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黄昏のミリアム  作者: 雅流
トオル
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学習

大学の付属設備である図書館の窓からは、ときおり近接したプロペラ機専用の飛行場から伊豆諸島へと向かうセスナ機の離陸が見える。


都心から1時間ほどとはいえ、そんな景色はやはり市部ならではのものと言えた。


少女と少年は今日も4階のグループ閲覧室に籠って一心不乱にこの図書館の蔵書を読み漁っている。


テーブルには読み終えた書籍と、これから読むのであろう書籍とが堆く積み上げられている。


最初に少女が現れたときには一人用の個室閲覧室を使用していたのだが、すぐに書籍がテーブルに置ききれなくなり、それ以来は現在のグループ閲覧室の使用が許可されていた。


「速読とはいえ、本当にあれでちゃんと読めているのですか?」


図書館の係員は少女たちの付き添いである楽名という保護者の男に訊いてみた。


「あの子の速読は特別なのです、でも、ちゃんと読んでいるかどころか読んだ内容は全て覚えていますよ」


楽名はなんの感情も表さずに当然のことのように答えた。


「まさか」


係員は楽名の答えを冗談だと思ったようだった。


この図書館は主に言語に関する蔵書が収容されている。


世界160ヵ国ほどの文献が納められているが、その半分ほどが英語と日本語の文献であり、残りは英語以外の欧州系言語図書と日本語以外のアジア系言語図書が半分ずつほどとなっている。


少女は最初の一週間ほどで英語と日本語の蔵書を全て読み終えて、今は欧州系言語図書にとりかかっていた。


小学校高学年か中学生くらいだろうか、そのまま子役の芸能人になれそうなくらいに端正な顔立ちをした少女だった。


一週間前に初めて楽名に付き添われてやってきたときには大学生の外国語教育のために設置されたこの施設にはひどく不似合いな訪問者だと思ったものだ。


そもそもこの施設は大学関係者の利用がほとんどで、ルール上は外部の者の利用も予約をすれば可能となっていたが、そんな利用者が過去にあったのかどうかさえも怪しいものだった。


ある教授に紹介された楽名という男が少女を連れて現れたときはてっきりその男が利用者だとばかり思ったのだが、利用するのは少女のほうだった。


教授からは彼らの希望になるべく応えてやって欲しいという強い要請を受けていた。


しかし楽名からの要請はしごく簡単なものだった。


「この図書館にある全ての本をどんどん持ってきてください」


最初に持ち込まれた英語の書籍の前に坐った少女は静かに本を開いて読み始めた。


この調子だと今日はこの十冊はとても読み切れそうもないな


係員はそう考えると、楽名と少女に挨拶して一階の受付へと戻って行った。


1時間ほどすると少女が一階へとやってきた。


トイレでも探しているのだろうか?


係員がそう思って声をかけようとすると、少女のほうでも彼の存在に気がついたようだった、どうやら彼を探していたらしい。


「すみません、読み終わったので次の本をお願いできますか?」


係員は一瞬、少女の言っていることが理解できなかったがすぐに気づいて答えた。


「ああ、さっきの本。読み終わったんだね」


「はい」


「ずいぶん速いね」


「でも、あそこに積んでおいた十冊は全部、君に用意したものだから、いちいちことわらなくても自由に読んでいいんだよ」


少女は少し困ったような表情をして言った。


「すみません、その十冊を読み終わってしまったので別の本をお願いしたいんです」


係員は怪訝な顔をしながら、新しく別の十冊の本を抱えて4階へとやってきた。


テーブルの上には元あったのと同じように十冊の本が置かれている。


「本当にこれ、もう全部読んじゃったの?」


「はい、すみません」


「いや、別に謝らなくてもいいけど。。。」


「それじゃあ、ここに新しい本を置くね」


「ありがとうございます」


「僕は一階にいるから、また何かあったら声をかけて」


「あの。。。」


「なんだい? まだ何かあるの?」


「すみません、できればもう少したくさん置いておいていただけるとありがたいのですが、無理ですか?」


「あっ。。いや、無理ではないけど」


「まあとりあえず、そこにもってきたやつを読んでいてよ」


「たりないようならまた持ってくるから」


「わかりました、ありがとうございます」


少女はペコリと頭を下げると、書籍の山から一冊を手にとって読み始めた。


その分厚い本の背をテーブルに置き、右側の表紙を開くと、次に左手の親指でパラパラと頁をめくりはじめた。


パラパラ漫画というのがあるが、あれを見るためにやっているような塩梅だった。


半分ほどの頁をパラパラとめくり終わると、残りの半分にまた親指をあてて少し弓をしならせるように頁に力を加えてから離してパラパラと落としていく。


そうやって全部の頁をめくり終わると、今度は普通に背表紙を下にして本を置いた。


何十頁かまとめて普通に頁をめくっていく、ざっと飛ばして目的の頁を見つけると、また何十頁か飛ばして目的の頁を開くということを何回か繰り返したあとにパタリと本を閉じて、次の本へと取り掛かろうした。


横でその様子を見ていた係員は思わず興味を惹かれて聞いてみた。


「今のは何をしていたの? 最後に何頁かわざわざ確認していたみたいだけど」


「弾いてめくると何頁かは重なってめくれてしまうので、重なっていて読めなかったところだけを後から探して読み直しているんです」


「重なってめくれたせいで読めなかった頁が何頁だったのかわかるんだ?」


「はい、もちろん」


少女は係員に視線も向けずに当たり前のように答えると次の本にとりかかった。


2日目の帰り道、少女は楽名に進み具合を聞かれた


「先生、とっても楽しいです」


「色々な本がいっぱいあって」


「でも私、本をめくるのがへたくそで遅いんですよ」


「パラパラってやるんだけど、はりついてめくれたところは後からもう一度探して読まないとならないから」


3日目、楽名は(とおる)を一緒に連れてきてくれた。


僚は一ヶ月ほど前に楽名が施設に連れてきた少年だ。


6歳だと言っていた。


少女と同じで両親を亡くして、周囲に邪魔にされて楽名にひきとられてきたのだ。


少女は嬉しかった、僚が助けてくれるのがわかっていたからだ。


僚が彼女の読書を助けてくれる、そう神様が教えてくれていたから。


実際に僚と一緒の読書はとても快適だった。


いつものように本の背を下にして机の上にたてる。


あとは何もしなくても勝手に頁がパラパラとめくれていく。


一頁も重なってめくれることはなかった。


「ねえ、ミコ。 本当にそんなので本が読めているの?」


「トオル、ありがとう」


「もちろん読めているわよトオル、ねえもっと速くめくることってできる?」


「できるけど。。。本当に読めるの?」


先ほどよりも速いスピードで本がめくれはじめた。


「いい感じよトオル、ねえできるだけ速くめくってくれる?」


本の頁が何かに吸い付けられるかのように猛烈な勢いでめくれていった。


「これが読めるなんて魔法みたいだ」


「あなたのほうが魔法みたいよトオル」


「この図書館は2万冊くらい本があるみたいなの、今の感じで一冊が30秒くらいで読めるとすると、図書館の開いている時間が10時間だから」


「16日くらいかかるわね、だからトオル、もしもっと速くできるならお願いね」


「すごいねミコ、計算も魔法みたいに速い」


「僕、だんだん慣れてくるからもっと速くめくれるようになると思う」


「ありがとうトオル、でも疲れたら言ってね、無理はしなくていいから」


少年は思った、集中ができれば本当はもっと速くめくれるんだ。


でも一心不乱に本を読んでいる少女のほうをどうしても見てしまう。


お母さんよりきれいだ。


施設にひきとられてくるまで、こんなきれいなお姉さんを間近で見るなんてことは一度もなかった。


今は二人きりだし、図書館が開いている間、ずっと見つめていても全然あきなかった。


少女はほぼ2週間で全ての蔵書を読み終えた。


少女に代わって丁寧にお礼の挨拶をしている楽名に係員は遠慮がちに言った。


「学校には行かせなくて良いのですか? 毎日ここにいらしている」


「あの娘は中学生ですか?」


楽名は不機嫌な顔をすることもなく答えた。


「保護者には学校に行かせる義務があることはわかっています」


「でも、この娘には普通の中学校では不足なのです」


「2週間でここの本をすべて学習してしまう娘が、他の中学生と学校でうまくやっていけると思いますか?」


「でも知識だけではなく学校には社会性を学ぶということもあると思いますよ」


「この娘は日本中のどの中学生よりも社会性を学んでいます」


「貴方は幼稚園に入れられて何年間も園児と同じように扱われたら耐えられますか?」


係員はちょっとだけムッとした表情になった。


そもそも本当にあれで読めていて学習できているのか?


意地悪な気持ちが芽生えた。


「ashkurak ealaa eamalik alrrayie」(ご苦労さまでした)


いきなりアラビア語で少女に話しかけてみた


少女は怪訝な顔をして黙ってこちらを見つめている。


我ながら大人げないことをしたと小さな良心の痛みを感じた。


そのとき微笑みながら楽名が少女に話しかけた。


「ミコ、彼は君に話しかけているんだ、答えてあげなさい」


少女も微笑んで口を開いた。


「la la kanat sahlat jiddaan」(いいえ、難しくはありませんでした)


係員は驚くと同時に興味がわいた、本当に全部読んで理解したのか?


別の質問をしてみる。


「Kaore au i kite i tetahi penei i a koe」


マオリ語で「あなたのような人はみたことがない」という意味だった。


少女はすぐに答えた。


「He tangata motuhake ahau」(私は特別なのです)


マオリ語だった。


係員は少しムキになったように、少女の回答が終わるか終わらないかのうちに話しかける。


「Ne mogu vjerovati da sam pročitao sve knjige」


クロアチア語で(本を全部読んだなんて信じられない)


「Sjetio sam se, a ne samo pročitao.naučio sam」(読んだだけじゃなくて、学習しました)


係員は驚愕の表情で少女を見つめたまま、もう何も言わなかった。


彼のボキヤブラリーはあとは英語と仏語、スペイン語だけだった。


楽名は丁寧にお礼のあいさつの続きを述べると図書館をあとにした。


「ミコ、ここから施設までは帰れるね?」


「私は教授にお礼のご挨拶をしていかなくてはならないからトオルを連れて先に帰っていなさい」


「寄り道をしないように」


「はい、先生」


少女はトオルを連れて歩き始めた。


少女の歩き方は少し変わっている。


前方をまっすぐに見すえたたまま、一切わき見をしないで歩くのだ。


まるで首が胴体に真っすぐに固定されていて左右に捻れないかのようだった。


それでいて左右から人が歩いてきたり、車が来るとピタリと止まる。


まったく見ていないようなのに横からでも後ろからでも何かが来ればわかるのだった。


トオルは歩幅が小さいので歩いていると少女から遅れそうになるが、少女はそれも気にせずに振り返ることもなくどんどん歩いていく。


トオルは少女と一緒にいるだけでなぜだか胸がドキドキしてくる。


なぜかわからないが気持ちがザワザワするのだ。変な感じだった。


トオルの目の前で少女のスカートの裾がひらひらと揺れている


トオルは揺れているスカートの裾に意識を集中していった。


スカートの裾はひらひらと揺れるのが止まって少しずつまくれあがっていった。


少女の白い太もものあたりが、少しだけ露わになる。


突然少女がピタリと歩くのをやめて振り返った。


「トオル。そんなことにあなたの力を使ってはだめよ」


少年はびくりとした。


「その力はさっきみたいなことに使うの」


「うん」少年は頬を赤らめて答えた


まだお母さんがいたころ、お母さんの細くて白い脚につかまるのがトオルは好きだった。


スカートの中に頭を入れると夏の日にはお母さんの白いスカートが強い陽射しをさえぎってくれた。


それでもスカートを透かしてくる柔らかい日の光が眩しかったのを覚えている。


「トオル、スカートの中が好きなの?」


少年はますます頬を真っ赤にしたが、小さく頷いた。


「そう、それなら施設に帰ったら中に入れてあげるから、もうこんなことに力を使ってはだめよ」


「うん」少年は消えそうに小さな声で答えた。


「別に恥ずかしがることはないわ、人間は誰でも隠されているものは見たいと思うし、知らないことは知りたいと思うものなの」


「普通のことよ、トオル、何も気にしなくても大丈夫」


「だけど知りたくないことでも、なんでも見えてしまうのって、よいことばかりではないわ」


トオルには少女が言っていることはよくわからないようだった。


「そうね、トオル。それじゃあ帰ったら一緒にお風呂にはいりましょう」


少年はびっくりした顔で少女を見上げた。


「本当に?」


「本当よ、トオルと私は家族だからね」


「頭を洗ってあげる」


少女は小さく微笑むと、また何事もなかったように歩き始めた。


少年は小走りに少女についていくと、少女の左手につかまって手をつないだ


「男の子なんだから、もう少し速く歩けるよね」


二人は仲良く手をつないだままで歩いて行った。



次の日、少女は図書館にやってこなかった。


全ての蔵書を学んでしまったからには、もうこの図書館には来る意味がなかった。

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