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ある希少種の日常 その後━  作者: 紅林雅樹
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第三話 『幹部たちの悩み』

ヒューマ族の始祖が生まれ育ったとされる大陸は、主要七大陸の一つといわれている『オブリビア大陸』だ。

その大陸は、数千年来『ガーゴ』という防衛組織が事実上統治しており、彼らが多くの事業に手を伸ばし、都市部の繁栄に大きく貢献したことは間違いない。

多くの名声を集め、“ある目的”を成就するために様々な悪事に手を染めようとしていたのだが、それもいまとなっては過去の話だ。


ガーゴは正体不明のルシラを巡って『カールセン家』と対立し、様々な衝突を経た後に、最後にはガーゴ組織の悪行が全世界に知れ渡ることとなった。

おかげで、長年築き上げてきたガーゴに対する市民の信頼は完全に崩れ去ったといってもいいだろう。

とはいえ、ガーゴが長年オブリビア大陸を統治し、市民の安全と平和を守ってきたのは疑いようの無い事実であり、信頼が無くなったからといってすぐに彼らに代わる新たな組織が台頭し、統治できるはずもない。


結局ガーゴに引き続き大陸の防衛と統治を任せるしかなく、ガーゴに対する批判はいまだに続いているものの、防衛組織としての実績に頼る他なかったのだ。


それに悪い事をしようとしていたのは幹部クラス以上だけであり、末端の連中はまともな人たちばかりだというのも市民たちは知っている。

マスコミの監視が厳しく責任追及の声もなかなか止まないが、中には「しっかりしてくれよ」という応援の声もある。

そんな僅かな声に応えるためにも、ガーゴはいま全組員総出で信頼回復に努めていたのだ。


とりわけ市民たちが期待を寄せているのは、新しい総監となったエンジェ族の『カイン・バッシュ』に対してだろう。


前総監の『ヴァイオレット・アレクル』と交代後、彼はすぐに新体制を組み敷いた。

ヴァイオレットが忍び込ませていた“オラクル派”の役員たちを全て排除し、組織全体の基本ルールを抜本的に見直し、住民たちの声をより多く聞くために相談所の設置数を増やしたりと、忙しいながらもスピーディに改革を進めている。

そんな彼の頑張りを市民のみならずマスコミも注目しだしたようで、いまようやく、カイン率いる“ネオ・ガーゴ”は出発点に立ったといってもいいだろう。



「…あー疲れた…」


小奇麗になったガーゴ本部の休憩室に、一人の男がやつれた表情で入ってくる。

“元”ナンバー(幹部クラス)のサード、髪を赤く染めた『シグ・ジェスイ』は、ため息を吐きながら適当な席に座ろうとした…が、先客がいたのを見つけ、「お」と声を出す。


「終わったのか」


シグに声をかけたのは、長いブロンドの髪をした、眉目秀麗な顔立ちをしたエンジェ族の男性だった。

彼は巨大組織ガーゴを纏め上げ、市民からもマスコミからも注目されている『カイン・バッシュ』、その人だ。


「ようやく終わったよ」


カインにそういいつつ、シグは彼の正面の席に腰を降ろす。

するとすぐにカインが立ち上がり、背後にあった自販機から缶コーヒーを購入し、シグの目の前に滑らせた。


「おっと、サンキュ」


シグは一気に缶コーヒーを飲み干し、「マジで大変だったよ」と眉間に皺を寄せる。


「変な世の中になっちまったもんだよまったく。討伐依頼なのに討伐しちゃなんねぇなんてさ」


シグの口から早速愚痴が飛び出し、報告書を読み込んでいたカインの口角が若干上がる。


「確かに、君にとっては大変な世の中かもしれないな」


そういった。


「多種多様を認め合い、命というものを重要視する時代に突入したのだから」


そう、世の中はいま少しずつ変わりつつある。

その変化のきっかけは、件の『事変』が最も大きな要因だということは間違いないだろう。


モンスターにも感情がある。家族がある。

彼らも人間たちと対等に扱うべきという声が出始め、モンスター全てが悪者ではないという世論に動きつつあったのだ。


問答無用で人に害を為す存在なら排除も辞さないが、迷惑をかけている程度で、かつ意思の疎通が可能な場合は、その意思の疎通で事態の収束を図るべきだというルールがガーゴ内でも出来上がってしまった。


そのため、主にモンスターの排除を専門としていた、シグ率いる『ジャッジメント部隊』も、戦闘以外でのモンスターの駆除を強いられていた。


シグがつい先ほどまで当たっていた任務とは、下水道に住み着いてしまった“スライム型モンスター”の駆除の依頼だった。

その依頼内容だけを考えれば、下水道にいたスライムを退治するだけの楽な仕事に思える。

だが不幸(?)なことに相手はスライムとはいえ人の姿に擬態することができて、その上言葉を喋り意思の疎通ができるという珍しいタイプのモンスターだった。


そのスライムの彼(彼女?)は以前人間に命を助けてもらったことがあったそうで、人間たちとの共存の道を探すために街の下水道に住み着き、地上にいる彼らの生態を調べていくうち、彼らそっくりの姿に擬態できるようにまでなったらしい。

しかしあくまでスライムなので“分裂癖”までは治すことができず、結果として下水道を埋め尽くすまで増えてしまい、地上の住人たちを悩ませるようになってしまった、とのことだ。


「それで、どうやって解決したんだ?」


詳細を尋ねるカインに、「いまってモンスターからの相談を専門に受け付けている機関があるんだな」、とシグがやや驚いたようにいう。


「『モン番』だかなんだかっていう機関が街外れにあってさ、そこに下水道のスライムのことを相談したらすぐに動いてくれたよ。異種族愛好家っつー人らとパイプがあるようで、その中のスライム好きの奴が真っ先に話をしにいったらしい」


世の中色んな奴がいるよな、とシグ。


「何の話をしたんだ?」カインはさらに先を促す。


「詳細は良く分かんねぇけど、お互いの利益が一致して何かの“商談”が決まったらしい。地下の大量のスライムはその愛好家が引き受けたんだってさ」

「なるほど」


頷いたカインは自身の携帯型通信機…“携帯”を取り出し、シグからきいた『モン番』という機関の詳細を調べ始める。


「公的な機関のようだな。ドワ族が立案者で、あの世界的に有名な企業『リステニア工房』も協賛している。確かにここならば、件のスライムも悪いようにはならないか」


スライムのその後の行方もきっちり調べたカインは、「しかしモン番か…」と呟く。


「我々“人型種”よりもモンスターのほうが多種多様だ。その分彼らの悩みは多岐に渡るだろうし、モン番だけでモンスターの相談を受けるというのも限界が生じてくるかもしれないな」

「あーそうかもな。人手が足らなくなるだろうな」

「我々ガーゴ側もそういった相談窓口を用意しても良いかもしれないな。モンスターに詳しい専門家を集めて…」


カインはぶつぶついいながらメモ帳を取り出し、思いついたことを書き込んでいる。

相変わらず真面目でマメな彼を見てから、シグはもう一度ため息を吐いてしまった。

眉間に皺が寄ったままだったことに気づき、カインは顔を上げる。


「好き勝手にモンスターを倒せなくなったいまの世の中は不満か?」


彼の心情を探るようにカインは問うた。


「以前までなら、君の得意な創造魔法で銃器を創り出し、暴れまわっていたものな」

「いや、俺だって別に好きでモンスターを倒してるわけじゃねぇよ」


シグは答える。


「モンスターに対する世間の意識が変わったことに対して不満なんかねぇ。変な怨嗟みたいなもんも生まれねぇし、奴らにも言い分ってもんがあるってのもその通りなんだしさ。そこを無視して殺しまくってたんじゃ、俺らも傍若無人なモンスターと変わりねぇ」


世間の変化に理解を示すシグを見て、カインはその表情を柔らかくさせる。


「変わったな、シグは」


そう話したカインは、ジャッジメント部隊を与えられ、任務遂行に躍起になっていたシグの過去の姿を思い起こしていた。


「以前は戦いしか考えてないようだったのに」

「いや、暴れ足りねぇって気持ちは確かにあるよ。現状それが不満なんだ」


シグは素直な気持ちを暴露する。


「技と技の応酬とか、力と力のぶつかり合いとかさ。ガチもんのバトルが最近めっきりできなくて、たまにくる依頼も交渉ばっかで全く身体を動かせてねぇんだよ。“レギオス事件”以降、世の中はマジで平和になっちまったからなー。凶悪犯とか極悪モンスターとか出てきやしねぇ」


強さを追い求め続けるシグは、戦闘らしい戦闘ができないことが一番の不満のようだった。


「君らしいな」


カインは小さく笑いながらいうも、「いやまぁ、モンスター側の話をきくのも面白いっちゃ面白いんだよ」、とシグが続ける。


「俺らには想像もつかないことで悩んでたり、あいつらにしかない能力を知って驚いたりさ。そういう点でいえば退屈じゃねぇことは確かなんだけど、でもやっぱ俺には身体を動かしてるほうが性に合ってるんだわ。体がなまっちまう気がしてうずうずしてくる」

「そうか…」


シグの不満を解消するにはどうしたらいいか。

そう考えたカインだが、すぐにシグが事変以降に親しくしている“ある人物”のことを思い出す。


「ジーグさんのところには行ってないのか? あの人ならば、君の運動不足も簡単に解消してくれると思うのだが」


カインが話題に上げたのは、ヴァンプ族でありダインの父でもある、ジーグ・カールセンのことだ。

ヴァンプ族の強さについては、あの邪神レギオスをも倒したダインのことを考えると、もはやわざわざ疑問視することでもない。


「こっちでの仕事が無茶苦茶忙しいせいで、全く行けてねぇよ」


シグはまた不満顔になった。


「“ジーグ師匠”も仕事が安定して暇な時間あるらしいから、練習に付き合ってくれるチャンスはあると思うんだけどさ」


しかしこちら側の時間がないとシグはいう。


「そろそろ定時上がりか、週休二日ぐらい作ってくれてもいいと思うんだけど」


シグは期待を込めてカインを見るが、


「それはもう少し待ってもらうほか無いな」


薄く笑いつつカインはいった。


「新体制が発足して間もないのだから、いまは何もかもが手探りの状態だ。人員も不足しているし、仕事も沢山ある」

「え〜、もういいじゃねぇかよ〜」

「頑張った分はちゃんと給与に反映しているはずだ。そこに関しての不満はないはずだが」

「それはそうなんだけどさぁ…」


また文句をいってしまいそうになったシグだが、カインのいまの立場というものを思い出し、続く台詞を飲み込んだ。


「まぁ、確かに俺なんかよりカインのほうが大変か」


やや同情を寄せたような表情を彼に向けた。


「今日もどうせ残業なんだろ?」

「それはまぁ…いまは総監だからな、私は」

「よくやるぜ、マジで」


シグは呆れてしまう。


「連日二時間以上の残業。月換算で六十時間も越えてるなんて、ブラックもいいところじゃねぇか」

「一般社員からの目線ならばそう映るかもしれないが、企業のトップに於いては就業規則の範疇には収まらないからな」


缶コーヒーを口にし、カインは息を吐いて続ける。


「それに“不祥事”のこともあって、ガーゴはいま多忙を極めている。多数の社員が頑張っている中、トップである私が悠々と定時上がりするわけにはいかん」


いかにも生真面目で実直なカインらしい考え方だ。


「その頑張りが逆に簡単に帰れない空気を作ってる場合もあるんだけどな…」


実情を呟くシグに、「そこは…何とかしようと思っている」、とカインはこれまた真面目に返す。


「まぁしかし、いまが正念場だと私は思っているよ」


と彼は続けた。


「私一人だととても手が回らなかっただろうが、君含めて沢山の優秀な部下たちが仕事を手伝ってくれている。新体制の不備もすぐに調整してくれているし、いまを切り抜ければ健全な職場環境に戻るはずだ」

「まぁ、それならいいんだけどよ」

「ああ。それに何より私には頼もしい“右腕”がいるからな」

「右腕?」


少し考えたシグは、「ああ、『ジーニ』か」といった。


「そういや、最近よく一緒にいるよな」

「事務的な処理と、現場の部下たちとのパイプ役をしてくれているんだ。とても世話になっているよ」


そう二人が話している人物は、エル族の“元”ナンバーの役員だった『ジーニ・ジルコン』。

“事変”以前から色々とあったらしい彼女だが、いまは心を入れ替えたように精力的に仕事をこなしており、かつてのような尖りきった言動はない。

冷たい印象こそまだあるものの、言葉の端々に相手を気遣うものが見られ、たまにだが笑顔も見せるようになった。

三日ほどの休職を経てからの変化っぷりに何かあったのではと囁かれたのだが、数ヶ月経ったいまでは気にする者もいない。


「朝昼晩、ずっと一緒にいるよな」


とシグ。


「そうか?」

「ああ。そのせいでそこら中で噂が立ってんぞ」


含みを持たせてシグはいったのだが、「彼女は優秀だからな」、とカインは真面目な表情で答えた。


「どんな業務もそつなくこなす。私のサポートを申し出てきたときは“例の件”もあってできるかどうか心配していたんだが、いまは安心して任せているよ」

「いや、そういう仕事の話じゃなくてさ…」


どんな噂が立っているのか説明しようとした瞬間、休憩室のドアがガチャリと開かれた。


「お疲れ様です」


そういって顔を覗かせてきたのは、話題の中心になっていたジーニだった。「お二人ともこちらにいましたか」

険が抜け、柔らかい素顔のまま部屋に入ってこようとしたが、


「ちょっと探したんですけど」


そのジーニの背後から、やや棘のある声がした。


「ちゃんとどこにいるかメモでも置いといてくださいよ、まったく」


ブロンドの髪をした女が、シグとカインの二人をジト目で睨みつける。

ジーニとは正反対に“改悪”した彼女は、『サイラ・キーリア』という、彼女も元ナンバーの役員だったエンジェ族の女性だ。

事変での中心人物でもあり、ジーニと同じく彼女にも色々とあったのだが…もう以前のように腹黒さを隠すことは止めたらしい。

素を露にした彼女はどこかつっけんどんとした態度で、ジーニと共に休憩室の中へと入ってきた。

そしてテーブルの上にビニール袋を置き、中を漁りだす。


「ああ、わざわざすまなかったな」


そう話すカインの目の前に、ジーニが惣菜所で購入したおにぎりを二つほど置いた。


「具は焼き鮭と昆布で良かったのですよね?」

「ああ」


ジーニは自然な動作でカインの隣の椅子に腰掛ける。


「ほら、シグさん」


自分のはないのかといいかけたシグの目の前に、サイラがプラスチック容器の弁当箱を置いた。


「適当に選んだものですが、文句はないですよね?」


適当といってはいるものの、サイラが選んだものはシグの好みをちゃんと理解したものだった。

ご飯が大きく盛られていて、その上には甘辛く味付けされた牛カルビが乗っている。特盛りカルビ丼だ。


「うひょう! 文句なんかねぇよ!」


見るからに美味しそうな丼を前にして、シグは目を輝かせた。「これだよこれ、これが食いたかったんだ!」

空腹だったんだと自白した彼は、割り箸を手にして早速がっつき始める。


「油物ばかり食べていては身体を壊しますよ?」


サイラは栄養バランスが大事だと小言をいいつつ、そのシグの隣に腰掛けた。

サイラ自身が買ってきた弁当箱を目の前に置き、蓋を開ける。彼女が選んだものは、いつものようにヘルシーな野菜炒め弁当だった。

それから元ナンバーだった四人の昼食タイムが始まる。


「カイン様、今日も余ったおかずを持ってきたのですが…」


ジーニだけは自分で弁当を作ってきており、いつものようにカインに余ったおかずを渡そうとしたのだが、


「様呼びは止めるよういっただろう」


素直におかずを受け取りつつ、カインは注意する。


「私は…いや、我々は、もう以前の我々ではないのだから。体裁を取り繕う必要も上司に媚びへつらう必要もなくなった。ナンバーという枠組みも解消したのだから」


そう、“ナンバー制度”を無くしたのもカインの改革の一つだったのだ。


「まぁ…確かになぁ」


しみじみといったのはシグだ。


「マジで変な感じだよな。以前の俺らじゃ、こうやって一緒に飯食うことなんてまずなかったはずなのにさ」


新体制となったガーゴには大きな変化があったのだが、彼ら元ナンバー同士の関係にも大きな変化があった。

前総監『ヴァイオレット・アレクル』以前のガーゴは、歴史の事実を捻じ曲げ、捏造された事実を真実とするために多方面に暗躍していた。

あらゆる工作を仕掛けるためのルールが制定され、ゴッド族や『グリーン機関』の監視の目を掻い潜り、非人道な研究や実験も繰り返してきた。

そうした体制が設立当初から根付いていて、だから上下関係も異常なまでに厳格だったのだ。


しかしその長く続いた体制ももう終わった。

長年悪事を働き続けていたガーゴはいままさに禊ぎの途中であり、上下関係も区分けは必要ながらも“様呼び”は禁止にした。一般企業に普通にあるような、上司と部下のものに変えたのだ。


それこそが、ガーゴが変わったといわれる大きな要因ではないかとシグは思った。

会社が変化したのは“会社”という漠然としたものではなく、そこに勤めている社員や社長の意識なのだから。

人の意識が変われば会社も変わる。どれだけどん底にある会社だろうが、意識の持ちようで復活するチャンスは必ず訪れる。

そんな当たり前のことに今更ながら気づいたシグは、一人小さく笑う。


「ダチでもねぇ、単なる仕事仲間と飯なんてさ。俺らも変わっちまったのかな」


そう話すシグに、「休憩時間が重なっただけですよ」とサイラが答えた。


「午後からはみなさん同じ仕事に就きますし、あくまで効率上こうしているだけに過ぎません」


淡々と話すサイラ。

俺の好みを的確についた弁当のチョイスはどういうことだとシグは突っ込みそうになったが、変に突っかかれても面倒なので「へぇへぇ」と受け流す。


「んなことより聞いたぞ、サイラ」


真面目な話はそれまでにして、シグが話題を変えた。


「住んでいた高級マンション売っぱらったんだってな」


突然のプライベートな話だった。

ついサイラの動きが止まってしまうが、休憩室には彼ら以外に人はいない。


「金に困ってんのか?」


誰もいないからこそ、シグも突っ込んだことを話してきたのだろう。


「別に…ただ、見栄を張るためだけに無理をしていただけですから」


ジーニ辺りに聞いたんだろうと思いつつ、サイラは答える。


「ですがまぁ、金銭状況が芳しくないというのは事実ですね。実入りが減りましたし、それに合わせて生活水準を下げましたから」


サイラは、一応はまだ“仮釈放”の状態だった。

レギオス復活事変の中心人物であり、“堕天”したことや、その他諸々細かな工作活動含め、彼女には余罪が残っている。

どれも重大事件に関わるようなものではなく、だから仮釈放を許されたというわけだが、そんな彼女を以前の待遇のままガーゴが雇うというのは、現総監のカインでもさすがにできなかったのだ。

だからサイラを一度解雇扱いにし、再雇用するという面倒な手続きを取るしかなかった。役職が解かれたのでサイラのいまは平社員以下の扱いとなっており、当然ながら低収入だ。その待遇こそが、彼女がこれまでしでかしたことに対する禊ぎとなっている。


「…残すところ後三年か」


難しそうな表情でカインがいう。


「最低三年間、優秀な君をパート待遇でしか扱えないというのはこちら側としても痛いんだがな…。もう一度『グリーン機関』に掛け合って、短縮できないか問い合わせてみようか」

「いえ、結構ですよ」


サイラは首を横に振った。


「現状不満点はありませんから。ナンバー時代は毎日残業に追われていましたが、パートのいまはきっちり六時間労働ですし、おかげで自分の時間というものを持てていますからね」


かつて“レギオスと同化する”という野望を抱いていたときの彼女とは打って変わり、いまのサイラは何かが抜け落ちてしまったかのように気迫が無い。

以前とはまるで違ってやる気が感じられなくなってしまったが、その無気力さこそがサイラの素の表情というものだったのだろう。


「いまはどうしてんだよ?」


単純に気になってシグがきいた。


「どっかの安アパートにでも引っ越したのか?」

「いまは…」

「優良物件をお探しのようでして、その間は私のところに」


喋ろうとしたサイラを遮ってジーニがいった。


「帰るところが無い方を見て見ぬふりはできませんから」

「へぇ」


そこでシグの目は少し見開かれる。


「一緒に暮らしてるってのは意外だな。まぁ昔からお前ら二人は仲良かったからそこまで変でもねぇとは思うけど」


「しかし」とシグはやや冗談めいた表情でジーニを見た。


「大変じゃねぇか? こいつ真面目そうに見えてプライベートは自堕落な奴だからさ。部屋とか散らかしまくってんじゃねぇの?」


サイラの“素”を知っているからこその発言である。


「失礼ですね」


ダンッと湯飲みをテーブルに叩きつけたサイラは、キッとシグを睨みつける。


「一人暮らしならまだしも、お世話になっている方にそのようなことをするはずが無いではないですか。その辺りの分別はつけているつもりですよ」

「私のほうがお世話になっているぐらいです」


ジーニがいった。


「毎日欠かさずお部屋のお掃除をしてくださっていますし、お夕飯も作ってくださる。お洗濯にお風呂の用意まで」

「…マジ?」


シグにはサイラが家事をするというイメージが全く湧かなかった。


「パートの私は六時間労働なので、帰りが早いですから」


弁当を割り箸でつつきながら、当然だという表情でサイラは続ける。


「居候の身なのですから当然の役割です。それにジーニさんのお仕事がどれだけ大変かよく存じておりますので」


元来ずぼらな性格であるはずなのに、サイラは変なところで義理堅い。


「しっかりしてんだな…」


感心したようにシグがいうと、「本当に助かっていますし、シェアハウスというご提案をさせていただいたこともあるのですが…」、とジーニが残念そうな表情になる。


「実は、その共同生活も今週で終わってしまうことになっているんです」

「へぇ…」


そう声を出したシグは、「え? いい部屋が見つかったのか?」、と数秒遅れて反応する。


「なかなか良い物件だと思うんです」


サイラが答えた。


「安めのマンションだそうで、相応にお部屋も狭いらしいですが」

「らしいって…内見したんじゃねぇのか?」

「いえ、外観しか見てないんですよ。中にはまだ入ることができないといわれて」

「…外観だけで入居を決めたってのか? 内装とかどうなってるか分かんねぇのに?」

「ええ」

「ええって…」


徐々にサイラが何をいっているか理解できなくなってきて、シグの頭には沢山のハテナマークが浮かんでいる。

会話に割り込んでこなかったカインは聞きに徹しているようだが、彼は何故だか食べる手を止め顔を俯かせていた。


「…く…」


小さくそう漏らしていた彼の肩は小刻みに震えている。


「カイン?」


シグが声をかけると、「ああ、いや」とカインは咳払いをしつつ顔を上げた。


「すまない。続けてくれ」


会話の続きを促すが、その口元は少しにやけている。


「続けてくれって…」


“正常化”してきたガーゴにシグはまだ戸惑いがちだったのだが、中でも彼が一番驚いたのはカインの変化だろう。

レギオス事変前はずっと眉間に皺が寄り、誰も寄せ付けず、笑顔一つ見せなかったカインなのに、最近はこうして笑うことが増えてきた。

何があったのかはシグでも分からないが、しかしその変化が喜ばしいものであることは間違いない。

とはいえ、何を考えているか分からない、というのは昔もいまも変わってないが。


「シグ。相談ならいつでも受け付けるからな」


カインがいった。


「今後、君には色々と懸念することが増えるような気がするんだ」

「…は?」


不思議な顔をしていたのはシグだけで、何故かジーニやサイラまで意味深な笑みを浮かべている。

一体何の話なんだと問い詰めても誰も答えてくれず、結局何も分からないまま昼の休憩時間が終わってしまう。

シグはもやもやした気持ちのまま仕事に戻るしかなかったのだが…その真相は、休日である翌日に知ることとなった。



「…は?」


マンション三階の一番奥。

三○六号室の玄関を開けたシグは、玄関を開けた動作のまま固まっていた。


休日の今日は朝から晴れ渡っており、小鳥のさえずりや清々しい日光が玄関先にまで差し込んできている。

開けた玄関の目の前には、シグを尋ねてやってきた、ある人物が立っていた。


「おはようございます、シグさん」


全身に朝日を浴びた“彼女”の後ろには、その彼女の半分ぐらいはありそうなでかいカバンが三つほど置かれている。


「サイラ…ではなく、『フュリエル・イ・セレノーラ』と申します」


“本名”を名乗ったサイラは、シグにぺこりと頭を下げる。


「本日からお世話になります」


その瞬間、シグの思考は宇宙の彼方まで飛んでいってしまった。


「…は…?」


“フュリエル”がそのままシグの部屋の中まで押しかけてきても、シグはしばらく反応することができないでいた。

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[良い点]  カインの変わりようがなんか嬉しい。
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