第九十九話 『さらに悩むパパ』
━━翌日。
「そういえばシグさん、掛け持ちのお仕事とはどのような内容なんですか?」
朝の早い時間、トーストの焼けた匂いが漂う狭い一室で、サイラは小さなテーブルを挟んで真向かいにいるシグに聞いた。
「あ? どのようなって…」
今日は朝から会議のため、普段着慣れないスーツに袖を通していたシグは、バターが塗りたくられたパンを一口かじる。
そして咀嚼しながら顔を上げ、なにやら難しそうに表情を歪めた。
「ちょっと説明しづれぇんだけど…何か、こねたり形を整えたり…まぁ簡単な仕事だよ」
「要領を得ませんが…」
「だから説明が難しいんだって。ピンク色のぶよぶよしたもんをでっけぇ機械に入れるだけとか、金型? を設計図どおりにトンカチで叩いて変形させたりさ」
「はぁ…スライムでも作っているのですか?」
「んなわけあるか」
一応突っ込んだシグは、「師匠に聞いてみたことはあるんだけど…」、と、過去にジーグとした会話の内容を思い出す。
「俺らが作ってるのは何かのベースらしくて、最終的にどういったものになるのか気になって聞いたけど、師匠が言うには人の役に立つもんらしい」
「人の役に?」
「ああ。師匠は…いや、ヴァンプ族は俺が知る中で最強の種族だからな。そんな人らが作る役に立つもんって言やぁ、トレーニンググッズしかないだろ。特別製の」
「ご本人からそう明言されたのですか?」
「トレーニングになることもあるって言ってたよ」
「こともある?」
「さすが師匠、世のため人のために働くのはかっこいいっすねって言ったら、顔を逸らしながらそうだよって頷いてたよ。きっと照れくさかったんだろうな」
シグはジーグのことはもう心から信頼しきってるような表情で、パンとサラダを食べ、スープで流し込んでいる。
「そう、ですか…」
サイラは何故かそのまま黙り込む。どこか考え込んでいるような表情だ。
「何だって急にそんなこと聞いてきたんだ?」
シグは質問の真意を測りかねている様子だ。
「師匠のこととか、修行させてもらってる見返りに掛け持ちでエレイン村でバイトしてることは前に説明したはずだけど」
「いえ、アルバイトとはどのようなものか、内容が少し気になったもので…」
答えるサイラは、相変わらず思案顔だ。
その表情を数秒間、じっと見つめていたシグ。
「あー…良かったら俺から話してみようか?」
突然そう言い出した。
「え? 何を…」
「バイトしたいんだろ?」
シグが真顔で続ける。
「ほら、いい加減この部屋が手狭になってきたって言ってたじゃん。少なくとも年内には引越ししようって計画も一緒に考えてるんだし、引越し資金を貯め出してる最中だろ?」
つい先日、二人で話し合っていたことだった。
何があったか最近のサイラは日々の生活に楽しみを見出してきたようで、裁縫や小説の執筆など、趣味を持つようになった。
趣味を持てばその分物も増え、いまやシグのマンションに押しかけたときよりも荷物が出てきた。
シグも部屋の狭さを実感してきたところだし、ならばいっそのこと“二人で”引越し資金を貯めていこうということになった。
「この辺じゃお前の顔は知られちまってるし、副業するにしても働きづらいっつってたもんな。エレイン村は大陸が違うし、そういう心配もなさそうだしさ」
知識が豊富で様々な魔法が使え、空を飛べるエンジェ族。ガーゴの“ナンバー”所属時代には、研究職に近い位置にいた。
その時点で食いっぱぐれがないように思えるが、サイラには色々と特殊な事情がある。主に世間体の面で。
だからここオブリビア大陸と、一応の地元であるコンフィエス大陸では、あまり人前に出るような仕事はできない。
その点、エレイン村での仕事はサイラにとっては好条件のように思える。
大陸が違うから文化も違うし、そこで流れている情報も違う。
ヴァンプ族どころかドワ族ですらガーゴのことは知らなさそうだし、サイラのことを知っている人なんてほぼいないのではないだろうか。
「…確かに、そこでアルバイトでもできたら一番なのですが…」
だが、それはそれで懸念点もある。
ガーゴの“ナンバー”に所属していたとき、エレイン村とは…いや、ヴァンプ族とは対立していた。
その際にジーニと共同して様々な“工作”を仕掛け、彼らに多大な迷惑をかけたのは事実。
後に正式に謝罪をして、受け入れてもらえたのは良かったが、しかし和解したからといって過去の“しでかし”が消えたわけではない。
中にはいまもまだサイラのことをよく思ってない人もいるかもしれない。
「迷惑をかけておきながら、そこで働かせてくれ、というのはあまりに虫のいい話では…」
サイラは思った懸念をそのまま口にするが、
「別に話してみるぐらいなら問題ねぇだろ」
シグは笑って言った。
「今日はちょうど俺も仕事が午前中で終わりだし、午後からは師匠のところで修行させてもらう予定だしさ。そのついでに掛け合ってみるよ」
シグにはそれが最良の選択に思えたのだが、「いえ」、とサイラは真面目な顔で首を横に振った。
「人づてに頼むというのは失礼です。あまつさえ迷惑をかけてしまった当事者のお一人なのですし」
「いや、そういうのを気にするような人じゃ…」
「私の気持ちの問題でもあるのです。謝罪を受け入れてもらったからといって、これまでのことをまったく忘れたような振舞いが出来るほど恥知らずではないつもりですから」
「じゃあどうすんだよ? やっぱりこの辺で仕事を探すのか?」
シグの疑問に、「いえ」、とサイラはまた首を横に振った。
「私もついていきます」
そう言った。
「ついていく?」
「ええ。私もシグさんについていって、私から直接掛け合ってみます」
いつにも増して真剣なサイラの目。
「ジーグさんに会わせてください」
覚悟はもう決まったようだった。
━━昼下がりの午後二時。
本日の『パワフル工房』の仕事は、物量が少ないのもあって早めに切り上げることとなった。
週に何回かあることで、いつもならジーグは村の新しい特産品の開発や、村の環境整備、シグの特訓の付き合いといったことをしていたのだが…。
「う…う〜む…」
雲ひとつない青空の下。
近くの噴水では、子供ドラゴンのセトたちが水浴びを楽しんでいる。
『七竜村』の憩いの広場にあるベンチに、ジーグはかけていたのだが、
「う〜む…う〜ん…」
彼は眉間に深い皺を寄せ、腕を組んだまま困り果てたような表情で唸り続けていた。
「お願いします」
そんな彼の正面には、真っ白な翼を背中に広げた、エンジェ族の女性…サイラがいる。
直立していた彼女は、いま上半身を直角に折り曲げており、頭頂部をジーグに向けていた。
「ここで働かせてはくださいませんでしょうか」
懇願するようなその台詞は、これで二度目。
「い、いやぁ…しかし…う〜む…」
だがジーグから色の良い返事は出ず、唸るような声が上がるのみ。
ちなみに、“こんな姿”はシグには見せたくなかったため、彼はいま地上の砂漠地帯で自主錬してもらっている。
「そ、その、一つ尋ねたいのだが…」
ジーグから別の台詞が飛び出した。
「何故ウチ…なのだろうか?」
突然のサイラの訪問に、ジーグは驚きながらも疑問でいっぱいだった。
シグにはどういった仕事か、未だに教えてない。
何を作ってるのかも分からないはずなのに、聡明に見えるサイラがまさか手伝いの申し出をしてくるとは…。
「…シグさんから、とてもいい職場だとお聞きしました」
サイラは頭を垂らしたまま言う。
「従業員の方々もとても親切で、やりがいに満ちていると」
「や、やりがい…」
「人の役に立つトレーニンググッズを作っている…のですよね?」
サイラの顔が上がり、ジーグを見た。
「当方が犯してしまった『レギオス復活事件』を機に、世の中は自己防衛の意識が高まっていたので、その役に立とうと画期的なトレーニンググッズを開発し、そういった方々の鍛錬に大きく貢献している」
「え…?」
「世の中の流れを先読みし、そして人の役に立つようなものを作り、多くの方々の命を守る。そうなのですよね?」
少し前までならば演技派だったサイラだが、このときジーグを見る目は演技などではなく本物で、畏敬の念に満ちていた。
「え…い、いや…えっと…」
「とても素晴らしい考え方だと思いました。モノ作りにおいても、金儲け主義ではなく、顧客主義。しかも人の命を守ることに繋がる仕事。そうなのですよね?」
ジーグの真意を推し量り、確信を得ているような目を前に、ジーグは…、
「えと…そ…ソウダヨ?」
サイラから完全に顔を逸らし、小声で同意した。
「さすが、シグさんが師と仰いでいるお方」
照れているんだろうというシグの台詞どおりだと思い、サイラは笑顔を浮かべる。
「改めて、お願いできないでしょうか」
そして三度、ジーグに頼み込んだ。
「その素晴らしいお仕事、私も関わらせていただきたいです」
直角。
サイラがここまで綺麗に頭を下げたのは、いままで生きてきて今回が初めてかもしれない。
「何でもさせていただく所存です。お茶汲みでもトイレ掃除でも」
まさにプライドをかなぐり捨てた態度だ。
サイラがここまでしたのも、今回が初めてだろう。
「い…いやぁ…し、しかしなぁ…」
そのサイラの本気度は確実にジーグに伝わったが、彼は未だに困惑しきった表情をしている。
脳裏に浮かぶのは、もちろん作っている商品のことで…、
「いいんじゃない?」
返事に困り果てているところに、突然ジーグの背後から声がした。
「うおっ!?」
驚いたジーグはすぐに振り向く。
「し、しーちゃん…」
背後にいたのは、ジーグの妻であるシエスタだった。
「新事業が好調で、人手不足なのは本当だもの」
朗らかに笑うその人の顔を見て、サイラの脳は高速回転を始める。
彼女はジーグの妻で、そしてシグが従事している仕事の責任者だったはず。
つまり、採用権はそのシエスタにこそある。
「え…い、いいのですか?」
サイラの表情に笑顔が広がりかける。
「いえ、答えはいますぐは出せないけれど、お話を聞くぐらいならいいじゃない」
シエスタの視線は、ジーグからサイラに向けられる。
「採用するもしないも、まずは必要な手続きを取らないとね?」
「手続き…」
「そう。いますぐしましょう。面接を…ね?」
サイラを見つめるシエスタの顔は、この上ないほどの笑みで満ちていた。