白と灰色1
新宿は歌舞伎町からちょっと外れた、少々寂れた感じの界隈に、一軒のマンションが建っている。
一九八〇年代の末、いわゆるバブル全盛期に、地方のとある不動産業者が東京進出の足掛かりとして、ビジネスマンのセカンドハウス等向けの安価な賃貸マンションとして着工されたのだが、建物と内装が完成してもうすぐ入居者を募集するところでバブルが崩壊。新宿の他にも東京各地に手を広げていた件の不動産業者は多額の負債を抱えあっけなく倒産してしまう。
残された建物は他の業者の手に渡り、看板や内装に若干の手を加え、別の名前で貸し出そううとしたが、入居者の募集間際にこの業者も役員の収賄事件に始まる一連の不祥事が発覚したことで社会的信用を失い、結局他の業者に吸収合併される羽目になり、入居者募集は白紙となってしまう。
その後もマンションの権利は幾多の持ち主を転々とするが、いずれもマンションを手に入れると間もなく倒産などの要因で手放す羽目になり、三〇回以上も同じパターンが繰り返されると流石に呪いのマンションという噂が立ち、権利が回って来た債権者までもが悪性腫瘍のように手出しを嫌がる始末だった。
一九九九年、世界中に落下し、それ自体による破壊と、それらの影響による世界規模での自然災害、生態系の異常とも言える変化をもたらした大隕石群の一つが新宿に落下すると、混乱に乗じた暴動、犯罪者の流入、それらの鎮圧を名目としたクーデターに対する住民達の抵抗運動──後に“世紀末内戦”と呼ばれる戦いが勃発する。
二〇〇〇年に入って内戦が激化すると、放置され、荒れ放題となっていたこの建物に抵抗運動の一グループが目を付けたのは当然の成り行きと言えた。無論、既に噂が定着していた呪いのマンションに関わることを反対する声もあったが、当時クーデター勢力との戦力差は絶望的なまでになっていた状態で、そういった反対意見は掻き消され、あっという間にマンションは抵抗運動の拠点として整備された。
いつ終わるとも知れない内戦の中、抵抗運動グループとマンションは幾度も壊滅の危機にさらされる。が、どれだけ激しい攻撃にさらされようとも、その度にギリギリのところで敵側に事故が起きたり、指揮官が負傷したりといった偶然が続いたおかげで壊滅を免れることができた。
「まるでマンションの呪いが敵に襲いかかっているようだった」
当時の事を関係者は後にそう語っている。
やがて抵抗運動がクーデター勢力をだんだん押し返していくにつれ、“呪いのマンション”を拠点にするグループも抵抗運動の主要な戦力となるまでに成長し、最終的にグループのリーダーは抵抗運動全体の指導者としてクーデター勢力を打倒するまでになる。
そして内戦が一応の終わりを見せ、抵抗運動が撤退すると間もなくマンションの権利を手に入れた業者が、
「あれだけ居着いて大丈夫だったのだから、もう心配はあるまい」
と、内外を整備して入居者の募集を始めるが、途端にその業者も倒産してしまう。マンションの呪いは未だに健在だった。
その後マンションはまたも打ち捨てられたが、しばらくすると大変換の後に新宿へ入ってきた『流入者』の一人が無人となっていたこのマンションの一室に勝手に住み着いてしまう。すると間もなく枷が外れたように新宿で住む場所に困った者たちが続々と入ってきた。彼らの多くはまともな仕事に就いていない、いわゆる『ろくでなし』と言われる連中で、“呪いのマンション”の噂は聞いていたが、彼らにとってはいつ来るか分からない呪いよりもその日の寝る場所の方が遙かに切実な問題だった。一応ちゃんと権利を持つ者はいるにはいたが、下手に手を出して呪いが自分たちに降りかかるのは避けたかったし、そもそも新宿のみならず既に外部にまで噂が広がっていた“呪いのマンション”に進んで住もうと考えるまっとうな人間は皆無に等しかった。
こうしてあっという間にろくでなしの巣窟と化してしまったマンションは、更に住人たちによって建物のあちこちに傍目からは無秩序にしか見えない増築や改造が施されていく。その様子にマンションがかつての香港で“魔窟”と呼ばれていた巨大複合建築物とをなぞらえた“リトル九龍”という別名で呼ばれるようになるのは間もなくのことであった。
さて、随分長い前置きになってしまったが、これから始まる一連の長い長い物語を話すには必要なことだったと御理解をいただきたい。ではそろそろ物語を始めよう。この新宿“リトル九龍”一階のとある一室から──
「新宿へ行きなさい──鍵を手に入れるのです──救いたければ──」
ピンポーン……
既に昼近くにも関わらず未だに布団の中だったが、部屋に鳴り渡る呼び鈴の音に大友英樹は微睡みの時間を中断するとベッドから抜け出し、炬燵の上に置いてあった眼鏡を掛ける。パジャマの上に半纏を羽織りながら、朝が随分寒くなったなとふと思う。のたのたと玄関に歩み寄り、側の壁に付いているインターホンのモニター画面を見る。
画面に映っていたのは英樹より一回り年下の、まだ十代に見える少女だった。傍らに置いた大型の旅行鞄に片手を置きつつ、呼び鈴を鳴らしてしばらくしても反応がないのに苛立っている様子だ。英樹はインターホンの受話器を取ると気怠げに言った。
「悪いけど、女の子は間に合ってますよ」
「違います!」
「じゃあセールス? うちは男の一人暮らしで化粧品は要りませんし、消火器も健康食品も間に合ってますし、車も定期預金も予定はありませんから」
「違います! って言うか、まだそんな歳じゃありません!」
「それじゃ宗教ですか? 幸運の壺も掛け軸も興味有りませんから」
こんな調子でドア一枚を隔てて繰り広げられる不毛なやり取りに、先にキレたのは少女の方だった。
「んもう、いい加減にして<」
少女が張り上げた大声に、他の住人たちが、ドアを開けて出てくる。流石にこれはまずいと思ったか、英樹もドアを開けて少女の姿を直に観察してみる。
歳は先程も確認した通り十四、五と言ったところ。身長は一八〇センチ弱の英樹よりも頭一つ小さく一五五センチ位。少し栗色掛かった黒髪をポニーテールにまとめ、意志の強そうな光を讃えた大きな瞳はきゅっと引き締まった口元と相まって、苛立っている様子を更に引き立たせていた。
「え~っと、出前でもないしセールスでも宗教でもない。とすると、君は誰?」
少女の堪忍袋は遂に切れた。
「もうっ! いくら何年も会ってないからって、身内の顔も忘れたの?」
少女の叫びに英樹は一瞬戸惑った表情を見せたが、すぐに上目遣いで黙り込む。何かを考える時の英樹の癖だった。
「ああっ……ごめんごめん、入ってよ」
「んもう、お兄ちゃんったら……」
ばつの悪そうな顔で促す英樹に、やれやれと言った表情で、旅行鞄を転がしながら部屋に入っていく少女を、周りで見ていた他の住人たちは、
「お兄ちゃんって呼んでたな。ってことは大友の妹か?」
「親戚かも知れないぞ」
「おいおい、いくら何でも身内の顔忘れてたのかよあいつ?」
「いやいや、あの“若年寄”のことだ。そこまで若年性痴呆が進行していたとしても不思議ではあるまい」
「でも血の繋がった家族のことまで忘れるなんて最低!」
「何言っとんねん。あいつが人間失格ちゅうことくらいずっと前から分かっとったことやないか」
「あら、あなたが人のことをいえた義理かしら?」
「言えてる言えてる」
「けっ、家族捨てて逃げてきた奴が何言うとんねん」
「ンだとコラァ!」
「まあまあ、それより家族水入らずの所に野次馬が群がっていたら邪魔でしょう」
「ああ、すまない婆さん。ほら、俺たちも戻るぞ!」
「おう」「おう」
口々に言って、集まってきたのと同じ勢いで彼らもそれぞれの部屋に戻っていった。
「何よこれ! 本当にこんな所に住んでるの?」
玄関から部屋の内部を見るなり少女は思わず叫んだ。
実際、英樹の部屋の状態は酷いものだった。部屋の壁という壁を本棚が埋め尽くし、更にその本棚から溢れた本が積み重なって床の至る所を占領していた。まともに片づいている所と言えば、玄関の脇に設置されたキッチンとパソコンデスク、そしてベッドくらいのものだった。
「いいじゃないか別に。それよりその物騒な物を早く引っ込めてくれないかな?」
英樹が懇願すると、それまで身内を名乗っていた少女は一歩だけ後退して彼の胸元に隠すように突きつけていたナイフの刃先を離す。
「出す物を出してくれればすぐに引きますよ」
ナイフをギュッと握りしめながら少女は答えた。
「出す物ねぇ……僕みたいな一介のディレッタントに何を出せって言うんだい? お金ならもっと持ってそうな人はいっぱいいるしそもそも犯罪、それも窃盗とか強盗は盗む金額に比べて警察に捕まるリスクが大きすぎて割に合わないから止めた方がいいと思うよ」
とぼけたような調子で言う英樹に少女はこめかみを引きつらせる。
「まじめに答えてください! 自分の立場が分かってるんですか?」
「いつも言われるんだよね。真面目に考えてるのかって。僕は真面目に言ってるつもりなんだけど」
どうしてなのかねぇ、と溜息をつく英樹に少女のこめかみは小刻みにひくつき始める。
「“鍵”です。私が欲しいのは」
「鍵? 鍵ってどこの鍵? この部屋にはもう入ってるからドアの鍵じゃないよね? 金庫の鍵だとしたらやっぱりお金目当て?」
少女が更にいらついているのに気付いているのかいないのか、そうベラベラと喋る英樹だったが、
「ところで見たところ君、そういうナイフの使い方は初めてのようだね」
突然話題を変えて、英樹は少女のナイフに視線を落とす。
「そんなわけが──」
「隠しても分かるよ、持つ手が震えてるし。それに近付きすぎだよ」
「えっ?」
問い返そうとするよりも早く、英樹の右手が少女のナイフを持つ手首を素早く掴む。
「ほらね。刃物を使って人を脅す時は、こうやって奪われないよう、後ろから首筋を狙うのがセオリーだ。それが分からないから素人だって言うんだよ」
そのまま英樹は腕力の差に物を言わせて少女の手からナイフを奪い取ると部屋の中へ彼女を突き飛ばした。
「形勢逆転。今度はこっちが訊く番だね」
こんばんは。たかいわ勇樹です。
「白と灰色 (ブラン・エ・グリ)~新宿仮面舞踏会」プロローグと1話目はいかがでしたか?
本日は21時に次話を投稿する予定になっておりますので、そちらもお楽しみ頂ければ幸いです。




