異風堂々(2)
マスターは疲れたように、一度天井を仰いだ。
「さあ、話は一旦終わりにして。ご注文のお茶ができたよ。お二人それぞれ別のものを用意させてもらいました」
そして店主から、柄違いのティーセットが各人に供された。
サシャにはシェールという種類の紅茶を選んだ。青い海に浮かぶ島からやってきた茶葉で、万人受けする深い味わいを持っている。
「ラスバーナ商会のお嬢様には、大陸の外のものじゃあないと珍しくないだろう。あえて茶葉を細かく砕く製法をしているのも一つ特徴だ。……そう言えば、これを占いに利用しようとした子が居たなあ」
ちら、とマスターがアメリアに目配せする前に、もう彼女は耳を塞いでそっぽを向いていた。しかし指の隙間の耳が赤く染まっているのは、客席からでも十分見えただろう。サシャの小さな笑い声が、アメリアの耳にも届いた。
一方のシユには、紅茶であるシネンスと緑茶のグリナスをブレンドしたものが出されていた。あまり無い組み合わせで、一堂意外そうに聞いていた。お互いの良いところが相殺されるようだが、マスターに言わせると逆だ、と。紅茶の入り組んだ味わいの中に、グリナスの青く若々しい香りが草原の風のように湧き起る。
そう、草原なのだ。それを強調しながら、マスターは得意気に指を立てた。
「あなたは西方の遊牧部族の出身のようですから」
「さようでございます。いやはや、やはり気にされてしまいますか」
シユは困ったように笑いながら、そっと頭に手をやった。かなり長さがある焦茶の髪を一束残らず綺麗にまとめ上げて、頭頂部の後ろの方で団子にし、小さな宝石のついた銀の簪で留めている。清潔感があるが、しかしこの辺りで見る男の髪型ではない。
「直せと言うのは、どうかご勘弁ください」
「いいや、そんな酷いこと言わないよ。あなたの部族の風習なのだから、堂々としていればいいじゃあないか。むしろ離れてなお郷里を愛している証として好意的に思える」
シユは虚をつかれたように目と口を大きく開けた。それから嬉しそうに笑った。
「いやあ、そう認めていただけるのはありがたいですなあ。……ああ、すいません、お茶をいただきますね」
いそいそとカップに注いで、すぐに飲み干す。かなり熱かったはずなのだが平気そうだ。はあ、と息をついたシユの目には、確かに望郷の色が浮かんでいた。
「懐かしいものですな、草原の香りというものは。二度と戻る事はないでしょうが、嫌いになどなれませぬとも」
「それじゃあ、なおさら髪を切れないな」
「ええ。店主殿はお詳しいですね」
シユはあっけらかんと笑った。その視界の端でアメリアが腑に落ちない顔をしているのを捉えて、アメリアのために説明をしてくれた。
「髪には気や霊魂が宿るのですよ。良きものも悪いものも、宿ったあらゆるものが私という個人の一部になるのです。ゆえに、短く切ることはしません。己を削ることになりますから。また外に気を振りまかぬよう、こうして束ねておくものなのです」
アメリアは感心に口を開けていた。なんとなく自分の三つ編みを撫でてみる。ここにも目に見えない色々なものが宿っているのだろうか。
「なかなか新鮮な反応ですな」
シユが笑った。彼は多くを語らないものの、異文化の地より上って来たことで色々と苦労があったとは容易に想像がついた。そんな彼が異邦の風を纏ったまま堂々と居られる理由も、これまた容易に想像がつく。マスターは小さく笑みをこぼした。
「あなた方は、いい主従ですね」
サシャとシユが顔を見合わせた。とたんにシユの方があわあわと手を振り動かして、萎縮してしまった。
「いえいえ、私は至らないものでして。ただ、お嬢様がよく理解してくださる、懐の広い方だというだけでございます」
「シユ、お世辞はいらない。いつものように素直に言えば? 少し目を離すと厄介事を引き起こす、とんでもないお嬢様だ、って」
「やっ、いやいや! それと差し引いてもですよ。しかしまあ……自覚があるのであれば、もう少しばかり、慎ましやかになっていただけると助かりますが」
「今さら。もう手遅れよ」
どこかで覚えがある会話だ。アメリアは含みを持たせて、じいっとマスターを見た。するとマスターはわざとらしく目を逸らしたのだった。
ところで、遊牧民の風習の話題が出た時から、アメリアには聞きたくてしかたがないことがあった。それこそ二人が来店する前にマスターと話していた、紅茶とチーズの謎の飲み物の件である。
サシャとシユが会話を切らせたタイミングで、アメリアは好奇心の赴くままに口を開く。
「あの、シユさんに聞きたいんですけれど。紅茶にチーズを溶かした飲み物って、シユさんも飲むんですか?」
「おお、ラクィテヤの事ですな! もちろん、草原に居た頃は毎日欠かせず。しかし、よくご存じで。さすがクロチェア公に呼ばれる茶師なだけありますな」
「さっきマスターとそれのお話しをしていたんです。それで、その……おいしいんですか? それって」
「ふーむ。言われてみると、考えたことがありません。感覚としては毎食の水か薬かという所で、味の良し悪しを言うものではないですねえ」
シユはからからと笑っていた。その隣でサシャが露骨に苦い顔を見せた。
「私はね、あれは無いと思う。重いし、変な味」
「サシャさん、飲んだことがあるんですか?」
「シユが一度作ってくれた。でも、もう勘弁って頼んだ」
ひらひらと手を振る姿に誰もが苦笑を隠せない。
味の好みは人それぞれだとは言うものの、傾向はある。サシャは否定して、その否定をシユも否定しない。とすると、少なくともノスカリア人には合わない代物なのだろう。その答えが出た時点でアメリアは満足だった。おいしくないものを無理して味わおうとも思えない。
ところが、マスターはそうではない。
「まずいって言われると、逆に気になるよね。僕もきちんとしたレシピは知らないし」
そう述べるマスターの目が少年のようにきらめいていた。アメリアが、げっ、と思った時にはもう遅かった。マスターは声の節々に高揚感をちらつかせながら、アメリアに捲し立てた。
「ねえアメリア、裏にチーズは備えてあるだろう? 持って来てくれ、今すぐ。本式の作り方でやってどんなものかわかれば、大衆の口に合うような改良もできる。やってみたいじゃないか」
「……え、えーと。ごめんなさい、チーズは私が全部食べちゃいました」
「ええっ!? 結構な量があっただろう」
「その、最近すごくお腹がすいて……朝ごはんにも昼ごはんにも、実はあ、夜中にもこっそり食べたりもしててー……」
「そんなあ。こんな機会なかったのに……」
マスターは首の骨が折れたかのように勢いよくうなだれた。心なしか付近の空気が淀んだ気もする。
アメリアは青い目を派手に泳がせながら、思わずマスターに背を向けた。嘘をついてしまったから。マスターは食事に興味がない、だから詳細な食料事情は知らない、適当に説明しても疑われない、そう思って。
しかし。背中側から、はあ、と重く湿っぽい溜息が聞こえる。小さな嘘でこうも落胆されると、いたたまれない気持ちで一杯になってくる。内心でごめんなさい、と謝った。
「じゃあ、しょうがない、また今度……。ねえ、これってチーズならなんでもいいのかい? 材料や製法は選ぶもの?」
「馬乳か緬羊乳、あるいはミカウの乳ですな。それにチーズだけではなく、いわゆる酪ならなんでも使います」
「なんでも?」
「ええ。そもそもが、ラクィテアの製法にレシピと言うほど厳密な決まりは無くてですな――」
曰く、家庭料理のようなものだから、同じ部族の中ですら作り手によって細かい部分が異なる。最低限お茶の葉と酪――すなわち動物の乳から作った食品を一緒に煮込んだ液体でさえあれば、すべてラクィテアを名乗れるのだ。
始まりはこのラクィテアの話だったが、そこから草原民族の食文化全体へマスターが話を広げていく。それにつれてマスターはみるみる平素の調子を取り戻し、とかく熱心に話を聞き出していた。
シユの方も故郷の話をするのはまんざらでもないようで、しつこい程の質問に全部答えていた。しかも気持ちが入って地が出てきたらしく、丁寧に繕ってあった言葉は徐々に訛り始め、しまいには何を言っているのかさっぱりわからないくらいになった。それでもマスターには通じていたから、何も問題にならなかったが。
局所的に異国の嵐が吹き荒れる謎の空間を、アメリアは遠巻きに、なおかつ痛む頭を抱えて眺めていた。――最悪だ。あの調子だと客が帰った後は、マスターの遊牧民料理大試作会となるだろう。もちろんおいしければ歓迎だが、なんとなく違う気がしてならない。
うう、とうめき声を漏らしながら、同じく置いてけぼりになって静かにお茶を飲んでいるサシャへ泣きつく。
「サシャさぁん、助けてください。このままだと私、マスターの実験台にされます。どんなものを食べさせられるか……」
「そこまで酷い物じゃあないと思うけれど、ごめんなさい、確かな事は言えない。私にも、シユが何を言っているのかさっぱりだもの」
アメリアはがっくりとうなだれた。サシャの忍び笑いが頭を撫でる。
それからサシャはカウンターに腕を置き、前に身を乗り出した。きょとんと面をあげたアメリアにだけ聞こえるような小声で、そっと囁く。
「それが嫌なら。そうね、私の所へ来る?」
「えっ」
「商会の仲間としてでも、屋敷の使用人としてでも、どちらでも構わないけれど。あなたの事が気に入ったから、私の近くで働いて欲しいと思っている。どうかしら?」
冗談だろう、とアメリアは唖然としていた。が、サシャのまなざしは至って真面目なものである。屈託なく笑み小首をかしげ、アメリアの返事を待っている。
しかし。アメリアに代わって、明後日の方向から厳とした声が答えを出した。
「駄目だ。絶対にあげない。アメリアは僕のものだ」
「あら、聞いていたんだ、店主さん。てっきり私のシユと別世界に閉じこもっていると思ったんだけれど」
「もちろん聞いているさ。僕のアメリアに妙な事を吹き込まれてはたまらないから」
マスターは露骨に機嫌を損ねていた。乱暴な足取りで迫って来て、二人の間に割り込むと、アメリアを自分の背中の後ろに隠した。いくらなんでも客に出す態度ではない。アメリアもマスターを諫めようと手を伸ばしかけたが、しかし黒い背中の圧に押されて無意味に宙をかくだけになってしまった。
マスターは正面から暗い目で鋭くサシャを睨み、再度重ねて告げる。
「何を言われようが駄目だから。君の大切な人を差し出されようと、絶対にアメリアは渡さないよ」
「聞いた通り、重い人なのね」
「なんとでも言ってくれ」
「あなたに答えを求めていない。私はアメリアさん自身の意志を尊重する。私の見立てだと、小さく収まっていられる気質じゃあないと思うのだけれど」
サシャが元気づけるようにアメリアへ笑顔を向けるのと、マスターが悲痛な顔で振り返ってアメリアへ視線を突き刺すのが同時だった。アメリアは思わず、ひぇ、と苦悶の声を漏らした。部屋の中は暖かいはずなのに、外に居るのと変わらない寒気がする。
すべてを見通すかのような視線が二人分。アメリアは特にサシャのものを意識した。
「あの……その、サシャさんは……」
アメリアは目を泳がせながら言葉を濁した。一つ聞き返したい事があるものの、下手な事を言えばマスターが怖い。こうスイッチが入ったマスターは、何をしでかすかわからない。
「サシャさんは……」
「なあに?」
どちらの味方になってもいけないから、話題自体を変えなければいけない。だからアメリアは、自分の気持ちを飲みこんで、あえて子供らしく笑ってふざけてみせた。
「えーっと、ですね! もしサシャさんの一番大切な人と交換! ってなったら、私と誰と交換なんですか? やっぱりシユさんですか? それとも、もしかして、恋人とかいるんですかっ!?」
びしっと指をさしてみる。サシャは少し面食らったようだが、すぐに声を出して笑い、アメリアのおふざけに乗ってくれた。
「そうね。もちろんシユは私のとても大事な、自慢の執事よ。だけど一番大切、か」
サシャは少し目を細めた。そっとティーカップを持ち上げて、静かに紅茶を飲む。おいしい、と自然に紡がれた一言は、冷え切った空気に温もりを取り戻した。
「アメリアさん。それは、今は言えないかな。シユの手前もあるし」
「うふふ、内緒の恋人ですか?」
サシャはわざとらしいウインクを見せた。隣でシユがむずがゆい顔をしているが、彼女がそちらを顧みることはなかった。
そしてそのまま、サシャは今なお腕を組んでむくれているマスターの方へ視線をずらした。
「ご安心を、店主さん。今日はこれを飲んだら帰りますから。……アメリアさんは本当にいい店員さんね、大事にしてあげて」
「はあ……」
奔放な令嬢は宣言通り、紅茶を飲み干した所で、自分の執事だけを連れて帰って行った。窓の向こうにも姿が見えなくなった瞬間、葉揺亭の中では二人分の脱力の息が響き渡っていた。
玄関先で見送りをしたアメリアは、まずその場にしゃがみこんだ。別に悪い人ではない、ただ、ひどく疲れた。狭い場所にマスターが二人並んでいたようなもの、自他ともに認める曲者を普段の倍相手をしたのだから、疲れないはずがない。むしろよくやったと褒めて欲しい。
――しかも、マスターはこれからまだ暴れるわけですよう。
考えるだけで肩が重くなる。頭の上から雪の塊が落っこちてきたような。
「アメリア」
そら来たぞ。アメリアは観念してくたびれた顔を向けた。
「ごめん、ちょっとお店を任せていいかな。少しだけ、休ませてくれ」
アメリアは絶句して顎が外れそうになっていた。客席を片付けている最中でなくてよかった、間違いなく陶器を落として割っていた。
休む。その言葉がマスターの口から出るのは稀なこと。しかも休日を作るのではなく、営業中に言い出すだなんて、いつぞやのあからさまに体調がすぐれなかった時だけだ。
マスターは返事も待たず鈍重に立ち上がる。ようやく氷が溶けたアメリアは、顔を青くして矢のごとくカウンターへ駆け込んだ。
「だ、大丈夫ですか!? 熱ですか? お腹痛いですか? お医者さん呼んで来ましょうか!?」
「要らないよ。強いて言うなら頭が痛いけれど……単なる気疲れだ」
「気疲れ」
「僕にとって、決して相容れない天敵だ、あれは」
「えっと、同属嫌悪って言うやつですか?」
「端的に言うならば」
マスターは弱々しく笑い、アメリアの頭をぽんぽんと叩いた。愛に満ちた優しい手つきだった。
それじゃあ、とマスターは奥への扉をくぐった。が、閉じきる前に隙間からもう一度アメリアを振り返った。
「ねえアメリア。彼女の所になんて、行かないよね。いや……どこにも行かないよね」
暗がりから覗いた黒い目は冷たく、寂しく、重く、震えていた。
そのままアメリアの返答は無いままに、向こうとこちらが一枚の壁で隔てられた。
アメリアの心臓が震え上がり、嫌な音と汗をふきあがらせていた。思わず胸を押さえ、近くにあった椅子へ崩れるように腰を落とす。それは普段は店主が使うものだ。
店内にはアメリア一人の鼓動の音と呼吸の音が大きく響いていた。
――マスター。サシャさん。あなたたちが揃ってそんな事を言うのは、偶然ですか。それとも……私の心が読めているのですか?
さっきもサシャに直接聞きたかった事。だけど聞き返すのは怖かった。そう口にするという事は、すなわち。
「……簡単に、言えるわけないじゃないですか。葉揺亭を出て、別の所で働いてみたいなんて、そんなの、マスターに」
誰にも届かない本心が、静寂の葉揺亭を震わせた。
本人すら無意識で蔦の葉繁る影で芽吹いた願望は、静かにすくすくと育っていた。育ちきったそれを自覚したのは、やはりクロチェアの茶会で自己を承認された時だった。
見事な花を咲かせて実を成らせたい。しかしそれには、自分を覆う蔦が厚すぎる。アメリアは小さな頭でも理解していた。だからと言って、蔦をがむしゃらに切り落とすとか、無理に突き破るとか、そんな事もできない。弱い自分を守ってくれた蔦葉の影は、どこよりも居心地が良くて、何よりも愛おしいものなのだから。
――もし、私が居なくなるとしたら、マスターはどうしますか。
それが禁断の言葉である事は予想していたし、今日確かに理解した。
アメリアは重くうなだれた頭を持ち上げて、窓の向こうを見やった。
寒風が吹き荒れている道のずっと先、広いノスカリアのさらに外へ思いを馳せる。そこには自分の知らない世界が延々と広がっているのだ。そしてまだ見ぬ自分の未来も、そこにある。もちろん平坦な道ではないだろうし、文化や風習の壁も待ち受けているはずだ。それでも堂々と歩んでいこう、そう心は決まっている。
――でも、どうやって出発点に立つかよ。ねえ、マスター……。
葉揺亭の空間をアメリアの吐息の風が何度も揺らした。なじみの風景から浮いた、異質な音の風だった。
ノスカリア・食べものダイアリー
「ラクィテヤ」
ノスカリアの遥か西方にある草原地帯に住む遊牧民族が常飲する茶の一種。
鍋で煮出す茶に乾酪や乳酪などの乳製品を加えたもの。ほんのりと塩味がつけてある。
当地では重要な栄養源であり、シンプルに飲料とされる他、雑穀粥といった料理の柱にも使われる。




