第七話 『いま以上の幸福を得るために』
男たちの宴会はまだ続いているようで、ダインの寝室から見える“パパの隠れ家”では明かりが煌々と灯っていた。
その小屋からは彼らの賑やかな笑い声が時折聞こえ、かなり盛り上がっているんだろうというのが分かる。
そんな騒がしさとは対照的に、ダインの寝室は静まり返っていた。
彼はいま部屋の中央にあるテーブルにかじりついており、明日提出予定の宿題をこなしている。
その宿題ももう少しで終わりそうになったところで、部屋のドアからコンコンとノック音がした。
「はい?」
声を出すとドアが開かれ、そこから誰かがひょっこりと顔を覗かせてくる。
「もう終わりそうかな?」
やってきたのはニーニアだった。
パジャマ姿だった彼女は両手に飲み物を持っていて、「入るね」、と部屋に入って肘でドアを閉める。
もはや見慣れた光景といっても良いかもしれない。
ダインたちカールセン家とニーニアたちリステン家はお隣同士なので、よくこうしてニーニアがダインの部屋にやってきていた。
といっても、今日はニーニアが“恋人の日”だったのだが。
「母さんたちもまだリビングにいんのか?」
ダインがきくと、「うん」、とニーニアは頷く。
「『ナイトドリーマー』の社員旅行を計画してるみたいで、どこに行こうかってずっと盛り上がってるよ」
「相変わらずだな…」
『ナイトドリーマー』とは、ニーニアの親が経営する世界的に有名な職人集団『リステニア工房』と、エレイン村の職人衆『パワフルボックス』の共同チーム名だ。
とある“ジョークグッズ”の製作のために結成されたもので、そのジョークグッズはいま現在爆発的な売れ行きを見せている。
収益激増を社員に還元したいとの思いから、取締役であるシディアンとシエスタが旅行計画を練りだしたのだ。
「お父さんたちもみんな行くみたいで、私とダイン君とルシラちゃんはどうしようって話をしてたよ」
「社員の旅行だから俺らはついていく必要はないんじゃねぇか?」
ダインはいう。
「俺は毎週出かけなくちゃならないし、平日は学校があるんだしさ」
「そうだね。セトちゃんたちの面倒も見ないとならないし…お留守番でいいかな」
そういったニーニアは、「あ、そういえばそのセトちゃんたち、いなかったよ?」、と七竜村を見てきたのか、不思議そうにダインを見た。
「今日はルシラがお泊りする日だろ」
ダインが答える。
「ついでだっつって、あいつがみんなを連れていったよ」
そういいつつ、彼は人差し指を上に向ける。
“姉ルシラ”がレフィリスを引き取ってからというもの、ルシラは定期的に遥か上空に浮かんでいる宇宙船に泊まりに行くようになった。
まだまだ地上に不慣れで恐怖心もあるレフィリスのため、泊りがけで“人間”の良いところや優しいところを教えて誤解の払拭を図っているらしい。
カールセン家がレフィリスを引き取ったときに不便が無いようにとルシラはいっていたが、それは建前上で、本音はレフィリスともっと仲良くなりたかっただけなのだろう。
しかしそのおかげでレフィリスが地上にやってくる頻度は増えており、毎回ダインが会いに行く必要はなくなった。
「今日も三人仲良く話してるんじゃねぇかな」
「そ、そうなんだ…いないんだ…」
ニーニアはぼそりという。
「だったら、アレ…試せるかな…」
「あれって?」
ダインの顔が上がる。
「あ、う、ううん、なんでもないよ」
笑顔ではぐらかしたニーニアはダインのすぐ隣に静かに座り、お茶を飲み始めた。
そして宿題を再開したダインに間違った箇所を指摘していき、彼と一緒に問題を解いていく。
「あの…ごめんね、ダイン君」
設問も残り二問というところで、ニーニアが突然謝ってきた。
「何のことだ?」
ペンの動きが止まる。
「旅行のこと…いつもダイン君を巻き込んでるみたいで…」
どうやら、いまになってダインの大変さというものを想像してしまったらしい。
先ほどの社員旅行の話から連想したのもあるのだろう。
確かに大変といえば大変だ。
学校に通いながらも毎週どこかに出かけなければならず、宿題とメデルに関する情報収集を並行して進めなければならない。
転移魔法を使えない、使っても効果が無いダインにとって移動手段は徒歩しかなく、目的地までの道のりも覚えなければならない。
一般人ならまず不可能な芸当だろうが、
「俺も楽しみにしてるから問題ないよ」
彼はそういってニーニアに笑顔を向けた。
「確かにこれまでも色々とゴタゴタに巻き込まれてきた気がするけど、でも嫌だと思ったことは一度も無い。お前たちがしてくれることなら何でもいいよ」
シンシアを巡って道場の門下生たちとひと悶着あったり、ディエルと親友だった『ミーナ』関係で騒動に巻き込まれたり、セブンリンクスの一大イベント『下克祭』では、ラフィンから退学を言い渡されてしまったこともある。
いま思い起こしても本当に色々とあったが、いまとなってはどれも楽しい思い出だ。
「して欲しいこととかあったらどんどんいってくれ。俺はどこまでも付き合ってやるからさ」
思いは同じだということをニーニアに伝えたかったのだが、「う、うん…」、と頷く彼女の表情は少し気まずそうだ。
まだ、ダインに対して“隠し事”があったからだ。
しかもその内容は、これまでの比ではないほどの“巻き込み”になってしまうかもしれない。
その隠し事に関しては、タイミングを見てダインに明かしたほうがいいとラフィンからはいわれていたのだが…。
「あれ? ニーニア、首に何かつけてないか?」
ここで明かしてしまおうかと考えていたとき、先にダインが気づいたことをいってきた。
「ペンダントか? それ」
確かにニーニアの首にはネックレスのようなものが巻かれていた。
胸元に垂れた先端部には、透明な紫色をした六角柱状の小さな水晶があった。
「ニーニアがアクセサリー身につけるなんて珍しいな」
モノづくりが得意なニーニアはアクセサリー系をよく自作しているが、指輪やネックレスといった装飾品を身につけていることは少ない。
「あ…これ、『不感トリンちゃん』っていうもので…」
「ん? 普通のペンダントじゃないのか?」
「う、うん」
一度その水晶に触れてから、彼女は説明を始める。
「この水晶の中にね、“ジャミングの魔法”が仕込まれてあって…あ、ダイン君は知ってる?」
「ああ。確か精神に干渉する魔法を阻害して、自分の身を守る防御魔法…だったよな?」
そのダインの知識は間違ってなかったようで、ニーニアはコクリと頷く。
「その魔法を“感覚の阻害”にまで昇華させて、この水晶の中に閉じ込めたんだよ」
「感覚の阻害…っていうことは、五感が鈍くなったりするっていうことか?」
「う、うん、そうだね」
「へー」
ダインは、触って良いか、と一言断ってそのペンダントを手に取ってみる。
ヴァンプ族には魔法が効かないのでダインには何の影響もなかったが、透明な紫と黄色が入り混じった水晶はなかなか綺麗だ。
「珍しいもん作ったな」
「あ、あはは、そうだね」
「でも何だってこんなもん…」
作った意図を尋ねようとして、ダインは動きを止めた。
「…そ…それは…その…」
ニーニアの顔が真っ赤になっていたのだ。
「こ、これがあれば、感覚が鈍くなれるから…だから…その…」
ちらちらとダインを見つつ、彼女は小声で続ける。
「で、できるかなって…えと…さ、最後…まで…気を失わずに…」
そこでダインは無言になってしまう。
アレが試せる、といっていたニーニアの台詞を思い出した。
彼女が何を考えてそのペンダントを作り、いま身につけているのか。その意味を理解したダインも、みるみる顔を赤くさせていく。
「そ、その、さ…前から思っていたんだけど…みんな、少し焦りすぎじゃないか…?」
恥ずかしさを堪えつつ、ダインはつい疑問に思っていたことを口にしてしまった。
「ま、まだ俺たちは学生なんだし、“そういうこと”は、みんな卒業してからでもいいんじゃ…」
「そ、それは駄目だよ」
ニーニアが即座にいう。
「色々と計画が…」
いいかけて、ハッとした様な顔になって黙り込んでしまった。
「計画?」
「う、ううん、何でも…」
慌てたように首を横に振り、「し、知ってるから…私も、みんなも…」、と俯いたまま呟く。
「知ってるって…」
「ダイン君が、色々と我慢…してるの…」
え、とダインはまた硬直してしまう。
「知ってるから…」
繰り返して言ったニーニアは、「だ、だから、ダイン君のそういった欲求にも、私はできる限り応えたくて…」と話す。
ニーニアたちと出会い、こうして泊まり合いをするほどの仲になったが、実のところ出会いからまだ一年も過ぎてない。
しかし濃密な数ヶ月間を共にしたおかげで、親友以上の関係になれたのだ。
ダインと出会い、彼の優しさを知り、深い愛情を抱くようになったいま、彼女たちはダインの微妙な変化をも気づけるようになった。
傍目にはなんでもない素振りを見せつつも、彼にも“抑圧された欲望”があるというのを本能で感じ取っていたのだろう。
「あ、で、でも、我慢してるのはダイン君だけじゃないよ?」
ニーニアは続ける。
「そ、そういった欲求は、当然、その…私…ううん、私たちにもあって…えと…もっとひっつきたいなとか、触りたいなとか、よく思っちゃってて…」
ルシラは空の彼方に外泊中で、大人たちは宴会に夢中。
完全なる二人きりというシチュエーションがそうさせるのか、ニーニアは本音をひけらかしていく。
「や、やっぱり我慢なんてできないよ。ダイン君を見ていると気持ちが溢れそうになって、色んなこと想像しちゃったり、想像するあまりに勉強が手につかなくなっちゃったりすることもあるし…」
ニーニアからそんな話をすること自体、初めてのことだった。
「いや…えと…そう…なん、だな…」
ずっと我慢してたというニーニアに、ダインはそう答えるしかない。
そこでようやく彼女も何を打ち明けているかに気付いたのか、「あ、で、でも、私の小さな身体じゃ、ダイン君はそんなに興奮してくれないかもしれないけど…」、と自嘲気味にいった。
「み、みんな、“大きい”から…色々と…」
どうやらシンシアやラフィンの豊満な身体を思い出してしまったらしい。
「そんなことはないぞ、ニーニア」
比較は意味の無いものだと伝えたかったダインは、恥ずかしさを押し殺してきっちり否定した。
「もう何度もいったかも知れないけどさ、ニーニアのことは出合った時から可愛いと思ってたよ。小さな手足で動く姿がいじらしくて、初めの頃は小動物のように思っていたことは否定できないけどさ」
残り一問で宿題が終わるということも忘れ、ダインは続ける。
「でもニーニアの言動とか笑顔とか見ていると、やっぱりお前も女の子なんだなぁと感じるようになって、次第に意識するようになった。ぷにっとした頬とか、恥ずかしそうな表情とか見てるとさ、その…たまらなくなる」
それがダインの嘘偽りない気持ちだった。
「自信は持って欲しい。俺はちゃんと、お前のこと女性として魅力的に見えてるからさ」
ニーニアは恥ずかしさを堪えて本心を曝け出してくれた。
自分もしっかりと応じないとならないと考えたダインは、ついに心の中に隠し込んでいた、ある真実を明かす。
「俺の母さんやサラはさ、俺にはまだ強すぎる理性があって、ずっと“賢者”みたいになってるって思ってるようだけど…本当のこというと、その理性は半分以上は吹き飛んでいたんだよ」
「え…? そ、そうなの?」
意外そうなニーニア。ダインはコクリと頷く。
「ニーニアもそうだけど、シンシアにティエリア先輩、ラフィンにディエル。これだけ可愛くて綺麗な女の子たちに囲まれてりゃ、よほどの奴じゃないと理性なんて保てないよ」
そこでニーニアの目が見開かれる。どんな色仕掛けにも反応しなさそう、してこなかったダインなのに、とっくに理性が瓦解寸前だったのは衝撃的だったのだろう。
予想通りの反応にダインは笑いつつ、「だから年相応の反応とか出てくるようになっちまったよ」、とさらに続けていった。
「ニーニアたちの胸に何度か目が向いちまったことがあるし、スカートから見える太ももにドキリとさせられたりとか、無性に抱きつきたくなったりとかさ…」
ニーニアから視線を逸らしたダインの横顔は、すっかり真っ赤に染め上がっている。
ダインもダインで、いままで必死に我慢していたようだ。
「そう…なんだ…そ、そんなに…私たちのこと…」
ダインが色々と我慢していたのは何となく察していた。
が、漠然と感じ取っていただけのことであり、彼がここまで自分たちに対して劣情に近い感情を抱いていたというのは驚きだった。
劣情を抱かれるというのは、それだけダインが自分たちのことを魅力的に感じてもらっているということであり、そのことに気づいたニーニアは徐々に嬉しさに支配されていく。
おもむろに自身の携帯を取り出し、画面を操作して何やら文字を打ち始めた。
「え、きゅ、急にどうした?」
「あ、うん、大事な情報聞けたから、みんなと共有しようと…」
なんとニーニアはダインが打ち明けたことを早速シンシアたちに報告するつもりらしい。
彼女のことだから、きっと事細かに話すつもりなのだろう。
「い、いやいや、それは恥ずいって!」
ダインはすぐさまニーニアから携帯を取り上げようとしたが、察した彼女は立ち上がって逃げていく。
「ちょ、こら!」
そのまま部屋を出て行こうとしたので、ダインは持ち前の俊敏な動きでニーニアの身体を捕らえ、持ち上げた。
「あはは!」
瞬間、彼女からおかしそうな笑い声が上がる。
「捕まっちゃった! ふふ」
どうやらからかわれただけだったようだ。
「お前な…!」
復讐心に駆られたダインは、抱っこしたままニーニアの身体をくすぐり始める。
「や、やははは! やはははは!!」
ニーニアはくすぐったさにじたばたと暴れだす。
「あいつ等にメールしないよな!?」
「う、うん、うん! しない、しないよ! あははは!!」
「本当か!?」
「あはは! ほ、本当…本当だよ! ふ、ふた…二人だけの、秘密…あはははは!!」
少しニーニアが暴れすぎたためか、ダインは足元を崩しそうになってしまう。
「おっとと…!」
ニーニアを抱えたまま足をもつれさせ、側にあったベッドに倒れるようにして落ちてしまった。
掛け布団に包まれ、ニーニアから「わぷっ!」という声が漏れる。
「あ、悪い、大丈夫か?」
怪我してないかと声をかけると、「ふふ、気持ちいいよ」、とニーニアが布団の中から笑いかけてきた。
「ベッドふかふかだよ。毎日干してるんだよね?」
「ん? ああ。ルシラがいつも干してくれてさ」
「ほんとに気持ちいいよ。ふふ」
ニーニアはずっと笑顔だ。
魅力的だといわれ、嬉しさがなかなか抜けないのかもしれない。
本当に可愛らしい笑顔でずっと見ていられたのだが、彼女に覆いかぶさった体勢だと気づいたダインは、「っと、どくな」、とニーニアから離れようとした。
「あの…ダイン君」
が、ニーニアはダインの首に両腕を回したまま。
「え、えとね、その…」
笑顔からいきなり恥ずかしそうな顔になり、何かいいたげな視線を彼に向ける。
「その…い、いいんだ、よ?」
そういった。
「が、我慢なんか、しな…くても…」
ダインの本心を知った上での台詞なのは、その表情から明らかだ。
部屋には二人きりで、お互いベッドに倒れこんでいる。シチュエーションとしては申し分ないだろう。
「い、いや…でもだな…」
しかしダインはやはり、いま一歩踏み出せないでいる。
“我慢”してはいるものの、それから先にいけないのは、理性が欠片となってもなお理性の自己主張が強いからか、はたまたダインが単にヘタレなだけなのか。
「いいの、ダイン君」
戸惑いを見せるダインを目の前にしても、ニーニアは諦めなかった。
ダインの本音を知り、それが自分と同じものだと分かった以上、もう我慢する必要はないと悟ったのだ。
「ダイン君が私にしたいこと、全部して欲しいよ。ダイン君のすることを全部受け止めたいし、それが私が一番望んでいることで、嬉しいことだから」
気づけば、部屋の中は七色に光る雪のような“結晶”がいくつも浮かんでいる。
それはニーニアの胸元から出ていたもので、ドワ族の溢れ出んばかりの愛情が魔力と結合し、可視化されたものだった。
『ホワイトピュア』と名づけられたそれは次々とニーニアの体内から出てきており、さらに部屋の中を埋め尽くしていく。
「…ほんと、ずるいよな…」
言葉だけでなく視覚からも愛情を表現され、ダインは諦めたような笑みを浮かべてしまう。
普段は大人しく、初対面相手には極度の“人見知りスキル”を発動させて気配を消すくせに、心を許した相手にはどこまでも甘やかそうとしてきて、二人きりになったときは大胆に迫ってくるニーニア。
その大きなギャップにダインは何度も不意をつかれ、何度ドキリとさせられたか分からない。
エレイン村を本来の場所に戻そうかという話が持ち上がったときもそうだ。
ニーニアは見て分かるほどに寂しそうな表情を見せ、遠まわしに阻止しようと、話題にすら出さないようにとはぐらかしてきた。
きっとどれも意図したものではなく、天然でそういった行動を取っていたのだろう。だからこそダインも心を揺さぶられ、いまになってもリステン家にお世話になってしまっている。
もはや抜け出せないところまできているといってもいいだろう。ニーニアの大きすぎる愛情という“蔦”にがんじがらめにされ、完全に取り込まれてしまったのだ。
「じゃあ、その…少しだけな…?」
だからダインも覚悟を決めた。どうせ抜け出せないのなら、どこまででもニーニアというぬかるみに沈みこんでいこう。
動き出そうとしたダインだが、両親たちはいまもなお起きて宴会中だということに気づき、「あー、でも今日はまずいんじゃ…」と突然の乱入や覗きを危惧して躊躇った。
「あ、そ、それは大丈夫だよ」
ニーニアはやや緊張した様子のまま笑顔を浮かべた。
「窓には覗き防止のフィルムを貼ってあるし、ドアには誰かが来たらすぐに分かるように見えないベルを仕掛けていたし、お部屋全体にも、不用意に進入できないバリアをラフィンちゃんとティエリア先輩が何重にも張ってくれてあるから…」
…どうやら部屋主であるダインが与り知らない間に、自身の部屋が魔改造されてあったらしい。
ダインはつくづく、ニーニアたちはこういうことに関しては抜かりなく、そして油断のない奴らだと思った。
「あ〜、と…じゃあ、少しでも不安に思ったり怖いと感じたら、すぐに言えよ?」
「う、うん…ふふ」
頷いた後、ニーニアは笑う。
「ダイン君に対しては、いままで怖いと思ったことは一度も無いから…大丈夫だよ」
そういってから、彼女はベッドの上で仰向けになったまま全身の力を抜く。
ダインの身長に合わせて作られたベッドであるため、ニーニアの小ささが改めて浮き彫りになる。
何だかいけないことをしているようだ、といえばクラスメイトであるニーニアには失礼だろうか。
「あ、わ、私、何かしたほうがいいかな?」
突然ニーニアが身体を起こそうとした。
「こういうの、えと、確か…まぐろ? っていうからあまり良くないらしいって、ディエルちゃんから聞いた気が…」
…あいつも何を教えてるんだろうか。
「いいよ、そのままで」
ダインは笑いながらニーニアの肩を押し、再びベッドに寝かせた。
「今日はそんな本格的なのをするつもりはない。明日学校だし、段階を踏んでいこう。焦らずにな」
そして仰向けのままだったニーニアの頭を撫で始める。
「ん…ふふ、ダイン君、くすぐったいよ」
撫で方が優しすぎたのか、ニーニアはまたくすぐったそうに身をよじった。
それでも心地良さそうな表情で目を閉じており、ダインの手の感触を堪能している。
ダインはそのまま頭から頬にまで手を滑らせ、同じように頬も撫でる。と、そこでまたニーニアから心地良さそうな声が漏れた。
「ダイン君…」
ニーニアの小さな手がダインの手の甲に添えられ、押し付けるようにして頬擦りしてきた。まるで小動物に甘えられてるようだ。
「その…どうだ?」
ぷにぷにとした頬の柔らかさを堪能しながら、ダインはきいた。
「不感トリンちゃん…だったか? 効果あるか?」
ニーニアは自作したペンダントを身につけている。
「効果は、ある…と思う」
ダインに優しく触れられつつ、ニーニアは答える。
「感覚が鈍くなってるみたい。何重もの布越しにダイン君に触られているような感じがするから」
「おお、マジか。さすがニーニアだな」
狙った通りの効果が現れたようで、ダインはこの状況も忘れ素直に喜んでしまった。
「これなら、本当に最後までできるかも知れない…けど…」
しかし、ニーニアはどこか不満げだ。
「何か問題があったのか?」
「そういうわけじゃないけど、でも…」
彼女は少し考え込んでしまう。
「うん、やっぱり駄目」
そういって、自らペンダントを外してしまった。
「え、どうした?」
「やっぱり嫌だよ」
ニーニアはペンダントを手の届かないところに置いて、ダインを見る。
「アイテムに頼らなきゃ、ダイン君と最後までできないなんて」
「いやでも…いいのか?」
「いいの」
真っ赤ながらも微笑んだニーニアは、再びダインの手を掴む。
「しっかりとダイン君を感じていたいから…間には何も挟みたくない」
きっと、その言動もニーニアの“天然の魔性”のものだったのだろう。
またドキリとさせられてしまったダインは、「…分かった」とやや真剣な顔になってニーニアを見た。
「そこまでの想いでいたんなら、俺もちゃんと応じないとな」
もう我慢することは止めようと思ったダインは、仰向けになっていたニーニアに覆いかぶさった。
「あわ…だ、ダイン君…」
ニーニアから見えていた天井の明かりが、ダインの影で覆いつくされ、ニーニアの顔がまた赤くなっていく。
「“普通のやり方”がどういったものかは詳しく知らないけどさ、俺は…いや、俺たちヴァンプ族の“やり方”は少し特殊だと思うよ」
ダインの手が再びニーニアの頬に添えられる。
ペンダントの効果は無いため、ダインの手の感触がダイレクトに伝わってくる。
「ふわ…」
思わず声が出てしまいそうなほど、彼の肌の感触は心地よすぎるものだった。
男の手というものは大体がごつごつしていたり硬かったりしているものなのだが、彼の手には硬さだけではない妙な艶かしさがある。
「と…特殊…って…?」
どういうことか尋ねようとしたニーニアだが、突然全身が無意識に跳ねた。
「ひゅあっ!?」
つい手足を動かしそうになったが動かない。
見ると、“透明な管”のようなものが自身の腕や足に巻きついてきていた。
「相手のことが欲しいと思うと、どうやっても“コレ”が出てきちまうようでさ…」
その“触手”はダインの背中や腕から伸びている。
「あ…わ…わ…」
ニーニアが少しビックリしている間にもその本数は増えていき、彼女の小さな身体に次々と絡んでいく。
触手を出せる━━それこそが、ヴァンプ族という種族の最大の特徴だった。
相手から魔力を奪い取るためにできた能力で、“捕食対象者”以外には視認することも触れることもできないという不思議な器官。
その触感はヴァンプ族の肌以上に艶かしいもので、相手をあっという間に骨抜きにする力を秘めている。
効率よく“吸魔”するために生まれたものだといってもいいだろう。
実際にニーニアの口からは喘ぐような声が漏れてしまい、全身の力は完全に抜けている。
気づけば全身を拘束されており、身じろぎ一つできない。
そんな彼女をダインは優しげに見つめており、なおも小さな頬や頭を手で撫で続けている。
柔らかくて、暖かくて、それでいて艶かしすぎるほどにいやらしいダインの感触。
「あ…」
シチュエーションもばっちりで、ダインも男の本能を出してくれて、今度こそ上手くいくかもしれないという期待はあった。
今度こそ、最後までいけるかもしれないという大きな期待はあった。
だが、ペンダントを外し、触手に全身を絡めとられた瞬間、ニーニアは悟ってしまった。
「だ…ダイン、く…」
きっと耐えられないと。
ただでさえ感触の良すぎる触手に包まれ、その上でダインに抱きつかれてしまっては。
覆いかぶさるように抱きしめられ、そして…
「可愛いよ、ニーニア」
そんなことを、耳元で囁かれてしまっては。
めくるめく“いちゃラブ”を妄想していたのに、その妄想以上のものが怒涛の勢いで襲い掛かってきたのだ。
「ちっちゃいのに頑張りやさんで、努力家なニーニアのこと、俺は大好きだからな」
そう囁かれ続けながらも、触手を通じて少しずつ魔力を吸われていっているのが分かる。
ダインも無意識に吸魔してしまっているようなのだが、その吸われる感覚は強烈な快感を伴っており、ニーニアの口からまた妙な声が出てしまい、全身がびくびくと震えてしまう。
「あ…あぁ…ダイン、くん…」
ヴァンプ族。
魔力が無く、魔法が使えない替わりにありえないほどの力持ちで、触手を出して魔力を奪えるという不思議な種族。
その特性や能力から考えると、彼らは恐ろしくいやらしい種族…になるのだろう。
彼らがその気になれば、あらゆる快楽や悦楽を意のままに操り、相手を簡単に壊すことができる。
さらにその能力を遺憾なく発揮すれば、他者を身も心も完全に掌握し、世界を征服することだってできたかもしれない。快楽を操るというのは、それほど危険なものなのだ。
でも彼らはそうしなかった。そうしてこなかった。
その類稀な能力は“武器”ではなく、“他人に迷惑がかかるもの”という意識があったから。
彼らは優しすぎるのだ。
だから誰にも迷惑をかけないようにと、他種族から必要以上に距離をとった辺鄙な場所に村を作り、そこで細々と暮らしていた。
世間から切り離された生活が長い年月続き、結果としてヴァンプ族の人口が著しく減っていき、“絶滅危惧種”に指定されてもこれまでの生活を変えなかった。
他種族に迷惑がかかるぐらいなら、ヴァンプ族という種族が絶滅してもいいとまで考えているのだ。
優しい人たちしかいない種族なのに。
『ダイン・カールセン』という真の英雄を育て上げ、世界を救うどころか、七竜やレギオスをも救ってくれたというのに。
かつての七英雄や創造神エレンディアですら成し遂げられなかったことをしたというのに、世間からの注目や賞賛を一切浴びないまま、絶滅を迎えようとしている。
(絶対…絶滅は阻止する、から…)
ダインに抱きつかれ、何度も意識が飛びそうになりながらも、ニーニアは想いを強くした。
(私が…ううん、私たちが頑張るから…だから絶対に、“成功”…させようね…)
そんな彼女の強い想いは、魔力に乗じてダインに流れていっているかもしれない。
が、すっかり興奮状態にあったダインには気づく余裕はないようで、顔が離れたと思ったら、真正面から顔を近づけキスをした。
触手。抱きつき。キス。
その三つの感触にニーニアはさすがに耐え切れなくて、一瞬にして気を失ってしまう。
共感覚によってダインも同時に意識を失ってしまい、うまくいきそうだった情事はいつもの通り未遂に終わることとなった。