第91話
両肩のすぐ横を、乾いた風が吹き抜けていった。
気持ちのいい感触が頬を撫でて、ショートレイヤーの髪と両耳から下がる小ぶりのピアスを揺らしていくのが伝わってくる。
見上げてみれば、雲一つない空が澄みきったブルー一色に染め上げられていた。
「……あ」
その中を、ついさっき離陸したらしい大型旅客機が轟音を上げながら突っ切っていった。運転中からかけっ放しにしてたサングラスのおかげで、機体に書いてある航空会社の名前までがはっきりと見えた。
周りに比べるものがないから小さな飛行機に見えるけど、実際は何百人と乗れる大型機なんだろうな。
もう少し後には、私もあの綺麗な空に吸い込まれるんだ。
初夏の陽の光を受けて銀色に輝く機体が通り過ぎて、上空に向かって小さくなっていく姿を見送った後に、私はサングラスを外した。
今の時期のワシントンDCは、多分ここ日本と同じくらい日差しが強い。運転するときにいつも使ってるこのサングラス、持ってきといて正解だったみたい。
でも、アメリカに着いたら運転するのは愛車のニュービートルじゃない。何せ五年も滞在するんだから、値段が手ごろな中古車を買って乗ることになるんだろう。アメ車ってでかいしかわいくないけど、背に腹は替えられないからしょうがないか。
何年もずっと手放したことがなかったビートルのキーを今日で人に預けるのは、ちょっと寂しい気がする。私は、思わず飾り気がない茶色のショルダーバッグに放り込もうとしたキーと、今しがた駐車してロックしたシルバーの車体とを見比べた。
成田空港の駐車場に鎮座している丸っこい車体は、日本でも人気がある。だからきっと、この駐車場にも同じ型の車が何台もあると思う。
それでも自分の車が一番だと思っちゃうのは車馬鹿っていうか、親馬鹿か。
苦笑いして、キーとケースに入れたサングラスをバッグに突っ込んでから、私はさっと車の側を離れた。
ゴールデンウィーク直前の国際空港は、午前中とは言っても人がまばらな感じ。早くから休みを取る人とかもっと多そうだと思ってたけど、別に週末でもないんだし、まあ当たり前なのかな。
青空の下を駐車場からターミナルのビルに向かって歩いていくと、時々大きな荷物をカートに乗せた人とすれ違う。そういう人は帰国直後だってすぐにわかるけど、そうじゃない人は見送りなのか、出迎えなのか、はたまた出国する本人なのかほとんど見分けがつかない。
とは言え、私も同じように見えるんだろう。
大きな荷物は全部事前に現地へ送っちゃったし、荷物は旅券と財布、パスポートを入れたショルダーバッグ一つだけ。服も裾にリボンがついたベージュのクロップドパンツに、控えめなフリルがあしらわれたミントグリーンのチュニックっていう格好。
足元も少しヒールが高めのサンダルだし、機内で楽に過ごせる格好なのかって聞かれたら、どうなんだろ?って気がする。でも運がいいことに、今回のフライトはビジネスクラスなんだよね。大抵のものは持って行かずとも、機内サービスでこと足りちゃうし。
それに私のこの身体は、そこまで環境に対して気を使わなきゃならないほど、デリケートじゃない。
そう。私はどんな過酷な環境にも耐えられるように改造された、サイボーグなんだから。
うっかり力を入れすぎて床を蹴り抜いたりしないように注意しながら、私は空港の屋外駐車場を抜けてターミナルビルへに歩いていく。待ち合わせの時間まではまだ余裕があるけど、早く着いておきたかった。
駐車場から上りエスカレーターの終点まで上がっていくと、そこは巨大な空間へと繋がっていた。
だだっ広い出発ロビーの真ん中には、各国の航空会社のチェックインカウンターが数え切れないほど並んでいる。その中で個性豊かな制服に身を包んだグランドアテンダントたちが、せわしなく搭乗客の対応を続けているのがわかった。
こういうところこそロボットで受付とか自動化すればいいって思うのに、何年経ってもそうはならない。今はかなり人型に近いヒューマノイドも市販されてきてるし、ぱっと見たところだと本物と見分けがつかないのだってある。
きっと航空会社って、頭が堅い人が多いからロボットの導入も進まないんだろう。年配の人になると、人間でなきゃ絶対嫌だって人もいるし。
私は彼らが笑顔を忘れずに仕事をこなすのを横目で見て、隅のほうにあるベンチへ向かった。各国の現在時刻が表示された空間の後ろに、すとんと腰を下ろす。
たくさん置いてある木のベンチで私と同じように座った人たちは、どこかへ電話をかけたり、雑誌を読んだり、ロビーの天井近くまでぽっかりと空いた空洞に沢山投射されている大きなスクリーンを眺めたり、思い思いに時間を過ごしてた。
流石に国際空港なだけあって、私の強化された耳に入ってくる言葉は英語からさっぱりわからないのまで色々。
目の前を通り過ぎていく人たちの髪や肌の色もそうだ。その中には、たまにトランクを運ぶ車を運転してるロボットとか、案内専用のロボットも混ざってる。彼らには人間の顔はついてないけど、丸っこくて愛嬌がある顔は忙しそう。
私は視線を上に動かして、空中に出ているフライト案内の黒っぽい巨大な一覧表を眺めた。私が乗る予定の飛行機は一一時発ワシントン直行便なんだけど、まだ出発予定の表示に出ていないみたい。
成田空港に来たのは大学一年の夏休みにドイツへ行って以来で、五年ぶりくらいかな。
それでも正直、今自分がここにいることがちょっと信じられない。
話は去年の冬の頭くらいまで遡る。
私--間未来は、脳に移植された部品の不具合による脳内物質異常と重いストレスが原因で精神を病んで、抑うつ、パニック症状、離人症や幾つかの心身症を一度に発症した。
最終的に衝動的な感情を抑えることができなくなって、遂にその矛先を人に向けた。
当時、ケルビムの重役だった大月さんに。
お母さんに。
そして、私にとって一番大切だった男性の杉田先生に。
その後私はセラフィムグループの提携病院に収容されて、休養と投薬、カウンセリングを主とする療養に入った。
病院は環境が良くて、私のカウンセラーだった田代先生が主治医になってくれたこともあったから、半年足らずで回復した。もともと脳の装置不具合が原因で起きてた精神異常なんだから、正しい治療さえすれば早く治るって言ってた、田代先生の言葉は本当だった。
だから今、こうやって一人で国際空港にも来ることができてる。
もちろん当時のことは、なるべくなら思い出したくはない。
ただ、普通なら裁きを受けて当然だった私に寛大な処分を下した会社に対して、感謝しなければならないのだろう。それに正常な精神状態じゃなかったとは言え、過ちを犯した自分を戒めるためにも、絶対に消し去っちゃいけない記憶だと思う。
そうじゃなければ、私が今までに殺めてきた命たちに申し訳がたたない。
私は罪を赦されることと、償うことは別だという考え。
彼らの命を背負って一生忘れないことが、償いの第一歩だって考えてるから。
「……未来?」
そこで真ん前に立った誰かから不意に声をかけられて、私は反射的に顔を上げた。
「おはよ、杉田先生」
軽く笑って挨拶を返すと、見慣れた優しい眼鏡の顔がびっくりしてるのがわかった。
今日の先生は、見慣れたスーツ姿じゃなかった。
黒のポロシャツとデニムにスニーカー、薄手のブルゾンを合わせたラフないでたちで、意外とそれが似合ってることにこっちもちょっとびっくり。考えてみたら、先生の普段着姿なんて数えるほどしか見たことなかったっけ。
少し大きめに見開かれた黒い瞳が、私の顔を覗き込んでから全身を改めて眺めていく。
「びっくりしたよ。最初に見たとき、本当に君なのかどうか自信がなかったんだけど……髪、切ったんだな」
「うん。折角だし、気分変えようかなと思ってね。昨日切ってみたの。どうかな?」
立ち上がって、私より十センチくらい高いところにある先生の顔をちらっと見上げた。
私は背中の半分くらいまであった髪をばっさりと切って、レイヤーをきかせたショートカットにしていた。襟足は首の付け根に届く程度の長さだけど、昨日より両肩がすっきりと軽くて、風を感じることができた。
こんな感覚、髪を伸ばし始めてから本当に久しぶり。高校の頃まではずっとショートだったから、七、八年ぶりになるのかな?
「似合ってるよ。前よりも若く見えるかな」
「……それ、子どもっぽくなったってこと?」
私がちょっと口を尖らせてみると、先生が慌てて手を振った。
「そうじゃないって!元気な感じでいいなと思ったんだよ。服ともよく合ってるし」
「そお?なら、いいかな。この服、翔子ちゃんが餞別にってくれたんだ」
いいでしょ?って、目で語りながらもう一度、私はベンチに腰を下ろした。
「へえ。あんまり見たことがない服だと思ったら、そういうことか」
「トップスからサンダルまで、全部翔子ちゃんが選んでくれたんだよ。私は絶対こういうひらひらしたのは買わないけど、着たところがどうしても一度見たいから、今日着て来て欲しいって言われてさ」
彼も私の隣に座って、まじまじと服を見てくる。
「彼女、相変わらずセンスが抜群なんだな。見違えたよ」
そう言う杉田先生も、相変わらず反応が素直だ。
何だか単純に喜べないのは、私が服に無頓着だってことを同時に言ってるせいかも知れない。でも、仲がいい後輩を褒められるのは嬉しかったから、私は敢えて笑っといた。
シフォン素材で綺麗なグリーンのトップスを指先で摘んでみると、さらっとした手触りが気持ちいい。
「私が完全に体調が戻ったから、そのお祝いも一緒なんだって言ってたよ」
「あんなに未来のことを心配してたからな。彼女も一時期は酷い落ち込みようだったけど、君と同じように元気になってくれて良かった」
「私だって、杉田先生が良くなってくれて本当に安心したよ。命に別状はなかったって言っても、あのまま放っておいたら出血多量で危なかったんでしょ?」
私がそこで横を向くと、丁度先生と目が合った。
「あれからもう五ヶ月か。早いな」
「……うん」
微笑んだ先生の言葉に、私も頷いた。
この穏やかで温かい笑顔が、どれだけ私を救ってくれたかわからない。
先生が胸の傷の手術後に目を覚ましてから最初にお見舞いに行ったときは、どんな顔で会えばいいのかわからなかったけど、先生はベッドの上から私を見て優しく言ってくれた。
「来てくれて嬉しいよ。治ったら、僕も必ず未来のお見舞いに行くからね」
そして、今と同じ笑顔をくれた。
私はその時まだ療養中に許可をもらって病院から外出してたから、先生はそのことまで気遣ってそう言ってくれてたんだよね。
びくびくしてた私は、点滴が繋がれた先生の手を握って泣くことしかできなくて。
……あの冬の日、私が撃ってしまった先生。
弾丸は奇跡的に大事な臓器を傷つけてなかったけど、肋骨が折れて体内に弾が食い込んだことに変わりはなかった。
先生が気絶した後すぐにリューたちが車で駆けつけて、応急処置をしながらセラフィムグループの提携病院に運んでくれたっけ。で、そこの手術室で待ち構えていた生沢先生が即時で手術して、鮮やかに弾丸を摘出。
あの日のことを、実は私自身よく覚えてない。
それでも、チームが一丸となって対応していた連携の見事さには、後で話を聞いて感心した。リューといい生沢先生といい、私は本当にいい仲間に恵まれたと思う。
だからこのことが世間に知られて騒がれることもなかったし、私も安全な場所で自分の心を治すことに集中できたんだし。
それに杉田先生が怪我を治した後はほとんど毎日お見舞いに来てくれて、私の支えになってくれた。そんな思いやりが私の心に一番効いた薬であり、栄養でもあった。
「入院してた時間って、お互いに結構あっという間だったよね。その後が大変だったけど」
「そうだな、大月専務のこともあったし。今回の渡米についても、かなり前に話が来てたんだっけ」
その頃のことを思い出すと、つい二人して遠い目になっちゃう。
大月専務が死んだことは業務中の事故として処理されて、遺族にもそれなりの額の賠償金が支払われたって、年初めくらいに説明を受けた。
彼女が今までAWP実験参号体、つまり私に対してやっていたことが全て明らかにされると、ケルビムの上層部で大騒ぎになったみたい。
プロジェクト最上部にいるお偉いさんたちは、正確な情報を何一つ掴んでなかったんだって。
専務が私を処分しようとしたことや、それに失敗した穴埋めで私を軍に売ろうとしたこと、そのために精神にダメージを与え続けてたことも。
そのこともあって、私に対して寛大な処分を決めたってことらしかった。
まあ、だから私もちゃんと治療が必要な状態だって認められたし、AWPから離れるってこともなくなったわけなんだけど。
「でもさ、私はあのままのAWPにいてもやることがなかったんだし……それに、期間限定とは言っても、FBIの捜査官になれるなんて夢みたい。実は私、ずっと憧れてたんだ」
「けど、あんまり無茶するなよ。アメリカと日本の犯罪事情は全然違うし、犯罪捜査なんて未知の分野の仕事なんだから。そのせいでまた疲れ過ぎたりすることだって……」
「大丈夫だよ。杉田先生がいてくれるんだから」
私は笑って、心配性の先生の顔を下から覗き込んでみた。
「まあ、未来がそう言ってくれるのは嬉しいけど」
頭を掻いた杉田先生の頬が、照れた感じでちょっと赤くなってる。
もう二九歳のはずなのに、こういうところは初めて女の子を意識し始めた十代の男の子みたいに初々しい。カワイイなぁって言ったら多分失礼になっちゃうから、言わないけどね。
一人で声に出さずに呟くと、にやけそうになっちゃうから困る。
「先生だって、確か検査官になるんだよね?私のメンテだけが仕事じゃないでしょ。研究とか法医学もやるんだから、頑張り過ぎないようにね」
「凝り性なのはお互い様だからな。もう先に、チェックインだけでも済ませておこうか」
杉田先生が立ち上がると、私も頷いて後に続いた。
今日、私と杉田先生はアメリカへ旅立つ。
軍と警察、国からの推薦でFBIの特別捜査官になり、五年間の実習を受けるために。
昨年の事件以降は私の処遇未定の期間が続いてたんだけど、そこへ舞い込んできたのが今回の実習の話。
何でも、日本国内の犯罪発生件数と犯人検挙率の低さが、もう無視できない数値になってるんだって。それに対応するための特殊捜査機関を作るプロジェクトが、警察と軍主導で密かに進められているんだそう。
そこへ私を加えたいという要請があって、その前段階で捜査官としてのノウハウをFBIで学ぶ、ってのが目的だった。
私は軍事用に開発されたサイボーグ。でも確かに飛び抜けて高い視力や聴力、肉体的能力は犯罪捜査でも充分通じるんだよね。
私をそのプロジェクトに強く推薦してくれたのが、一度会ったことがある国防軍陸上部隊の横山幕僚長……だったっけ。サイボーグを軍で受け入れるにはまだまだ下地が整ってなくて倫理的な問題も多いし、それよりは治安のために協力してもらったほうがいい、って言ってたかな。
映画とかでもよく見る、憧れのFBI捜査官になれる。
すごく魅力的な話だったけど、私、本当はかなり迷った。
アメリカは日本と違って残酷な犯罪が多いし、捜査官も耐えられずに辞めることも珍しくないって話だし。
それでも何とかやっていけるかなって考えられたのは、やっぱり杉田先生が一緒に来てくれるっていう安心感と心強さがあるから。
もっとも、杉田先生は検査官としての実習目的で、私のメンテはあくまで仕事の一部なんだけどさ。先生は犯罪科学研究所での仕事がメインになるって話。
それに今まであんまり意識したことがなかったけど、先生は人工臓器やクローン技術の世界的権威で、再生医療分野の第一人者なんだよね。そんなドクターが来てくれるんだから、あっちとしても大喜びなんだろうな。
どんな場所に行っても、先生がいてくれれば大丈夫。
自分の居場所をやっと見つけられたのかも知れない。
チェックインカウンターで一緒に搭乗手続きをしてると、本当にそうなんじゃないかって思えた。誰と一緒にいるより、安らいだ気持ちになれるんだもん。
「さあて、これでもう後は飛行機に乗るだけだ。そろそろ見送りのみんなも来る頃かな?」
「うん……あ、ほら!噂してれば、あそこ」
手続きを終えた搭乗カードを受け取ってパスポートに挟み、お互いのバッグにしまったところで、私は見慣れた姿をロビーの中に見つけた。
チェックインカウンターのゲートを出たところで私が手を振ると、あっちも手を振り返してきてくれる。
「未来先輩!」
嬉しそうに私を呼びながら駆け寄ってきてくれたのは、翔子ちゃんだった。昨日髪を切ったあとに事務所に顔出したから、短い髪でも私だってすぐにわかってくれたみたい。
「それ、着てきてくれたんですね。すっごく似合ってますよ!」
「翔子ちゃんの見立てがいいからだよ。でも私、こういうのって着たことないから……」
男から見ると可愛いタイプの翔子ちゃんに満面の笑みで褒められると、何だか照れる。
彼女がくれたトップスはひらひらふわふわしていて、ボリュームがあるデザインだった。本人曰く、色白で身体が細い人に超似合うってことみたい。
側まで来た翔子ちゃんは、履き慣れないヒールが細いサンダルのせいでふらつき気味の私をよく眺めてから頷いた。そして、思い出したように軽く手を一回叩く。
「あ、でもやっぱり首元がちょっと寂しいですよね。だからこれ、最後のお餞別です」
彼女はハートのバックルがついたお気に入りのハンドバッグから小さな包みを出すと、私の前に差し出した。ピンクのリボンがついたかわいらしい雰囲気と大きさからして、多分アクセサリーだろう。
「え、そんな。この服だって全部もらってるのに、もうこれ以上受け取れないよ」
「駄目です。そのコーディネートはあとこれを加えれば完成するんですから、ちゃんと受け取って合わせてみてください」
翔子ちゃんの顔はにこやかだけど、なんか断れない迫力みたいなものを感じる。
この場で受け取って身に着けて、確かめさせろ!ってことなんだろうな……多分。
「そっか、ありがと」
こうなるともう彼女が引き下がらないことをよく知ってる私は、諦めて受け取った。後ろで杉田先生が興味津々で見てるのを感じつつ、包みを丁寧に開けていく。
「……わ、可愛い」
掌に中身を乗せてみると、思わず素直な感想を漏らしてた。
プレゼント用パッケージの中から出てきたのは、青い石が散りばめられたシルバーのネックレスだった。繊細な感じがして、こういうのはがさつな私に似合わないんじゃないかな?
「つけてみてください、先輩」
って言おうとしたんだけど、鼻息も荒くして力説してくる翔子ちゃんはやっぱりさっきの迫力のまんまだ。有無を言わさず頷いて、私はそのネックレスをつけてみた。
「思ったとおりです、短い髪でもちゃんと似合ってますよ!先輩も、いつもそういう可愛いファッションでいてくれればいいのに……」
ネックレスを下げた私を一目見た翔子ちゃんははしゃいだけど、次の瞬間にはもうしゅんとした口調に変わっていた。
「先輩、本当にもう今日からアメリカに行っちゃうんですよね……寂しいです」
「そんな顔されたら、安心して行けなくなっちゃうじゃない。大丈夫だよ、アショークや他のみんなだっているんだし。女の子も新しく入ったんだから、今度は翔子ちゃんが先輩になる番だよ」
私は翔子ちゃんを慰めてから、小さな肩に手を置いて後ろに立っているアショークを見た。彼はインドからの移民で、日本語も堪能な頼れるユースフル副所長なのだ。
「私の留守の間はアショークが所長代理だから、頼んだよ。翔子ちゃんと仲良くやってね」
「そりゃあもちろん。所長も、俺たちの式には必ず帰国してください。約束ですよ」
「……わかってるって。世界中のどこにいたって、すっ飛んで帰ってくるから」
咄嗟にそう返したけど、言ってから私はびっくりした。
そう言えば私が療養してる間に、二人は付き合い始めてたんだっけ。こいつが式云々、とか言っても翔子ちゃんが赤くなってるだけってことは、結構いいとこまでいってるんだな。
アショークはお調子者だから心配してたけど、しっかり翔子ちゃんを支えてくれてるみたいだし大丈夫か。って、浅黒い肌で白い歯が印象的な彼の笑顔に、私は勝手に納得してみた。
「実はそのネックレス、事務所全員からの餞別なんです。翔子に選んでもらって正解でした」
「そうだったんだ。ありがと、大事にするから。向こうに着いて落ち着いたら、メールするね。困ったことがあったら、いつでも連絡してくれて構わないから」
あ、もう名前も呼び捨てにしてるんだ。
この二人の顔を見て話してると、どうしてもからかいたくてうずうずしてくるんだよねぇ……っていう意地の悪さが、ついにやけ顔にも出ちゃいそう。
「に、しても所長。FBIに研修に行くだなんて、すごいじゃないですか。今度、俺も呼んでくださいよ」
「あのねえ、遊びに行くんじゃないんだから。五年後にはそういう物騒な事件に、うちの事務所でも対応しなきゃならないってことになるかも知れないんだよ。そのための研修なんだから」
というところで軽口を挟んできたアショークを、私はちょっと強い口調を意識してたしなめた。冗談ですよ、と言いたそうにして彼は大げさに肩をすくめて見せる。
私がサイボーグだということは、まだ翔子ちゃん以外に秘密にしたままだ。
だから、アショークは私がFBIに招かれた本当の理由を知らない。確か、外国人テロ組織との戦いで私個人の働きが認められたから、継続してパワーズのプロジェクトに参加しないかって話があったって説明したんだっけな?幸い、パワーズの買収劇はみんなが粘り強く交渉してくれたお陰で回避できたし。
仮に数年後にFBIと同じ体制の組織が日本にできるとしても、そこのメンバーになる私は世間一般から正体を隠さなきゃいけないのは、今と同じなんだしね。ホント、厄介な秘密を抱え込んじゃったなぁって思う。
「おう、ここにいたか。探しちまったよ」
そこへ、見慣れた人影が聞き慣れた声で言いながら近寄ってきた。
「生沢先生!リューも、来てくれたんだな」
満面の笑顔で、杉田先生が出迎える。
でも、リューは小さく息をついて生沢先生を軽く睨んでる……みたい。
「来てくれるも何も、生沢先生とここまでタンデムさせられましたよ。交通費を浮かせられるからって」
「いいじゃねえか。ハーレーなんてでかいバイクに乗ってるんだから、俺一人くらい軽いもんだろ」
「おかげで私の愛馬が悲鳴を上げるのが聞こえてきましたよ。先生、腰が良くなったらダイエットするようにしてください」
ガハガハ笑ってる生沢先生に、リューは辛辣だった。ハーレーなんて滅多なことじゃこけないバイクだけど、高いもんなあ、あれ。ガタイのでかい生沢先生が乗ると、それだけで部品の消耗も激しくなるんだろう。
「え……生沢先生、まだ腰が良くならないんですか?」
「あー、まあな。去年の秋、お前を殴るのに気合入れ過ぎちまったみたいで」
生沢先生が杉田先生からの突っ込みに、頭を掻いてる。
いや、それはそうじゃなくてさ。生沢先生が飲みすぎで、体重がかなりの負担になってるせいじゃないの?
って、茶々を入れようかなって構えたところで、リューがこっちに来た。入れ違いで、翔子ちゃんとアショークが杉田先生に挨拶に行く。
「未来、貴女に渡すものがあります。手を出してください」
「え、何?」
リューの意外と真面目な口調に少し堅くなって、私は言われるままに右手を差し出した。
彼がポケットから出して開いた掌に置いてくれたのは、鈍い銀色に光る小さな金属のプレートにボールチェーンを繋いだやつだった。チェーンは長くてペンダントみたいだけど、それにしちゃ無骨だし……
「これって、認識票?名前はイワモト、ゲンゾウ……」
「P2の唯一の遺品ですよ。アジトに捜索を入れたとき出てきたんです」
プレートを目の前に翳して彫り込んだローマ字を読んでいると、リューが教えてくれた。
「P2の?」
「ええ。国防軍の記録を調べましたが、彼は天涯孤独の身でした。それは、貴女が持っているほうが彼も喜ぶでしょう」
こんな大事なものを赤の他人の私に?
と思ったけど、リューが言ったことに何だか胸が熱くなる気がした。
P2が死んで半年経つのに、彼の戦い方や戦闘中に交わした言葉、黒くて大きな鎧を纏った姿は、昨日のことみたいに思い出せる。
彼は、私の中に生きているから。
そして、これからも私の心と共に在るから。
認識票を握った手を見つめる私は、不意に言葉に詰まった。けれど、私の考えをわかってくれているリューが、やっぱり黙って頷いてくれる。
「未来、久しぶりだね。元気だった?」
しんみりしてるところで突然、私は誰かに後ろから肩を叩かれた。
びっくりして振り返ってみると、そこにいた家族連れに思いがけずに笑顔がもう一度出た。
「お姉ちゃん!お父さんも、来てくれたんだ」
四つ上の、薫お姉ちゃん。
私よりちょっと小柄だけれど、穏やかな微笑みを見せてくれている。今日は動きやすさ優先の格好みたいで、細身のジーンズにTシャツとローファーっていう、ラフなスタイルだった。
うーん、いつものことだけどあんまりセレブ妻らしくない。髪もブリーチしてないから、私とは色がかなり違う。それでも、隣に並ぶと姉妹だって一発でわかる程度に顔は似てるみたい。
年明けにお姉ちゃんの家には一度遊びに行ったけど、私が高いヒールを履いてるせいで、お姉ちゃんの背が余計に小さく感じる。でも、大きくてあったかい感じがするのは、後ろに旦那さんと抱っこされた息子がいるからなんだろう。
「そりゃあんた、五年は日本に帰って来ないんでしょ?普通来るのが当たり前じゃない。ほら、ご挨拶は?」
お姉ちゃんが旦那さんの首にしがみついてる亮太くんに優しく言うと、亮太くんはちっちゃな顔を旦那さんの胸にぎゅっと押しつけて固まっちゃった。
「なんか、照れてるみたい。この前やっと、未来お姉ちゃんって言えるようになったのに」
「しかし、未来ちゃんも急にアメリカに行くなんてな。仕事は順調みたいだね。日本の食べ物とかが恋しくなったら、いつでも言ってくれ。うちの店のレトルトなら、いくらでも送れるから」
お姉ちゃんと一緒に亮太くんの背中を撫でている義兄さんも、笑って言ってくれた。
「あ、はい。そのうち、義兄さんにもそういうことではお世話になると思うんで」
そう言えば、義兄さんは大手外食チェーンの社長だったっけ。
厚意は喜んで受けるべきだよね、うん。私はアメリカのごってりした油料理を食べたって太らないけど、杉田先生は違うんだし。
「未来、くれぐれもあっちで無茶な運転はするなよ。メーターも、標識も違うんだからな」
「慣れるまでは、都会の道路は走らないようにするもん。父さんこそ、私の相棒を壊したりしないでよね」
そこに、横から父さんが割り込んでくる。
私はバッグの中を探って、ビートルのキーを取り出した。
「じゃあこれ。帰りは、お姉ちゃんたちを送って行ってあげてね。赤ちゃんがいるんだから、乱暴に運転しちゃ駄目だよ」
「お前に運転を教えたのは父さんなんだぞ。それぐらいわかってる」
ビートルのキーを受け取りながら、父さんがぐちぐち言いたそうに私の方を見てくる。
んー、昨日電話でいきなり車を預かってくれって頼んだせいかなあ。父さん、あんまり機嫌がよろしくない。
「だって父さんってば、私より飛ばすことがあるんだもん。ビートルは娘の代わりだと思って、大事に乗ってやってよ」
「外車は手入れも面倒だからな……帰りにうちの近くで、洗車してやらんと」
キーを弄ぶ父さんがまだぶつぶつ言ってるけど、言い足らなそうな雰囲気は私にもわかった。
離れて暮らしてた期間が長かったとは言っても、娘の片方が海外に行くわけなんだし。そりゃあ心配だよね。
再婚した今の奥さんとの間に子どもはいないし、長女は結婚してるしで、今まで一番気軽に会えた子どもがいなくなることになって、親として本当に寂しいんだと思う。
そう言えば父さんは暫く見ないうちに白髪も増えて、随分歳を取ったように見える。私が家を出る前はこんな風に軽口もきけなかったし、寡黙な父親って感じだったのに……
「帰国は五年後だけど、その間全然帰らないってつもりじゃないよ。年に一度は戻るようにするから、そのときは連絡するね」
そのまま暫く家族と雑談して思ったのは、あんまり長く別れを惜しんでるとぼろが出そうでやばいってこと。逃げるみたいでカッコ悪いけど、そろそろ出国審査も済ませておきたいし。普通の出国とは違うから、早く手続きするに越したことはないもんね。
私はお姉ちゃんたちの顔をぐるっと見回して言ってから、杉田先生に声をかけようと思って先生の方を振り向いた。
「ちょっとぉ、理人。あんたがアメリカに行っちゃったら、誰が夏休みの間に子どもの相手してくれるって言うのよ」
「おまけに、五年も行きっぱなしなんだってね?私たちに黙ったまんまで誤魔化そうったって、そうは行かないんだから」
「何よ!母さんが教室だから、私たちが見送りに来てあげたってのに、ちょっとは嬉しそうな顔してもいいでしょ」
……その先で、杉田先生は三十代くらいの女の人三人に囲まれてた。
いや、って言うか、小突き回されてるって言ったほうが正しいか。
「わかったから!たまには帰ってくるって!」
代わる代わる先生を攻撃してるのは、三人とも髪の長さやファッションが違う美人だ。それでも、いまいち気弱な弟をいじめるお姉様方、って印象はみんな一緒かも。
お姉さんたちにいじられて困ってる先生に見えるけど、両手にはしっかりお餞別らしい紙袋を抱えてる。
にやにや笑いながら見守ってる生沢先生と一緒に、私も笑いそうになるのを必死で堪えた。
「先生、そろそろ行こうよ」
「あ、ああ。じゃあみんな、元気で」
心なしか、先生はふらついた足取りで私の横に来た。
あ。
先生ってば、助かったって顔に書いてあるのがバレバレだよ。
「俺たちも、必ず後から行くからな。それまで元気でやってろよ」
「先に現地入りしてる関係者に、よろしくお伝えください」
手を振るリューと生沢先生は、会社の引き継ぎが終わり次第アメリカに渡って、FBIで合流する予定だった。
いつになるかはまだわからないけど、まあそう先のことじゃないだろう。
「未来、身体に気をつけるんだぞ」
「お母さんのことは私が引き受けたから、未来は好きなようにやりなね」
「先輩、必ず連絡くださいね!」
仲間や家族が、口々に言葉をかけてくれる。
「そのコと仲良くやんなさいよ。女泣かせたりしたら、承知しないからね」
「家に帰ってきたときは、お父さんの病院も手伝うのよ!」
「それから、華道教室もね!」
私の横で、杉田先生が苦笑混じりにお姉さんたちへ手を振ってる。
……ううん、小姑が3人か……
私、将来はあんな感じになるのかなあ。
ん?何想像してんの!
「あれ、どうかした?」
いきなり頭をぶんぶん振った私は、杉田先生に変な目で見られることになった。
「ななな、何でもないよ。私、空港宛てで送った手荷物があるから。引き取りカウンターまで一緒に行こうよ」
私は赤くなってるのがバレませんように、と祈りながら、杉田先生の手を引っ張った。
もちろん先生を投げ飛ばさないよう力加減にちゃんと気を使って、ね。




