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異風堂々(1)

 未曾有の大雪がノスカリアを襲ってから一週間。町はひとまず日常を取り戻していた。


 とは言え、完全ではない。積み上げた雪山があちこちに残っているし、寒気もまだ去っておらず、冷たい風が絶えず吹き付ける。ただでさえ凍てついた石畳の町の上、物流が回復しきっていないため商人にいつもの覇気がなく、外に出るには魅力に乏しい状態だ。


 葉揺亭も煽りを喰らって、常連を除いた客足は皆無と言っていいほど落ち込んでいた。しかし他の店屋と違って、店内に楽しそうな話し声が絶えることはなかった。元々が資金繰りの悩みと無縁であるから、さほど陰鬱になる必要もなし。それとマスターの持つ引き出しの深さと多様性は他の追随を許さない、だから四六時中一緒にいる相手でも、話題を尽かさず話し続けることができるのだ。


 今日の議題はもっぱら異文化のことだった。アメリアが他の地域の事を知りたいとせがんだのである。話の流れでマスターは薬草箱を取り出し、乾燥した笹の葉をアメリアに見せていた。


「例えば赤根笹。これが胃の不調を抑える薬草になるとは、君も知っているよね」

「赤い根のじゃないとだめなんですよね」

「その通り。根を掘ってみないと見分けがつかないと言われるが、実は……今はいいや。その話はまた」


 マスターが小さく肩をすくめる。


「ノスカリアでは民間薬のこの笹だが、とある山岳民族の間では毒草扱いをされている。さて、なぜだと思う?」

「えっと……おいしくないから。すごく苦くて、葉っぱの味しかしないですもの」

「そりゃ葉っぱだからしょうがないよ。君の言う通り苦いが、もちろんそれが理由ではない」


 マスターが首を振る代わりに笹の葉を揺らす。生葉なら靡いただろうが、保存用に水分を失った葉では大して動かず、むしろ崩れてしまわないかという危なさがあった。


「その民族はね、体の痛みや不調は、体内から毒が消える時に起こるものと考えている。だから症状を無理に抑えるのは、毒を体に蓄積させるという意味になるのさ。だから僕らにとっての薬草が、彼らにとっての毒となる」

「はああ、なるほど。効果が同じでも、考え方が違うんですね」

「その通りだ。イオニアンは広い、土地によって本当に多様な風習がある。時に奇天烈、時に苛烈。すべてを受け入れろ、とまでは言わないが、理解をする努力はするべきだ。特にノスカリアには色々な生まれの人が集まりがちだから、なおさら気を付けないとね」


 アメリアはゆっくりと頷いた。交易都市の名は伊達ではない、ふらりと寄った店先で知らない言葉が聞こえて来ることや、明らかに異人種の姿を見かける事が多々ある。ルクノラムの教会の付近で信徒と異教徒が揉めている場面や、食事処で旅人同士が味付けを問題に大喧嘩しているのに出くわした事もある。他人事ではなく、次は自分が当事者になるかもしれない。


 マスターは笹の葉を置きざまに、茶話の友たるティーカップを手にした。少し温んだ紅茶は、喋り続けて傷んで来た喉を潤おすのにちょうどよい。


 そして、今度は紅茶の入ったカップを掲げながら、マスターはアメリアに問うた。


「じゃあ。この紅茶に乾酪……今時に言うとチーズだね。塩気のあるチーズをたっぷり入れてぐつぐつ煮込んだ飲み物。君は飲みたいと思うかい?」

「ええー……おいしくなさそう。お茶もチーズももったいない、別々で食べたいです」

「それを西方の遊牧民に言ってごらん、睨まれるじゃあ済まないよ。彼らにとっては日常食だからね、下手すれば殺されてもおかしくない侮辱だ」


 ノスカリアから西へ向かうと、徐々に大気が乾燥して木々が見られなくなる。街道の終着点付近では、せいぜい短草と灌木が広がるだけの、砂漠の入り口に等しい乾いた土地となる。その一帯では、いくつかの少数部族が遊牧生活を行い、独自の社会を形成している。マスターが触れているのは、そんな彼らの話だ。


 厳しい土地環境に暮らす民族とは言え、食べ物の事で殺すだ何だに発展するなんて。とんだ凶暴な人たちが居るものだ、と、アメリアは鳥肌を立てて身をすくめた。西とは街道でつながっている、ノスカリアでも出会わないとは限らない、その時はどうしよう。


 ――あれ、でも。


「……もうっ! またマスターったら私の事を怖がらせようとして、大げさなこと言ってますね!」

「は?」

「だって、私、会った事がありますもの。西の遊牧民の人。すっごく優しかったですよ」


 アメリアは一人だけ西方の男を知っていた。先のクロチェア家の茶会で出会った、シユ=ジェツェンなる人物。異邦の風薫る簪を差していたその男は、非常に温厚な人当たりであった。激す姿すら想像がつかない。


 したり顔でマスターに話すと、彼は呆れかえった溜息を吐き、軽く首を振りながらこめかみを押さえた。


「あのね、アメリア。僕が話しているのは一般論だ。たった一個人の例を取り出して全部がそうと思ってはいけない、なんの反証にもならないよ。おまけに、君が言うのは特殊すぎる例だ」

「そうですか?」

「ああ」


 マスターは難しい顔で腕を組んだ。


「従者として人に仕える身なら、我は出さない、出せなくて当然だ。しかもあのラスバーナ商会の、あの娘の従者だぞ? 並の精神では勤まるまい、少し異常なくらいに心が広くなければ。サシャ=ラスバーナ、あれはとんだ曲者だぞ」

「会ったこともないのに、よくそんな風に悪く言えますね」

「だってアメリア、他の誰でもなく君が言ったじゃないか。彼女が僕に似ている、って」


 マスターは腕を組んだまま、皮肉めかして口角をあげた。


「僕はね、自分が真っ当な神経でない事は自覚している。そんな僕に似ているなんて、とんでもない変人か狂人だ」

「……自覚があるなら直してくださいよう」

「もう手遅れさ」


 アメリアが粘りつく視線で見つめても、マスターは軽やかに受け流すだけだった。



 話の種としたのが呼び水になったのか、それとも気配があったから話題に上ったのか、いや単なる偶然か。一刻あまりの後、噂の人物たちが葉揺亭にやって来た。


 二重の意味で思いがけない来客だったが、玄関扉が開いてサシャとシユの姿が逆光の中に見えたなり、アメリアは歓迎の悲鳴をあげてカウンターから飛び出した。


「お久しぶり、アメリアさん」

「サシャさん! いつ来てくれるんだろうって待ってましたよう!」

「ごめんなさい。もっと早く来たかったんだけど、あの雪じゃあ、さすがに」

「すごかったですものね。あっ、そうだ、あれお返ししないと!」


 もちろん忘れてはいない、借り物のショールのこと。いつサシャが取りに来てもいいように、店の戸棚の中にしまってある。アメリアは小走りでカウンターに戻った。


 忙しないアメリアの様子に控えめな笑い声を上げてから、サシャはコートを脱いでシユに預けると、ゆっくりとカウンターまで歩いて来る。そして店主に目を向けた。


「それで――あなたが例の」

「どんな例かは存じ上げませんが、この僕が店主でございます」


 柔らかく丁寧な表情と声音を作って、サシャに恭しく挨拶をする。そんなマスターの様子をアメリアは横目で見て、心の中で失笑した。


 ――そりゃ緊張しますよねぇ、さっきあんな悪口言った後だもの!


 そう、いつも隣で見ているからわかる程度の微々たる兆しだが、マスターは緊張の色を見せていた。動きが硬いし、少し伏し目がちで、立ち位置も若干後ろに引いている。普段なら饒舌に話しながら、前のめりに接客するというのに。


「先日はうちのアメリアがお世話になったそうで。お礼を申し上げます」

「いいえ。むしろ、私のわがままを聞いてもらったと言った方がいいかな」

「さようですか」


 静かに言った後、マスターは手を一つ打ってアメリアの方を向いた。


「じゃあ、アメリア。せっかくだから君が――」

「店主さん。私は店主さんのお茶を飲みに来たの。嫌というのでなければ、どうぞお願いします」

「……ああ。もちろん承ります」


 サシャは手ずから椅子を引き、静かに、しかしためらいなくカウンター席に着した。別に普通の客でしかない振る舞いだ。それなのに、彼女と真正面から向き合うマスターの笑顔は妙に硬かった。初対面なら、なんとシャイな店主なのだと思うだろう。


「何が良いだろうか?」

「私の分はお任せします。シユは?」

「いや、私は別に。お嬢様と並ぶわけにいきませんし、どうぞお構いなく」

「それは店主さんに失礼よ。隣に座りなさい。じゃあ店主さん、シユの分も頼みます」

「かしこまりました」


 一礼の後、マスターは静かに燕尾を翻し、茶の準備に手を動かし始めた。カウンターの中に居たアメリアからは、マスターがさりげなく安堵の息を漏らしたのが見えてしまった。


 その間にアメリアは例のショールをサシャに返した。客席側に出て、お礼と共に手渡す。無論、令嬢は人好きのする微笑みを絶やさずにアメリアを迎えてくれた。そのまま少し世間話をする。


 対話をしていても、さほど変わった人とは思えない。服装もノスカリアの下町に溶け込むような大人しさで、言葉づかいは多少強いものの高慢とは感じない。下手すれば「大商会のお嬢様」という肩書すら忘れてしまう、普通の範疇の女性だ。マスターがなぜ異常に肩肘張っているのか、アメリアには理解できなかった。


 アメリアがカウンターに戻っても、マスターは沈黙を守ったままだった。もう蒸らし時間で手持ちぶさたのはずなのに、会話どころか目配せすらなく、視線は下のティーポットに注がれていた。明らかにサシャと目を合わせる事を避けている。


 しかしサシャの方は、マスターに視線を突き刺していた。色の淡い茶色の双眸が、伏せがちな店主の面を捉えて離さない。おまけにそれは好意的な熱視線ではなく、アメリアに向けた親愛とも別の、まるで善悪を問い詰めるかのごとく圧が込められたまなざしであった。


 マスターは居心地が悪そうに身じろぎしたり、意味もなく棚を振り返って天井を見上げてみたり。そして最終的には耐えられなくなって、マスターはようやくサシャを正面から見て眉を下げた。無言から一転、まくしたてる。


「ねえ、さっきから、僕の顔に何かついているかい? そんな顔で見られると怖いよ。君の噂は色々と聞いているし……もしかして、大きな声で言えない用でもあるのか?」

「いえ、ごめんなさい、そういうわけではなかったのだけれど」


 サシャは苦笑いしながら軽く首を横に振った。吐息混ざりに少し視線を下に外す。そのまま控えめな声で呟いた。


「少し、似ていたから」

「誰に?」

「私がこの世で最も嫌いな存在に」


 空気が一気に冷えて、ぴしりとひびが入った音すら聞こえるようだった。マスターは悩まし気に額に手を添えて、吐息まじりに尋ねた。


「それは、ああ、例えば、一方的な許嫁とか、そんなものかな」

「いいえ。私を解けない呪いをかけた、絶対に許せない存在。すぐにでも息の音を止めてやりたいほど、憎らしくて仕方がない存在よ」

「お嬢様! そのようなこと、口にしてはなりません――」


 瞳に暗い炎を灯したサシャを、従者が血相を変えてたしなめようとした。それを手を掲げて遮ったのは、マスターだった。


「別に構わないよ、僕を殺してやると言ったわけじゃないんだ。好きに話しておくれ」

「いえ、いえいえ、店主殿、さすがに看過できません! お嬢様に何があったのか、私めも知りませんが、しかし、感情的になる相手が間違っておられる」

「どうしても感情を抑えられない場面なんて、人間だったら誰にでもある事さ。理由があるなら理解をして受け止められる。ここで物騒な物言いを聞いたのも、今日が初めてじゃないし。ね、アメリア。そんなものだろう?」

「ええと……まあ、色々ありますよね」


 反応に困っているアメリアにマスターは苦笑してから、ちらりと視線を下に落とした。しかけてあった砂時計が紅茶の蒸らし終わりを告げている。あらかじめ湯に入れて温めておいたティーカップを取り、清潔なクロスで水滴を拭いながら、サシャに対してきちんと目を見て告げる。


「令嬢。君が望むのは断罪か復讐か、その感情自体を否定はしない。だが、嫌いなものに執心するよりも、その時間を好きなものと向き合うに当てた方が有益だよ」

「忠告をありがとう。心の隅に留めておきます」


 サシャは目を細めながら答えた。素直に従うと言わないあたりが食わせ物だ。


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