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黄昏のミリアム  作者: 雅流
ソウェト
27/33

預言者の食堂

巫女はその食堂の規模の大きさに驚いていた。


ここに集まっている人々は食堂ではなく「教会」と呼んでいる。


あばら屋ばかりのスラム街に突然建設された大きな体育館のような屋根の高い建物では、無数とも思えるようなテーブルが並べられ粗末ではあるが温かい食事が提供されていた。


食堂は24時間休むことなく開かれていて、いれかわりたちかわり無数の人々が訪れ食事をしていく。


半年ほど前に楽名と沙耶が先乗りしてから、この地区でどのような活動をしてきたのか巫女は知らなかったが、このスラムにとって今やなくてはならない施設となっていることは明らかだった。


無数の客に食事を振舞うために大勢の調理人、給仕人がせわしなく働いている。


食事はまったくの無償で提供されていたが3交代で働いている人々には僅かではあるが賃金が支払われている。


この施設の建設費や支払われている賃金のための資金を楽名がどのように調達しているのか誰も知らなかったが、楽名は資金は心配はいらないと言っていた。


施設の一番奥には高さ2mほど100人はのれるのではないかと思われる大きなステージがあった。


楽名は巫女を連れて、そのステージへと上がっていった。


「巫女、よく来てくれたね」


「これからは巫女の力が必要だ」


「頼むよ」


「まずは私が話すことを頭の中でズールー語で考えて、それから同じことをソト語で考えてほしい」


先生の依頼は神の言葉も同じだ。


「わかりました、考えるだけでいいんですね」


楽名はいつものように声を使わずに頭の中に直接話しかけてきた。


「預言者の教会に来てくれた皆さん、今日は皆さんに伝えたいことがある」


巫女はほぼ同時に頭のなかでそれをズールー語に訳していた。


突然、楽名がメカフォンを口にあててズールー語で話し始めた。


この町には電気がきていないのでマイクや音響設備は使えない、電池式のメガフォンが頼りだ。


しかし楽名にはメガフォンは必要ないようだった、楽名のズールー語はメガフォンがなくてもそこにいる全員の頭のなかに直接響いていたから。


巫女は楽名がメガフォンを持って話しているのは単に誰が話しているのかを人々に知らしめるためだけなのだとすぐに気づいた。


楽名がズールー語で語り終えるのを聞いて巫女はあわてて今度はソト語にそれを翻訳した。


すぐにまったく同じソト語が楽名の声で頭の中に響いた。


先ほどまで工事現場か何かのように騒然としていた大食堂は一瞬にして静寂に包まれた。


誰もが驚愕の表情でステージ上の楽名と巫女を見つめている。


楽名はズールー語とソト語で話し続けていた、直接人々の頭の中へ話しかけ、今度はメガフォンを使わなかった。


それによって全ての人々が楽名は頭の中に直接話しかけているのだということを理解した。


「私たちはここで食事を提供している者です」


「あなた方はすでに知っていると思いますが、いつでもここに来て食事をしてかまわない」


「けれども食事は持って帰ってはいけない、分け与えたい者がいる場合はその人をここに連れてきなさい」


「食事はここだけでふるまわれます」


「もし体が不自由でここに来れない者がいる場合は、私の使徒たちに伝えなさい」


「私の使徒がその人のところに行って、ここに連れてきます」


楽名と巫女はほぼ不眠不休で2時間おきにその演説を繰り返した。


ステージ上の楽名に向かって祈りを捧げる者が増え始めていた。


一人のみすぼらしい男が楽名のところにやってきた。


「私の母は衰弱していますし、両足が悪くて歩くことができません」


「預言者様、それでも食事を持って帰ってはダメですか」


「何か食べなければ母はすぐに死んでしまいます」


楽名が巫女のほうを見る。


男のスワジ語を巫女は頭のなかで翻訳して楽名に伝えた。


「トオルを呼んできなさい」


すぐに使徒の一人、トオルと呼ばれた青年がやってきた。


「トオル、この人についていって母親をここに連れてきてあげなさい」


「母親は足が悪い、だけど手を触れてはいけない、本人の両足で歩いてここに来させるんだ」


トオルは楽名の言うことをすぐに理解した。


衰弱した老婆の軽い体を「力」で運ぶくらいはトオルには朝飯前だった。


両足は地面に触れるか触れないかくらいに動かしてやってまったく負荷をかけなければ痛むこともないだろう。


「私が一緒に行くわ」


巫女とトオルは男と一緒に出ていった。


しばらくして、巫女とトオルが老婆と一緒に教会へと歩いて戻ってきた。


その後ろから男が大声でわめき散らしながらついてきていた。


「預言者様は神様の生まれ変わりだ、足が動かない母親が自分で歩いている」


「預言者様は神様だ」


スラムでは噂話が広まるのは燎原の火のように速い。


今まで食堂を訪れていなかった者もひとめ噂の生き神様をみようと食堂に集まってきた。


巨大な大食堂でもとてもはいりきれるような人数ではなかった。


しかし問題はなかった、建物の外にいようと楽名はその頭のなかに直接話しかけてきたから。


しかもズールー語でソト語でスワジ語で、コサ語でも話しかけてくる。


「この地区にいる皆さんに教えます、この地区では銃器は危険です」


「すぐに捨てないと暴発するでしょう」


「火曜日までに捨てなさい、そうしないと怪我をするかもしれない」


「もし怪我をしたならば我々の病院に行きなさい」


病院と呼ばれる巨大な建物は食堂と同じようにたくさんのテーブルが配置されただけの施設だった。


三池沙耶が指揮をとるその施設には世界中から医療従事者が集められていた。


火傷と骨折の治療に必要な物資も大量に運びこまれていた。


それからは何事もなく数日が過ぎた。


食堂にはあいかわらず人々がひっきりなしに食事に訪れていたし、食堂の外でも楽名を崇めて祈りを捧げる者であふれかえっていた。


火曜日の朝、ステージには楽名の使徒たち20人ほどが集まっていた。


手を触れずに物を動かす者たちだ。


彼らは一人の少年の指示に従って意識を集中していた。


パンという一つの破裂音がきっかけだった。


食堂の内外、地区のいたるところで爆発音が盛大に響いた。


まるで蜂の巣をつついたような騒ぎだった、こんな貧しいスラム地区にどれだけの銃火器があったのだと誰もが思うような数えきれない爆発事故だ。


数百人が事故によって死亡した。


病院には数えきれない人々が列をなした、誰もが銃火器の暴発により火傷や負傷を負っていた。


楽名は誰からも既に「預言者」と呼ばれていた。


「この地区にいる皆さんに教えます、盗んではいけない、人を傷つけてはいけない」


「危険です」


「天罰がくだります。 絶対に盗んだり、人を傷つけたりしてはいけない」


楽名の布教がはじまってから、しばらくして、いかにも柄の悪そうな一団の男たちがやってきた。


数十人の男たちのことはこの地区にいる者なら誰もが知っている。


このスラムでも一番よく知られた、そして一番凶悪なギャングたちだった。


「どけどけ、生き神様とやらはどこにいる?」


「俺たちが挨拶に来てやったぜ、この場所で俺たち以外に大きな顔はさせない」


それぞれが刃物やこん棒のような物をこれ見よがしにしながら男たちは食堂の近くまでやってきた。


「盗んではいけない、人を傷つけてはいけない」


楽名の声は男たちの頭のなかにも響いていた。


しかし男たちの習性では自分たちの暴力以外のものを信じる気持ちは一欠けらもないようだった。


食堂の入り口まで50mほどのところまで男たちがやってきたときに、食堂の入り口には一人の少年がよりかかって男たちを眺めていた。


少年は生気の感じられない冷たい視線でじっとギャングたちを見つめていた。


「天罰がくだります」


楽名の声が響くなか、突然、先頭を歩いていた男が前のめりに昏倒した。


それが合図でもあったかのように男たち数十人は次々と将棋倒しのようにバタバタと倒れていった。


最後には全員が昏倒しピクリとも動かなくなった。


周囲にいた者たちが男たちの様子をみるために恐る恐る近づいていった。


「死んでる」


「死んでるぞ」


「天罰だ」


食堂の内外はいつも群集による騒音に支配されている。


巫女が騒ぎを聞きつけたときには既に2時間はたっていただろう。


騒ぎを聞きつけて巫女が食堂から外に出てきた。


倒れている男たちに巫女が近づいていくとモーゼの十戒のように人の群れが割れて道ができた。


倒れている男のひとりの腕に触れてみる。


すでに死後硬直が始まっていた。


巫女は医者よりも医学の知識においては博識だった。


外傷はない、毒物による痕跡も見られなかった。


数十人の人間が突然なんの兆候もなく一瞬にして死に至ったとしか考えられなかった。


巫女は周囲を見回してズールー語で言った。


「預言者様のご意志よ、誰かこの者たちを埋葬してあげて」


預言者の意志に反する者などいるわけがなかった。


預言者の意志に反すれば例え何十人もの屈強なギャングたちでさえも天罰でどの様なことになるかを目の当たりにしたばかりだ。


そこにいた者は我先にと亡骸を運び始めた。


巫女が食堂に向き直り歩き始めると、先ほどと同じように群集が割れて道ができた。


預言者である楽名の横に常に一緒にいて控えている巫女は、楽名に次ぐ有名人だった。


巫女は一人の使徒を探していた。


「天罰なんかではないわ、こんなに大勢の人間が心臓麻痺だなんて」


「あいつ以外にこんなことができる者はいない」


巫女の歩く前には自然に道ができる、目的の人物を探すために歩き回るのに不自由はなかった。


さんざん探し回ったが、巫女はトムと呼ばれる少年が食堂の南西の端っこで壁によりかかっているのを見つけた。


巫女は少年の前にたって見下ろした。


「トム、あなたの仕業ね」


「なんのこと?」


「とぼけないで、食堂の外の何十人もの虐殺のことよ」


「本当に知らないよ、何の話」


巫女は意識を集中してみたが、いつもと同じで少年の考えも未来もまったく見えなかった。


見えるのは、なんだかわからない眩い閃光、そしてそれに続く真っ暗な闇だけだった。


それは酷く不吉なイメージだった。


どうしてそれを不吉に感じるのかも巫女にはわからなかったが、体が震えだすのを止められないのだ。


巫女はじっと少年の目をのぞきこんだ。


少年はまったく怯むこともなくまっすぐに巫女の瞳を見つめかえしていた。


その眼には何の表情も浮かんでいない。


「あなたしか、あんなことができる者はいないわ」


「もう二度とあんなことはしないで」


「先生も人を傷つけるなと言っているでしょ」


「本当になんのことかわからないよ、僕は人を傷つけたりはしない、天罰が怖いからね」


少年の言葉には悪意が潜んでいるように思えたが、真っすぐに見返してくる瞳には何の色も浮かんでいない。


巫女はあきらめて立ち去ることにした。


デトロイトで初めて見つけたときには見えたのに、いつからあの少年の未来は見えなくなったのだろう。


いくら思念を集中しても神は何も知らせてはくれなかった。


閃光と闇があるだけだ。



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