白と灰色7
こんばんは。
今回の更新は2話アップなので、前話を見ていない方はそちらからご覧下さい。
ピンポーン……
既に昼近くにも関わらず未だに布団の中だったが、部屋に鳴り渡る呼び鈴の音に英樹は微睡みの時間を中断するとベッドから抜け出し、炬燵の上に置いてあった眼鏡を掛ける。パジャマの上に半纏を羽織りながら、朝でも随分温かくなったなとふと思う。のたのたと玄関に歩み寄り、側の壁に付いているインターホンのモニター画面を見る。
画面に映っていたのは英樹より一回り年下の、まだ十代に見える少女だった。傍らに置いた大型の旅行鞄に片手を置きつつ、呼び鈴を鳴らしてしばらくしても反応がないのに苛立っている様子だ。英樹はインターホンの受話器を取る気怠げに言った。
「悪いけど、女の子は間に合ってますよ」
「違います!」
「じゃあセールス? うちは男の一人暮らしで化粧品は要りませんし、消火器も健康食品も間に合ってますし、車も定期預金も予定はありませんから」
「違います! って言うか、まだそんな歳じゃありません!」
「それじゃ宗教ですか? せっかくですけど幸運の壺も掛け軸も興味有りませんから」
こんな調子でドア一枚を隔てて繰り広げられる不毛なやり取りに、先にキレたのは少女の方だった。
「んもう、いい加減にして!」
少女が張り上げた大声に、他の住人たちが、ドアを開けて出てくる。流石にこれはまずいと思ったか、英樹もドアを開けて少女の姿を直に観察してみる。
歳は先程も確認した通り十四、五と言ったところ。身長は一八〇センチ弱の英樹よりも頭一つ小さく一五五センチ位。少し栗色掛かった黒髪をポニーテールにまとめ、意志の強そうな光を讃えた大きな瞳はきゅっと引き締まった口元と相まって、苛立っている様子を更に引き立たせていた。
「え~っと、出前でもないしセールスでも宗教でもない。とすると、君は誰?」
少女の堪忍袋は遂に切れた。
「もうっ! お正月を挟んでも、まだ4ヶ月くらいしか経ってないのにもう忘れたの?」
少女の叫びに英樹は一瞬戸惑った表情を見せたが、すぐに上目遣いで黙り込む。何かを考える時の英樹の癖だった。
「ああっ……ごめんごめん、入ってよ」
「んもう、お兄ちゃんったら……」
ばつの悪そうな顔で促す英樹に、やれやれと言った表情で、旅行鞄を転がしながら部屋に入っていく少女を、周りで見ていた他の住人たちは、
「おい、あの子確か去年あいつの所に来た子だよな?」
「ああ。ここを飛び出した後、どん底通りに迷い込んで散々な目に遭ったそうだぜ。なあ恭介?」
「間違いない、確かにあの時の嬢ちゃんだ。しかし本当にあいつの身内だとは思わなかったな。あんたらから聞いた時、最初は信じられなかったぜ、マジで」
「それにしてもまあ、そんな酷い目に遭ってよく、また来る気になるよな」
「見かけよりずっと腹が据わってるかも知れねえな」
「ベリークールなガールじゃねえか! ハッピーだ! ミラクルだ!」
「もしかすると、このままずっと住み着いちゃったりして」
「このリトル九龍にかい? まっさかぁ」
「せやけど、あの女の子が来ればここもエレナとかとはまた違った意味で随分華やかになるやろな」
「そうだな、見たとこ家庭的そうだし」
「それに可愛いし」
「よし! あの子がここに引っ越してくれるよう作戦会議を開こう!」
「待ツッス! ホダナワラワラシテモ上手クイカネッス。マズ通ッテ来テクレルコトカラ始メテ、ソイヅカラ徐々ニ居着イテクレルヨウニスルノガウマグネカ?」
「いや、孫子曰く『兵は拙速を聞く』とある。下手に時間を掛けてこのリトル九龍や新宿の悪い所がどんどん目に付いて近づくのさえ嫌になる危険もある。その前に手を打たなければ」
「まあまあ皆さん。色々意見を出し合うのは結構ですが、こんな通路じゃなくて、別の場所でじっくり話し合いませんか?」
「おっ、そうだな。よしみんな、場所を変えるぞ!」
「おう」「おう」
口々に賛成の声が挙がり、集まってきた連中はぞろぞろと移動を始めた。
「何よこれ! 前に来た時と全然変わらないじゃない?」
アニェスが思わず叫んだように、本棚から溢れ、積み上げられた本が床の至る所を占領している英樹の部屋は相変わらずだった。いや、この四ヶ月ほどの間で更に本が増えたようだが、元が元だから殆ど変わらなかった。
「いいじゃないか別に、君には関係ないだろ。それに何でまた来たんだ?」
後ろで英樹が疲れた表情で言うと、アニェスはくるりと彼の方を向く。
「関係ならあるわよ。これから一緒に住むんだから」
「一緒に住む? どういう事だ?」
「こういう事」
そう言って、アニェスが鞄から出した書類を広げて英樹の目の前に突きつける。
「入学許可証?」
書類の表題の箇所にプリントされた文字を見て、英樹は思わず口に出す。
「そう。私、四月から日本の高校に通うことになったから、ここに住まわせて貰うわ」
「何だと!?」
アニェスの手から入学許可証を引ったくり、炬燵の上で英樹はその記載内容に目を走らせる。
「どういうつもりだ一体? 目的は何だ!」
書類が本物らしいのを確認してから英樹は顔を上げ、眉を吊り上げて炬燵の向かいに座るアニェスを見るが、彼女は全く動じることがなく、
「あの時言われたようにフランスに戻ってから色々考えたんだけど、あの啓示が本当は誰からのものか、考えたって分からないし、あなたが持ってるという永遠の鍵が司教様の運命に大きく関わってるのは間違い無いみたいだし、それに私の本当の名前とか出生も気になるし──」
理由を指折り数えながら、アニェスは説明を続ける。
「そういう色々な事をはっきりさせるには、やっぱりまた日本に行って調べるしかないって、そう決めた訳なの」
「それでまた飛び出して来たのか? こういう周到な準備までして!」
ジト目でアニェスを見ながら英樹が問うが、彼女は笑って、
「大丈夫。今度はちゃんと司教様に許しを貰って来たから。そうでなかったら、受験なんてできないわよ」
「署名とかなんていくらでも偽造できるよ」
「新宿と一緒にしないで!」
「……まあ、それは良いとして、ここは何だ、ここは?」
英樹は炬燵の上に入学許可証を広げ、その一点を指で叩いて示す。
「私の名前が書いてある箇所だけど」
「そんなことは分かってる。問題は書いてある名前だ!」
そう英樹が指摘した箇所には、脳喰らいに記憶をほじくり返された時に掘り起こされた乳児の頃の記憶にあった彼女の名前と、英樹にとって最も馴染みの深い名字が記されていた。そう──
「『大友楓』だと? 偽名使って高校に通う気か?」
英樹はぐいっと身を乗り出して詰め寄るが、その質問が出ることを前もって予想していたアニェスは、
「偽名じゃなくて、日本名よ。永遠の鍵のこととか調べるには、あなたと一緒に暮らした方がいいでしょう? でも何の関係もない男女が一緒に住んでいたら変な目で見られるだろうから、遠い親戚とか言っておくのが一番良いじゃない。だからあなたの名字を使わせて頂きました」
「だからと言って、勝手にそんなことをされたら、こっちも困る!」
「いいじゃない、減るものじゃなし」
「減るわ! 去年のあの時だってお前、どん底通りで水を被って暖房も無い廃ビルに何時間もいたせいで、次の日風邪を引いて看病に数日潰れるし、ロシアンマフィアとトラブったせいで、解決のためのバーターで年末は商業向けの年末進行とコミケ向けの同人誌製作を二乗したレベルのデスマーチだったんだぞ!」
「何訳の分からない事言ってるのよ……?」
「とにかくその位心身を磨り減らす目に遭ったという事だ!」
「でもあの時言ったじゃない。『僕に出来ることがあったら手を貸さないこともないけど』って。それともあれは嘘だったの?」
「うっ……」
金、地位、色仕掛け、理想、脅迫、エトセトラ、エトセトラ──他人に言う事を聞かせる手段は多々あれど、強固な意志やより強い力を持つものによってそれらは往々にして撥ね除けられるものである。が、そうそう撥ね除けられないものというのも世の中にはある。その一つが『美少女のまっすぐな瞳』であった。英樹もまた、彼女のそんな瞳で見つめられ、言葉に詰まる。
それに、前に訪ねてきた時から、リトル九龍の住人たちの殆ど全員が直接見た、見なかったを問わずアニェスに興味津々で、あの後しばらくの間、住人たちの質問攻めに英樹は苦労させられた。もし下手に彼女を追い出して連中を怒らせでもしたら──
考えたくなかった。
「そういうわけで、今後ともよろしくお願いします。お兄ちゃん」
そう言って、アニェス──いや、大友楓は英樹に向かって深々と頭を下げた。
(「……お、終わった……色んな事が……」)
あんぐりと口を開け、愕然としながら、英樹は多少の不便はあっても一人身軽なディレッタント生活がガラガラと音を立てて崩れるのが聞こえたような気がした。
こうして二人の家族でも、友人でも、増して恋人でもないが他人でもない、奇妙な関係が始まることになった。これから後、彼らはこの関係にも劣らぬ複雑さと奇想天外に彩られた生活をこのリトル九龍と新宿で繰り広げることになるのだが、それはまた別の話である。




