白と灰色2
いつも思うんだよね、何で僕をそっとしておいてくれないのかって。
僕はただ、
起きたい時に起きて、
食べたい物を食べて、
読みたい本を読んで、
出たい時に外に出て、
行きたい所に行って、
買いたい物を買って、
見たい物を見て、
やりたいゲームをやって、
やりたいネットサーフィンをやって、
見たいテレビ番組を見て、
飲みたい酒を飲んで、
寝たい時に寝たい。
いわゆるディレッタントとでも言うのかな。
世間はそんな僕を身勝手だ、自堕落だなどと言うけれど、払うべき金は払っているし、必要なら出来る範囲で仕事もやる。
でも、他人はこちらの都合もお構いなしで話しかけてきたり、怒鳴ったり、泣いたり、馬鹿にしたり、罵倒したりして、そのくせこちらから近づこうとすればうっとうしがって追い払ったりして、本当に必要な時、側にいてくれることがない──大抵の人はね──
「さあ、君は何処の組織の回し者だ?」
少女の対面に置いた椅子に座り、英樹は尋ねた。
既に後ろ手に手錠を掛けられた状態で椅子に座らされ、両足首も念入りに縛られた少女は何も答えない。が、怯えた様子は全くなく、まっすぐに英樹と向かい合っている。
「……ただ訊くだけじゃ駄目か」
独りごちて英樹は先程まで少女が持っていたナイフの刃先を少女の目の前数センチの所まで近づける。
「断って置くけれど、この部屋の壁も窓ガラスも防弾防音仕様になっているから、君が大声で助けを求めようが銃声がしようが他の部屋の人たちには何も聞こえないから、無駄な抵抗は止した方がいいよ」
「何でマンションにそんな設備があるのよ!?」
思わず大声で叫ぶ少女。対して英樹はナイフの刃を彼女の右耳の付け根にピタリと付ける。
「質問をしているのはこっちだよ」
「……」
少女はそのまま押し黙る。
「話す気がないならこっちから言ってみようか。例えば……新宿区民政府、歌舞伎町自治連絡会議、福星会、市ヶ谷駐留軍、極東帝国……」
新宿を事実上支配している五つの組織、別名五大組織の名前を並べていく。
相変わらず少女は何も答えないが、構わず英樹は更に組織の名前を言い続ける。
「新宿でないとしたら外かい? 公安警察、内閣調査室、公安調査庁、天地組、英グループ……」
国内の政府組織や広域暴力団、企業などをどんどん並べていく。少女に反応は全く見られない。
「それとも海外の組織かな? CIA、SVR、MI6、ICPO、NATO、マフィアではイタリアン、チャイニーズ、ロシアンマフィア、他に中南米の麻薬カルテルもあるかな。多国籍企業はいちいち挙げたらキリがないし、後はナチスの残党やユダヤ資本とか宗教だと厄介だな」
なおも沈黙を守り続ける少女に、英樹は眉間に皺を寄せる。
「そろそろ話してくれないと、僕も右手に思わず力が入っちゃいそうなんだけどね。年頃の女の子が耳を削がれるなんて、色々な意味で辛いだろう?」
声のトーンを落として、英樹は少女の耳元で最後通告を囁く。少女の顔に一瞬怯えの色が走るが、
「好きにしなさい。ゲヘナに落ちるくらいなら耳が片方無くなるくらい何でもありません!」
微かに全身が震えながらも毅然とそう言い放った少女に、英樹はホゥと感銘の息を漏らす。
「だったらその言葉嘘じゃないか試してみようか」
ナイフの刃が皮膚に食い込み、少女はギュッと両眼を瞑る。が、皮膚が切れて血が噴き出す寸前でナイフの刃は少女の耳から離れる。
「どうしたのですか?」
眼を開けて恐る恐る少女は尋ねる。
「やめた。部屋が血で汚れたらたまんないもん」
「……!」
流石に少女もこの言葉にはカチンと来たが、気付いているのかいないのか、英樹は少女の手錠と縄を外す。
「何の真似ですか?」
「帰っていいよ。でさ、君の上の人に伝えてくれないかな? これ以上僕を付け狙わないでくれってね。僕はただ、一人平和に気楽に暮らしていきたいだけなんだから邪魔しないでくれと。いくら君程度のレベルしか送れないような、人材のいない組織でもやり合うのは面倒臭いし傷つけられたら痛いし……」
パァン!
英樹が言い終わらないうちに、高い音を立てて英樹の頬が叩かれた。
「Alles en enfer!(地獄へ堕ちなさい!) pécheur!(罪人!)」
フランス語でそう叫ぶと、英樹を平手打ちした少女は玄関の扉を乱暴に開けて駆け出して行った。
「ぷはーっ」
少女が去った後の玄関を見ながら溜まった物を吐き出すように英樹が大きく息を吐いていると、またインターホンが鳴ったので、面倒臭そうにインターホンのモニターの前へ行く。
「入ってええか?」
「相沢? どうぞ」
受話器から聞こえてくる関西弁にそう応えると、灰色がかった長髪を頭の後ろでまとめて縛った二十代後半から三十代位の男が入ってきた。
「おい。さっきの子、泣きそうな顔で飛び出して行ったけど、何したんや一体? まさかいきなりベッドの上に押し倒して服脱がしてブラ外して、ほんでもってその下のもんを散々玩んだ後、とうとうスカートに手を掛けて──おいおい、いくら妹かて踏み越えてはならない一線言うもんが……ンギャーッ!!」
入って早々、小さい子には聞かせられない話をハイテンションでまくし立てていた男が突然頭を抱えてのたうち回る。見ると、彼の後ろにまだ少女の面影が残った感じの金髪の女性が、ホットケーキの乗ったフライパンを片手に立っていた。
「んもう、正太郎ったら人の家まで来てそんな話しないでよ。私まで恥ずかしくなるじゃない!」
「だからっちゅうて、いきなり熱々のフライパン頭に押し付けることないやんけエレナ! 人類の至宝たるこの俺の脳細胞が壊れたらどう責任取るんやこのボケ!」
「何言ってるの。脳全体の九〇パーセントでエッチなことを考えて、残りのうち五パーセントでしょうもない発明、あとの残りが本能を担当しているくせに! いくらあなたのお父様から頼まれたと言っても、毎日毎日家事をしたり、何かにつけてやらかす騒ぎとかのフォローをしたりと面倒を見なくちゃならない私の身にもなって頂戴!」
「しょうもない発明とは何や? 俺が人類の輝ける未来のため日夜取り組んでいる研究をしょうもないとぬかすか!」
「何が人類の輝ける未来よ。この間私がせっかく買ってきた、自動的に時刻を合わせてくれる電波時計を『他の時計も自動的に合わせるようにする』と言って改造したら、電波時計だけじゃなく部屋中の時計が狂っちゃったじゃない!」
「『失敗は成功の元』や。それに『千里の道も一歩から』とも言うやろ!」
「それを言うなら『ローマは一日にして成らず』でしょう!」
「同じや!」
すっかり夫婦どつき漫才状態と化した二人。既に小九龍では日常茶飯事となっているこの掛け合いは、本人たちのキリがつくまで止まらないことを経験上知っている英樹は飽き飽きした表情で椅子をパソコンデスクの前に戻す。直後、エレナのフライパン攻撃をこめかみに喰らった正太郎がダウンして、ようやく夫婦漫才が終わる。
「すみませんけど、しばらくこの人お願いできますか? 私まだ昼食の準備があるものでして」
「いいですよ別に。それじゃ」
そう言って部屋を出るエレナを見送ると、英樹はようやくダウンから立ち直った正太郎に声を掛ける。
「いつものことだけど、毎回あんな目に遭ってよく体が持つねぇ」
「なぁに、いくらクソ親父から押し付けられた言うても、世界中パニックになるような連続殺人やテロが起こらんで済む思えば、エレナ・スターシア言うけなげな少女の面倒見る方が世のため人のため、ほんでもって俺のためっちゅうもんや」
「世のため人のため、ね……」
「それよりあの子、追いかけなくてええんか? いくらお前が自分の事しか考えへん自分勝手な人非人やとリトル九龍のみんなが知っとっても、自分の妹を放ったらかしにして何かあったら、みんな黙ってへんと思うで」
「人非人って……それにあれは妹じゃないよ」
渋い顔で言い返す英樹だが、
「同じことや。片や年頃の可愛い女の子、片や三〇近くの定職も女もない偏屈男、味方するとしたらどっちか、住民投票するまでもないやろ」
当然と言わんばかりに斬り返す正太郎。普段世間から後ろ指を指される境遇の者たちが大半を占めるためか、共通の標的を見つけた時の連帯意識が異常に強いのもリトル九龍の住民の特徴だった。
「やれやれ……」
億劫そうに英樹は立ち上がる。
いくら世間からろくでなしの巣、人間のクズ籠、万国転落人生博覧会場と、不名誉を通り越してドツボとも言えるあだ名を付けられているとは言え、やっと見つけた安住の地である。周囲から罵られるのは慣れたつもりだが、毎日隣近所から執拗な嫌がらせを受けるのは御免被る。それに……
「鞄忘れて出てったみたいだからね。どっちにしろ探しに行かなきゃならないか……」
「そやね。それにほれ、最近ニュースでやっとるやろ? 最近新宿界隈で頭の中空っぽの死体が連続で見つかっとる言う猟奇殺人事件! 俺の見た感じ、犯人に狙われるタイプやで、あの子は」
「分かった分かった。なるべく早く見つけるよ」
「ほなしっかり探しといで」
正太郎が部屋を出るのを見送ると、
「さて、人捜しの第一歩はまず対象の情報を集める事……っと」
そう独りごちて、英樹は少女が残した鞄の留め金に手を掛けた。




