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ある希少種の日常 その後━  作者: 紅林雅樹
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第四話 『男たちの休息』

「俺の部屋に堕天使が押しかけてきてうざいんだけど」


いきなりシグがいう。


「お、ラノベの新作っすか」


コーヒーカップ片手にダインがいうと、「タイトルじゃねぇよ!」とシグが声を張り上げて否定した。

そこは喫茶店だった。

やや狭い店だが床には黒い絨毯が敷き詰められ、壁紙は白。二人がけの椅子には絨毯と同じ素材が使われており、テーブルはガラス張り。

黒と白のモノトーンが基調の店内はとてもシックな雰囲気が漂っており、店内に流れるBGMもピアノ調でクラシカルな音楽だ。

そんな大人びた空間の中、甘めの紅茶を口にしたシグは何度目になるか分からないため息を吐いた。


「…知ってたろ、なぁ」


そういって隣のダインから顔を外し、正面に向ける。「なぁ、カイン」

そこにはカインもいた。


「私は相談を受けただけだ」


非番の彼は私服姿で、ティーカップを傾けてから答える。


「ずっとジーニ君のところに居座るのも忍びないと思ったらしく、できるだけ家賃のかからない良い物件は無いか相談されたんだ」

「それでなんで俺のところを紹介したんだよ」

「私もこの辺りの物件にはあまり詳しくなくてね。シグのところには何度か行ったことがあるし、空き部屋もいくつかあったのを思い出してちょうどいいと提案してみたんだ」

「なるほどね、それなら…って言うと思うか!」


シグは思わず突っ込んでしまう。


「いくら良い部屋が見つからないっつったって、男の部屋紹介する奴がいるかよ! カインにいわれるがまま俺んとこに押しかけるサイラもサイラだけどよぉ…」


ぶつぶついいながら、シグはまた紅茶を飲んでいる。


「シグもシグで大変なんだな…」


同情の視線を送るダインに、「お前ほどじゃねぇけどな」とシグはいった。


「確かに俺はサイラの狂人ムーブに困っちゃいるけど、お前の苦労はその五倍だからな…」


今度はシグのほうからダインに哀れむような目を向けた。


「週間旅行計画だっけ? 女連中の中だけで、またとんでもねぇもん企画されたもんだな…」


ダインはたまたま“この場”に居合わせていた。

考え事をしたいときにいつも利用させてもらっている喫茶店だが、そこにカインとシグがいたのだ。

ちょうどいいと思い、ダインは彼らに“先日の出来事”を話した。

ソフィル女王神から行方不明者の捜索を依頼されたこと。そのついでに、シンシアたちそれぞれとの旅行を計画されたこと。

一方的に盛り上がる女子連中にダインが意見を差し挟む隙は全く無く、半ば強制的に旅行計画が決定したのだった。


「行方不明者の捜索なんて、その気になりゃ一日で見つけられそうなものなんだけどさ…」


魔法を使えないダインだが、代わりに彼にはとてつもない身体能力がある。

ある意味で転移魔法より素早く移動できるダインにかかれば、本人のいう通り一日もかからずメデルを見つけ出すことができるだろう。

が、捜索よりも旅行をメインに考えているシンシアたちに何も提案することができず、勢いに流されるまま今日まで来てしまった。


「完全に偏見だけどさ、女が絡むとろくなことになりゃしねぇって思わねぇか?」


シグが持論を述べだした。


「彼女ができて浮かれる隊員がいやがるし、方や浮気されたとかで落ち込みまくって特訓に身が入らねぇ奴がいたりよ。俺んとこだけじゃなく、デート代だなんだと何かと金がいるようになって犯罪に走る奴も沢山見てきた」


人間同士のトラブルも多く解決したシグならではの話だろう。


「めんどくせぇったらありゃしねぇ。なぁ?」


同意を求められたダインだが、「い、いやぁ、俺の場合はちょっと特殊だから…」、と微妙そうな表情でいった。


「多勢に無勢だっていえばちょっとかっこ悪いけど、あいつ等が楽しいならそれでいいかなってさ」

「野郎同士に限るって」


シグがいう。


「バカ騒ぎしても冷ややかに見てこねぇし冷静に突っ込まねぇ。三角関係とかどろどろしいもんも起きねぇし、腹割って言い合える。そっちの方が気が楽じゃん。だからお前も考え事をしたいときはこの喫茶店に来てるんだろ?」


シグたち以外に誰もいない店内を見回してから、彼は続けた。


「隠れ家的な店で、内装がシック過ぎるから客は男ばっか。俺もカインも入りやすい店なんだよな」

「悪かったな」


突然別の方向から男の声がした。

ダインたちのテーブルにやってきたのは一人の男性店員で、三人の目の前に白い皿を置いていく。上には豪華に盛り付けされたクレープが乗っていた。


「そっちの二人はミントで、ダインはチョコでよかったんだよな?」


知人に話しかけるような口調でいってきたのは、『クレス・リッチェル』。

かつてはガーゴの捜査員に所属しており、レギオス事変の最中にあった『カラー大裁判』を勝利に導いた男でもある。


「男ばっかの店で悪かったな。喫茶店だから多少の出会いは期待してたのにさ…」


本音を漏らすクレスに、「そこがいいんだって」、とシグがいった。


「女が集まれば恋バナやら悪口やら噂話ばっかでやかましいったらありゃしねぇ。ただ平穏に過ごしたいんだよ俺は」


先ほどからのシグの発言から男好きなのではと一瞬勘ぐってしまったダインだが、単に男女間トラブルを散々見せられてきてうんざりしてるだけのようだ。


「俺としては女性客も取り込みたいんだけどな」


とクレス。


「男が〜とか女が〜とかじゃなくてさ、集客したいんだよ。この店はまだ開店して間もないし、どうにか固定客を沢山つけていきたいんだけどな」

「その内そうなるんじゃないか?」


カインがいった。


「露店のクレープ屋の稼ぎだけで、自分の店を持つほどに成長できたのだから。私は基本的に甘いものは苦手だったのだが、ここのは食べられる。このクレープだけで十分勝負できているじゃないか」


ナイフとフォークを使ってクレープを食べているカイン。

丁寧な所作でスイーツを食べている姿はとても様になっており、彼の端正な顔立ちのせいか妙に絵になる。


「…とはいえ、店内の内装にはまだ少し改良の余地はあると思うが」


続けてカインがいうと、「あ、それは俺も思ってましたね」とダインがいった。


「渋すぎるっつーかなんつーか、女性客お断り勘が出てるっていうかさ」

「あー、ダインもそう思うか。実は俺もな…」


クレスが正直な感想をいおうとしたとき、


「聞こえてるぞ」


とカウンターの奥から重低音のある声がした。

新たにダインたちのところにやってきた中年の男性は、この喫茶店『ダージリン』の店主だった。


「クレス。忘れていたぞ」


そういって、彼はテーブルに綺麗な装飾の施されたガラス容器を置いた。中には黄金色の液体が入っている。蜂蜜だ。


「妻と毎晩意見を出し合った末に決まった内装なんだ。下手に弄らないでくれよ」


冗談めいた口調だが、目が本気だった彼の名は『ロドニー・クェスタイン』。

彼もまた元ガーゴの捜査員で、かつてはクレスの上司だった男だ。

カラー大裁判の決定打となった“文書”をクレスと共に見つけ出し、『創造神エレンディア』と『邪神レギオス』に関する世の中の歴史認識を根底から覆した。

そのことでガーゴに居辛くなりクレスと共に退職し、露店のクレープ屋に転職したのだが、予想外に人気が出た結果店を持つまで成長したのだ。


「分かる人だけ来てくれれば良い。そういうコンセプトで建てた店なのだからな」


ガンコ店主のような台詞を言い残し、彼はカウンター奥へ戻って新聞を読み始める。


「ロドニーさ…いや、店長があんな様子だから、俺には当分そういった出会いはなさそうだ」


クレスはやれやれとした仕草で首を横に振る。


「だからダインの話もシグの話も俺にとっては羨ましいだけなんだけど。女に囲まれてとか、女が押しかけてきてとか、何のギャルゲだって話」


もう退職したのだから、かつての上司であるシグに対しては地でいくことに決めたのだろう。クレスはざっくばらんな態度でダインたちが注文したクレープに蜂蜜をかけていった。


「当事者の俺にとっちゃ大変なんだよ」


シグがいう。


「勝手に部屋割り決めやがるし、風呂に入る時間も決められ洗濯の順番まで決めてきやがる。一人暮らしは気楽なことが一番だったのに、それがなくなっちまったんだよ」


確かに、女が押しかけてくるというシチュエーションはドラマやマンガでよくある展開だが、実生活を考えるとなかなか大変である。それが恋人でもないただの知人レベルなら尚更だ。


「プライベートな空間がいきなり制限されんだぞ。好きな場所で好きなことができなくなる辛さはお前も分かるだろ」

「それは…まぁ」


クレスは同情を寄せるが、「だが現状、君はサイラ君を受け入れるしかないな」、とカインが口を挟んできた。


「サイラ君を外に出したのは君なのだから。行く当てのない彼女の面倒を見るつもりで、牢屋に囚われていたサイラ君を説得しにいったのだろう?」


図星だったシグは「ぐ…」と言葉を詰まらせてしまう。


「現に君は押しかけてきたサイラ君を突き放すことなく受け入れた。もう面倒を見る覚悟は決まったはずだ」


断言するカインに、「い、いや、にしたってさぁ…問題あるじゃねぇか…色々と…」、とシグは顔をやや赤く染めながらいった。


「問題とは?」

「ほ、ほら、一応男と女なんだしさ…その…」


そこでカインとダイン、クレスは意外そうな表情をシグに向ける。

長い間戦場に身を置いて、強さのみを追及していた“脳筋”のはずのシグからでは予想できない台詞だった。

そんな彼らの考えが伝わったのか、「い、いや、ち、違うからな!!」、と誰も何もいってないのにシグが一人突っ込んだ。


「あ、あくまで世間体とか近隣住民の目とか、そういう常識的な話で…これまでアイツを“そういった目”で見たこととかねぇから!!」


必死な弁明だ。


「だったら何も問題ないじゃないか」


涼しげにカインがいった。


「行く当てのないサイラ君を、君は温情で受け入れた。どちらにもやましい気持ちは無く、単に共同生活が始まっただけの話だ。世間にどう見られようが一向に構わんと思うのだが」

「それはそう…それはそうなんだけどよ…」


シグはまだ複雑そうな表情でいたが、ここでいくら文句をいっても事態が好転しないことを理解したのか、また大きなため息を吐きながら肩をすくませた。


「分かったよ、分かった。カインのいう通り、俺は覚悟を決めている。もうなるようにしかならねぇよ」


諦めたような口調で、でもな、と続ける。


「アイツ自身もああして誰かの家に押しかけることは初めてらしいし、ましてやむさ苦しい野郎の部屋だ。アイツだってすぐに嫌気さして出て行くだろ。それまでは我慢するつもりだよ」

「そうか」


何か含ませたような笑顔でカインは頷いている。シグの予想が外れるとでも言いたげだ。


「で、そのサイラさんはいまどうしてんだよ?」


ダインがきくと、「あー、まだ朝だし、いまは部屋で寝てんじゃねぇかな」とシグ。


「エンジェ族のクセに基本的にアイツはグータラなんだし、俺の部屋に押しかけてきた当日も布団敷いて勝手に寝やがったからな。あんな自由奔放な奴とは思わなかったよマジで…」


嘆くようにいったとき、シグのポケットから音が鳴り出した。誰かからシグの携帯に連絡が来たようだ。


「あん? 何だよサイラ?」


何と話題の人物からの連絡のようだ。


「ああ…ああ…」


携帯を耳に押し当てながら何度か頷くシグだが、途中で「はぁっ!?」と声を張り上げた。


「ちょ、待て! 俺の部屋まで片付けなくていいんだよ! そこには色々とプレミアもんのアイテムが転がって…! ちげーよ! それゴミじゃねぇっつの!!」


そのまま勢いづいて立ち上がる。


「分かった、いま行く! いまから戻るから、その部屋のもんには触れるな! 空箱まみれで散らかってることはその通りだが、何を捨てて何を残すかは俺が決め…だからそれもいるんだっつの!!」


サイラと通話を繋げつつ残ったクレープを全て平らげ、紅茶も一気に飲み干した。

そして財布を取り出してクレスに紙幣を差し出し、そのまま店を飛び出していってしまう。どうやら本当に自分のマンションに帰っていったらしい。


「…大変だな、あいつ…」


ダインが思わずいってしまう。


「くく…そうだな」


カインは堪えきれない笑いを漏らしている。


「サイラ君の行動はある程度まで予想できてはいたが、まさか本当にシグのところに押しかけるなんてな…」

「悪い人っすね」


ダインも意味深な笑顔でいった。


「けしかけたのはカインさんでしょ。サイラさんから相談を受けたとき、あんたが『シグは本当に良い奴だよ』っていったから」


カイン本人から色々と聞いていたダインは、「やっぱり怖い人っすねぇ」と続ける。


「そんな感じで俺たちを動かして、『エレンディアの文書』を見つけさせたんすから」


数ヶ月前の出来事にまで言及するが、「何の話だろうか」、とカインはまだ表情に含み笑顔を貼り付けている。


「私はただ、『プレミリア大聖堂にお宝があるかもしれない』とどこかの居酒屋で口を滑らせただけだよ。酔った勢いで口にしたことをたまたまその場に居合わせた“無法者”が聞いていただけで、発見にまで至るとはさすがに予想できなかった」


“あのとき”━━エレンディアの文書を見つけ出したのはロドニーとクレスだが、その情報を教えたのはダインたちカールセン家だった。

さらにそのカールセン家に情報を流したのは『オニワシュウ』という義賊であり、どうして“オラクル派”が命がけで秘匿し続けていたことを義賊たちが知ることができたのか、ダインはずっと疑問だったのだが…カインのすっとぼけたような話を聞いて、すぐに彼が仕組んだことだと理解したのだ。


「ほんと油断ならないっつーか…さすが、長年ガーゴの幹部にいただけのことはあるっすよね」

「ふ…褒め言葉として受け取っておこう」

「この人の怖さについては、ガーゴ時代に俺も良く耳にしていたよ」


クレスが会話に混じり、ダインに当時の噂話をし始める。

犯罪者には冷酷無比。

モンスターの死体の山をいくつも作った、ガーゴ組織最強の兵器。

“オールキラー”という異名の基になった話など、ダインはリアクション良く彼の話に聞き入っていて、真偽の分からない噂話にカインは否定も肯定もせず、ただ静かにクレープを食べ進めている。


彼らの笑い声を何度も聞きつつ、カウンター席にいたロドニーは口の端に笑みを結んでいた。

改めて考えてみると、“この状況”は不思議でしかなかった。

雲の上ほどの存在だったカインに、ガーゴの末端でしかなかったクレス。そして彼らとは敵対していたダイン。

何度も衝突し合い、ヴァンプ族の村まで破壊されるほどのことがあったのに、彼らはいま何の分け隔ても無く笑顔で会話している。

これも恐らく、ダインが成し遂げたこと、なのだろう。


「ロドニーさ…じゃなかった、店長はどう思いますか? 他にも色々とカインさんにまつわる噂話を聞いてますよね?」


突然クレスがロドニーに話を振ってきた。


「いやまぁ、聞いていたには聞いていたが、怪しいものばかりで聞き流していたからな…」


適当にはぐらかしたロドニーは、「そんなことよりもだ、ダイン」、と相変わらず客が来ないことを確認して、ダインに顔を向けた。


「君が探しているというメデル様…だったか? その人の捜索をこちらでやってもいいのか?」


表情をいきなり真面目なものに戻した。


「君の頼みとあれば、無償で捜索に当たってもいいのだが」


捜査員時代を彷彿とさせるような顔だ。

最近、ロドニーとクレスは喫茶店の経営以外に、副業を二つ始めた。

一つは人員不足のガーゴの手伝い…いわゆるアルバイトで、もう一つは探偵業だ。

ガーゴ時代に培った経験が活きており、まだまだ知名度は低いものの、顧客満足度はいまのところ高水準を維持している。


「どうする?」


ありがたい申し出だったが、ダインは「いや、いまはいいっす」と申し訳なさそうに答えた。


「メインは人探しじゃなくて旅行っぽいっすからね…もしいまメデルさんを見つけてしまったら、みんな残念がっちまうような気がする」


捜索依頼されたのに、本気で探してはならないとソフィルはいっていた。

何とも煮え切らない話だが、悪いようにはしないとのことだし、ダインは“今回も”流されるままいくことに決めたようだ。


「あ、でも情報は欲しいっすね」


ダインは続けた。


「どれだけそのメデルって人がラッキーガールか知らないっすけど、トラブルに巻き込まれないなんて保証はどこにもないですし、居場所くらいは掴んでおきたいっすね」

「最もだな」


納得して頷くカインだが、「しかし元封印地を巡っているという情報だけでは何ともいえんな…」、とロドニーがいった。


レギオスが使役していた七匹の竜は、『創造神エレンディア』によって世界各地に長い年月封印されていた。

後にガーゴ組織が『七竜討伐作戦』なるものを計画、実行し、結果的に七竜は倒され封印地は通常の土地となった。

現在その土地は“レギオス所縁の地”として名所となっており、毎日沢山の人々が参拝や見学に訪れている。

つまり、封印地巡礼というのは多くの人がしているのだ。場所によっては自由見学が可能なところもあって、一日に数千、数万人の人たちが行き交っている。それだけの人たちが訪れるのだから、当然誰が来ていたかなど把握できるはずもない。


「捜索の指標になりそうなものがあるとすれば、そのメデル様の能力か…」


クレスがいった。


「とてつもない豪運の持ち主ともなれば、否応にも目立ってしまうはずだし」


確かに彼のいう通りだろう。起こりえない奇跡が連発するなどすれば、その話は必ず広まっていく。

が、いまのところそんな話を耳にしたことはないようで、クレスもロドニーも揃って首をかしげている。


「カインさんは何か思い当たる節は…」


クレスがカインに顔を向けたのだが、彼は自身の携帯に視線を落としていた。

誰かからメールが送られてきたようで、文面を読み込んでいる。

とそこで、彼の口から「ふぅ」と息が漏れた。


「“彼女”の中では、まだ燻っているのだろうな…」


ぽつりとそう漏らす。


「何か問題が?」


ダインが尋ねると、「ああ、いや」と彼は顔を上げつつ携帯をしまった。


「ちょっとあることで部下から相談されていてな」

「相談…っすか?」

「ああ。“建築”だけで満足してくれるかと思っていたのだが、自分にはまだやれることがあるはずだといって聞かなくてな…」

「はぁ…」


何の話か全く分からなくて、ダインたちは不思議そうに彼を見ている。

彼らの視線に気づいたカインだが、「…ん、そうだな」、とダインの方を向いた。


「先ほどの話とはまったく別の話になってしまうのだが…ダイン、これから元封印地を巡っていくのであれば、いずれはエティン大陸にも訪れることになるのだろう?」


エティン大陸にも元封印地はある。『サンダレイズキャッスル』という、天空に浮かぶ要塞だ。


「まぁ向かう予定っすけど…」

「では、良かったらでいいのだが、エティン大陸に向かう前に私に一言声をかけてくれないか」

「声を?」

「ああ。少し立ち寄って欲しい施設があるんだ。手間は取らせん」


カインが頼みごとをいうとは珍しい。


「いいっすけど…」

「悪いな。君ならば、“彼女”の悩みを解決してくれそうな気がするんだ」

「はぁ…」


良く分からないながらも頷くダイン。


「カインさんも女絡みですか」


クレスが割り込んできた。


「カタブツで何者にも動じなかったカインさんも女には勝てないと…とうとうカインさんまで女の話をし出しましたか」


色々と吹っ切れていたクレスは、ガーゴ時代会うことすらなかったカインに冗談を飛ばす。


「それは…」


真面目なカインは思わず否定の言葉を口にしそうになったが、「…いや、そうだな」と素直に認めてしまった。


「確かに、私は心配しているよ。いまとなっては、私にとって“彼女”は放っておけない存在となっているな」


その容姿から彼には多くの女性ファンがいたのだが、雑誌記者が聞いたらトップニュースになるであろうことをいった。

カインの“無感情時代”のことを知っているダインたちは驚いたように彼を見てしまったが、カインはもちろん冗談をいったつもりではないのだろう。


「ヴァイオレット総監以前から私を慕い、どんな頼みごとにも応じてくれたんだ。その恩はいまも強く感じている」


カインは続ける。


「彼女自身にも色々と辛いことがあったはずなのに、自身の境遇を省みずに私の味方であろうとしてくれた。そんな彼女が、いま自身も気づかない“悩み”を抱えているんだ。あのまま放っておけば、きっと良くないことが起こってしまうだろう」


そこで彼は再びダインを見た。


「だから頼む、ダイン。“彼女”の話を聞いてくれるだけで良い」


その彼女が誰なのか、カインは言及こそしなかったものの、ダインにはある程度察しがついた。


「それぐらいなら別に構いませんけど…でもあまり期待しないでくださいよ?」


ダインは笑いながら答えた。


「俺は魔力がありませんし、何の魔法も使えませんから。役立たずなんすよ」

「君が言うと、謙遜どころか嫌味に聞こえるな」


今度はカインが笑った。


「“パンドラ”で異次元の力を手に入れた『ジグル』を退き、七竜の猛威から安全に本体を引き抜いた上に、あの邪神レギオスをも倒した君だというのに」


世界を救った新たな英雄としてシンシアたちはいまも多くの注目を集めているが、真の英雄は誰であるか、カインは知っている。


「君がした多くの偉業を複数のメディアにばらしてもいいのだぞ?」

「どういうジャンルの脅しっすか」


ダインはまた笑ってしまった。


「注目されるのは好きじゃないし、静かな生活を望んでるって前にいったじゃないすか」


以前そのことでジーグとカインが軽く揉めたことを思い出しつつ、ダインは続ける。


「感謝されたくてやったわけじゃないし、レフィリスを外の世界に戻したかったからレギオスを倒したに過ぎません。偉業だっていわれてる行動の大半は、俺“たち”にとっては単なる過程なんですから」

「野心が無いというのも考え物だな」


呆れたようにカインがいった。


「ロドニーといいクレスといい君といい、私の周りの連中はどうしてこう欲の無い者ばかりなのか」


その発言に全員が笑ったところで、今度はダインが持つ携帯から音が鳴った。


どうやらシンシアからメールが来たようで、画面を見たダインは「やべ、もう時間だ…!」といって立ち上がる。


「俺もこの辺で失礼します。オヤッさん、会計を…」

「私が払っておくよ」


財布を取り出そうとしたダインを制し、カインがいった。


「依頼料としては少々安すぎるがな」

「すいません、毎度毎度…」


恐縮しつつ店を出ようとしたが、「ほら」、と今度はロドニーが呼び止めて彼に大きめの紙袋を差し出した。


「持っていけ」


中にはテイクアウト用に包装されたクレープが沢山入っている。

シンシアたちへのお土産にと、わざわざ用意してくれていたようだ。


「サービスだから遠慮するな」

「さすが…!」


ダインは紙袋を大事そうに抱え、慌しく店を出て行った。


「…若いな」


客一人になったカインは、小さく笑いながらコーヒーを啜っている。


「カインさんも若いでしょ」


クレスが突っ込んだ。


「俺とそう年が違わないはずだし」

「そうだったか?」

「そうですよ」


そこでクレスはまた大きなため息を吐く。


「俺とほぼ同い年なのに大企業のトップで、マスコミに注目されまくりで女連中にモテモテ。絵に描いたようなリア充じゃないですか」

「あまりいいものでもないがな」


とカイン。


「企業のトップだけに相応の責任がついて回るし、マスコミからも常に監視されてるようで休まる場所が無い。私の立場や境遇を羨む者はいるのだろうが、ストレスまみれの実情を聞けば逃げ出す者がほとんどだろう」


確かに、注目されるということはそれなりにリスクが伴うということでもある。カインはいまやガーゴ組織の顔といっても間違いなく、そんな彼が問題行動を起こしたり失言をしようものなら、組織ごと一斉に叩かれるだろう。

いいたいことも言えず、やりたいこともできず、周囲の勝手な期待に応え続けなければならない。仕事場だけでなくプライベートな場でも求め続けられるというのは、確かにかなりのストレスだろう。

ガーゴのトップであるカインの大変さというものを改めて理解したクレスだが、同時に新たな疑問が沸いた。


「じゃあ、どうして総監なんてものを…?」


誰かに脅されているわけでもないし、カインにしかガーゴの総監という役職が務まらないわけでもない。


「ストレスが半端ないというのなら、逃げるという選択肢もあるはずなのでは?」


だからクレスはそう尋ねたのだが、


「半ば意地のようなものだな」


何も無い空間を真っ直ぐに見つめながら、カインはいう。


「感情の無いマシーンだの恵まれすぎだの陰口を叩かれ続けてきたが、私とて何の努力もせずいまの地位につけたわけではない。努力しただけの自信は持っているつもりだし、かつての“ナンバーセカンド”としてのプライドも持っているつもりだ」


彼はさらに続ける。


「ガーゴへの批判はいまもなお燻り続けている。確かに批判されるだけのことをしてきたことは否めないが、そのガーゴが今日までの平和を維持し続けてきたことも事実だ。市民を守るために最前線でモンスターや犯罪者らと戦ってきた部下たちの努力と実績を、前総監含む“オラクル派”の暴走のせいで無かったことにされるのだけは我慢ならないんだ。彼らの名誉とプライドを守るためにも、私は総監としての務めをしっかりとこなしたいと思っている」


何とも生真面目なカインらしい考え方だった。


「…俺らがガーゴにいたときにカインさんが総監になっていれば、この未来は少し変わっていたかも知れませんねぇ」


しみじみとクレスがいうと、ロドニーも笑いながら頷く。


「私としては、君たちにいつ戻ってきてもらっても構わんのだが?」


そういったカインは足を組んで楽な姿勢になり、“いつものように”クレスとロドニーを口説き始めた。

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