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彼女の住処2

 英樹が犯したいくつかの見落とし──その一つ目は、まず呼び鈴の音として現れた。

「はーい」

 昼食で使った食器を洗っていた手を止め、タオルで両手を拭きつつ楓はインターホンへ向かう。

「はい、何でしょうか?」

「やあ楓君、ちょっと良いかね?」

 インターホンの受話器からやたら元気な男の声が返ってきた。モニターの中で、三十代半ばの男が角張った顔に白い歯を見せている。

「あ、エルネストさん。今鍵を開けますから」

 モニターの顔が記憶にあったのでドアの鍵を開ける。一度でも見た人の顔と名前は決して忘れないのが楓の特技の一つだった。

「お邪魔するよ」

 そう言って、一九〇センチを超えるがっしりした体つきの男が入って来る。この男、エルネストもまたリトル九龍(クーロン)の住人で、賞金稼ぎを生業としていた。

「それで、何のご用ですか?」

「いや、ちょっと君と大友君の新生活の様子を見にね。何しろ彼が女性と一緒に暮らすのは数年ぶりだからね。ハッハッハッ」

 何がそこまでおかしいのかと思えるほどに、大声で笑うエルネストに、楓はいささか戸惑う。

「そ、それはどうも……散らかってますけど……」

「ああ、構わない構わないよ。ところで、大友君が見えないけど外に出ているのかね?」

 靴を脱いでズカズカと上がり、部屋中を見回しながらエルネストが尋ねてくる。

「はい、お兄ちゃんは昼食の後すぐ出かけていきましたけど、何か?」

「いや、それならそれでいい。ふむ……これは……成程」

 その日に焼けた無骨な顔で深刻そうに眉を寄せ、何か分かってようにフムフムと頷いているエルネストに、楓が何を訊いてもてんで反応せず、ただ顔に深刻さを深めるばかり。そしてエルネストはいきなりポンと手を打つ。

「良し! 大体の事情は分かったよ楓君!」

「は?」

 何が分かったんですかと尋ねようとする楓に、エルネストはさえぎるように手を広げて彼女の前に突き出す。

「何も言わなくても良いんだよ。君の悩み、災いの元凶はこのエルネスト・ラミレスが何もかも理解した!」

「あ、あの……」

「だから言わなくていい、と言うより、言ってはならない! もし君の口から一片でもその悩みが出てしまったら、君は私に告げ口したことになる。あの陰湿にして自分本位、吝嗇(りんしょく)と強欲の権化たるあの大友君がそれを知ったら、どれほど恐ろしい仕打ちを君にするだろうか? 筆舌に尽くし難き罵詈雑言(ばりぞうごん)、人間の尊厳に唾を吐きかけ理性を否定するが如き残酷な拷問の数々、そしてそれらを喜々としてやってのける、この世の邪悪の全てを凝集するが如き彼の形相! 嗚呼、想像するだけでも恐ろしくて、今夜は眠れるかどうか心配でならない!」

 楓の声も耳に入らず、すっかり自分だけの世界に突入したエルネストは、大仰な身振りを交えつつ、芝居がかった口調でしゃべり続ける。そして、やおら楓の両肩を掴み、

「いいかね、これから何が起きても、それらは全て我々が勝手にしたことであって、君には何の責任も無い! 彼に問い詰められたとしても、君はただこう言えばいい。『私は何も知りません』と!」

 やたら力強く言うと、エルネストは楓の肩から手を放し、玄関の方に(きびす)を返し、大股でズンズンと外へ出ていった。まるで嵐が過ぎ去った後のように楓がポカンとしていると、開いたままになったいた玄関からエルネストが顔を出して、

「期待に胸を膨らませて待ってい給え!」

 笑い声と同時にドアが閉まっていく。ドアが音を立てて閉まり、笑い声が聞こえなくなると、楓の全身にドッと疲れが襲ってきた。




 英樹がリトル九龍に帰ってきたのは楓とエルネストの遣り取りがあってから数時間後、午後三時を少し過ぎた頃であった。ライトグレーのスーツに同色のソフト帽、白のワイシャツにワインレッドのネクタイという出で立ちに、銀の持ち手の付いたステッキを携えて入ってきた英樹を出迎えたのは、エルネストを先頭とした、リトル九龍の住人の中でも特に腕っ節に自信のある者達だった。

「大友君。話があるので一緒に来てくれないかね?」

「今ここでじゃ駄目なのか?」

 一同を代表してエルネストが切り出してくるのに対して、用件があるならさっさと済ませて欲しいと言った感じで英樹が答える。

「残念だがそれは聞けない話だ。君にその意志が無いとしても、我々は力ずくで君を話し合いの場へ連れて行かせて貰う。それっ!!」

 エルネストの号令の下、数人の屈強な連中が英樹を取り囲み、一斉に飛びかかってあっという間に押さえ込む。

「一体何をする気だ!?」

 地面に倒された上、手足の自由を奪われた状態で、なおも英樹は吠えるように叫ぶ。

「さっきも言ったはずだよ。話し合いをするんだ。それ、連行だ!」

 そう元気良く号令するエルネストを先頭に、英樹を無理矢理立たせて一団はリトル九龍の廊下を進んでいく。まるで逮捕された犯罪者のように引っ立てられながら、英樹は思った。

(「話って言ってたけど、絶対、ろくな話じゃない!!」)




 リトル九龍の七階は、別名を集会場と呼ばれている。

 元々は他の階と同様、いくつかの部屋に区切られていたのだが、二〇〇〇年に新宿を戦火で包んだ世紀末内戦において抵抗運動(レジスタンス)の拠点として使われていた時の攻防戦による被害が最も酷く、内戦終結時には重火器や爆薬などによる爆破や弾痕などで無惨な姿を呈していたという。内戦終結後間もなく建物の権利を手に入れた業者が内外を補修するに当たり、七階は壁や設備を一旦全て取っ払って新しく設置し直した方が良いという結論になった。ところが階全体の見晴らしが良くなった所で業者が倒産、工事は途中のままで中止となり、何もない状態のまま七階も打ち捨てられてしまう。

 その後建物にまっとうでない住人が入ってくるようになると、広さだけはあったこのフロアにビリヤード台や卓球台、どこから持ってきたのかピンボールやインベーダーゲームなど、場所を取るので自分の部屋には置いておけない遊び道具が持ち込まれるようになる。その他にも大人数が集まるのに適したこの空間は、何かと理由を付けて酒盛りをするための宴会場や、住人同士の取り決めなどを決める会議の場と言った、幅広い用途に使われている。

 そして現在、集会場は詰問(きつもん)の場となっていた。

「さて、これは一体どういうことなんだろうね?」

 最初にエルネストが口に出した台詞がまずこうだった。

「──と言われても、“これ”ってのは何? と言うか──それはこっちが聞きたい!」

 椅子に縛り上げられた状態で、英樹が言い返す。英樹の前にはエルネストを始めとした、先程ここまで英樹を拉致した住人達がそれぞれ椅子に座って英樹と向き合っており、その周りを他の住人が取り囲んでいた。

「分からねえのか、この唐変木!」

 ニッカボッカに腹巻姿、典型的な土建屋スタイルをした堅太りの男が吠えるように叫んだ。男──“ドカン屋”田原(たわら)万次郎まんじろうは英樹のネクタイを掴み、左眉の上から右目の下へ斜めに傷の走ったいかつい顔を近付ける。

「てめえ、楓ちゃんを屋根裏に押し込んでシンデレラみたいに扱き使ってるそうじゃねえか!!」

「飯の味が気に入らないと言って楓ちゃんを蹴り飛ばしたそうじゃないか!」

「バスタブの中に沈めて顔を出したらステッキで殴ったって聞いたぞ!」

「何てことしやがるんだ!」

「それでも人間か!」

 万次郎の野太い怒声に、周りも続いて英樹をなじって、住人達のテンションは急上昇していく。

「誰がそんなことを言ったんだ! 言い出しっぺはエルネストか?」

 たまらず英樹が叫ぶ。ガヤガヤとお互いに尋ね合う周囲の住人達の話から、英樹の言う通り発端はエルネストらしいと分かる。英樹の顔が思い切り渋くなる。

『いつか賞金稼ぎの会社を作り、一部上場に押し上げる』

 そう自分の夢を日々声高に公言しているエルネストは、いつか企業のトップとして多くの人間を動かすためと称して、何かにつけて弁舌をふるうのだが、本人の思い込みの強さのせいで、彼の説明は事実よりも数段オーバーになって、相手に伝わってしまう。そのため住人や賞金稼ぎの間で“脚色家(ザ・ドラマタイザー)”という二つ名を付けられているのだが、本人は全く気にしておらず、辞める気配も無いものだから、周りにとっては迷惑なことこの上無かった。

 ともかく、エルネストから始まって住人たちによって中継されていくうち楓の境遇はどんどん上着を着せられていき、集会場に住人たち集まった頃には先程のように、『楓が英樹に虐待されている』という状態にまで発展していたのである。

 英樹の言葉で冷水を浴びせられたかのように、それまで上がる一方だった周囲のテンションは、線グラフで表せば頂点を描いて下りに入っていった。

「でもよ、火のない所に煙は立たないって言うだろ?」

 それまで黙って煙草を吹かしていた、英樹の拉致メンバーの一人がやおら口を開いた。

 身体はエルネストや万次郎ら他のメンバーに比べると一回りか二回り小さいが、その態度に物怖じや引け目などはなく、堂々と足を組んで、右手に煙草をくゆらせている。擦り切れだらけのジーパンを履き、Tシャツの上に革ジャンを羽織った風体と、少年っぽい造作の顔は、見ただけだと男に間違えそうだったが、声で女だと分かる。

「問題はな、楓ちゃんの使うスペースらしいスペースがお前の部屋にないのはどうしてだってことなんだよ」

 革ジャンの女──殴り屋のニコルは英樹の方にぐっと身を乗り出す。

「置き物じゃねえんだよ。血が通って、生活って奴をしてる人間なんだよ。そのためには家具とか色々要るよなぁ? そのためのスペースを何で用意してやらねーんだって言いたいんだよ。なあみんな?」

 周りを見回しながらニコルが言うと、皆が「そうだそうだ」と同意して、再びテンションの線グラフが上へ向き始める。

「それともてめえ、自分の物だけあれば良くて、楓ちゃんのことなんか知ったこっちゃ無いってそう言いたいのか、ン? そんな自分のことしか見えてない目ン玉は、こいつでヤキ入れて、少しはマシになるようにしてやろうか? アァ?」

 ニコルが右手に持っている煙草の火がゆっくりと英樹の眼に迫ってくる。周りからも「ヤーキ、ヤーキ」などとコールが上がる。あんな物を目に押し付けられたら、マシになるどころでは絶対に済まない。

「やめろ! それはシャレにならない! みんな落ち着いて、僕の話を聞いてくれ!」

 英樹がたまらず叫ぶと、一同も流石に熱くなりすぎたのが自覚できたようで、「ヤーキ」コールやら何やらが次第に収まる。それを見計らって、英樹は説明を始める。

「そもそも、楓のために部屋のスペースを空けてやれと言われたって、みんなも知ってる通り、僕の部屋は本で一杯で、新しく買った本の置き場所を作るならともかく、整理したくらいで人一人同居するのに支障ない程のスペースが確保できるわけがないんだ。それくらい分かるだろ?」

「だったら本を処分すればいいじゃんかよ!」

「そうだそうだ!」

 一同の誰かが意見を出すと、周りも次々と賛同の声を上げる。

「軽く言うな! 今、本を処分すればいいと言ったそこの水口、お前はギターと楽譜を捨てろと言われて素直に従えるか? それに一番最初に賛同した谷山、お前も漫画を描く道具を捨てろと言われてそれに従えるか? 他のみんなもそうだ。自分の大切にしてる物を、そう簡単に捨てられるのか?」

 英樹にそう尋ねられると、途端に一同は言葉を失う。

「できるわけ無いだろう? 夢とか思い出、背負ってる十字架や貼られたレッテル、手放そうにも手放せない物があって、社会から爪弾きにされたから、みんなここに居るんじゃないのか? このリトル九龍に!!」

 胸に溜まっている物を吐き出すように英樹は言う。一同皆辛いことを思い出したのか表情は沈んでいる。言うまでもなくテンションの線グラフは横軸スレスレまで下がっていた。英樹自身も言い終わるやがっくりとうなだれ、重い沈黙が辺りを支配した。

 それから皆、何を考えているのか、または考えついていても言い出す契機を見いだせないのか、しばしその沈黙は続いていたが、

「ちょっと待って! 別に同じ部屋に住んでなくたっていいじゃないですか」

 突然、英樹たちを囲む中から上がった女の声が沈黙を破る。それは自称“天才発明家”、他称“天災発明家”または“迷惑工場(トラブルファクトリー)”相沢正太郎の世話係を自認するエレナ・スターシアだった。

「私も正太郎の世話をするためにリトル九龍にいますけど、部屋は別々なんですから、楓さんもリトル九龍の他の部屋に移ってそこに住めばいいんですよ」

 エレナがそう言うと、彼女を除いたその場の全員が、ハッとした表情で顔を見合わせる。が、一瞬の後慌てて英樹が言い返す。

「他の部屋って、どこの部屋だ? 今はどこの部屋も塞がってて、空いてる部屋なんて無いじゃないか!」

 言い終わって英樹がフンと鼻を鳴らすと、今度は英樹を除いた全員が困った表情で顔を見合わせる。確かに英樹が言う通り、現在リトル九龍のどこの部屋も、誰かが住んでいるか、何らかの目的に使われているか、その他特殊な事情で使えないなどの理由で、空いている部屋は一部屋も無かった。が──

「あるじゃないか、一部屋」

 今度の沈黙を破ったのは、ニコルの声だった。彼女自身、迷いが顔に出ていたが、煙草を口にやって、煙を大きく吐き出すと、思い切るように続きの言葉を出した。

()()()の部屋が」

 その途端、集会場全体にざわめきが走る。

()()()の部屋だと?」

「正気か?」

()()()の部屋に手を出すって?」

「そんなことをして、もし何かあったらどうするんだよ、おい!」

「でもニコルの言う通り、他に使えそうな部屋なんて無いぞ」

「困ったなぁ」

「もし何かあったらどうすんだよ、ニコル!」

 ひとしきり騒いだ後、皆の視線がニコルに集まる。言い出しっぺとして彼らの言う“何か”が起きた時の対応策があるものとして、それを期待しているのだ。そんな周りの視線を見回し、苦々しげにニコルは言う。

「その時は、大友に何とかして貰おうぜ。そもそも()()()絡みのことは全部、大友が責任持って対応するのが筋ってもんだろ。違うか?」

「そりゃまあ」

「そうだけどな」

 一同の間で消極的な賛成、早い話仕方ないかといった声が上がる。

「どうやら決まったようだね!」

 エルネストが一同を代表して議論を締めくくり、英樹の両肩をガシッと掴む。

「そういうわけだから大友君、責任持って楓君をあの部屋に案内して、今後も保護者として彼女の面倒を見てくれ給え!」

 渋い表情の英樹だったが、肩を掴む手に更に力を込めてくるエルネストと、周囲からの無言の強要の視線にさらされ、

「分かったよ! 楓はあいつの部屋に住んで貰うよ! それで良いんだろう?」

 半ばやけに英樹が言うと、周囲からやっただの万歳だのといった声や笑い声が上がる。

「どうしたんです一体? みんなで集まって。お兄ちゃんまで」

 住人の一人に案内されてやって来た楓が、入るなりそう訊いてくる。

「おおっ、楓君かね!」

 楓の来室を認めるなり、人垣を掻き分けエルネストが楓の前へ突進するようにやって来る。

「安心し給え! 君の住む場所の件は、住民一同の話し合いの結果、大友君のとは別にもう一部屋用意してそこに住んで貰うことになった。何も心配することはない! 君のことは大友君を始め、我々リトル九龍の住民一同が責任持って面倒見よう!!」

 大声で楓にそう話すエルネストの後頭部を、英樹は人垣の中から睨み付けながら、

「(何が話し合いだ。これじゃれっきとした脅迫じゃないか! それに、住民一同が面倒を見るなんて気前の良いこと言ってるけど、どうせ面倒事は全部僕に押し付けて来るに決まってるんだ! 絶対そうだ!!)」

 心の中でそう文句を言う英樹だったが、無論誰も聞く者はいなかった。

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