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かくも愛しき自然の恵み(2)

 奥深くへは行かずとも、まだまだ森林の探検は続いていく。おもしろい物は植物だけではない。暖かな季節を目の前に恋のさえずりを奏でて回る小鳥が前に降りて来たり、頭の上を通ったリスが齧りかけの木の実を落として行ったり。動き回る森の住人が、アメリアを迎えてくれる。


 ふらりと木の影から出てきて、戯れるようにアメリアの頭を飛び回る蝶が居た。大きな羽でゆったりと飛ぶ蝶だ。最初は目で追っていただけだが、あまりに近くに来るものだからつい手を伸ばす。すると、ひらりと躱されて、そのまま蝶は高く遠く森の奥の方へと去って行ってしまった。


 それを目で追って、アメリアは気づいた。森の奥に明らかに自然とは異質な何かがある。思わず足を止め、木々に覆われる薄暗がりに目を凝らす。


 壁、いや、塀だ。切石を漆喰で固めて積み重ねた高い塀があり、向こうに家の屋根がわずかに見える。塀の上には鋭い金属製の棘が並んでおり、侵入者に対する拒絶を意思表示している。だが、それほどの厳重警備が必要な大層な屋敷には見えない。


 アメリアは始め、こんな森の奥に住んで人がいるのだと感心した。しかし、すぐに思い直す。塀には枯れ蔦や苔がはびこっており、ちらりと見える屋根もまた荒れていて、まったく手入れされている気配がしない。さらには建造物がある一帯が妙に薄暗い雰囲気に包まれており、異様に多い倒木もあって、人が住むどころか遠ざける気配しかないのだ。


 あれは、一体。そんなアメリアの問いが口をつくより早く、少し先で立ち止まったハンターが、アメリアの様子を見て、いつになく苦々しい顔で告げた。


「アメリアちゃん、そちらに行ってはならん。あれは、人が近寄るべき場所ではない」

「なぜですか?」

「危険な場所なのじゃ。森の奥よりもずっと危険だ。ゆえにああして、誰も入れないようにしておるのだ」


 そして老翁はアメリアの隣まで戻り、背中を押して歩き出そうとした。しかし、少女の好奇心はなお閉ざされた塀の向こうに囚われてしまっていて、足が動く様子がない。森の地面はでこぼこだ、本人の意思が虚ろなまま歩く事などできない。


 仕方ない、話だけだぞ。ハンターは眉を下げ、そう口を割った。


「あの家がいつからあるのかはわからない、誰のものかも。わしが子供の頃はまだ塀に囲われてはいなかったが、既に廃墟ではあった。そして、ある噂が広まった」

「噂、ですか」

「あの家の玄関は、過去の世界に繋がっている、とな。実際に足を踏み入れたノスカリアの住人が、古き時代の遺物を持ち帰って来たそうだ」

「過去に行って帰って来たんですか!?」

「うむ。噂によれば、扉の向こうには古の神殿があった、あるいは古代図書館とも言うべき奇妙な場所があったと。今ではあの家は『神隠しの家』と呼ばれておる、要はそういう性質のものじゃ」


 神隠し。不意に、どこか別の世界と言うべき場所に迷い込んでしまう現象で、この世界イオニアン全土で時折観測される。行った先に人の存在が確認されていない事、見つかる物が古い時代の遺物である事から、過去の世界が切り取られた箱庭空間なのではないかとされている。教会関係者は神隠しに遭うのは神に愛された証拠だと嘯くが、なぜこのような現象が起こるのか、真相も条件も原因も、すべてが謎だ。


 神隠しは普通は狙って起こせるものではない。頻発するエリアはいくつか知られているが、確実に異世界へ踏み込める場所はない。しかしその現象が、こんな子供でも行けてしまう特定の場所で発生するなんて噂が広まればどうなるか。ハンターは悲しげに目を細めた。


「財宝や権威に目が眩んだギルドの連中や金持ちども、あるいは単純に過去に未練がある者など、貴賤を問わずこぞって『神隠しの家』へ押し寄せた。ノスカリアの外からも、だ」

「それで、皆さん異世界に行けたんですか?」

「百人がノスカリアの町を出たとして、三分の一くらいが戻って来る割合だったそうだ。だがそいつらのほとんどは、過去も異世界も何も見られなかった。何かを得られたのは、その内に一人居たかどうか」

「じゃあ残りの、半分より大勢の人はどうなったんですか」

「わからん。だが、行方不明になったのは確実だ。本当にどこかへ飛ばされて行った先で死んだのか、単に地続きの別の町へ移ったのか、確かめようがないからのう」


 事態を重く見た時の政府が、家の周りに堅牢な塀を立てた。塀にはどこにも入り口が作られず、越えては行けない四方の壁で神隠しの家は閉鎖された。当初は政府の治安局による警告と監視も行われ、それでも侵入しようとした者には厳罰が与えられた。活動の成果で熱狂は沈静化し、神隠しの家は自然に埋もれる古びた建造物となったのだ。


 もちろん、現在でもまだ見ぬ神秘を求めて密かに侵入する人はしばしば出る。しかし今では当時を踏まえて危険な場所として世間で語られるため、あくまでも隠密に、そして幸運に帰って来ても、大声では言いふらさないのだ。


「さて、アメリアちゃん。魔獣に遭うより危ないとはわかってくれたかのう。神隠しの家はあのまま、誰の命も食らわせず、自然に帰してやるのが一番じゃ」


 いつから世界に存在するのかわからない不思議な館。それは、時を忘れたように森林の一部となって佇んでいる。季節の移り変わりと森の命の輪廻の流れに乗って、いつかは朽ちて土に還るだろう。そして新たなる恵を育む糧となる。


 ハンターは再度、アメリアの背中を押して立ち去ろうと促した。今度はアメリアも自分の意志で歩き始めた。しかし今なお目が離せなかった。あんな大きなものもいつかは森に飲まれて消えてしまう、想像して自然の強さに圧倒されていた。そして封印の地が木々に隠れて見えなくなるまで、その光景を目に焼き付けていた。



 時々休憩を挟みながら森を散策し、陽が一番高くなる頃になった。少しお腹が空き始めた、アメリアがそんな事を感じたのを知ってか知らずか、ハンターがアメリアへ「そろそろ帰ろう」と声をかけた。アメリアは未練がましくハンターを見つめたが、老翁は首を横に振るばかりだった。無理は禁物だ、不慮の事があっても良いように元気な内に帰路へ足を向けるのが大事だ、と。


 そして樹間を抜け、街道に出る方向へ足を向けた。その時、風上から煙と肉が焼ける様な香りが流れて来た。風上に目を凝らすと、男の三人組が地面に埋まった岩の上で焚火を起こし、食事を摂っている様子が見える。おお、とハンターが声を漏らした。


「アメリアちゃん、少しだけ話をしに行ってもよいかのう」

「はい。お知り合いですか?」

「ノスカリアの若者たちよ。異能者ギルド連中でな、狩猟の仕事をしておる。同業と色々情報交換するのも大事なのでな」


 ハンターはあえてがさがさと大きな音を鳴らして歩み寄って行く。その甲斐あって早々に存在に気づいてもらえた。三人ともハンターの顔を見るなり、歓迎の反応をくれた。その内の一人が、へらへらと笑いながら、まだ距離の空いている翁目がけて大声を上げた。


「いやもう聞いてください、今日は参りましたよ! ヤッパード追ってたらエンシントの集落に入っちゃいまして。いやー、追われる獣の気持ちで!」

「馬鹿者が! 昨年の悲劇を繰り返す気か!」

「あいやいや、荒らすつもりはなかったんですが、今日の面子じゃあちょっと相性悪くてさあ。まあ、翁も気を付けてくださいな。この頃は魔獣も賢くって、巣に誘い込むように――」

「わしはあの辺り一帯には何があろうと近づかん。お主らと違って、妙な力は使えんからな」


 ふんと息を吐きながら、焚火を囲む輪にハンターは自然に加わった。アメリアは少し離れた所で困ったように立っていたが、ハンターの手招きに応じ、彼の隣に身を寄せた。緊張に小さくなっていると、興味津々といった視線が刺さる。


「もしかして翁のお孫さん? かわいいね」

「知り合いの娘だ。一度森へ来てみたいと言うから、連れて来た」

「あ、あの。アメリアって言います。みなさんは、異能者ギルドの方ですか?」

「そうだよ。まだ小さいギルドだけどね。子供の頃に森に魅了されちゃって、狩猟採集のギルド立ち上げて、だからハンターさんは人生の大先輩で尊敬の人ってわけで――」

「まあまあお嬢ちゃん、お近づきの印にこれをどうぞ。あと、こいつの話し出すと止まんないから適当に聞いてやって」

「わあ、ありがとうございます!」


 アメリアに串焼きの肉が手渡された。おそらくこの森で狩ったばかりの戦果だろう、焚火から離れた木陰に不自然な氷の塊があり、その中で氷漬けになっている何かの動物の影が目に入った。ともあれ、ちょうどお腹が空いていたところ。アメリアは朗々と喋り続ける男の話に相槌を打ちながら、焼きたて熱々の肉を頬張った。


 隣では、ハンターが背負い鞄を降ろし、小さな鍋と木の茶碗を取り出していた。若者たちは気遣いは要らないとハンターに言っているものの、彼は聞かない。分け前を譲り受けたならこちらからも分け前を与える、という掟がハンターの中にあるらしい。アメリアを案内する片手間で自分用に採集していた戦果の袋を開ける。


「しかし、今日はあまり腹に溜まるものはないか。手軽に食うなら千本キノコとジャコの実くらいか」

「おおっ、いいじゃないですか。そこのホーの葉に包んで焼きましょーよ! こんな事もあろうかと、網なら持って来てるんで!」

「あの、私も何か……」

「ふむ。それならばアメリアちゃん、鍋で茶の一杯でも入れられんかのう? 他の道具はないが、まあ、わし含め作法にうるさい連中ではないわい」

「わかりました。やってみます」


 ハンターは水筒に汲み置きしてあった水を鍋にあけ、焚火の炎にかけた。ポットもストレイナーもティーカップも紅茶の葉もない。あるのは各々の碗と、ついさっき採った野草たちのみ。だが、そもそも葉揺亭で使うような物を集めていたのだ、材料としては申し分ないはず。後はアメリアの腕次第だ。


 アメリアは自分のバスケットを漁った。今日の一番の目的であった氷去草の葉を中心に、ハンターの好きなミントの若芽や、他にもハンターに教えてもらった野草の葉を色々とちぎって鍋に入れ、最後に赤く甘酸っぱい木の実を少々放り込む。


 焚火は火加減の調整もできない。ぐつぐつと音を立てながら、水に色がしっかりつくまで煮出し、そのまま各々の椀に注ぎ入れる。茶こしが無いから煮溶けた葉が椀に浮いているし、そもそも濁っている。マスターが見たら酷さに卒倒しそうだ、とアメリアは思った。


 皆に配る前に、まずは自分で味を見る。鼻に近づけた時点で、青臭くおいしいとは言いがたい匂いが漂って眉間に皺が寄った。そして実際の味も、匂いから想像がつくままの青臭く苦味のある味であった。少々種類を欲張り過ぎたせいもあるだろう、何の味と形容しがたい雑然とした風味だった。ミントの清涼感と木の実のかすかな酸味が、辛うじて味をまとめようとしてくれている。


 どうしよう、こんなものを人に出したら怒られる。やり直さないと。そう顔色悪くして固まっていると、ハンターがアメリアの肩を叩いた。心配しているようだ。


「アメリアちゃん、どうした。よもや毒草にでもあたったか」

「いえ、単純にまずくて……これは、ちょっと皆さんにはあげられないです」

「なんだそんな事か。良い良い。正真正銘、森の恵みで作った茶だ。さ、胸を張ってわしらにも分けておくれ」

「はい……」


 ハンターは優しいが、初対面の男たちはどう思うか。おずおずと緑色の茶を注ぎ分け、顔も上げられないまま三人の若者に配った。


 全員が躊躇うことなく口に含む。反応は、まったく悪くは無かった。体に良さそうな味だ、あまりこうして草を飲んだことは無いね、などと笑いつつ飲んでくれた。少しだけアメリアの不安の糸がほぐれた。上目遣いで皆を見回しながら、控えめに申し開く。


「いつもは、お店でちゃんと作るんです。だから同じ材料でも、本当はもっとおいしくできます」

「でも、これはこうやって森の真ん中でさっと作って飲むからいーんじゃない?」


 そう何気なく言われた一言に、アメリアははっとした。こんな何から何まで雑な茶、葉揺亭の店で作ったら店主に許されまい。材料の調合から始まりすべてが洗練され、調和がとれた一杯に変貌する。


 では逆に、葉揺亭で出すような澄んだ茶を、今この場に持って来たらどうだろうか。マスターの瀟洒な立ち居振る舞いや小難しい講釈が伴った、丁寧で完璧な一杯だ。しかし、森の中で焚火を囲んで味わうには少々似つかわしくない、自然の中に不自然を放り込んだような風ではないか。貴人の茶会では店と違った働きが求められた、それと同じである。


 大事なのは場だ。いかに空気に調和する茶を出せるか、どのように自分自身を溶け込ませるか。


 そんな事を思いながら、アメリアはもう一度、自分の創った即興の茶に口をつけた。するとどうだろう、物は変わっていないはずなのに、不思議と先ほどよりも舌に馴染むように感じられた。鼻に抜けるかすかなミントの香りを楽しみながら、木々の間を吹き抜ける涼やかな風を全身で浴びる。周囲で産声を上げつつある無数の草花を見回し、その青々とした息吹を口から自分の体に染み渡らせる。たまらなく心地良い。


「さて、アメリアちゃん。初めての森はどうだったかの?」

「楽しかったです。すごく、すごく。ハンターさん、また連れて来てもらえますか?」

「おお、わしはいつでも構わんぞ。ただ、お前さんとこのマスターには心配をかけさせんようにのう」

「はい。今度は秘密にして来ます!」


 ハンターは苦笑いをしていた。しかし、まんざらでもない風であった。


 もっともっと町の外、森の中で学べる事がある。新しい事をすればするほど、自分の茶の世界が彩り豊かになっていくだろう。そしていつかの未来、自分の理想の喫茶店を築く礎になるはずだ。


 例えば森の中で木々の香りに包まれ自然に溶け込んだ、森の狩人はおろか野生の動物にすら愛される店も一つの形だ。アメリアはいつの間にか頭のすぐ上に居たリスを眺め、ほんのりと口元をほころばせた。


葉揺亭出張版 本日のスペシャルメニュー

「森の野草の茶」

ノスカリアの東にある森林に生息する種類豊かな野草を煮出した茶。

野趣あふれる味。採れたてのフレッシュさを大自然の空気と一緒に愉しもう。

もちろん草によって茶に向く・向かないがあり、さらには毒草が混じる恐れがあるため、知識と経験なしでその辺の草を飲食してはいけない。

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