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ある希少種の日常 その後━  作者: 紅林雅樹
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第二十七話 『へし折る主人公』

「焦りがあるんじゃないかな」


姉の『リィン・エーテライト』の言葉を聞き、シンシアの顔が上げられる。


「あ、焦り…?」

「そう」


半分シスコンの入ったリィンは、妹にそこはかとない優しさをたたえた目線を送りながら続けた。


「このままうかうかしてたら、別の人に取られちゃうかもしれないっていうさ」


そこはシンシアの寝室だった。

夜の帳が下りた午後十時。窓の外には月が見え、夏虫のリンリンとした鳴き声がガラス窓越しに部屋の中にまで響いてくる。

夕刻ではあれほど騒がしかった道場もしんと静まり返っており、ししおどしの小気味よい音が中庭の方向から聞こえてきた。


「焦りと同時に、もう一つの感情が見えたわ」


リィンの隣にはもう一人女性がいて、和装の彼女はシンシアをまっすぐに見つめながら言う。


「シンシアが抱いているのは━━嫉妬ね」


嘘がつけず、表情にも出てしまっていたらしく、「何があった」と母と姉に問いただされた末に、シンシアは不安な気持ちを彼女らに吐露してしまったのだった。

午前の体育の授業から抱き続けていた、このもやもやの正体は何なのか。

可愛い娘(妹)の相談ならばと、リィンと、母である『マミナ・エーテライト』は真剣に聞き入っていたのだが、案の定ダインに関することであったため、途中で笑い出してしまう。


「わ、私が、嫉妬…してるの?」


母の意外な指摘に、シンシアの目は少しだけ大きく開かれる。


「感情というものは、ある意味で厄介なものよね」


娘二人を目の前に、マミナはやや遠い目をする。


「相手のことが大好きで、全幅の信頼を置いていたとしても、些細な疑問を抱いた瞬間にそのことが頭から離れなくなる。指にささくれが刺さったときのように、気になって仕方なくなるものなのよね」


まさにいまのシンシアの心情を突いたような言葉だった。


「クラスメイトの子がダインちゃんにちょっかいをかけるっていう発言を耳にして、『自分より可愛い子がダインちゃんに迫ったらどうなっちゃうんだろう』って思っちゃったのよね、きっと。そこから先にまで想像を広げて、いもしない可愛い誰かさんに嫉妬しちゃったってことよ」


シンシアとリィンの反応を窺いつつ、マミナはさらに続ける。


「親バカだろうけど、私はシンシアとリィン以上に可愛い子なんていないと思ってる。ダインちゃんとシンシアの関係性も見てて微笑ましくなるぐらい仲良く見えてるんだし、そんな心配はまったくないと断言してもいいんだけれど…でも、そのクラスメイトの発言を聞いて、シンシアの心には“ささくれ”が突き刺さっちゃったのよ」

「つまり、そのささくれの断続的な不安という痛みに、シンシアは困っている…ということ?」


隣のリィンが母に尋ね、そうね、とマミナの頭は上下に動く。


「私の勝手な推測だけど、シンシアはそれほど恋をしてきた経験はなさそうだし、だから嫉妬といった感情が芽生える機会も少なかったんじゃないかしら。それで戸惑ってるのよ、いま」

「う…ん…」

「私だっていまの旦那と付き合ってるとき、その旦那から変な話をされてモヤっとしたことあったし」

「変な話?」


シンシアとリィンが反応する。


「お父さん、何かしちゃったの?」


そのときリィンが思い浮かべたのは、かつては大陸最強だとしてその名を轟かせた剣豪にして父である、『ゲンサイ・エーテライト』のライオンのような厳つい顔だった。

武道精神を重んじ、独自に編み出した流派『破魔一刀流』の技術を磨きに磨き上げ、自身が制定した掟を厳格なまでに遵守してきた男。

自身を厳しく戒める姿は、リィンにもシンシアにも眩しく映ることもあったものだが…そんな父が、どういった言動で妻であるマミナの不評を買ったのか。


「それこそダインちゃんの…いえ、厳密に言えばダインちゃんのご両親に関係することね」


見知ったワードが飛び出し、娘二人の興味はさらに深まる。


「ほら、あなたたちも聞いたことあるでしょう? 最強を目指すお父さんはどうしてもヴァンプ族のジーグさんに挑んでみたくて、そのきっかけ作りのためだけに、当時ジーグさんと付き合いたてだったシエスタさんにちょっかいをかけようとしていたこと」


あ…と、母の話す先が見えたのか、リィンは小さな声を上げる。


「ジーグさんと手合わせした旦那のその後の展開は見るも無残で、剣の道を諦めなきゃならないほどの障害を負っちゃったけど…でも、目的が別にあったとはいえ、他所様の恋人にちょっかいを出そうとしたって後から聞いて、かなりモヤモヤっとしちゃったわ」


懐かしむような表情で、マミナは続ける。


「私が嫉妬していたと気づくまで、旦那はおろおろしっぱなしだったわ。そのモヤモヤが晴れるまで、結構時間を使った気もするけど…あのライオンみたいな顔がしおらしくなるの、あなたたちに見せてやりたかったわねぇ」

「そんなことあったんだ」


確かにゲンサイが障害を負った原因は知っていたが、その一件がマミナの不評を買ったとまでは知らなかった。


「私の“不安症”なところがシンシアに受け継がれちゃったのかもしれないわね。反対に、豪傑なところはリィンが受け継いだように見えるけど」


豪傑なところ、というのはリィンはやや心外そうにしていたが、まぁ外見が似なかっただけでもよかったか、と呟いて二人を笑わせる。

と同時に、部屋の外から小さな物音が聞こえた。

部屋の外に気配があり、それが誰なのかを察したリィンは、あえて無視しつつ「どうかな?」、と妹に顔を向けた。


「シンシアの心配性は親譲りってこと。誰のせいでもないんだし、時間が解決してくれることなんじゃないかな?」

「そう…だね…」


納得したようには見えなかった。

確かに、嫉妬している、ということはあるかもしれない。親譲りの心配性というのもあるだろう。

でも、この“もやもや”を感じているのはそれだけじゃないような気がする。


「…私だけ、なんだよねぇ」


ぼんやりとした表情のまま、シンシアが呟いた。


「クラスメイトの子が言ってたことをディエルちゃんたちに話したのに、みんなはそんなわけないでしょって笑うだけで…」

「ダイン君のことを信頼してるからじゃないの?」


リィンが突っ込む。


「それとも、ダイン君がその信頼を揺るがすような“何か”をしてるところでも見ちゃったの?」

「う、ううん、それは違うよ! 信頼はもちろんしてる!」


シンシアはそこだけは強く否定した。

シンシアもダインも…いや、みんなそうだが、お互いに多少のことでは揺るがない信頼が築かれ、何物にも切れない絆で結ばれている。


「不安に思うことなんか少しも無いんだけど、ディエルちゃんたちが言っているのもその通りだと思うんだけど…じゃあどうして、私だけこんな気持ちになっちゃうのかなぁって…」


シンシアが感じている疑問は外に向けられたものではなく、自分自身に向けられたものだったのだ。

話しながら、彼女自身、自分とディエルたちに“差”があることに気づいてしまった。

種族が違う時点で考え方に違いがあるのは当たり前で、それらを統一する必要はまったく無いのだが…ダインに対する想いだけは同じなはずで、違いなどなかったはずなのに。

なのにどうして自分だけはこんなに不安に思ってしまっているのだろうか。クラスメイトの“冗談”を、真剣に受け止めてしまったのだろうか。


「う〜ん…まぁ、そんなに深く考えることじゃないと思うよ」


ぽんと足を叩き、リィンは立ち上がった。


「お母さんから見ても私から見ても、あのダイン君が浮気に走るなんてどう考えてもあり得ないんだし。例えダイン君の目の前にどれほど魅力的な女の子が現れたとしても、あの子は常にシンシアとディエルちゃんたちだけを見ていると思うな」


それが、大好きな妹が大好きな人として連れてきたダインを、影ながら見てきたリィンの総評だった。


「間違いないわね」


母のマミナも立ち上がる。


「シンシアから見ても、ダインちゃん以上の男はいないと断言してもいいかも知れないわね。優しいだけじゃなくて、とてつもなく強いんだもの。道場の“後継者”を見据えているお父さんも密かに期待しているのよ?」


親としての含みのある見解を聞き、先のことを想像したシンシアは少し顔を赤くさせる。


「それに、シンシアはツイてる、かも知れないよ」


姉の意外な一言だった。


「ついてる?」

「うん」


真っ暗な窓のほうをちらりと見やり、リィンは言う。


「こういうことって、大体は『大したことじゃない』だの『話してくれるまで待とう』だので放置されて、懸念が蓄積して深刻化したり、修復できなくなったところで表面化したりするパターンがほとんどなんだろうけど…ダイン君は、そういうお約束な展開をへし折るのが得意だからなぁ」


何の話か、シンシアにはまったく見えなかったが、隣のマミナは訳知り顔で含み笑いを漏らしている。


「さて、後のことは“真打の人”に任せることにして、私たちはそろそろお暇するよ」

「し、真打の人?」

「すぐに分かるよ」


笑顔を残しつつ、母と姉は部屋を出て行く。

どういうことだと考えてる間に、廊下側からまた物音が聞こえてきた。


(━━お父さん。心配するのは分かるけど、年頃の女の子の部屋で聞き耳を立ててるのは感心しないな〜)

(ぬ、ぬぅ…!? 気配を消していたのに気づくだと…!?)

(物音立てすぎなのよ、あなた)


壁越しのくぐもったような話し声が聞こえた後、(スパァンッ!)、と何かをはたく音がした。


(あいだぁっ!?)

(ほら、さっさと部屋に戻る)

(い、いやしかし、シンシアの父として相談に乗らねばな…)

(剣術バカのあなたが語れることなんて何も無いでしょう。いいから、彼が来る前にここを離れるの。気を使わせちゃうじゃない)


何かを引きずるような音が遠ざかっていき、そして何も聞こえなくなる。


「…真打ちって、なんだろう…」


そのときだった。

コンコン、という軽快な音が部屋中に響き渡る。


「え?」


驚いている間に、再びコンコンと音。

ガラス窓の下から誰かの手が出ていることに気づき、また飛び上がりそうになってしまった。

強盗かと一瞬警戒したが、そうではない。

部屋からの明かりに照らされ、わずかに見えたその頭部と髪型には見覚えがある。


まさか、とあわてて立ち上がって窓まで向かい、がらっと開けてみる。


「よぅ、悪いな、こんな夜更けにさ」


やってきたのは、案の定ダインだった。

シャツにズボンと簡素な出で立ちだが、いまは真夏であるため少し汗をかいている。


「え…ど、どうしたの?」


まさかダインが来るとは思わなかった。

エレイン村の“大移動”前なら陸続きで来れないことも無かっただろうが、いまは遠く離れた別の大陸にいて、転移魔法も使えないはずなのに。


「いや、ちょっとさ。中、いいか?」

「あ…う、うん」


シンシアがその場をどくと、ダインは靴を脱いで窓のふちに手をかけ、ひょいっと身軽に飛んで部屋の中に入ってきた。


「ごめんな、びっくりさせちまってさ」


ダインはすぐさま謝ってきた。


「こんな時間だから玄関から入りづらくてさ。家の人も寝てるかもしれないし」

「そ、それはいいんだけど…でも、どうしたの?」


再び用向きを尋ねるが、ダインは答えずにシンシアの顔をじっと見つめる。


「…やっぱ、まだ晴れてないみたいだな」


そういった。


「え…何のこと?」

「お前の中のもやもやだよ」

「もやもや?」

「ああ。学校で聞いてさ。ずっと気になってたから話を聞きに来ちまった」

「そ、それだけで?」


シンシアは目を剥いた。

魔法が使えるならまだしも、ヴァンプ族のダインは移動手段といえば徒歩か乗り物しかない。

シンシアの“何気ない不安”が気になったという理由だけで、こんな夜の時間に家を抜け出し、大陸を渡り歩いてこの家にまでやってきたというのだろうか。


「気になったら仕方なくなるタチだからな、俺」


ダインは笑う。


「特に大切なやつが“そういう状態”になってたら、いてもたってもいられなくなってさ」

「そ、そんな…ダイン君…」


そうだった…彼はこういう人なのだと、シンシアは思い出した。

大切な人が悩んでると分かれば、真っ先に乗り込んで話を聞こうとする。

そして可能な限り悩みを共有し、協力できそうなことがあれば率先して手を差し伸べてくる。

ある意味で言えば、気遣いの塊のような人だった。

相手の魔法力の流れを見ることができて、その魔法力から心情を敏感に感じ取れるというのもあるだろう。


「無理強いをするつもりはないけど、聞けるなら聞きたいぞ」


優しい目がシンシアだけに向けられている。


「ふふ、もう、しょうがないなぁ」


シンシアは笑うしかない。気になったから、というだけで大陸を渡ってやってきた彼に、折れるしかない。

彼女はふと、『お約束な展開をへし折るのが得意』だと言っていたリィンの言葉を思い出した。


「あのね…」


彼の優しさと温もりに感謝しつつ、シンシアは正直に打ち明けだした。

ダインは静かに聞き入り、夜はさらに更けていく。

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