エスコム
クリップスプロイト地区では散発的にではあるがあいかわらず火薬の暴発が続いていた。
今では地域の住民は誰一人として銃器類を所持するなどという自殺行為をしようとはしなかった。
しかし預言者の使徒ちによる教会の噂と、無料で振舞われる食事とがソウェトの他の地域からクリップスプロイト地区への人口流入を加速させていた。
そういう人々の中には預言者の教会に関する噂のなかでの大切な部分、預言による警告を聞き漏らしている者も少なくなかったのだ。
預言された天罰は、この地域に銃器を持ち込もうとする者に容赦がなかった。
女子供だろうが善人だろうが、ならず者であろうが銃器を持ち込もうとする者は、その武器の暴発によって自分を傷つけることになった。
この日、楽名はたくさんの使徒たちを引き連れてステージへとあがった。
教会に集まっている無数の聴衆は、それが新しい預言の兆候であることをすでに経験的に知っていた。
楽名の横にはいつものように巫女が寄り添っている。
いつものように様々な聴衆に様々な言語で音声ではなく頭の中への直接的な語り掛けによって預言が告げられた。
「このクリップスプリクトには電気が引かれていません、電気会社はこの地区に電気を引いたほうがいいでしょう」
「電気会社の者に知人がいる者は、その知人に告げてください」
「預言者が電気会社にクリップスプロイトに電気を引くことをすすめていると」
南アフリカでは国営電力会社であるエスコムが国内の電力供給の9割を担っている。
政治家との癒着や放漫経営などにより経営状態は最悪で3兆円もの債務残高を抱えている窮状だった。
発電施設の老朽化や維持補修にかかる資金不足から毎日のように計画停電が数時間も続いており、企業は自家発電を導入、経済的に貧しい家庭では自家発電を設置する余裕もなく、ろうそくを使って明かりをともす家もあるほどであった。
ましてや全く電気料金の徴収など期待できるはずもないクリップスプライトのような地域にエスコムが新しく送電網を施設するなどということはありえないことだった。
インデペンデントやガーディアンといったヨハネスブルグの主要新聞は預言者の教会についての記事をいまだにひとつも掲載していなかった。
それでも預言者の教会に関する噂はソウェトのみならずヨハネスブルグ全体に広まりつつあった。
しかし依然としてクリップスプライトは中産階級以上の人々にとって近づくべき地域と認識されてはいなかった。
そのため中産階級以上の人々の間では預言者の教会は怪しげな噂以上の何物でもなかった。
預言者の教会からの警告から一週間後、エスコム・ヨハネスブルグ本社のオフィスでCEOのマトム氏が死亡した。
死因は急性心不全、机の上に突っ伏したまま静かになっており、秘書が気づいたときには手遅れの状況であった。
3日後に新しいCEOが就任した。
預言者の教会からは警告が続いていた。
「クリップスプロイトに電気をひくようにとお告げがありました」
「電力会社にはすぐにもクリップスプロイトに電気を施設することをおすすめします」
「これは神のご意志です」
その噂は、今までの比ではないまさに燎原の火のような勢いでヨハネスブルグを駆けめぐった。
エスコムの新しいCEOは異例の記者会見を開き表明した。
「これは新手のテロ、脅迫です」
「人の不幸をいいことにした、それに乗じた卑怯な要求に対してエスコムは決して応じることはありません」
「例えそれがテロリストであろうと怪しい新興宗教の団体であろうと、エスコムは脅迫には屈しません」
「警察はそのような非合法な活動について何故とりしまろうとしないのか私は疑問に思います」
預言者の教会はその記者会見に対して何の反応も示さなかった。
ただあいかわらずに電気を引くようにとの預言を繰り返しているだけだった。
その土曜日に新しいCEOはこの世を去った。
近郊で行われたコンサートからの帰り道、乗っていた車がトラックと衝突してぺしゃんこになったのだ。
運転手も同乗の家族も全員が即死だった。
預言者の教会ではあいかわらず電気についての預言が繰り返されていた。
エスコムでは今までにない事態が発生していた。
新しいCEOの選任が難航していつまでたっても決まらなかった。
エスコムと癒着していることが言わば公然の秘密となっている与党ANCを通じて警察に対して預言者の教会を取り締まるようにとの要請が出されていた。
警察は乗り気ではなかった。
実際のところ預言者の教会を取り締まる理由がなかった。
スラムに教会を建設し、失業者に食事を施し、武器を持たないように、暴力事件を起こさないようにと教えを広めているだけだ。
家族が洗脳されたと苦情を言ってくる者があるでもなく、実際にクリップスプライト地区の治安は教会ができて以来劇的に良化していた。
ヨハネスブルグではソウェト地区以外でもやはりまだまだ治安は悪く、住居侵入や強盗なども少なくなかった。
そういう意味では最近のクリップスプライト地区はヨハネスブルグじゅうの中で一番事件の少ない安全な地域とさえ言える状況だったのだ。
しかし警察署長もまたANCやエスコムと癒着していた。
理由なんていらない、なんでもいいから預言者の教会の活動をやめさせろ。
それが警察の上から下への命令だった。
一般の警官たちはまったく乗り気ではなかった。
しかしある種の警察官たちは上司から現場までシンジケーションのように組織されシステムのように腐敗していた。
そのシンジケーションは賄賂や出世と見返りに政治家やエスコム関係者の身内の不祥事などをもみ消していた。
そういうようなラインの末端から二人の制服警官がクリップスプライトに派遣された。
二人の警官がクリップスプライト地区にはいり預言者の教会を目指して車を走らせていると、突然に携帯していた護身用の拳銃が爆発した。
二人は腰や腹部に大やけどを負って病院に運び込まれた。
預言者の教会を取り締まりに行こうとする警官は一人もいなくなくなった。
そもそも取り締まる理由がないというのが表向きの理由だった。
エスコムではいつまでたってもCEOもCEOの代行さえも決まらなかった。
その頃から人々の噂の内容が変わってきた。
「預言ではエスコムの会長のマブーザ氏がクリップスプライトに電気を引くそうだ」
噂が広まり始めてからもマブーザ会長の身に異変が起こることはなかった。
エスコム広報は、預言に対応しての工事については行わないと繰り返してコメントしていた。
しかし、クリップスプライトには工事の車両が次々と乗りつけられ電線施設の工事が始まっていた。
記者からの質問に対してエスコム広報は答えていた。
「会長から何か指示があったというようなことはありません」
「そもそも会長は現場の業務に対してタッチしていません」
「工事が開始されている? そんなことはまったく関知していません」
「当社以外の勝手な行動なのではないですか?」
「もし当社だとして、現場が勝手にやっていることだとしたらけしからないことです」
「そのような者は社命違反ということで厳重に処罰されると思います」
しかし、クリップスプライト地区への電線施設はどんな公共工事よりも猛然とした勢いで実施されていた。
エスコム社の誰かが処罰されたといような話もまったく聞かれなかった。
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預言者の活動は精力的に続いていた。
「この地区の道路はまもなく舗装されるでしょう」
公共建設工事を受注している大手建設会社の会長が高齢のために倒れると、地区のあちらこちらで道路工事が始まった。
それからは預言などなかったにも関わらず、水道や下水が整備され、舗装された道路には街灯が設置されていった。
天罰がくだってから行動を起こしたのでは遅い、自分の命に何かある前に預言者の教会に目をつけられないようにしなくては。
権力を持つ者、財力を持つ者ほど自分の命のためには何でもした。
公私混同だろうが商売にならなかろうが、そんなことはどうでもいい。
自分の命に比べればお安いものだ。
しだいにクリップスプライト地区に移住しようと考える富裕層が出てきた。
スラムとしてヨハネスブルグでもっとも治安の悪かったクリップスプライトに移住しようというのは誰にとっても躊躇せざるをえない選択だった。
しかし実際問題としては今やクリップスプライトはヨハネスブルグで最も治安の良い地区だった。
銃器は暴発する危険があるからと廃棄したとしても、刃物を持ち歩けばいいだけの話だと考えるならず者も少なくなかった。
しかしそれも、路上強盗が被害者を襲おうとして何故か自分の喉を掻っ切って死亡するという不可解な事故が3件続いて発生するまでの話だった。
食うに困れば強盗だってする。
しかし、自分の首を掻っ切るかどうか試してみようというつわものはクリップスプライトにはもういなかった。
ちょっとした油断で店主が店を空けた短時間に商店に押し入って、持てるだけの商品をボロ服に包んで出てきた空き巣狙いのチビッ子ギャングたちは、たまたま暴走してきたトラックに轢かれて全員が即死した。
貧しくて、盗むことでしか生活のできない子供たちだったが天罰は容赦がなかった。
通行人に喧嘩をふっかけようとした酔っ払いが、間違って建物の2回から落ちてきたレンガにあたって即死した事件もすぐに町じゅうの噂になっていた。
天罰、預言者の呪い、誰ともなくひそひそ話でそう噂をするようになっていた。
地区の中心にあたる教会と呼ばれる食堂は今や大群衆であふれ、半日、一日がかりでなければ建物に近寄れない有様となっていた。




