祝福をもたらす神名の茶(3)
時計の針がゆっくりと足を進め、ヴィクターのカップが空になった頃に、ようやくアメリアの口からケイクの話が出てきた。
「レインさんが昨日フルーツ・ケイクをくれたんですよう。それが、ほっぺたが落ちそうになるくらいおいしくって! そうしたら、降誕祭のお祝いにケイクが必要だから焼いたって教えてくれたんです。だから、私も焼かないとだめかなと思って作り方を聞いたんですよ」
レシピが難しかったらどうしようかと身構えたが、意外や簡単で、それもアメリアの挑戦心に火をつけたのである。使う材料は小麦粉と油脂と卵に砂糖、それに好きな果実を混ぜ、型に流しこみ焼き上げるだけ。普段料理をしなくても大丈夫だ、教えたレインもそう断言した。
「そうそう、他にもレインさんに料理を習ったんですよ。例えば――」
アメリアは引き続き嬉しそうに話を広げ始める。その黄色い声の向こうで、時計の針が動いた小さな音をマスターは聞き逃さなかった。ちらりと目線をやると、間違いない、ケイクの焼き上がりの時間を指している。
マスターはアメリアの肩を軽く叩く。きょとんとした顔で振り返った彼女に、指で時を示した。視線を動かしたアメリアは、時計を見るなり小さな声を交えて息をのみ、慌てて焜炉の下に屈みこんだ。
重量感のある響きを立てながら、熱いオーブンが開け放たれる。吹き出した熱が少女の顔をかっとほてらせ、脇で見守っていた店主の顔をも打った。
「火傷しないように気を付けて。僕が出そうか?」
「いいえ、大丈夫です」
アメリアは真剣な顔で答えながら、高温の窯に入っている直方体の型を火かき棒のフックで引き寄せた。額には玉のような汗がにじんでいる。
型を手の届く場所まで寄せきると、ぶら下げてあったオーブンミットを装着し、熱々の金属を恐る恐る掴んで作業台の上にあげた。
熱気と期待に当てられて、アメリアの心臓は激しく波打っている。それに息ごと飲みこんで押さえながら、かぶせてあった蓋――と言っても、金属の薄い板を一枚乗せただけの物だが、それを、えいっと取り払う。
「はい! ……わあっ! ちゃんと膨らんでますよ!」
一人で大はしゃぎするアメリアに呼応して、男たちが覗きこんだ。
なるほど、型の八分目の高さに膨れ上がっているケイクは、見るからにふっくらとしており、それでいて引き締まった弾力もありそうだ。
ナイフを型に沿って走らせてケイクを切り出し、マスターが用意していた皿に乗せる。型にはまっていた時より、どっしりとした重量感を醸している。しかし、色合いはとても優しい。
「いいぞアメリア、結構うまくできたじゃないか」
マスターの賞賛の声に裏はなかった。ところがアメリアは、最初の有頂天な様子はどこへやら、なぜか険しい顔になっていた。
「でも、レインさんのと色が全然違う……もっと、こんがりとした濃い色だったんです。この、型の上の部分」
「それは、蓋を被せたせいかな。うん、焼き色が付いてからにした方が良かったかもしれない。すまない、僕が余計なことを言ったのが悪かったよ」
「『このオーブンだと上火が強めだから、焦げやすい』ですよね。でも、焦げたら嫌ですもの、マスターは悪くないです」
「意外と奥が深いと言うか、単純なレシピでも理想通りやり遂げるのはなかなか難しいものだね。ううん……焼き色、焦げ目、か」
もしも上だけを炙ってくれる炎があったら、今からでも焦げ目がつけられるのに。マスターもアメリアも同じように考えた。そして、そこから仲良く同じ発想を持つ。
少女は遠慮気味に、店主は意味深に、二人して笑いながら、ほぼ同時に同じ人物を見た。
我関せずと明後日の方を向いていたヴィクターに、ぐさぐさと視線が突き刺さった。実は途中から嫌な予感がしていた、思った通りだ。火炎を操る男は溜息を吐いた。恨みがましい目を、当然、主の側へと向ける。
「あんたってさ、たまーに、ものすごぉーくしょうもない事を思いつくよなあ」
「しょうもない? 何を言っているんだ、君の天賦の才の平和的利用じゃないか。それだけでも価値がある。そこにアメリアの喜びもついてくるんだ、なおさら良い、最高だ。まさか嫌とは言わないよね」
マスターは有無を言わせない重圧を含ませて、にこやかな笑みを浮かべた。この圧に逆らえる人は誰も居ないだろう。
客人禁制のカウンター内に招かれて、薄汚れた黒コートの男は二人の間に立った。ぼさっとした髪といい、気だるそうな顔つきといい、まったくもって喫茶店の従業員にはふさわしくないが、今は特別だ。
彼の手に握られるのは愛用の火打ち器である。親指をちょいと動かせば、カチリという音と共に小さな火が灯った。
ヴィクターが意識を手元に集中させる。刹那、轟音と共に火炎放射が放たれた。燃え盛る炎の渦はカウンターをも飛び越えて、空間を割らんとする勢いである。
途端にマスターが豹変した。いつになく険しい顔、厳しい声で叱責する。
「おい! 店ごと燃やすつもりか! 加減を考えろ、馬鹿者め!」
「へいへい、わかってますよ。ちょっとした冗談だ」
ヴィクターは肩をすくめながら、火を細く小さくする。噴出口から直角に曲がって燃える非常識な炎は、ちょうどケイクの上に覆いかぶさる大きさになった。
それにしても。生きるか死ぬかの世界でしのぎを削る青年には、少々間の抜けた状況であった。――まったく、なんでわざわざ俺がこんな事を。心の中にはそんな不満が燻らないでもない。
だが、それは簡単に吹き消される程度の種火でしかなかった。むっつりとしたヴィクターに向かって、アメリアがふわりとした笑みを浮かべながらぺこりと頭を下げた。
「ヴィクターさん、ありがとうございます。助かります」
「まあ、アメリアちゃんに頼まれちゃあ仕方ないよねえ」
その顔は熱で溶けたようになっていた。かわいい女の子に頭を下げられて、調子に乗らない男が居るものか、もし居たとしたら、そんなヤツ人間じゃあないさ。そんな風に昇りのぼるヴィクターの心のうねりは、そのまま正直に魔力の流れへと反映され、アビラで操られる火炎が浮ついて波打った。
その些細な変化をマスターは見逃さなかった。再度、叱咤が飛ぶ。
「おい、ヴィクター、集中しろって!」
「あいよー」
まるで気のない返事だ。これで失敗しようものなら、マスターから雷が落とされるのは明らか。普通ならば緊張して、それが逆に失敗を招きかねない。
しかし、ヴィクターの技術は本物であった。態度と裏腹に、炎はぴしっと元の形に戻った。一定の状態でぴたりと保たれた炎が、確実にケイクの表面を照りつける。それにつれじりじりと色が変わっていった。ひたすら柔らかそうだった見た目が、どんどん引き締まって来た。同時に表面がかりっとしてきた。
料理にはまったく縁が無いヴィクターでも、おいしそうだと言える状態は人間の本能的にわかった。そろそろだ、という頃合いで、誰に止められるでもなく火は消された。
「さて、どうよ?」
「おいしそう!」
「素晴らしい」
絶賛の嵐にヴィクターは得意気な顔を晒していた。
粗熱が取れるのを待ってから、アメリアがケイクを切った。あらわになった断面は、しっかりとした狐色。そこに幾種ものフルーツが色とりどりにちりばめられていて、まるで宝石箱のようである。
「なあ、これ、何が入ってるんだ?」
「乾燥させたフィグと赤肉リンゴ、あとツルイチゴがあったのでそれも少し。それと、マスターのおすすめで干しブドウのラム酒漬けも混ぜてみました」
「ああ、なんかうまそうだな」
「ヴィクターさんの分も切りますね」
「いやーありがとう。アメリアちゃん、大好き」
そんなやりとりをしている脇で、マスターはひっそりと自分の仕事をしていた。作業台の上にはポットが鎮座し、三つのティーカップもすでに湯通しして温められている。
そしてアメリアが手仕事を終えたのに合わせて、準備を完了させた。眉を上げて二人に目配せしながら、当然のように言う。
「お菓子があるならお茶も必要だろう」
異論はない。茶の汲まれたカップはそれぞれに渡される。濃茶色の液面を見据えて、ヴィクターが少しだけ眉をひそめた。
「……なんだか、えらく濃そうだが」
「『アセム』にしてみたんだ。君が普段飲むやつより、香りも渋みも深い茶葉だ。いささか自己主張が強く、ミルクを入れても風味が負けない。だけどまずはそのままで、独特の芳香を楽しんで欲しいけどね」
店主の講釈はそこそこに聞き流し、ヴィクターは一口飲んでみる。確かに、先ほどまで飲んでいたシネンスよりも濃厚な風味がした。だが言うほど違うだろうか。そう首を傾げてみせる。説明が間違っているとは思わないが、わからないものはわからない。
一方のアメリアは、さっさとミルクを取り出し追加していた。しかも色が白に近くなるくらいたっぷりと。マスターの言う「まずはそのまま」なんてまったく無視だ。
「……まあ、好みは色々だし、今日の主役はアメリアのお菓子だからいいけどね」
マスターは少しばかり拗ねたように苦笑していた。
お茶を手元に置いて、いよいよ主役の出番だ。まずはアメリアが、それを見届けてから男たちが、各々フルーツ・ケイクをかじった。
口の中に広がるのは甘い香り。そこに色々果物が入れ替わり立ち代わり顔を出して、おいしさの交響曲を奏でる。遠くでかすかに薫るラム酒が絶妙なアクセントだ。本当に、頬がとけるような。アメリアもヴィクターも、幸福感あふれる表情を隠さなかった。
「おいしい! ちゃんとできましたね! よかったあ」
「こりゃいいや」
ぺろりと一切れ平らげて、ここで飲むお茶がまたいい。紅茶の香りと甘いものとは、重なるとお互いを引きたて合う。ついでにケイクが持って行った口の水分を補えるから完璧だ。
ごちそうさまでした。そんな風に二人は満足した。が、そこで気づいた。マスターが静かすぎる。いつもなら放っておいてもぺらぺら喋りだすのに、だ。
おかしい、どうしたのか。マスターの方へ振り向くと、片手にまだ食べかけのケイクを持ったまま、黙って茶をすすっていた。穏やかな仏頂面を保ちつつ、しかし、わずかに眉間に皺を寄せているではないか。
「マスター? おいしくなかったですか? 私のケイク」
「えっ。ううん、おいしいよ。でも、なんだ、こんなに甘いものなんだな……ちょっと砂糖が多すぎるんじゃないか? 果物の甘みだけで十分だったよ」
「ええっ!? 普通ですよ。レインさんに教えてもらった通りですし、昨日もらったケイクもこれくらい甘かったです」
「いや、どうだろう。なあ、ヴィクター」
「俺に聞かれても知らんが……あー、まあ、菓子ってこういうもんじゃないのか? 普段はそこまで食わんから知らないけど、別に変な顔するもんじゃなかったぞ」
「そう、かなあ」
「そうですよ。もうっ、ただ単にマスターの舌が敏感すぎるだけです」
これはアメリアの言った事が真であった。舌が繊細で、とりわけ甘味に関しては、常人の何倍も強く感じ、度が過ぎると神経を越えて脳天を貫くような刺激になる。要するに、甘い物が苦手な人である。
マスター自身、味覚を始めとする己の色々の感覚は普通の人と違うと自覚していた。眉間の皺をそのまま、手元のケイクと不満げなアメリアを交互に見やる。
――アメリアが言うなら、これが世間の普通なのだろう。これが食べられて普通の人間なんだ。ここで食べないのは変だ。
そんな事を繰り返し唱えながら、マスターは自分に割り当てたケイクをきちんと平らげた。
三者がお茶もすっかり飲みほしたところで、ヴィクターがふと口にした。
「そういやさ、結局、なんで降誕祭に菓子が必要なんだ? 実物を見てもまるで関係がないように見えるが。例のその花を混ぜたとかでもなし」
「僕も知りたいよ。僕ですら初めて聞いた」
マスターは肩をすくめた。博識を誇る自分でも知らない事。
二人はアメリアを見やった。彼女は、きちんと答えを持っていた。得意気に胸を張って、マスターの癖を真似して人差し指を立てて、もったいぶった口ぶりで偉そうに語った。
「あのですねえ、それはあ、ルクノール様のためなんですよう!」
「……は?」
「ルクノール様は甘い食べ物が大好きです。だから降誕祭でお家に招いたら、ケイクでおもてなしをするんです。そうするととっても喜んでくれて、ますます祝福をしてくれるんです。……って、レインさんが言ってました」
聞かされた方はぽかんと大口を開けていた。マスターに至っては、足元からずるりと崩れ落ちそうになっている。もっと宗教的に高尚な意義があるのかと思えば、子供に読み聞かせるおとぎ話とほぼ同じ。そもそも一体誰が神に食べ物の好みを聞いたのだろうか。教会の聖典にそんなくだらないことが書かれているとは思いがたいが。
「……ねえアメリア、それ、もしかしてレインが自分で創った話じゃないのか。ほら、人形劇のためとかで。そうじゃなかったら、最初に言いだしたのは、どこの誰だ」
「私に聞かれても、そんなの知らないですよう。レインさんはお母様から教わったって。だから毎年ケイクを用意してるんですって」
「うわあ。そいつは眉唾な話だ」
レインの母はすでに他界している。真相は、まさに神のみぞ知る。
それでも、アメリアは平然と笑って言ってのけた。
「いいじゃないですか。甘い物を食べれば、みーんな幸せなんですから」
祝祭を機に集まった皆で甘いお菓子を一つまみ。ついでにお茶でも飲みながら、ちょうど今の葉揺亭でのように楽しく過ごす。アメリアの言う通り、和気藹々とした幸せな光景だ、まったく悪い話ではない。
あるいは。そんな幸福な一時を過ごせる平穏こそが、神名の花に誘われた降誕祭の祝福そのものなのかもしれない。
中で脱力したような笑い声が響く。そんな葉揺亭の玄関で、リボンで飾られた鮮やかな青色の花がうららかな光と風に揺られていた。
葉揺亭 本日のメニュー
「葉揺亭流・降誕祭記念茶」
シネンスの茶葉に細かく刻んだレモンの皮を混ぜて淹れ、白い筋のある青い花とその葉を水面に浮かべれば、神の誕生の瞬間を見立てた風景に早変わり。
見た目が大事なお茶なので、ガラスのポットでどうぞ。カップに花弁を浮かべれば、神に救われた気分になれるかも?
味は特筆する事もないのレモンピール入りの紅茶です。
「アセム」
濃い赤褐色の水色、甘みを含んだ強い独特の香り、深い渋みが特徴の紅茶。
ストレートだと個性が強い。しかしその強さがミルクティと最良の相性を持つ。煮出してよし、後入れでもよし。
ノスカリア・食べものダイアリー
「フルーツ・ケイク」
降誕祭のお祝いに作った焼き菓子。砂糖は少し控えめでドライフルーツを色々混ぜて焼き上げる。
膨らんでいるが、ふわふわとは行かず、どちらかと言うとしっとり・どっしりとした食感。
焼き上がりに粉砂糖をふるったり、シロップをかけるのも良し。実は焼きたてよりも、少し冷ました方が生地がなじんでおいしいとか。




