ひみつのおてがみ(1)
葉揺亭の客席は、マスターと向き合うカウンター席が六名分と、窓辺の四人掛けテーブル席が二つ。どこに座るかは客の自由である。
傾向としてはカウンターに座る者が多い。特に初見の場合、迷わずテーブル席を選ぶのは、三人以上の集団か、一人で作業へ没頭する目的でやって来た者か、あるいは人に聞かれたくない話をするために僻地の閑散とした店を下調べして来た者か。
今居る二人組の男客はまさに秘密の話をするべくやって来た、マスターは一目見るなり理解した。あらかじめ窓から店内の様子をうかがってから、そっけない風に入って来て、一声もなくテーブル席に対面で座る。マスターが注文を取りに行くより先に、「おすすめを適当に」「同じものを」と投げやりな風に頼んで、その後は真面目な顔で二人の世界だ。
マスターも心得たもの。客の方がそう望むのならば、自分は背景に徹しよう。静かに返事をし、テーブル席に意識を向けないようにして、二人前の紅茶を用意する。テーブル席に目を向けて接するのは、商品を提供する一度だけ、それも普段のような口上は一切無しだ。後は黙って食器を磨いたり、帳簿を開いたり、およそ喫茶店の主人として一般的な事をして過ごす。ただ無理に気配を殺しはしない、あくまでも自然体でそこに居る。
もちろん狭い店だから、聞こうとしなくても話し声は耳に入って来る。そんなのは客も承知の事だろう。重要なのは「聞いていない」という体裁だ。マスターは耳に届く断片的な情報から、客二人は下流の町人を装った富豪で、裏社会にも繋がりがあり、今日は莫大な金が動く密約を交わしに会っている、と推定できていた。ともすれば犯罪すれすれの話なのかもしれないが、あえて詮索はしない。――法令違反だと確定しているなら話は別だが、客の方も言葉選びに気を付けている様子だった。
最後に署名をした契約書を交わし、客は「釣りはいらない」とだけマスターに告げて茶の代金としては過剰な額の銀貨の山をテーブルに残し、いそいそと帰って行った。残念ながら、紅茶はほとんど手がつけられていなかった。思う所はあるが仕方がない、彼らにとっては紅茶もただの背景だったのだ。
マスターは無言かつ無表情でテーブルからティーセットを下げ、大量に残された紅茶を無感情にシンクへ捨てた。ざあと排水が流れ切って、ぴたと静寂がやって来る。静けさの中で佇み、数度の呼吸。
そうしてようやく、背景から抜け出して個人を取り戻す事ができた。はああと深くため息をつき、顔の筋肉を動かす。無意味に作業台を指で叩いて静寂をかき消し、無意識に店内を見渡して一人である事を確認し、また深く息を吐く。
「……アメリアが居なくて良かったなんて、言いたくはないけれど」
明らかに口止め料の意図がある銀貨の山を一瞥し、思う。これは無理矢理に秘密の共有者とされたようなもの、万が一彼らの秘密が漏洩した際に怒りの矛先が向けられる可能性がある。だから金を押し付けられた瞬間に、アメリアが居なくて良かった。
――そもそも、最近は居なさ過ぎて問題なのだが。
より深く暗い溜息がマスターの口からこぼれ出た。この所、営業時間中にアメリアが私用で不在にする事が続いているのだ。仕事の面では支障がないし、頼んだ事はきちんとやってくれる。元々定休日も無い店なのだから、自由な外出許可は休みの代わりとの側面も含んでいる。また雇って間もない頃は外出そのものに怯えていたと知っているから、今の明るいアメリアが非常に好ましくもある。
問題はマスターの内にある。アメリアが居ないと、心の拠り所が無い。こんな風に誰も居ない静けさが身にこたえる。常連が来たら一時寂しさは紛れるものの、二言目にはアメリアはどうしたのだと聞かれ、心のささくれを抉られる。
「いいや、僕が少しの間我慢すればいいだけだ。僕が、ちょっと辛抱するだけで、アメリアは幸せだ」
自分にそう言い聞かせ、心のざわめきを抑える。マスターは気を取り直して片付けの続きに入った。アメリアが帰ってくるまでに、不自然な量の銀貨を自然な売り上げとして始末しなければいけないし、それから他にも――。
「ただいま、マスター」
時間が経ち、アメリアが帰って来た時には、閑古鳥が鳴く平常通りの葉揺亭と、穏やかに微笑み読書に励むいつも通りのマスターがそこにあった。アメリアから見ると、自分が居ない間に来店客があったとは思い当たるまい。
さて、今日のアメリアの行先はスラムの学校だった。勉強がしたいと最近は足繁く通っている。学問という意味では学べる事は少ないが、マスターのものではない教育を受ける事、そして他の子供と交流しながら勉強をする事に、単純な講義内容以上の価値がある。それはマスターも共通認識で、アメリアの学習意欲を好意的に捉えている。
今日はどんな事を学んで来たのだろう。マスターはアメリアに問いかけようとした。が、口を開く前にふと妙な点に気づいた。
カウンターへ向かって来るアメリアは、後ろ手に何かを持っている。あたかもマスターの目から隠すように。ほほえましい笑顔を通り越した意味深なにやけ面で、帰宅の挨拶の後は一声も無い
嫌な予感がしてならない。マスターは自分の後ろをそっけなく通り過ぎようとしたアメリアを制止した。
「アメリア、何を持っているんだ?」
「うふふ、内緒です」
「怪しいな。見せてくれ」
怪訝な面持ちでアメリアに手を伸ばす。客の秘密は詮索しない主義だ、しかしアメリアは客ではない。共に働く仲間であり、家族だ。いつも明け透けな彼女が隠し事をするなんて、とんでもない事情が秘められているに違いない。思い返せば、雪の盛りの頃からずっと態度がおかしかった気もする。
要は不安なのである。しかし、マスターの心はいざしらず、アメリアはぷんとそっぽを向いて手を跳ね除けた。
「嫌です。私の宝物ですもの! マスターにも見せられません」
「そんなの駄目だよ。秘密にするなんて絶対ろくなものじゃない。見せなさい」
「もうっ、マスターだって秘密だらけじゃないですか! 自分の事は教えてくれないのに、卑怯ですよっ!」
アメリアは目を尖らせて怒ってから、一転、はっと気づいたように目を見張り、最後は悪戯っぽく笑った。
「わかりました。マスターの秘密をぜーんぶ教えてくれたら、私も見せてあげます。交換条件、です!」
マスターはぐうの音も出せなかった。アメリアに話せない秘め事は、それこそ語りつくせない程ある。はっきり言って大小が釣り合わない、こちらの秘密は言えば日常を崩壊させる重大事案だ、とても交換にはならない。そもそも秘密にしているのもアメリアのためを想ってなのに、言わせようとしないで欲しい。
マスターが頭を抱えた隙に、アメリアはくすくすと笑いながら、楽しげな早足で自分の部屋へと上って行った。隙はあったはずだが、アメリアが後ろ手に隠していた物を一目見る事すらできなかった。
「……ま、いいさ。どうせ大したものじゃない。うん、そうに決まっている。子供が考えるような、どうでもいい悪戯だ。大丈夫だ、大丈夫――」
静かな店内に、マスターが自分に言い聞かせる呪文のような独り言が延々と響き渡っていた。もしも客が見たなら店主は精神を病んだと錯覚しただろうが、幸か不幸かこの後に客は無かった。
数日後。またもアメリアは例の学校へ行き、マスターは一人で店番をしていた。アメリアの隠し事の件は喉につかえたままだったが、蒸し返した所でどうしようもない。青い寒空もなんのそのと意気揚々と外に出て行くアメリアを、マスターは黙って見送ったのだった。
幸いにも今日は水魚の日で、学校には知己のティーザが教師として在席している。互いが互いの性分をよく理解している間柄だ、アメリアに何かあればすぐに知らせてくれる、そもそも何かが起こらないように目を光らせてくれる。その安心感によって、マスターは穏やかさを保っていられた。
それと、今日は普通の来店客があったのも、心の安寧には追い風だった。やって来たのは常連の少年アーフェンだ。年若く柔らかい気質で紅茶を愛する彼は、マスターにとって話し相手としての相性が良く、実際に常客の中でも特別に気に入っている。
アーフェンの方は、店内にアメリアの姿が無いと知ると少しだけがっかりした様子だったが、大して構わずカウンターのど真ん中の席に陣取った。
それから茶も飲まない内に雑談が始まって。その中でアーフェンがとある生き物の話を持ち出し、そこから特殊な茶のリクエストがされた。かなり特別で貴重な素材だ、ともすればアーフェンはマスターを試していたのかもしれない。まさか用意できないだろう、と。
しかし葉揺亭のマスターは、客の望みに全力で答えるのが義務だと考えている。そのための材料は外から見えるより膨大だ。アーフェンに対して得意気な笑みを浮かべると「少しだけ時間がかかるが」と答え、求められた茶の支度を始めた。素材は店には無く、奥にある自分の私室から持って来た。
時間がかかるのは、普通の茶葉ではないから。植物素材ですらない。見た目には緩い曲線を描く灰色の板。それを小刀で削り取り、破片を粉砕し、小鍋でじっくりと煮出す。ミルクティなんかを煮出すよりも、さらに長い時間をかけて。仕上がりは暗いオリーブ色、濁りはなく澄んでいる。マスターは鍋の中身を濾した上でカップに注ぎ、アーフェンへ提供した。
受け取るなり、アーフェンは息を吹きかけて一口すする。最初は好奇心に輝いていた顔が、口にするなり、あちこちに皺が寄った難しいものとなった。渋い顔のまま、確かめるようにもう一口。するとますます眉間の皺が深くなる。
その反応を見て、マスターは心底おかしいとばかりに笑い声をあげた。
「どうだい、僕の言った通り、おいしくはなかっただろう?」
「ええ。なんと言うか……銅貨を口に入れた様な臭いがあって。あと、焦げみたいな苦さが、ちょっと」
「焦げの方は下処理のせいだな」
「下処理ですか」
「そのままじゃあ一般の道具で粉砕できないからね、竜の外骨格なんてさ。ゆえに竜が人に恐れられたのだし」
そう、竜だ。アーフェンは文献で読んだ大型竜の身を煎じた茶――なお、マスターは薬の間違いではないかと指摘した――を味わってみたいと希望したのだ。現在では大型竜は幻の存在に等しく、西の大陸の辺境で原住民が保護する以外の棲息地は確認されていない。
「加工の容易さならば飛竜、きらびやかな美しさなら耀帝竜。だが最も均整がとれ洗練されているのは緑竜に他ならない。いつ見ても良いものだ、本当に」
「へえ……」
「ま、肉ならいざ知らず、外骨格を食そうとは僕は思わなかったけど。それも薬でなく茶として飲むなんて、君が初めてかもしれない。存分に楽しみたまえ」
「は、はあ」
アーフェンは渋い顔のまま、他に二つとない竜骨の茶が入ったカップを軽くゆすった。しかし、はたと首を傾げる。
「あの、なぜマスターは外骨格と? 鱗ですよね。竜はトカゲに翼が生えたようなものでしょう」
問われたマスターも首を傾げた。
「トカゲだって? なぜ? 緑竜族の起源と形態はトカゲよりも昆虫に近い。見てくれだけなら、まあ、トカゲにも似るか」
「虫……」
「おっと、言わない方が良かったかな」
一応、竜の仲間にも一部トカゲに近縁の系統もいるけれど、とマスターは補足した。が、アーフェンは得も言われぬ淀んだ雰囲気を醸して口を閉じ、カップを置いてしまった。
しくじったな、とマスターは内心で後悔した。事実を述べただけだったが、秘密にしておくのが優しさだっただろう。
そんな微妙な空気がはびこる間へ救いの手を差し伸べるかのように、玄関扉が勢いよく開いた。
「マスター、ただいま!」
アメリアだ。寒風に吹かれて赤い鼻、しかし笑顔は春の花のように明るかった。
マスターはいつにも増した嬉しさを込めて「おかえり」と口にしつつ、目は自然と彼女の手へと向かった。だが両手は今日も後ろに回されて見えない、単に組んでいるだけでなく、何かを持っている様子。先日と丸きり同じだ。そのまま早足でカウンターに入って来る。
一度は浮かんだマスターの心がみるみる地に落ち、表情が曇った。
「アメリア。後ろに持っているものはなんだ?」
「別になんでもないですよ? マスターには関係の無い事です」
アメリアはとぼけた顔で言った。若干のわざとらしさ、すなわち相手を煽っているような風ですらあった。
マスターはなんとか彼女の秘密を覗こうと、アメリアの行く手を塞ぎ、左右から首や手を伸ばす。が、アメリアはひらりひらりと蝶舞うようにかわした。体の向きを巧みに変え、マスターの目線から対象物を頑なに守る。
ただ、今日はアメリアを見る目は一人分ではなかった。カウンターの内側で攻防が繰り広げられる横から、アーフェンがそっと首を伸ばして覗き込んだ。こちらに対してはまるで無防備で、アメリアの背中にある物が何なのか、彼の目にはしかと捉えることができた。
「手紙ですか」
「あっ! ……ええ、そうです、お手紙です。それだけですよ。別に大したものではありません」
アメリアは開き直って立ち、すまし顔をしている。それでもマスターには絶対に物を見せようとしない。そのまま棚に背中を預け、横歩きでマスターの脇を通り過ぎようとする。
マスターの眉間に深い谷が形成された。いよいよ我慢の限界だ。腕をつっかえ棒のようにアメリアの顔の横へ伸ばし、腰を折ってずいと顔を突き出して、愛しき少女の青い目を眼前にのぞき込んだ。澄み切った瞳だが、深淵の奥にある心の声まではさすがに見通せない。
「アメリア。一体誰からの、どんな内容の手紙なんだ」
「秘密です」
「言えないような物なのか」
「さあ。どうでしょう、どうですかね」
アメリアはくすくすと笑いながら、ひょいとマスターの腕をくぐって小走りで通り抜けた。ちらと振り返って、からかうようにぺろりと舌を出し、さっと扉を抜けて廊下へ消えた。
マスターは顔を引きつらせて閉まった扉を見る。ざわざわと神経が騒いでならない。やりどころのない苛立ちを、己の腿を拳ではたく事で逃がした。
と、再びドアが開いた。覗いた隙間には、アメリアの悪戯っぽく開いた目があった。
「じゃあ、一つだけ、特別に教えてあげますねー」
ふふっと笑いながら、アメリアはぴっと人差し指を立てた。それを大きくリズミカルに振り動かしながら、合わせて一音一音丁寧に放つ。
「こ、い、ぶ、み。ですよ」
こいぶみ――恋文。音はすぐに単語を織りなし、時間停止の呪文と効果した。店主は間抜けた顔のまま硬直する。アーフェンにも波及し、彼の場合は色を失って椅子から転げ落ちそうになっていた。
石像になった二人にウインク一つ投げ残し、アメリアは軽やかな足音で自室へと駆け上がって行った。
店内は静まり返っている。しかしマスターの頭の中には、アメリアの声が幻聴として何度も響いていた。恋文、恋文だと。時間がその言葉の受け入れを許すと、マスターの頭の歯車が悲鳴を上げながら再駆動した。
「おいっ、待て! アメリア! 恋人だと!? どういう事だ、おい!」
客の前だという躊躇も、店主としての理想の仮面もすべてかなぐり捨て、マスターは声を荒らげながらアメリアを追った。大事なアメリアをかどわかすのは、一体どこのどいつだ。純情に付け込む悪意の塊ではないか、自分のもとからアメリアを奪い取ろうとしているのではないか。秘密にしなければならない相手だなんて、碌なものじゃないに決まっている。
マスターは渦巻く感情に顔を歪めながら、ここ十数年で一番の疾走で階段を駆け上がった。すると、アメリアは自分の部屋の扉の前に立っていた。マスターを待ち構えるように。
が、目が合うなり、アメリアは興奮気味に笑って扉の向こうに消えた。必死に伸ばされたマスターの手は、翻ったスカートの裾をつかみ損ねて空を切るだけだった。そして、がちゃん、と内側から鍵をかける音が響いた。
「おいアメリア! 開けろ! アメリア!」
閉ざされた扉を拳で乱打する。押しても引いても動かない。返事もない。代わりに腹を抱えて笑う上機嫌な声が高らかに響いた。
とうとうマスターの中で何かが壊れた。ドアを打つ手はぴたと止まり、表情がすっと消えた。黒く暗い瞳は正面をとらえたまま、一歩二歩と後ずさる。
「私を、誰だと思っている……!」
その小さな声には、平時のマスターにはない得体の知れぬ重圧が滲んでいた。それは秘密として守らなければならない素のものだ、しかし本人も仮面が崩れ落ちている事に気が付いていない。
愛しのアメリアの姿を隠す岩戸をいかに処すか。すっと手をもたげて、目を細める。鍵を解くか、粉微塵に吹き飛ばすか、あるいは最初から存在しなかった事にするか。いずれにしろ竜を真っ向から討つより容易だ、秘めたる手段を振るうならば。
しかし。彼が何かをしでかすより先に、扉はひとりでに開いた。アメリアは引き際を誤らなかったのである。急に訪れた静けさをきっかけに、もういいか、と。両手でそっと開けたドアの隙間から、金色の三つ編みを揺らしつつ、ひょこっと顔を覗かせた。
はっと目を見張る主に、アメリアは笑顔と共に事もなく言い放った。
「マスター、冗談ですよ? 慌てすぎです!」
「冗談!?」
「はい! ちょっとした悪戯です。恋文だなんて嘘ですから」
嘘。その宣言にマスターの思考が再び停止した。顔色が赤と青に激しく振れる、情動は処理限界だ。引きつった顔のままふらふらと近くの壁に寄りかかり、そのまま床に崩れ落ちた。
あまりの有様にアメリアは一瞬呆気に取られた。それからぴくりとも動かないマスターの様子を見て取り、絹を裂くような悲鳴をとどろかせたのだった。




