第一話 『幸せの続き』
眩しさを感じて目を開けると、窓の外から朝日が降り注いできていたのが見えた。
今日も快晴だったようで、外からは小鳥の囀りが聞こえる。
「ん…んん〜…!」
両腕を上げ、ぐっと背筋を伸ばしたダインはベッドから上半身を起こした。
半裸状態だった彼はそのまま窓側まで歩いていき、ガラス戸を開ける。
暦の上では夏真っ盛りの時期だったため、朝のひんやりとした風が部屋の中を満たしていき、心地がいい。
今日も良い朝だ。
そう思いながら外の風景と朝の匂いを堪能していると、
「…ん〜…!」
ダインが寝ていたベッドの上が、またもそもそと動き出した。
布団から生えた腕は細長く、“誰か”はダインと同じような動きで上半身を起こしていく。
寝起きすぐの彼女は見るからにボーっとした様子で、半開きの目で周囲を窺っている。
“半裸の下着姿”だった彼女は、そのままダインの視線とぶつかった。
「あ…おはよ〜…」
そういって彼女は…『シンシア・エーテライト』はダインに笑いかける。
「もう朝なんだねぇ」
「あ、ああ、そう、だな…」
曖昧に返事をするダインは、すぐにシンシアから顔を逸らしてしまう。
「きょ、今日からまた学校だろ。支度しようか」
そういったダインは、椅子の背もたれにかけていた自身のシャツに袖を通した。
「さ、先にいってるからさ」
「ふぇ…? うん…」
ダインの少しよそよそしい態度に疑問に思ったシンシアだが、自分の胸元を見て「あっ!?」と声を上げた。
半裸状態だったことに気付いたようで、頭が冴えてきたと同時に顔面が真っ赤になっていく。
そして昨夜の出来事と、自分の身体に起きていた異変にも気づきだしたらしく、布団を手繰り寄せながらもぞもぞしだす。
「お…お風呂…って、ま、まだある、かな…?」
そうダインにきいた。
「あ、ああ、あるんじゃないかな。母さんもサラも朝風呂が日課みたいなもんだからさ」
なおもシンシアのほうを見ずにダインはいった。
「いまぐらいの時間だと、ちょうど良い湯加減のはずだよ」
「そ、そうなんだ」
胸元を隠し、恥ずかしがる仕草をするシンシアは、特に足の方をもどかしそうに動かしている。
「あぅ…ま、まだ…ぐっちょぐちょ…」
「か、顔洗ってくるな」
聞こえないフリをしつつダインは部屋を出ようとした。
「あ、だ、ダイン君」
シンシアが慌てて呼び止める。
「その…ご、ごめん、ね…?」
と、謝ってきた。
何に対する謝罪なのか、ダインは瞬時に理解する。
「い、いや、俺のほうこそ、な…」
彼も反射的に謝ってしまった。
「悪かったな、その…えぇと…」
昨夜のことに関して何か言おうとしたのだが、また布団が勝手に動き出す。
「んん〜…!」
シンシアよりも短くて細い腕が布団から生え、もう一人誰かが上半身を起こしてきた。
「ん〜…おふぁ…」
布団から出てきたのは、小さな女の子だった。
「ごはん…じゅんび…」
ベッドから飛び降り、『ルシラ』はのそのそとした動きでドアまで向かう。
「あ、俺も出るよ」
ダインが先にドアを開け、廊下に出ようとしたのだが、
「おはようございます」
ドアを開けた真正面に、メイド服の女性…『サラ・シーハス』が立っていた。
「どわぁっ!?」
全く気配を感じなかったダインはつい悲鳴を上げてしまう。
「ち、近いな! いつ来てたんだよ!!」
動揺しつつそういうも、サラは相変わらず無表情だ。
「…ふむ」
その無表情な目がダインと、そしてベッドの上に半裸でいたシンシアに向けられた。
どこからどう見ても、昨晩は何かあったとしか思えない状況だったが、
「なるほど」
サラは一人、納得したようにいう。
「“また”、駄目でしたか」
その意味深な言葉に、ダインもシンシアも何も反応することができなかった。
━━━
「はぁ…」
制服姿のシンシアは大きく息を吐いている。
清々しいばかりの晴天の下で昼食を取っているというのに、その表情はどんよりと曇っているかのようだ。
「え〜と、これで何度目だっけ?」
そんな彼女に、背中に黒い翼を生やした“デビ族”の『ディエル・スウェンディ』がいった。
「三回目ぐらい? なかなか上手くいかないわね」
「そ、そうだね…これで私たちと並んだ、かな」
子供のような背丈が特徴の、“ドワ族”である『ニーニア・リステン』はノートを見つめながら反応する。
「難しいね…なかなか…」
彼女たちは、いつものように体育館裏の日陰で昼休憩をとっていた。
学生服に身を包み、輪になって会話する様は微笑ましいばかりだが、全員の顔は赤く声も静かだ。
その仲良しメンバーの一人である、“ゴッド族”の『ティエリア・ジャスティグ』は、つつ…とシンシアの側まで身体を寄せた。
「し、シンシアさん、あの…それで…どこまで…?」
詳細を尋ねる彼女に、「いいところまではいったんです!」、とついシンシアは声を張り上げてしまった。
はっとした彼女はすぐに前を見る。
前方の少し広い空間ではとっくに昼食を食べ終えたダインがいて、ルシラとボール遊びに興じている。
シンシアたちの話し声は聞こえていないようで、ほっとしたシンシアはまた小声になって続けた。
「き、昨日までは“私の番”だったから…ダイン君の部屋で一緒にいて、動画を見たり、音楽聴いたり、ゲームしたりして…すごく良い雰囲気になってきて、そのまま思い切ってダイン君のベッドに潜り込んだんだけど…」
最後のほうはぼそぼそ声になっていく。
「ダイン君に頬を撫でられて、キスされた瞬間に…」
それきり喋れなくなってしまったシンシアだが、
「“落ちちゃった”というわけね…」
背中に白い翼を生やした、“エンジェ族”の『ラフィン・ウェルト』がいった。
「やっぱり耐え切れないわよね…」
ラフィンの考え込む表情は凛としており、いかにも生徒会長然とした仕草だ。
…『邪神レギオス復活事変』から今日で約二ヶ月。
世界規模の大混乱を僅か一夜にして解決し、歴史に名を残すほどの大偉業を成し遂げ、大英雄の称号を授かったシンシアたち。
当初は連日お祭り騒ぎで彼女たちの周囲も忙しなかったのだが、二ヶ月も過ぎればお祭り気分も大分落ち着いたものになってきた。
新聞や雑誌で取り上げられることも少なくなり、ようやく静かな日常に戻れたシンシアたちは、ダインとの“次の段階”へ歩みだせると思っていたのだが…。
「“ヴァンプ族”の特性ねぇ…」
ルシラを持ち上げてくるくる回ってるダインを見つめながらディエルが呟く。
「ほんと厄介よね…触れられただけで気を失うなんて…」
ダインとのさらなる進展を望むシンシアたちだが、彼女たちにはいま最大の障壁が立ちはだかっていたのだ。
異性に対して、異常なまでの“気持ちよさ”を与えてしまうというヴァンプ族の体質。
相手から魔法力を奪い取るという特殊能力を持つ彼らは、効率よく“吸魔”するためにそのような特異な体質が備わっていた。
それはヴァンプ族という種族に由来する能力であり、中でもダインに限ってはその体質が色濃く現れてしまっているらしい。
だからシンシアたちはいつも良いところまではいくのだが、肌が触れ合った瞬間に骨抜きにされ、あまりの気持ちよさに毎回気を失ってしまうのだった。
今朝のシンシアもその限りではなく、気を失って目が覚めたら朝になっていた、ということなのだろう。
「はぁ…もう無いよ…」
シンシアはまた大きなため息を吐く。
「お気に入りの下着がまた…新しいの買いに行かなくちゃ…」
彼女たちにはいま、ある大きな目標がある。
それは、学校を卒業するまでにダインと婚姻を結ぶこと。
ダインに降りかかった様々な難題のせいで計画段階で留めるしかなかったのだが、いまようやく目標に向けて動き出すことができた。
がしかし、まさかヴァンプ族の体質というもので停滞する羽目になろうとは、思いもしなかったのだろう。
ヴァンプ族の特殊能力である“吸魔”に関しては、これまで何度かダインにされてきた。
快楽というものは慣れていくもののはずなのだが、ダインから施される吸魔に関してだけは、一向に慣れないどころか、症状が重くなってきているような気がする。
「い、いいな…シンシアちゃん…」
再び弁当を食べ始めながらニーニアがいう。
「わ、私のときは抱きしめられただけで落ちちゃったから…」
「い、いえ、それはまだマシなほうだと…」
真っ赤なままティエリアがいった。
「私のときは、手を握られただけで、もう何も考えられなくなってしまって…みなさんより一学年上なのに…」
変なところで先輩風を吹かす元生徒会長に、現生徒会長のラフィンが「触れられただけでも進展が見込めるかと…」といった。
「わ、私なんか…囁かれただけで…その…もう駄目で…」
そこから先はごにょごにょいうだけで、何をいってるのか分からない。
「みんな重症ね」
“見つめられただけでイった”とはとてもいえなかったディエルは、羞恥心を押し殺して深刻そうにいった。
「これは何かしら対策を立てないと、何の進展も望めないわ」
「そう、だねぇ」
シンシアは再び前を見る。
ルシラとボールで遊んでいるダインは楽しそうで、シンシアたちが抱えている苦悩など何も分かってなさそうに見える。
しかしダインも一応は空気を読めるほうなので、あえてシンシアたちの会話に混ざってこなかったのだろう。
吸魔のための“触手”を出すことができ、相手を骨抜きにするという特異体質を持つ以外は、ダインも普通の男子だ。
レギオス事変を本当の意味で解決に導いた真の英雄である彼にだって、色々と我慢している部分もあるはずだ。ほぼ毎週シンシアたちの内の誰かが泊まりに行き、彼との関係を進展させるために試行錯誤しているのだから。
「私のお母さんが提示した“重婚を認めるための交換条件”をクリアするためにも、何か方法を考えないとね」
シンシアがいうと、ニーニアたちは真剣な表情で頷いた。
「あ、それはそうとお話は変わるのですが…」
と、ティエリア。「みなさん、放課後は時間がありますでしょうか?」
「放課後?」とニーニア。
「はい。実はソフィル様より、みなさんにお集まりいただくよう言伝を預かっておりまして…」
「え、ソフィル様が?」
ニーニア含め、全員が意外そうな表情になる。
全種族の頂点に位置するゴッド族が住まう島、『バベル島』。
そこを治めているのが女王神といわれている、『ソフィル・ハイリス』だ。
顔なじみだったティエリアを通じてシンシアたちとも知り合うこととなったのだが、そのソフィル女王神がシンシアたちに話があるというのだ。
「何でも、あることで悩んでいるそうでして…」
「悩み…ですか?」
ラフィンが尋ねると、ティエリアはこくりと頷く。
「私たちにしか相談できないことだと仰られておりまして…よろしければバベル島までお越しくださいませんでしょうか?」
ダインのほうをチラリと見てから、彼女は小声でいった。
「ひょっとしたら、先ほどの難題に関する解決の糸口があるかも知れません」
それはどういうことか、この場で彼女から詳細は語られなかったが、生真面目な元生徒会長のティエリアがいうのなら信じる他ないだろう。
「ラフィン、生徒会の仕事ってまだあったっけ?」
副会長のディエルがラフィンに顔を向けた。
「アンケートの集計ぐらい?」
「ええ。すぐ終わるはずよ」
そう返事をきいたところで、「決まりね」とディエルはいった。
「じゃあ、放課後はバベル島に集合ということで。いいわね?」
シンシアたちは頷き、ディエルは後ろの広場へ顔を向けた。
「ダイン、ルシラ! こっち来てー!」
━━
「学生の時間というものは何かと貴重なのに、わざわざお呼び立てして申し訳ありません」
目の前に並んで座るダインたちに向け、ソフィル女王神は丁寧な仕草で頭を下げた。
そこはバベル島内にある神殿、『ハイリス天上国神殿』の最上階にある、ソフィルのプライベートルームだった。
円形状の室内には白いカーテンや白いベッド、白いテーブルなどがあり、とても清潔感の漂うソフィルらしい部屋だ。
「こうしてみなさんと揃ってお話しするのは、ダイちゃんのお家がある『エレイン村』でのとても楽しかったパーティ以来でしょうか」
自身も白いローブ姿で、ダインたちに微笑みかける。
「邪神レギオスの騒動が落ち着き、みなさんも学校生活をご堪能されていると思います。その後はどうでしょうか?」
親しい知人にしか見せない優しい笑顔のまま、ソフィルは世間話を始めたいようだ。
「う〜ん、特に報告するようなことは起きてないような…」
ダインは二ヶ月間の出来事を思い起こしながら、特に何もないといいかけたが、
「毎日、たのしーよ!」
と、ルシラが声を上げた。
「くらすのみんなのお話が面白くてね、みんなやさしーし、授業もたのしーよ!」
確かに、ルシラにとっては毎日が刺激の連続なのだろう。
公園で倒れていたルシラをダインが保護し、なんやかんやで同じ学校に通いだすまでに成長したルシラ。
ダインたちと一緒に過ごしたいがために勉強を頑張った彼女なので、願いが叶ったいまは楽しくて仕方ないのかもしれない。
身振り手振りでソフィルに学校生活の楽しさを説明するルシラに、ソフィルの表情はさらに嬉しそうなものになる。
「本当に何よりですね、それは。優しくて楽しい人たちに囲まれながら学業に勤しむ…可能であれば、私も一般生徒として参加したいところです」
「おおおお! そふぃーちゃんもおいでよ!」
ルシラはすぐさま乗り気になるが、「い、いやぁ、それはさすがに…」とダインが止めた。
「担任の苦労が増えるっていうか…あの人、いよいよストライキ起こしてしまいますよ」
“ノマクラス”の担任である『クラフト・アーカルト』の気苦労を考えるダインに、シンシアたちはその通りかもしれないと苦笑した。
「そうですか…残念です」
もちろん冗談のつもりだったソフィルは、そのままルシラを手招く。
椅子からぴょんっと飛び降りたルシラは、小走りのままソフィルの胸に飛び込んだ。
小さな身体をギュッと抱きしめ、幸せそうに息を吐いたソフィルはルシラを膝の上に座らせ、再びダインたちに顔を向けた。
「あの、それでご相談というのは…」
ラフィンが本題に切り込むと、「あ、そうでしたね」、とソフィルは思い出したように手を叩いた。
「実は…情けないことなのですが、この神殿に仕えてくださっている『ハイリス親衛隊』で、あるトラブルが発生してしまいまして…」
ソフィルはいう。「隊員の中のある一人の方が、現在行方不明でして…」
突然の不穏な話だった。「え」とダインが思わず声を上げてしまう。
「行方不明って…大丈夫なんですか? 相談する相手を間違えてるんじゃ…」
そうダインがいうも、「あ、いえ、そこまで重い話ではありません」とソフィルがいった。
「その方は放浪癖がありまして、たまに仕事を抜け出して旅立ってしまうことがあったので…どうも下界の風景なり人なりが非常に気に入っているらしく」
何とも自由気ままなゴッド族らしい理由である。
ソフィルは続ける。「今回もふらりとどこかへ発ってしまったようでして、携帯を持ってないため連絡も取れず、少々困っていたところなのです」
「…い、いや、やっぱり俺たちに頼むのは変じゃないすか?」
たまらずダインがいった。「プロに頼んで捜索隊を組むか、下界にいるのが分かってるんなら各国の捜査機関なり何なりに相談すべきでは…そもそも魔法か何かで探せないんですか?」
女王神ともあろう人が、たった一人の隊員を見つけ出せないはずは無い。
ダインの単純な疑問に、「そうできたら、楽なのですが…」とソフィルは困ったような顔になる。
「どうも私の探索魔法をうまく掻い潜っているようでして、現状捜索隊を編成できるほどの人員もありませんし、それに下界の捜査機関にも簡単には頼めない事情というものがあるのです」
「事情…っすか?」
「はい。行方不明になったのは曲がりなりにもゴッド族ですから。下界のどなたに頼んだとしても一大事だと騒がれ、大規模な捜索部隊を組んで大々的に捜索を開始してしまうことが予想されます」
そこまできいて、「あー」とシンシアから察したような声が漏れる。
「あまり大事にはしたくないっていうことですね。名声や実績が欲しくて勝手に動き出す人も出てくるだろうから」
「仰る通りです。“その方”がふらりと旅立ってしまったのはいまに始まったことではないですし、その都度下界の方々に捜索を依頼しては、ゴッド族全体の信頼性も落ちてしまうと思いましたので…」
ゴッド族の種族性に関して、ソフィルもなかなか頭を悩ませているようだ。
彼女の苦労というものを理解したところで、「なるほど」、とディエルが先を促す。
「とりあえず、どんな人なのか教えてもらえませんか?」
そこでソフィルは隣に備え付けられていた小さなキャビネットに手を伸ばす。
棚を開け、一番上に置かれてあった写真を手に取った。
「この方です」
差し出された写真を、ルシラ含め全員が身を寄せ合って覗き込む。
そこには真っ白なワンピースを着た、髪の長い一人のゴッド族の女性が写っていた。
日常シーンの一部を切り取ったような風景で、誰かと談笑中らしく、青空をバックに白い翼を広げている。写真にはその女性しか写っておらず、見た目の年齢を推測すると、二十台半ばほどだろうか。
「『メデル・フィンブリ』という方です」
ソフィルはいう。「ご覧の通り笑顔がとても素敵な方で、ハイリス親衛隊では唯一“奇跡枠”というものに在籍していただいております」
「奇跡枠?」
ティエリアの顔が上がる。「初めてお聞きしますが…」
ソフィルと親しくしていたティエリアでも知らなかったらしい。
「このメデルさんの特有の能力…のようなものがございまして」
ソフィルは説明を始めた。
「幸運の女神『フォルティア』様の寵愛を受けている方…とでもいいましょうか。とにかく、このメデルさんはとてつもない幸運をお持ちなのです。その幸運に親衛隊の方々は幾度も危機を脱し、そのため奇跡枠というものを特別に設置させていただきました」
「幸運…ですか」
「はい。くじ引きは必ず大当たりを引き当ててしまいますし、気まぐれで十通以上の懸賞に応募した際も全て特賞。賭け事などはしていないのですが、適当に選んだ番号が宝くじの一等だったことは頻繁にあったようでしたね」
女王神がいうのだから、その情報は間違いないのだろう。
「何というか…凄まじいっすね…」
ダインたちは驚くしかない。
「何もしないでも生きていけるのでは…」
「かもしれませんが、その幸運に頼ることなくしっかりと働き、安定した生活を目指しているのが彼女の良いところでもあるのです」
ソフィルは柔らかく笑う。
「何より微笑ましいのは、メデルさんは困っている方を放っておけない性格だということ。予期せずして得られた幸運は、その困った方のために使うよう心がけているそうですよ」
まだ写真を見ただけなのだが、ソフィルの説明から察するに、このメデルという人物はとても優しくおおらかな性格のようだ。
「メデルさんの能力を下界の誰かに知られてしまっては色々と問題が生じてしまいそうですし、そうなる前にあの方をここに呼び戻して欲しいのです」
始めは驚いてしまったが、ダインたちに頼むだけの事情はちゃんとあったようだ。
「内密に、しかしそう急がないでも良いので、あの方の行方を掴んではもらえませんでしょうか」
「え、急がなくてもいいんですか?」
意外そうにニーニア。
「ダイちゃんたちのおかげでレギオスの脅威はなくなりましたし、バベル島も下界も平和続きですからね」
膝に座らせたままのルシラの頭を撫で、ソフィルは笑う。
「みなさんは学生なのですから。学業の合間に捜索していただければと」
「いや、なんか…ゆるゆるっすね…」
人探しなのに全く緊急性を感じられないのは、ソフィルのゆったりとした話し方のせいもあるのだろう。
「大体のことは分かりました」
ラフィンが真面目な表情で座りなおす。
「それで、そのメデル様はいまどの辺りにいると思われますか?」
詳細な情報を求めようとしたときだった。
ダインたちの背後から、タタッと誰かが駆けてくるような足音がする。
ダインが振り向こうとしたが、その前に彼の全身が衝撃で軽く揺れた。
「うおっ?」
彼の背中に、誰かがべったりと抱きついている。
「…ダイン」
長い銀髪の小さな少女は、ダインに抱きつきながら抑揚のない物静かな声でいう。
「ダイン…いた」
突然のことにシンシアたちは目を丸くさせていたが、見知った人物だったのですぐに全員の表情が綻んでいく。
「『レフィリス』か」
ダインがいうと、小さな少女…“元邪神レギオス”だったレフィリスは、「うん」と頷く。
「どうしたんだ? 一人できたのか?」
「ううん」
レフィリスが何かいおうとしたとき、
「走っちゃ駄目だよ〜」
と、遅れて誰かがやってきた。
部屋に入ってきたのは、ルシラよりやや大きな、ルシラと瓜二つの『ルシラ』だった。
「あ、お姉ちゃん!」
小さなルシラはソフィルの足から飛び降り、姉と呼んだ彼女のところへと駆け寄っていく。
「どうしたの? おねんねしにきたの?」
「ううん、今日は別の用事でね」
妹の頭を撫でてから、『姉ルシラ』はソフィルの前まで歩いていった。
「ルシラ様」
ソフィルよりも、地上のどのゴッド族よりも偉大だった『姉ルシラ』。
億年を生きる惑星の守護神に、ソフィルは居直って頭を下げようとしたが、「そういうのは、ね?」とルシラがやんわりと止めた。
「“この間の件”の進捗がどうなってるか気になってたんだけど…」
姉ルシラはダインたちをぐるりと見回し、「進んでるみたいだね」、と笑顔になる。
「何の話だ?」
ダインが尋ねるも、「ううん、こっちのことだから」と姉ルシラはいった。
「いずれ分かることだから、いまは何も聞かないでくれるとありがたいかな?」
正直気にならないはずは無かったが、ルシラがそういう以上詰め寄るわけにもいかない。
それに知り合ったときから彼女はダインに全面的に協力していたのだ。決して悪いことではないのだろう。
「それより、レフィリスに何か渡すものがあるって聞いたよ?」
ルシラがソフィルに尋ねると、「あ、はい、そうなのです」とソフィルはぽんと手を叩いた。
「実は下界の方々より使わなくなったオモチャのご寄付がございまして、ひょっとしたらレフィリスさんも興味を持っていただけるのではないかと」
「あ、いいね」
ルシラは笑顔になる。
「レフィリス、見てみる? 気に入ったのあったら持って帰ってもいいんだって」
レフィリスに尋ねるが、「え? うん…でも、使い方とか分からないし…」、とレフィリスはあまり乗り気でない。
元邪神レギオスだった彼女は、ダインに助け出されて二ヶ月以上が過ぎたいま現在でも、地上ではなく惑星を取り囲む『宇宙船』の中で姉ルシラと暮らしている。
ダインのことが大好きで、シンシアたちのことも慣れてきたし、ゆくゆくは地上に戻りたいと思ってはいるらしいのだが、彼女の人見知りはなかなかに手ごわいようだ。
「じゃあダインに見てもらおっか」
ルシラがいった。「子供向けのオモチャだから、使い方とかすぐに分かるはずだし」
そこでダインにべったりとひっついたままだったレフィリスは、そのまま彼の前へと移動した。
「選んで、ダイン」
「俺がか?」
「うん」
「しゃーねぇな」
ぽんぽんとレフィリスの頭を叩いたダインは彼女を降ろし、椅子から立ち上がって彼女と手を繋いだ。
「宝物殿に大量にございますので」、とソフィル。
「分かりました」
歩き出そうとしたが、「あ、じゃあついでだしルシラの分もいいっすかね?」とダインがソフィルにきいた。
「沢山あるようならレフィリスも選びきれないだろうし、余るだろうから…」
「はい、もちろん構いませんよ。珍しいオモチャや綺麗なものなど沢山…」
ソフィルがいいかけたが、
「るしらはけっこーですので!」
と、妹ルシラは胸を張っていった。「るしらはみんなと同じがくせーなので! そういうのは、もー間に合ってますので!」
急に大人ぶりだすのには、もちろん理由がある。
レフィリスを目の前にしたときは、彼女はよくそうしてお姉さんぶる傾向がある。
もうそうして無理に背伸びしようとすること自体、子供なのだが…可愛らしいので突っ込んだりはしない。
「え〜、いいのか?」
その代わりにダインは意地悪い笑顔を浮かべた。
「オモチャだぞ? ソフィル様が珍しいっていうほどなんだから、滅茶苦茶楽しそうなものだったり綺麗なものが選び放題なのに、本当にいらないのか?」
そこでルシラの表情が固まる。
「…だ、大丈夫だよ!」
返事をする声が震えており、相当な我慢が窺えた。
ダインに保護され色々な経験をし、猛勉強をして飛び級でセブンリンクスの生徒になって確実に成長しているルシラだが、根っこはまだまだ子供なのだ。
「無理すんな」
ダインは笑ってルシラに手を差し出すが、それでも彼女は首を小さく横に振った。
「あ、後ででいいかな…れふぃちゃんと取り合いになりたくないし、選びきった後で見て回りたいよ」
素直な気持ちをいった。
「そっか」
良いお姉ちゃんだな、とルシラの頭を撫で、「じゃあ後でな」、とレフィリスと手を繋いだまま、二人は部屋を出て行った。
「…さて」
二人の気配が消えたのを確認してから、姉ルシラはソフィルに顔を戻す。
「いよいよ始められそうかな」
「はい。上手くいきそうです」
そこでソフィルと姉ルシラは怪しい笑みを浮かべている。
ぽかんとするシンシアたちの視線に気付き、「あ、すみません」とソフィルはいった。
「ダイちゃんにはあのようにご説明させていただきましたが、実は今回の捜索依頼には裏のテーマのようなものがございまして」
「テーマ…?」
「はい」
頷くソフィルに代わり、
「題して、『打ち破れ理性! 取り戻せ本能! ダインも所詮は男の子計画!』だよ」と姉ルシラが両手を広げていった。
「…?」
まだシンシアたちはぽかんとしている。
「ティアちゃんより、シンちゃんたちの苦労は聞き及んでおります」
ソフィルはいう。「始祖の血を受け継ぐダイちゃんはヴァンプ族の特性が色濃く現れており、おかげでシンちゃんたちはなかなか男女の関係までいけないのだとか」
突然のぶっこみにシンシアたちは硬直し、次第に顔を真っ赤にさせていく。
その初々しい反応にさらに笑顔になったソフィルは続ける。
「一週間の交代制にしてダイちゃんとお付き合いできる日を設け、幼少期から鍛え抜かれたダイちゃんの理性を突き崩すため、試行錯誤を繰り返す日々。その苦労たるや、私程度ではとても推し量れるものではございません」
実際その通りだっただけに、「い、いや、まぁ…」とディエルは真っ赤なままいうしかない。
「シンちゃんたちは、レギオスの脅威からこの世界を救ってくださった大英雄。その絶大な恩に報いるためにも、ここは一肌脱ぐことにしました」
ソフィルは続ける。「みなさんには個別でダイちゃんとの濃厚な時間を過ごして欲しいと思い、人探しと称した旅行に行っていただきたいのです」
「りょ、旅行、ですか?」
ニーニアが目を丸くさせる。
「え、じゃあ人探しっていうのは真っ赤な嘘で…」
「いえ、そちらも本当のことです」
ソフィルは再び困り顔になる。
「メデルさんも実在の人物で、放浪癖があるというのも本当です。世界各国を転々としていて、なかなか見つけ出すことができなくて…だったらダイちゃんたちに依頼して、“計画”と結びつければいいとルシラ様が提案してくださったのです」
「メデルが旅立つ直前にいっていた旅行計画を聞いて思いついたの」
姉ルシラがいう。「どうもメデルは観光地化した“七竜の元封印地”を見て回りたいそうでね、メデル探しのついでに旅行できるんじゃないかなーって思ったのが始まりだよ」
「…旅行…」
「世界を救ったご褒美だとお考えください。二ヶ月以上も遅れた上に些細なもので申し訳ないのですが」
そういったソフィルは、シンシアたちに複数の紙を見せてきた。
それは旅館やホテルのパンフレットだった。表紙には宿泊施設の外観が映っており、その立派な建物からかなり高級なものだというのが分かる。
「旅行にかかる費用はもちろん私持ちで。捜索依頼したのは私ですし」
驚愕しっぱなしのシンシアたちに向け、ソフィルはいう。
「どうか存分にお楽しみください。そして可能であれば、ダイちゃんと過ごした濃密な時間の詳細をお聞かせ願えればと」
どうやらそれも目的の一つだったらしい。
「みんないつもダインのお家にお邪魔してたもんね。環境と状況が違えばダインにも何かしら変化が訪れて、進展が見込めるかもしれないよ」
と、姉ルシラ。「ヴァンプ族のあの厄介な特性については、みんなで情報を共有して攻略していこうよ。私ですら、いつもあの感触にやられていたし」
他の種族にはない特異な性質を持っているということは、他の誰よりもヴァンプ族たち自身が理解している。
そのため、彼らは小さな頃より理性の強化が義務付けられていた。
他種族に迷惑をかけないために。軋轢を生まないために。
ヴァンプ族の血が色濃く現れてしまったダインに関しては特に徹底した訓練が施され、英才教育に近いことや、暗示までかけられたことがある。
おかげで暴走してしまうこともなかったのだが、シンシアたちと恋仲になった現在、それが返って障害となってしまったのだ。
「今回は上手くいくと思うよ」
そんな姉ルシラの台詞をきいて、シンシアたちは徐々に慌てるような顔になっていく。
「じゅ、順番、順番どうしよう!?」
「そ、その前にどの場所に誰と行くかを決めませんと…!!」
「あ、あうぅ、多すぎて選べないよ〜」
「るしらは!? るしらも選んでいいの!?」
わちゃわちゃと騒ぎ始めた。
週末の休みの度に全員が押しかけては迷惑だろうとのことで、シンシアたちは順番を決めてダインの家に遊びにいっていた。
ソフィルのいう通りダインの理性を崩そうと試行錯誤していて、全員と付き合うという覚悟を決めたダインもノってくれたのだが、いつもヴァンプ族の特性にやられてしまい、毎度毎度“健全なお泊り会”で終わってしまっていたのだ。
正直いって手詰まり感漂っていたシンシアたちなのだが、今度という今度は成功できるような気がする。
誰も邪魔の入らない密室で二人きり。
宿泊施設には個室の露天風呂がついており、料理も豪華。
おまけにライトアップされた夜の街並みや広大な海、満天の星空など、どのパンフレットにも夜景が自慢だと語られており、こんな景色を目の前にしたらムードが盛り上がらないはずはない。
いつも以上に特別な週末になりそうだ。
湧きに湧いたシンシアたちはダインとどこの宿泊施設に泊まろうか大盛り上がりで、そんな彼女たちを姉ルシラとソフィルは微笑ましそうに見つめている。
そこでふとソフィルに顔を向けた姉ルシラは、どこか意味深なウィンクをしてみせる。
笑顔で応じるソフィルもどこか含みがあったのだが、パンフレットに夢中になっていたシンシアたちは気づかない。
旅行計画を組み立てるシンシアたちに、何か別の意図があるソフィルと姉ルシラ。
神聖なるソフィルのプライベートルームには彼女たちの様々な思惑が渦巻いている。
そんな中、中心人物のはずのダインだけは、“いつものように”唯一何も知らされないのであった。