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秋興 紅葉の酒

作者: 潮見

大学の講義で『平家物語』を題材に作品を創作するという課題が出た時に、考えたお話です。元は『平家物語』巻六「紅葉」という高倉院のお話。これをきっかけに『平家物語』に興味を持っていただけたら嬉しいです。

 まだ夜が濃く深く、不思議で満たされていた頃。


 『林間暖酒燒紅葉 石上題詩掃綠苔』 白


 古都北斗に店を構える九重酒造の一室にぼんやりと灯りがともっている。部屋の主である蔵之介は僅かな灯火の油がなくなる前にと急いで手紙をしたためていた。蔵之介は九重酒造の若旦那の世話役としてそれなりの給金をもらっているが、そのほとんどを故郷にいる両親や年の離れた兄弟の土産に使うため、油代がほとんど残らない。人の世話は得意なのに自分の世話が焼けないと同僚たちに言われるが、生まれつき世話焼きなのだと蔵之介は気にしていない。

 ちろり、そろそろ油がなくなりそうだと炎が揺れる。仕方なく蔵之介は筆をおき、ここまでしたためた文章を見返した。今回の手紙はまだ九重酒造で働いていることを知らせていない親族宛てのため、主人である若旦那のことから書き始めていた。


『僕がお仕えしている若旦那は、とても優雅な方で、店の者たちからも人望があります。初代や先代にもまさるほどの人気ぶりは、その優しい性格と誠実な態度から来るのだと思います。事実、僕はそんな若旦那の為ならば、なんでもできそうな気がします。

 そういえば、あれはまだ若旦那が十歳になったばかりの事。若旦那は紅葉をとても好んで、先代に頼んで庭に櫨や楓の木を植えたことがありました。ちょうどそこは小さな山のようになっていたので、若旦那は紅葉の山と呼んで、一日中眺めていました。とても気に入っていたようで、若旦那を探しているときは、たいていそこに行けば会えたものです。ところが、ある夜、風がひどく吹く日がありました。夜通し、若旦那の紅葉が心配でならなかった僕は、急いで庭に向かいました。すると、庭の掃除をする下働きの男が、すでに風に散った紅葉を掃き集めていました。僕は息を切らして、下働きの男のところへ駆け寄りました。風が冷たく寒い朝だったのをよく覚えています。僕が紅葉の事を聞くと、下働きの男は顔を青ざめて、酒を暖める薪にしてしまったと答えました。この男は、臨時に雇われたので、若旦那が紅葉を大切にしていることを知らなかったのです。僕は頭を抱えました。だんだん持病の胃痛もしてきて、朝からついてない日だと落胆していたところ、若旦那が渡り廊下を歩いてくるのに気がつきました。


 いつもよりも早起きをなさった若旦那は、薄着のまま急いでいらっしゃったようでした。僕は急いで若旦那のもとへ駆け寄って、自分が羽織っていた上着を差し出しました。

「若様、おはようございます。これを羽織ってください。風邪をひいてしまいます。」

「蔵之介、おはよう。こっそり抜け出してきたから、上着を持ってくるのを忘れていたんだ。ありがとう。」

 そう言って、若旦那はにっこり笑いました。紅葉を見るために、早起きをした若旦那の笑顔を見た僕は、ますます頭を抱えました。紅葉はすべて散ってしまい挙句の果てに燃やされてしまいました、などと言う勇気は僕にはありませんでした。しかし、悲しいかな若旦那は紅葉がないことにすぐに気がついてしまいました。

「蔵之介、紅葉は一体どこへいったの?」

「えっと…若様、大変言いにくいのですが……。」

 観念した僕は、ありのままに説明しました。風の便りでご存じかもしれませんが、先代は一人息子に甘いと有名なのです。きっと先代からおしかりを受けるのだろう。僕は覚悟を決めました。


 ところが、若旦那は意外にも機嫌よく笑ったのです。拍子抜けした僕と下働きの男は顔を見合わせました。この男も、罰を覚悟していたらしく、ほっとした顔をしていたのをよく覚えています。

「『林間に酒を暖めて紅葉を焼く』っていう詩があるけど、すごく風流な事だと思っていたのは、僕だけじゃなかったんだ。」

 一瞬何のことかわかなかったのですが、どうやら若旦那は、この下働きの男が隣国の古詩、確か白楽天だったかを知っていて、紅葉を酒の薪にしたのだと思ったようでした。若旦那はとても勉強熱心で、日ごろから難しい古詩を読んでいるのです。僕よりあなたのほうがきっと詳しいから、若旦那とお話が合いそうですね。そんな訳でおしかりどころかお褒めの言葉を頂戴した下働きの男は恐縮しながら立ち去り、この件は一件落着しました。

「若様、そろそろ中に戻りましょう。お身体が冷えてしまいます。」

「うん、そうだね。暖かい飲み物が恋しくなったし、部屋に戻ろう。」

 僕は上機嫌の若旦那を連れて、部屋に戻りました。若旦那は部屋に戻る途中、あの下働きの男をしきりにほめていました。少しだけ悔しい気分になったのは秘密ですよ? そのあと…』


「蔵之介、いるかい?」

 障子越しに聞こえた若旦那の声に、我に返った蔵之介は慌てて返事をした。部屋に入って来た若旦那は、文机の上に散らばった手紙を一瞥し、ほほ笑んだ。

「おや、お邪魔したかな?」

「とんでもない!それで、若旦那。もう遅い時間ですが、何かご用ですか?」

「いや、ただ庭の紅葉が美しく色づいたのを見たら、あの朝のことを思い出してね。明日の朝、一緒に紅葉を見ないかと誘いにきたんだ。」

「そ、それは!……そうでしたか。もちろん、ご一緒いたします。」

「今度は羽織を忘れずに羽織っていくからね。」

 若旦那はいたずらっぽく笑った。若旦那もあの朝のことをよく覚えていたと知って蔵之介はくすっぐったい気持ちになった。

「おや、僕の出番はなさそうですね。」

「いやそんなことはないよ、蔵之介。明日はきっと紅葉が散っているはずだ。そうしたらあの時と同じように紅葉で酒を暖めて飲もうじゃないか。私も成人したことだし、九重酒造の若旦那として我が酒造が誇る酒の出来を味わわないと。」

「それはいけません。若旦那が必要以上にお酒を召し上がらないよう、先代からきつく言いつかっておりますので。それに明日の朝、紅葉が散っているとは限りませんよ。」

首をかしげる蔵之介の言葉には答えず、若旦那は何やら含みのあるほほ笑みを浮かべた。ちろり、油がなくなった灯火の炎が小さく、そしてふっと消えた。部屋がゆっくりと闇に溶け始める。

「うわ!申し訳ありません!」

「大丈夫、ほら。」

若旦那は持参していた手燭に手をかざして小さな炎を灯した。あたたかな色の炎が部屋をゆっくりと暖め始めている。蔵之介は恥ずかしさに身をすくめた。

「油を切らすなど、お恥ずかしい限りです。」

「蔵之介は僕の世話は焼きすぎるんだよ。その分、自分の世話を焼きなさい。」

「……検討いたします。」

「やれやれ、うちは世話焼きばかりたくさんいるんだから。」

肩をすくめてみせたもののどこか嬉しそうにしている若旦那を、蔵之介は微笑ましく思ったのだった。


古都北斗に店を構える九重酒造では、風が冷たく寒い朝に紅葉を摘み、しっとりと燃えるように美しい紅葉で暖めた酒を出している。一口含めば、赤く照り輝く紅葉の中にいる気持ちになり、体の芯から温まるのだとか。

参考文献:新編日本古典文学全集「平家物語」「和漢朗詠集」

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