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彼女の住処1

「ほら、起きて。朝ご飯出来たわよ」

 身体を揺すられ、夢から現実に戻されながらもまだ朦朧とした意識に聞こえてくる少女の声。一瞬夢の続きかと思ったが、その声が彼女のものではないと気付き、もう一度夢の中に戻ろうとする。

「起きてったら! お兄ちゃん!!」

 叫び声と共に布団を引きはがされ、入り込んでくる春の初めの冷気に嫌々目を開けて、大友英樹(おおともひでき)炬燵(こたつ)から這いずり出た。

「う~、おはよう楓」

 眠たげに両眼をしょぼつかせながら起き上がり、傍らで炬燵布団を手に持った少女に朝の挨拶をする。

「はい、おはようお兄ちゃん」

 そう大友楓も挨拶を返し、キッチンへ戻る。

「う~、眠む」

 未だに瞼が上がり下がりする英樹の顔を見て、楓が朝食を炬燵の上に並べながら、

「毎晩毎晩遅くまで起きてるから朝が辛いのよ。もっと早く寝たらって、何度も言ったでしょう?」

「いい年した若者が朝五時四十分起床、夜九時就寝なんてできるか! ここは教会じゃないんだぞシスター!」

 眠いのをこらえながら、吐き出すように言い返す英樹に、

「私はまだシスターじゃありません。まあ、将来の選択肢の一つとして検討してはいますけど。それに、生活習慣と年齢は関係ないと思いますけど。吸血鬼さん」

「それだって限度があるよ! 自分の生活習慣を他人に押し付けるな!」

「押し付けてなんかいません! 時計を見て。もう七時じゃない!」

「たった一時間二十分の違いじゃないか!」

「何言ってるの、一時間二十分もあればご飯の支度にお洗濯、色々出来るじゃない。 そもそも今まで起きる時間が遅すぎたのよ!」




 ……とまあ、延々と続くこの口喧嘩の内容からもう既に察しが付いていると思うだろうが、この二人、同じ名字で同じ部屋に住んでいるが、実は本当の家族ではない。

 まず英樹だが、新宿でもろくでなしの巣、人間のクズカゴと名高い、通称リトル九龍に住み着いて何年にもなる根っからの住人で、面倒事を極力避けたがる生活態度、どこか他人とずれた思考、部屋中を占領するあらゆる分野の書物、意識してかしないでか相手の感情を逆撫でする言動など、それが年を食って偏屈になった老人のように見えるのか、同じ住人から“若年寄”なる二つ名を付けられている、まさに社会のはみ出し者。しかしその正体は、普通の人間ならば致命傷にもなりかねない重傷さえ僅かな時間で──それこそあっという間に──塞いでしまう再生能力や、仕込み杖の細剣だけで相手を瞬時にバラバラに切り刻んでしまう戦闘能力を持つ、人の姿を取りながら人にあらざる変異種(バリーズ)の一種──吸血鬼なのである。

 一方の楓は、物心の付かない赤子の頃にフランスで列車事故に遭って両親を失い孤児になったのを地元のカトリックの司教に引き取られ、アニェスという名を与えられて以後ずっと教会で育てられる。そのまま平穏無事に時が過ぎていけば、いずれは敬虔けいけんな修道女か、良き妻良き母としての人生を送ったことだろう。

 だがある日、夢の中で司教が殺される光景を目にしたことが、彼女の人生を一変させる。

 司教を殺される運命から救いたければ“永遠の鍵”を手に入れなさい──夢に出てきたその“啓示”に従い、アニェスは“永遠の鍵”を英樹から手に入れるべく、誰にも内緒で新宿へ旅立ったのである。

 そうして新宿にたどり着くと、新宿駅前のデパートで買ったナイフを頼りに英樹から強引に永遠の鍵を手に入れようとするが、多くの修羅場をくぐった英樹にあっさり取り押さえられ、ナイフも奪われてしまう。流石にこの事は、フランスから日本までの長旅の疲れと、事前に調べた小九龍の悪評、敬愛する司教が殺されるという焦りがあったとは言え、楓自身も後で深く懺悔(ざんげ)するのだが。

 おまけに殺されたり暴行を受けるならまだしも情けを掛けられ解放されるという、これ以上ない屈辱的仕打ちを受けると、悔しさ情けなさその他諸々の感情で気持ちが一杯になり、リトル九龍を飛び出してしまう。初めての新宿で土地勘もなく、夢中で走っているうち、よりにもよって新宿屈指の危険地帯と呼ばれるどん底通りに迷い込んでしまう。

 そこでロシアンマフィアのボスの誕生日祝いにされそうになった所をどうにか抜け出したは良いが、途中で力尽きて倒れたのを、人間の脳から記憶をコピーする変異種“脳喰らい(ブレインイーター)”に捕われ脳を食われそうになるわ、とどめは小九龍の住民にせかされ渋々彼女を捜していた英樹が助けに来たは良いが、逆に脳喰らいに返り討ちに遭い、吸血鬼の力を発揮するため英樹に血を吸われてしまうわと、まるで一生分の不幸を一括で受け取ったが如く壮絶な体験をすることになる。それでもどうにか英樹に助け出され、彼に諭されひとまずフランスに帰ることにした。

 そうしてフランスに帰り、周囲から色々説教やら叱責やらを一通り受けた後、英樹に言われた通りアニェスはこれから自分がすべき事を考えてみた。英樹は“啓示”が本当に神からのものかと疑っていたようだが、信仰深いアニェスは英樹が言うほど否定的には考えられなかった。それに、司教が殺されるかも知れないと言う不安をどうしても払拭できず、やはり永遠の鍵を手に入れる以外にこれらを解決する手段を見いだせなかった。

 加えて、あの脳喰らいに記憶を探られた時、ふとしたはずみで深層より掘り起こされた記憶──列車事故で息絶える直前にあった母の腕の中で聞かされた、自分の本当の名前『楓』──それまで自分が何者なのか示すものを何も持っていなかった彼女にとって、初めて見つけ出した手掛かりはより一層の渇望かつぼうとなり、溺れる者が藁をも掴むが如く、その眼は新宿へと向けられた。

 こうして楓は帰国子女として日本の高校を受験して見事合格、再び新宿へやって来ると、英樹と同じ大友の姓を勝手に名乗り、リトル九龍の英樹の部屋に居着いてしまった。

 とりあえず以上が、吸血鬼と敬虔なクリスチャンの少女という、本来相反する立場の二人が一つ屋根の下に暮らしている理由の全てである。




(「それにしても……」)

 朝食の支度をしながら、楓は思う。無論英樹のことだ。

 吸血鬼のくせに、太陽の光を浴びても灰になるどころか、昼間からフラフラ街を出歩く。朝には弱いが単に毎晩遅くまで起きているからでしかない。ニンニクに弱いどころか外出帰りに餃子ギョーザを買って来たりするし、目の前にロザリオをかざしてみても、「何だそりゃ」で片づけられてしまう。とにかく今まで彼女の中にあった吸血鬼のイメージを、実際の吸血鬼はことごとくぶち壊しにしており、これで実際に血を吸われてなければただの妄想で片づけてしまうところだ。

 それは別に良いだろう。但し、『百歩譲って』という文句が前に付くが。だが、それらを差し引いてもなお、この男の生活態度は問題だらけだ。

 まずは朝、いや、既に太陽が高く昇っている正午近くになってやっと起きて、夜はここ数年午前零時より前に寝たことがないという夜型生活で、教会の規則正しい生活リズムが身体の芯まで浸透している楓にはこれだけでも信じがたいものだったし、食事が済んで着替えたらフラッと出かけて夕方になるまで帰って来ない事もしばしば。帰ってきたら帰ってきたで、本などを読んだりパソコンの前に座っていたり。風呂に入って夕食後も、本などを読んだりパソコンの前に座っていたり。そして眠くなったら寝るという毎日。

 仕事はしているのと訊いたら、「やってるよ、色々」と返されたが、具体的な事はいつも適当にはぐらかされて教えてくれない。

 それも別に良いだろう。但し、『いずれ対処していかなくてはならない案件』がいくつか彼女の中で加えられるが。

 しかし、それらの処理を経てもなお、これだけは早急に解決しなくてはならないことが1つだけあった。それは……

「ねえお兄ちゃん、この部屋中占領してる本の山、いい加減何とかして! 狭苦しくて仕方ないじゃない!!」

 そう、部屋中の壁という壁を埋め尽くす本棚、更にそこから溢れて床のあちこちに積み重ねられた本のために、足の踏み場に散々気を遣わなくてはならないし、楓が持ってきた荷物も、長い教会暮らし故元々それほど多くないとは言え、ろくに広げられない有様なのである。

「お兄ちゃんも部屋がこんな状態で困らないの? 大体こんなに本があったら、少しは整理くらいしたらどう?」

「本はディレッタントの財産だから、ちょっとくらい狭苦しくても仕方ない。それにこれでも整理はしてるんだけどな」

「説得力無し! そっちは良くても私の物を置くスペースとかがないと私が困るのよ!」

「『困るのよ』と言われても、こっちが困るよ。そんなに言うならここを出て他に住む場所探したらどうだ? 確か四月から行く学校って、清陽学園せいようがくえんだろう? あそこは寮があったはずだぞ」

 自分がここ新宿にある高校へ四月に入学することは英樹に話していたが、学校の細かい所について楓は全く話していなかった。にも関わらず寮の存在まで知っているということは、何かきっかけを見つけたら追い出す口実に使うつもりで調べたに違いない──単に興味本位で調べただけかも知れなかったが、その時の楓には英樹が自分を追い出そうとしているとしか考えられなかった。

「そうはいかないわよ!」

 バンッと楓は両手の平を炬燵の天板に叩き付ける。そしてぎょっと目を見開いている英樹をキッと見返し、

「私は、一日も早くあなたから永遠の鍵を手に入れなきゃならないんだから!」

 そう言い放つ楓の言葉は、自らの決意の再確認であり、英樹に対する断固たる宣言であった。

「絶・対、出ていきませんからね!!」

「あ……うん……」

 自分より頭一つ小さく、かつ人生経験も数段劣る少女の言うことでしかないと分かっていながらも、英樹は彼女の迫力に圧倒され、カクカクと機械仕掛けのようにうなずく。しかし同時に頭の別の部分では冷静に計算が働いている所が流石新宿の、そしてリトル九龍の住人と言ったところであった。

 昨年の事件や、短い間ながらの共同生活で楓のおおよその性格は掴んでいる。潔癖で、信心深く、目的のためにフランスから身一つではるばる日本まで来てしまうほどの行動力の持ち主。しかも一度こうと決めたらちょっとやそっとでは決心を変えない頑固さと言うか気丈さも兼ね備えている──というのが楓に対する英樹のおおよその評価である。

 しかしどんなに崇高な夢も理想も目的も、それらの多くが現実の前で脆くも崩壊し、挫折していった例を、英樹は嫌と言うほど見てきた。ましてここは新宿、そして小九龍である。どんなに強がりを言った所で所詮楓は年端もいかない小娘でしかない。前回は行きがかり上助けることになったが、ちょっと突き放して、あの時のようなことが今後二度と起きることはまずあり得ない幸運であったこと、自分がこの世界でどれだけ無力であるかを思い知らせる。それから頃合いを見て、普通に高校生としての生活を送るよう言い聞かせれば、流石の彼女も納得してくれるだろう──と、ここまでの計算が朝食を食べに掛かる頃には英樹の頭の中で既に完了していたのである。

 その計算はおおよそ間違っていなかった。恐らく相手が楓でなかったら、事態はその通りに進んでいただろう。

 が、英樹は計算に際していくつか見落としを犯していた。そしてそれが、事を予想外の展開に持っていくことになるのだが、そのことをこの時英樹も楓も、まだ気付いていなかった。

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