら、それが一番いい。実現できるよう、僕も願うよ」
マスターは我が事のように嬉しそうにして、整えたばかりのアメリアの頭をくしゃくしゃと撫でた。そこに疑心はなかった。
アメリアはざわつく心のままうなだれた。マスターは恥ずかしがって、と思った事だろう。違う、これは罪悪感だ。真実を伝えたら、この人はこんなに笑って居られやしまい。あっさりと夢よ叶えと願うなんてことも。
――ねえ、マスター。私の未来に、マスターは居ないんです。
告げるべき残酷な一言は、アメリアにはまだ言えなかった。
がちゃりと玄関が音を立て、外から開けられた。朝一の客は今日も宿屋のオーベル、いつも通りの葉揺亭の日常が始まる。
「おはようさん。おっ、アメリアちゃん、今日は早いなあ」
「いい夢を見たんだって、ねえ」
「はい。素敵な茶会の夢でした」
「そりゃあ気持ちよく目が覚めるわ」
オーベルがからからと笑いながら指定席へ着くのと、マスターが動き出すのは同時であった。
葉揺亭の変わらぬ朝の風景を横目で見つつ、アメリアはもう一度カードへ目を落とした。
『未来を掴むのは、あなた次第よ』
あの占い師の片言の言葉が頭の中で再生された。わかっているよ、と、アメリアは胸の中で返答した。
両手でティーカップを抱き、白花の香りに包まれながら、アメリアは再度夢の世界を想った。
あれは美しく優しい場所であった。いつか遠い昔の、もっと幼い自分が理想に描いたような、まさに夢の場所。幻想のまま終えてしまうか、それとも夢を現実に引き寄せられるか、すべては自分次第である。何もしなければ、このまま葉揺亭の日常が続いていくだけ。
だから、今はまだ言えない言葉も近い未来には、必ず。男二人で談笑するマスターの横顔を見て、アメリアは小さく決意した。
『ねえ、早く』
夢の中で聞いた自分の声が、手にした紅茶の向こうから聞こえた気がした。
葉揺亭 本日のメニュー
「マツリカ・ティ」
強いフレーバーを持つマツリカの白い花をあしらったお茶
香りはつくが味にはほとんど影響せず、茶葉の味はそのまま活かせる。
紅茶、緑茶、他にも半発酵茶など好きな茶葉にブレンドしよう。




