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機械娘の心的外傷(トラウマ)~旧タイトル:SAMPLE  作者: 日吉 舞
敵味方、満身創痍
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第88話

 未だアームのついた木製の椅子に浅くかけて、眉根を寄せている杉田の腰に振動が響いた。ズボンのポケットに入っているメタルブルーの個人用携帯電話が着信を告げて震え、LEDが黄色く光っている。

 こんな時間に、珍しくリューからの着信だった。

「もしもし?」

『緊急事態発生です、杉田先生』

 杉田がストラップで本体を引っ張り出し、受話キーを押して通話が繋がってから、開口一番にリューが告げた。呼吸が乱れているようだったが彼の口調ははっきりしており、却って強い緊張が伝わってくる。

 わざわざ個人用携帯電話に連絡してくるぐらいだ。よほどのことが起きたのだろう。

 嫌な予感に、杉田の胸がざわめいた。恐る恐る、しかし冷静さを保って口を開く。

「何かあったのか?」

『未来が……』

 リューは細く息を吸い、はっきりと告げた。

『未来がC-SOLを飛び出しました。パワードスーツを装着したまま、行方不明です』

「……え?」

 リューの報告を理解するのに一瞬の時間を要したのち、杉田が思わず眉間に皺を寄せる。

 通話相手の元軍人青年は、早口で状況を告げ出した。

『二時間ほど前のことですが、訓練終了直後に地下指令室で突然暴れ出したんです。その際に端末や内線、ドアのセキュリティシステムを含めた指令室の機器が、全て破壊されました。今ようやく外からドアを壊してもらって解放されたんですが、未来の姿は施設内のどこにもありません』

「今未来がいる場所は、GPSで追跡できるんだろう?せめて、どこに行ったのか……」

『追跡システムが入った指令室のサーバは破壊されました。それにGPS発信装置は未来の意思で切り替えができるものですから、恐らく意味がありませんよ。特殊通信も通じませんし、ご丁寧に私と大月専務の携帯も踏み潰されてしまいましたから。やっと、研究室に置いておいた個人携帯から連絡した次第なんです』

 リューが大月専務の話を口にしたことで、杉田に一番大きな懸念が浮かんだ。

「大月専務も無事なのか?生沢先生や、他の研究員に被害は?」

『大月専務は亡くなりました』

 杉田に口を挟む隙を与えず、リューは報告を続けた。

『未来が暴れたときに、専務が自分の銃で発砲したんです。スーツに弾き返された弾丸が、専務の胸に命中して……手当てが早ければ助かったのかも知れませんが、司令室に閉じ込められてる間に手遅れになりました。生沢先生は本社会議に出席しているため留守だったんですが、もう連絡してありますからそろそろ戻ってくるかと思います。一般の職員には被害はありませんでした。ただ、未来が外に出たところはどのゲートでも目撃されていないし、監視カメラの映像でも確認できないんです。多分、定期便のトラックの荷台にでも紛れて外に出たものと思われます』

 反目し合っていたとは言え、目の前で親しい人間が死んだというのに、リューのてきぱきとした口調に乱れはない。

 一方の杉田は最悪の事態に陥ったことに、心臓が早鐘を打つように鼓動を乱していた。顔色も血の気を失って真っ青になっているだろう。

 未来が何故突然暴れ出したかわからないが、とにかく行方を突き止めるのが最優先だった。恐らく正常ではない彼女を放っておけば、一般市民にまで攻撃を加える危険さえあるのだ。

 頭を切り替えて行動する必要がある。

 めまいに襲われかけている身体を落ち着かせるために、若い医師は一つ深呼吸をした。

「未来は武装してるのか?」

『武器庫や訓練場のセキュリティロッカーを確認しましたが、紛失した銃火器はありません。ただ……未来は、大月専務の銃を拾ってから姿を消しました。護身用の拳銃の、ベレッタM92です。それに未来は、自分のことをいらないと言った人間を壊して捨てると言ってたんです。彼女が直接暴力を働こうとしたのも大月専務だけでしたから、誰かから攻撃されない限り一般人に被害が出る可能性は低いでしょうが……』

 リューは言葉尻を濁し、そこで一旦言葉を切った。

 C-SOLでの運用では、訓練時には威力を落としたアサルトライフルを用い、高周波振動ナイフや隠し武器であるデザートイーグルも携帯しないことになっている。未来がパワードスーツを纏ってはいるが、高い破壊力がある武器を持っていないなら、暴挙に出る危険性もやや下がるだろう。

 しかし杉田は、リューからの状況報告にが引っかかることがあった。

「ちょっと待てよ。自分をいらないと言った人間を壊すって?未来がそう言ってたのか」

『はい。私のこの耳で、確かに聞きました』

「そういえば未来は、司令室の防犯カメラは壊さなかったのか?」

『そうですね、不思議と壊されていませんでした。しかし防犯カメラの映像だけ見てみれば、未来が直接大月専務を殺害したのではないという証拠にもなりますね。未来はあくまで弾丸から身を守るために、頭や顔を庇って動いただけなんですから。後のことを考えて、そこまで計算していたんでしょうか』

 杉田に問われたリューは、答えつつも驚いたようだ。 

「未来は錯乱してるわけじゃないみたいだな。ある程度の判断力を残したままで、異常な行動に出ていることになる。そうなると、次にやろうとしてるのは……」

 未来が起こした一連の行動について考えた杉田は、空いた手を顎に当てて更に考えを巡らせた。

 彼女はただマイナスの感情に負けて暴走し、誰彼構わずに力をぶつけようとしているのではない。

 幼い頃から永らく抑えられてきた、恐らく本人も気づいていなかった衝動。それをコントロールできなくなっているのだ。

 自分をいらないと言った人間を壊す。

『未来さんはね、自分のアイデンティティを否定する人に対して強い拒絶を示すの』

『同じように危険な衝動を持つ相手が、もう一人いるのよ』

 田代の声が蘇り、杉田の頭の中で警報がけたたましく鳴り響いているかのようだった。

 意識せず、ひとつの結論が唇からこぼれ落ちた。

「未来は母親のところ、つまりここに向かってるんだ。間違いない」

 乾いた杉田の声に、携帯電話の向こうでリューが頷いた気配がする。彼は、今日杉田がどこにいるのかを知っていたのだ。

『今日杉田先生がそちらにいらっしゃるのが、不幸中の幸いでした。急いで、しかるべき手配を進めます』

「そっちは頼む。僕は未来を何とかする」

 短くリューにC-SOLでの対応を託すと、杉田は携帯電話の終話キーに触れた。

 今回の騒動は、決して世の中に情報が表出することはあってはならない。暴走している未来を何とかするには、武装警備員の手配や重傷者が出たときの搬送車両の確保など、それなりの手段が必要だ。そのことに関しては、リューがうまく動いてくれるだろう。

 未来が暴れてからすぐにこちらへ向かったのなら、そろそろ着いてもおかしくないくらいの時間だ。

 杉田はリューに未来を何とかすると言いはしたものの、彼女が聞く耳を持っているかどうかは甚だ疑問だった。

 監視カメラを壊さずにいたのは、大月の直接殺害したか追及を受けたときに責任が軽減されることを狙ってのことだろう。しかしその後に母親の命を狙うのであれば、そんな努力は全くの無駄だった。

 セラフィムグループが社内の事件を公表せず闇に葬り去れるのは、あくまで内部の者のみが関わっている場合だけだ。いくらプロジェクト被験者の身内とは言え、一般市民を巻き込めば必ず警察が動き、情報は世間に知られることとなる。

 そんな矛盾がある未来の行動は、冷静さは残していても精神がまともでないことを物語っていた。

 それでも、辛うじて杉田の話を聞くだけの理性は残していると思いたい。そうでなければ、恵美子も杉田自分も恐らく彼女に殺されるだけだ。

 来るべきその時について思案する杉田は、無意識のうちに腕時計に目をやっていた。

「……遅いな」

 思ったよりも時間が過ぎていることに驚き、低い呟きが漏れる。

 自分が考えに耽り、リューからの電話を取った時間を入れると、恵美子が席を立ってから一五分ほどが過ぎているだろうか。トイレに立ったにしては、時間がかかり過ぎている。

 窓の外は暗さを増したようで、部屋の暖かい色の照明は一番強くなっているようだった。

 急に不安に襲われた杉田は、アンティーク調の立派な椅子から立ち上がった。他人の家を勝手にあちこち見て回るのは気が引けたが、恵美子を一人にしておくわけにはいかない。

 まだ騒ぐ胸を抑えつつ、彼は一部がガラス張りになった廊下に通じるドアを開けた。








 二階の突き当たりが、未来の部屋だった。

 彼女が独立した後も掃除は欠かさずされており、いつ急に帰ってきてもいいようにしてあった。ピンクと白を基調としたインテリアやガラスの細々とした雑貨、クローゼットに入った主に高級婦人服ブランドのカジュアルウェアも、当時のままだ。

 その部屋の真ん中、丸いラグが敷かれた上に雨が降り注いでいた。丁度真上にある天窓が割られて、砕かれたガラスの大穴から冷たい滴が数え切れないほど落ちてきている。

 天窓は内側からしか開けられないため、防犯装置はついていなかった。

「……未来、ちゃん……?」

 呆然と、開いた木のドアの側に佇んだ恵美子が名前を呼ぶ。

 天から落ちてくる水滴の下に立っている二番目の娘は、顎まで雨水を滴らせた顔をゆっくりと上げた。

 天井から下がる白熱灯に照らされた輪郭はやや細くなり、陰影が濃くついているために顔色が悪く見えるものの、それは確かに未来であった。

 少なくとも、首から上は。

 それ以外は、人間のものではなかった。

 濡れた髪がまとわりついた顔以外に生の肌がなく、首も指も、爪先さえ全てが鈍く輝く金属で覆われた身体。

 見慣れていた細っそりとした手足はなく、硬質で冷たい直線が娘の全身を支配し、最早男か女かもわからないほどだった。

 これが本当に未来なのか。

 顔を除いた全てがロボットになってしまったのか。

 愕然として、恵美子は膝が震えるのを抑えられなかった。

 予め杉田から未来がサイボーグ化されたことは聞いていたものの、その異形は恵美子の冷静さを根こそぎ奪うダメージを与えるのに充分だった。

「……お母さん」

 ゆっくりこちらを向きながら発せられた、無機質で低い声。

 きつく結ばれた唇に、色がない光を湛えた大きな瞳。

 心を射抜くような鋭さで投げかけられてくる凍てついた視線。

 そのどれも、母が知らないものだった。

 違う。

 これは私の可愛い未来じゃない。

 こんな姿を認めるわけにいかない。

 未来はもっと親想いで、母が辛いときには慰めてくれ、人に自慢できる娘なのだ。

「嘘でしょう……」

 力なく、恵美子はドアにもたれかかった。

「私、帰ってきたんだよ。いつもみたいに歓迎してくれないの?」

「やめてちょうだい!」

 近づく素振りを見せた未来に恵美子は鋭く、激しく言い放った。

 母の感情を剥き出しにした姿に、未来が踏み出した足を止める。冷たい科学の鎧を纏った娘は、どこか感情を欠いた口調で言った。

「どうして?今日は呼ばれて帰ってきたんじゃないし、こんな格好だけど……このスーツを脱いだら、今まで通りの私なんだよ。どうしてこんなことしたのか、聞いてみようとは思わないの?」

「違うわ。私の知ってる……私の未来ちゃんは……」

 穏やか、と言うよりは無表情に近かった未来が僅かに眉を上げた。

「私の未来ちゃん?」

「私の娘は……そんな顔はしたことはなかったわ。そんな調子で話さなかったし、窓を割って入ってきたりもしないいい子なのよ。私の、私の育ててきた娘なんだもの。そんなことする筈が……」

 芝居がかった恵美子の台詞に、ぎりっと異様な音が挟まった。

 未来が奥歯を噛みしめたのだ。

 大きな瞳の奥に暗い炎が揺らめき、燻った怒りが唇からこぼれ出た。

「やめて欲しいのはこっちだよ。さっきから私の、私のってさ。何なの?私はお母さんのものじゃないんだから」

「いいえ、未来ちゃんは私の子どもよ。私がいなければ、あの子は生きていけない。私が育てたんだもの。なのに……ああ」

 激しい動揺を隠せず同じことを繰り返し、唇を震わせる母の様子は未来を余計に苛立たせる。

「私は私だよ。親だからって、私のことを何だって知ってるわけじゃ……」

「違うわ!貴女は、私の知ってる未来ちゃんじゃない。そんななり、他の誰にも見せられやしない。サイボーグなんかじゃなくて、まるでロボットじゃないの!そんな化物じみた姿になって……だからいつも言ってたじゃない。あんな危ない仕事は辞めなさいって。そうすれば、こんなことにならなかったでしょうに。未来ちゃんなら、もっといい仕事に就けた筈だったのよ。だって、私の娘なんだから!」

「うるさい!私は、あんたのものじゃないんだ!」

 母に言葉を遮られた未来は怒鳴り返していた。

 長々と嘆きの台詞を叫んでいた母は未来の瞳に空々しく、自分に酔っているとしか映らない。娘の不幸に絶叫する悲劇の母親、というところか。

 未来の喉に、嫌悪感と吐き気がこみ上げてくる。深呼吸でそれを身体の奥へ押し込むと、彼女は母に改めて向き直った。

「お母さん、もう知ってたんだ。私がサイボーグだってこと」

 未来の怒声に驚きうなだれていた母が、力なく頷く。

「……でもやっぱり、私のことを認めてくれないんだね」

 呻くように、しかしどこかすがるような色を帯びた声を、未来は絞り出していた。

「このサイボーグの私も、自分でこういう生き方を選んだことも。私が自分でやろうとしたことは、全部駄目だってことなんだね」

 未来は、自分で自分を突き放した。

 ここへ来たときは、まだ僅かな希望を抱いていた。

 もしかしたら母は、自分の改造された姿を見ても迎え入れてくれるかも知れない。

 拒んだり否定したりせずに、貴女は何も言わなくていいのよと、ただ抱きしめてくれるかも知れない。

 が、それも手を伸ばせば消えてしまう妖精と同じ、淡く儚い夢だと思い知らされた。

 決して望んではならない、絶望のすぐ隣にある幻でしかなかったのだ。

 心が底から音を立てて凍りつき、氷の中に閉じ込められていく様を、ただ感じるままでいるしかできない。

 その未来に、また母の感情的な一言が投げつけられた。

「戻ってちょうだい、未来ちゃん」

「……何?戻るって」

「お願いだから昔の大人しくて優しかった、いい子に戻って。お母さんと何があっても助け合って生きていこうって、約束したじゃないの」

「ああ、そういうこと。そっか……今の私は、いらないってことなんだ」

 そして未来は、今度は母を冷たく突き放す。

 悲しかったが、涙は出ない。諦めにも似た絶望感が、じわじわと身体の中に広がっていくのがわかった。

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