彼女の住処~プロローグ
「要するにね、住処っていうのは容れ物なのよ」
何の脈絡もなく、彼女はそう切り出した。
「良く『起きて半畳、寝て一畳』なんて言ってスカしてる奴もいるけど、生き物である以上、食べて寝てるだけじゃやっていけない。さて、ここで問題。人間が行きてくために最低限必要な物は何でしょう?」
いきなりこちらをビシッと指差して、彼女は僕にそう尋ねてきた。
「ええと……衣食住?」
「ブーッ、足りません、不正解。食べる物、着る物、その他に、生きてくための知識や情報を得るための本や新聞などの情報媒体、食費とかを稼ぐための仕事で使う道具、他人とのコミュニケーションや暇潰しのための道具とか、そう言った物も必要だから、それらを置いておくために、住処にはどうしてもある程度の広さが必要になるのよ」
「はあ……」
ただ相槌を打つしかない僕。
「さて、ここで第二問。頑丈でちょっとやそっとでは壊れない容れ物があります。で、そこに容れ物ほど固くない物を入れておこうと思います。容れ物の容積は物の体積に十分間に合いますが、形は全く合いません。それでも無理に押し込んだらどうなるでしょう?」
「……入れた物の形が変わってしまう?」
「正解」
住処と何の関係があるんだろうと思う僕とは反対に、期待通りという笑みを浮かべ、彼女は続ける。
「人間も同じ。入りきれないほど狭かったら話にならないし、広さが十分にあっても生き方に合わない部屋に住んでたら、その生き方を続けることが困難だったり、下手をしたら生き方が歪んでしまうかも知れない。だからと言って、入れた物が形を維持しようとして、すぐ壊れてしまうような弱い容れ物なんて論外。それで第三問。これらを踏まえて理想的な容れ物とは、どういう容れ物でしょう?」
「んと……物をちゃんと入れられるだけの体積があって、なおかつ物を圧迫しない形で、それですぐ壊れないほど頑丈な容れ物?」
「確かにそれが理想的だけど、世の中そんなご注文通りの容れ物が都合良くあるとは限らないわね。さあ、どうすれば良いでしょう?」
「んん~」
既に彼女の質問が、『理想的な住処とはどういうものか』ということの例えであることは、流石に僕でも理解できた。しかし問題の意図が分かることと、問題の答えが分かることは全く別のことである。答えに詰まり、唸りながら悩んでいる僕の前で、
「三、二、一、ブーッ、時間切れ!」
彼女が楽しげにカウントダウンして、デコピンを喰らわせる。
「~~~~っ!」
その細い指から想像以上に強烈な一撃を喰らった額を抑え、苦痛に顔を歪める。ここで文句を言ったら更にもう一発喰らわされるので黙って耐える。
「頭固いわね、もっと柔軟に考えなさいよ。入れる物に合う形の容れ物がないんだったら、容れ物の形を物に合わせちゃえばいいじゃない?」
簡単なことじゃないのと言わんばかりの彼女の答えに、
「そりゃあ、理屈はそうかも知れないけど……十分広さがあって、住人に合わせて簡単に形が変わって、それで強度も十分? そんな所が本当にあると思うの?」
額から手を放して反論する僕だが、そこにすかさずデコピン二発目。
「クアァァッ!」
短時間の二連発にとうとう叫び声を上げ、身体をくの字に曲げて悶える僕。
「実際に住んでみて分からないの、英樹。あるじゃない。このリトル九龍が」
そう言って、彼女は両腕を大きく広げて見せた。
そして彼女が見上げた、リトル九龍の屋上の真上に広がる空は、“混沌の街”新宿のそれには似合わないほど蒼く、澄み渡っていた。




