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黄昏のミリアム  作者: 雅流
ラッカ
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ラッカ

シリア北東部、ユーフラテス川左岸に位置するラッカの町はローマ帝国の時代には商業都市として栄えていた。


しかし現代では世界でも最も悲惨な都市のひとつと考えられている


シリア政府軍を破った複数の反体制派が占拠、支配することとなっていたラッカであるが、反体制派の主要な組織であるヌスラ戦線とアイシルとの間で対立が高まりふたたび戦闘となった


多数の反体制派が入り乱れ戦闘地域は拡大したが外部からラッカへの兵站路を確保することでアイシルはしだいに優位を広め


最終的には市の大部分を占領し、最後まで戦っていた反体制派が撤退したことによってラッカを完全制圧することとなった


アイシルはイスラム国と自称している


ラッカがアイシルに制圧されてから2年後、クルド人勢力であるシリア民主軍がラッカ北部のアイシルに対して攻勢を開始した


アイシルは民間人を人間の盾にするなどしてこれに対抗したが、シリア民主軍の攻勢は続き米軍の援護もあって次々と支配地域を奪い取りラッカ周辺の県の2/3を支配下としラッカに迫った


戦闘激化を恐れたラッカでは30万人と言われる市民の半数以上が難民キャンプなどに避難し、その後も市民の流出は続いていた


それでもラッカ市内にはまだ2万人ほどの市民が取り残され人間の盾にされていた


市内の環状交差点の内側はアイシルがここで残虐な公開処刑を行うようになってから「地獄の広場」と呼ばれるようになっていた


しかし、ここ数日「地獄の広場」はそれまでとはまったく違う様相を呈していた


地獄の広場周辺に人間の盾とされていた市民が群集となって集まっていたのである

群集は誰も声をあげるでもなくただじっとその場に座り込んでいた


広場の中心には、こんな状態のラッカ市内のどこにそんなものがあったのか大きなグランドピアノが据えられており、小柄な女が不思議な音楽を奏でていた


女の年令や風貌は全身を黒いブルカで覆っているため窺い知れない


ラッカでは娯楽や嗜好品はアイシルの戦闘員に独占されており、飲食店からも市民は締め出されタバコさえも買うことができなかった、女性にいたっては親族の付き添いがなければ外出も許されない状況であった


そんな現状のラッカ市内で女性が広場でピアノを弾いているというのは異常、異様な光景と言えた


シリア民主軍の攻勢は最終段階を迎えラッカ市内付近まで迫っていたとはいえアイシルの戦闘員たちはいまだ市内を制圧していたしイスラム原理主義に基づく統治がされていたのだから


謎のピアニストが奏でる曲は、誰も今までに聞いたことのない曲だった

時に強く、時に穏やかに流れるその演奏は、聴く者の心を惹きつける


広場付近を通りがかった市民は不思議な音色に誘われてふらふらと広場へと導かれ、やがてその場にしゃがみこみじっと耳を傾けるのだった


口づてでその噂を聞いたものが次々と広場へと集まってきた、外出を禁止されている女性もたくさんの者がそこに集まってきていた


戦闘員たちが異変に気付いたときには地獄の広場周辺は大群集に埋め尽くされていた


ナジャは隊長からの命令を受けて5人の兵士と一緒に地獄の広場に集まる群集を解散させにやってきた


広場に近づくにつれて隊長が言っていたピアノの音が聞こえてきた


ナジャは特にイスラム原理についての深い知識などなかったがアイシルの兵士になれば特権的に衣食住を得られるので、6歳のときに自ら志願してアイシルの戦闘員となった


アイシルがこの地域を制圧して以来、ナジャたちはこの地域の神のようなものであった


誰もがナジャたちに従わなければならなかったし、この地域の財物はなんでも自分たちの自由にすることができた


自分たちの許可も得ずに、しかも女が広場でピアノを弾くなどということは到底許されることではなかったし、死刑にも値するとナジャは思った


しかしそのピアノの音色は不思議なものだった、それを聞くとナジャの心の中に得体のしれない感情がわきあがってくるのだ


それは「平穏」という感情であったがナジャには理解できないものだった


ナジャは広場についたなら威嚇射撃で市民を解散させるつもりであったが、ピアノの音色に喚起される感情にとまどい任務を忘れて、じっと立ったままピアノに耳を傾けていた


ふと気がついてナジャが周囲を見回すと他の兵士たちも同じように立ちつくしていた


ナジャは我にかえって仲間たちに言った


「こいつらを追っ払うぞ、空に向かって撃て」


「それでも動かない奴はかまわないから撃て、そうすりゃみんな逃げかえるさ」


そう言ってナジャは銃口を空に向けて構えた


ナジャの頭の中で声が響いた


「撃つな、撃てば天罰がくだる」


「神が天罰を与える、お前たちの偽りの神ではない、本当の神のご意志だ」


驚いてナジャは周囲を見回したが声の主は見当たらなかった


それに声は外から聞こえてきたというよりも、頭のなかで勝手に響いていたように思えた


「気のせいか」


小さくつぶやくとナジャは気をとりなおして再度、銃口を空に向けようとした


なぜか腕に力がはいらなくて銃身がひどく重く感じられた


「撃つな」


ふたたび声が頭のなかで響いた


ナジャは低く唸りながら渾身の力で無理やり銃口を空に向けた


「ここでは俺たちが神だ、誰であろうと命令なんかさせない」


引き金を引く指が震える、なぜか力がはいらないのだ


それでもナジャは全力をこめて無理やりに引き金を引いた


甲高い破裂音と閃光がナジャの目の前を覆いつくした


空に向けられたナジャの左腕の肘から先が消失していた


暴発した銃は粉々に砕け散って跡形もなかった


その直後にナジャは腕から肩、そして全身へと抜ける猛烈な熱さと痛みを感じて吠えた


周囲ではナジャと一緒にやってきた兵士たちが呆然としてナジャの様子を見つめていた


それでも、その中の一人が自分の任務を思いだしてソロソロと銃口を空に向けた


数秒後、爆発音とともに片腕をなくした兵士は激痛のために辺りを転げまわっていた


残っていた兵士はその様子を見て銃を投げ捨て、両手を上にあげて投降の意を表して周囲を見回した


敵の姿は見当たらなかった


彼らの視界にはいったのは敵ではなく、誰とはなく祈りをはじめた群集の姿だけであった


群集は祈っていた、それは今までの彼らの神に対する祈りではなかった


本当の本物の神に対する祈りであった


彼らは奇跡を目の当たりにしたのだ


ナジャはそんな群集の様子を見ながら、おびただしい出血のために気が遠くなっていくのを感じた


「あの声は俺だけでなく皆に聞こえていたのか・・・」


「神よ」


ナジャはそうつぶやくと、その場に昏倒した



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