第87話
「……それじゃ大月さんが話していたプロジェクトはAWPのことで、あの子はそこで改造されたサイボーグだと言うことなの?」
「大月専務がもしそう言っていたのなら、そう言うことです。貴女がセラフィムグループの関係者だった頃は、軍から希望者を募って実施されていたものでした。でも、今は民間からも人材が採用されています。僕は、彼女を実際に手術した執刀医の一人でした」
「何てことなの。まさか、あの子があの悪魔のプロジェクトの一員だなんて……もう人間じゃないなんて……そんな話、とても信じられません」
目の前の若い医師が淡々と告げたことに恵美子は沈痛な面持ちで目を伏せ、テーブルに肘をついて顔を両手で覆った。
降り出した季節外れの激しい雨が庭の木々や屋根を叩く低い音だけが、沈黙の間を埋めていく。
恵美子がセラフィムの社長秘書を務めていた十年以上前、AWPは確かに存在していたプロジェクトだ。そんな絵空事じみた、野蛮で危険に満ちている極秘の事業内容を知ったとき、当時の自分が嘲笑を漏らしていたことも覚えている。
失敗を重ねていたそれが今も継続されていて、被験者つまり実験サンプルが、あろうことか自分の娘だとは。
普通なら、杉田が自分の妄想を語る変人だと一笑に伏して終わるだろう。
が、彼は恵美子も知っている、関係者しか知り得ないことを話している。恵美子に信じる気がなくても、突きつけられた事実が現実なのだということは認めざるを得なかった。
「誤解しないで頂きたいのは、未来さんの心は人間のままだと言うことです。肉体的には人間を遥かに超越した能力を持たされましたが、彼女の優しさや思いやりがある本質は、改造前と全く変わっていません」
杉田は、同じ姿勢で動こうとしない恵美子を慰めるような穏やかな口調で続けた。
「それに戦闘だって、何も好き好んでやっているのではありません。未来さんは、志願して戦闘用サイボーグになったわけではないんですから。しかし彼女はあくまで実験体であり、それ故に結果を出さなければならないんです」
杉田は言葉を慎重に選び、大月の独断で未来がプロジェクトの犠牲にされたことは伏せて先に進んでいく。一旦緊張で乾きがちな口と喉を冷めかけたコーヒーで湿らせたが、恵美子はまだ顔を上げてこない。
若き医師は、コーヒーカップをソーサーに置いて語り続けた。
「少なくとも未来さんは、貴女が以前資料で見たり話に聞いたことがある、殺人を楽しむ残虐なサイボーグとは全く違います。彼女は実験体としての人生に悩んで、傷ついて、それでも苛酷な運命と懸命に戦ってるんです」
もう一度杉田が言葉を切った時、悪天候で早く光量が落ちたリビングの暗さに反応した白熱灯が明るさを増した。二人分の濃い影がテーブルの上に落ち、ティーセットやお茶菓子のバスケットを覆っている。
すっかり沈黙を守るだけになった恵美子への話は、まだ終わらなかった。
「僕たちの望みは、未来さんの母親である貴女が何も言わずに今の彼女の姿を受け入れて、認めてあげること。大月専務にどんなことを言われても、未来さん信じてを静かに見守ること。それだけなんです。それが彼女にとって、最善の道だと思いますから……今日は、それを伝えるのが目的のうちの一つだったんです」
杉田はひとまずそこで区切りをつけ、恵美子の反応を待った。
ここで何とか今の状況を把握して受け入れてもらえるなら、もう一つの暗い警告も幾分かは伝えやすくなるだろう。
そのまま、たっぷりと一分はかかっただろうか。
恵美子は力なく呟いた。
「……どうして大月さんは、私に本当のことを教えてくれなかったのかしら」
ぽつりとこぼした恵美子の声は震え、涙ぐんでいる様子だった。鼻をすすってから視線をテーブルの上に彷徨わせた後、コーヒーカップを手にする。
「大月専務は、恐らく貴女を利用しようとしていたんだと思います」
「利用?」
「ええ。未来さんは、自分がサイボーグであることが貴女に知られるのを、何よりも恐れています。訓練や実戦で結果を出さなければ、貴女にばらすと脅されていたんでしょう」
恵美子の質問に答えながらも、杉田はある種の違和感を覚えていた。
普通の母親ならば当然口にするべきだろう言葉を、まだ耳にしていない気がするのだ。
彼女は確かに突然娘に降って湧いた出来事に嘆き、動揺し、混乱しているが、それでも何かが違うという印象が拭い切れない。
困惑が混ざった視線の先にいる恵美子は、ただただ身を震わせながら杉田に尋ねてきた。
「そんな……どうしてあの子は、私に身体のことを知られるのをそこまで嫌がっているんです?私はあの子を産んだ母親なんですよ。娘のことは、何でも知っていて当たり前なのに」
「……何故だと思います?」
違和感を残したままで、敢えて杉田は問いに質問で返した。
「わかりません。あの子が私の言うことを聞かなくなって以来、何を考えてるのかがよくわからなくて」
「未来……さんは、貴女に身体のことを知られれば、大怪我をしたことや自分が治験に参加していたことを責められる、そう思ったからですよ」
一瞬迷ってから、杉田は覚悟を決めた。
「えっ?」
真面目そうな青年が抑え気味に言ったことが、すぐには理解できなかったのかも知れない。
恵美子が不思議そうな表情をよぎらせる。
が、それもほんの一瞬だった。
「……そんなことはありません!少なくとも私は、あの子が間違ったことをした時しか叱ったり、責めたりしたことはありません!」
みるみるうちに恵美子の顔に怒りが満ち、強い調子の言葉が溢れ出してきた。少し前までの快活な様子からは想像できないほどに、声もヒステリックな色を帯びている。
テーブルの上に押し付けられた両手には指先が白くなるほど力が入っており、視線には敵意さえ込められているような気さえした。
彼女は今まで二人の娘を育て上げ、仕事も完全にこなしてきたキャリアウーマンだ。母親としても揺るぎのなかったプライドが傷ついたのだろう。
それまでの娘との接し方が否定されるのは、即ち自分を否定されるということだ。
恵美子が無意識のうちに取っているのだろう、否定されることから逃げる姿勢は、皮肉なことに娘の未来にそのまま植えつけられていたのだ。
恵美子の勢いを正面から受けた杉田は僅かに肩を震わせたが、激昂する彼女の顔から視線は離していなかった。
「しかし現に未来は貴女に責められることを恐れる余り、全てのことを誰にも頼らずに対処しようとして、そのストレスに負けたんです。普通であれば……特に娘なら、真っ先に母親に頼るのが当たり前でしょう。でも、どうして未来がそうしないのか。その理由を真剣に考えたことはありますか?」
杉田は腹にぐっと力を入れたままゆっくり言い、恵美子の瞳に視線を合わせた。
ここで、この母親の迫力に折れてしまってはならない。
何としても伝えるべきことを伝え、狂い出した運命から未来を救わねばならないのだ。
「ストレスに負けるのは、あの子の心が未熟だからでしょう。それを支えてやるのが親じゃありませんか。私はあの子のために、いつでも力になろうとして……」
「ですから、未来は貴女にそれを求めてはいないんです」
再び語調も荒く、即時反論してきた恵美子を、杉田は手を挙げて制した。
「未来は自分で選んだ人生を、自分の力で歩もうとしています。自分を信じたいから、出来るだけ誰かの手は借りたくない。未来が自分で決めたことを親である貴女が否定するのは、自分の存在そのものを否定されるのと同じくらい、彼女を傷つけているんですよ。便利屋の仕事を辞めろ言ったり、断りなく部屋に上がりこんだりすることも」
恵美子の心へ直接言葉を送り込むことを意識して、杉田は視線を動かさない。
「未来が一番怖がっているのは、貴女に自分を否定されること。サイボーグになるしかなかった自分を、親である貴女に認めてもらえないことなんです。貴女が娘の本当の姿を知った上で全てを静かに受け止めてくれるなら、それだけで未来は救われる。どうか何も言わずに、何もせずに……今の未来を受け入れてあげてください」
杉田はもう一度、自分たちの望みを繰り返した。
むきになって反論してこず、理屈で対抗してこようともしない。
そんな杉田の悪意がない言葉に、恵美子の肩の力が抜けたようだった。がちがちに固められていた両手も緩み、双眸に満ちていた激情も温度が下がっていくのがわかる。
「いえ……それはおかしいでしょう。どうして、ただ黙っていなければならないんです?」
が、恵美子が発した答えは杉田が期待していた内容ではなかった。
「何もしないで見ているだけなんて、意味がないでしょう。結局、あの子のためを考えていないのと同じじゃありませんか。私から手を差し伸べてあげれば、きっと未来のことを心配している気持ちは伝わる筈です。あの子はまだ子どもなんですから、私の助けなしに今の重荷を支えられるわけがありませんもの」
再び、恵美子は饒舌に語り始めた。
最初に話をしたときよりも、明らかに熱っぽい口調になっている。
まずい、と本能的に判断した杉田の顔色が変わった。
「おかしくなんてありません。未来に必要なのは、見守ること……」
「やっぱりあの子には、強力な助けが必要ということでしょう。私はあの子の一番身近にいる味方ですし、何だってしてあげるつもりでいるのは、あの子が独立した今だって変わりません。明日にでも連絡を取ってみることにします」
慌てた杉田の言葉が殆ど耳に届いていないのか、自分の「いい母親」ぶりに酔っているのか。
恵美子に、今まで話したことがいいように解釈されて伝わってしまったのを察した杉田が、思わず怒声に近い大声になる。
「未来は僕たちの仲間です。貴女は家族とはいえ、未来の全てをご存知なわけじゃないでしょう!」
「杉田先生こそ、私の未来の何を知ってるって言うんです!」
杉田が思わず叫んだのに釣られたのか、恵美子も怒鳴り返してくる。
売り言葉に買い言葉だった。
「先生の言う通り、私は娘の身体のことを認めます。でも、黙って見ているだけなんてあまりにも無責任です。それに、これから先は私たち家族の問題になるんですよ。先生は口を出さないで頂けます?」
言い捨てて、恵美子が席から立ち上がった。正面の杉田を一睨みしてから席を立ち、廊下へ続くドアを開けて外へ出る。多分トイレだろう。
「……予想以上に手強いな」
杉田が小さく溜息をつき、眼鏡を押し上げてから顎に手を当てた。
恵美子が話をああも都合良く解釈し、独自の結論を出すとは考えもしなかった。
大月は、相手の意見を聞き入れたと見せかけて実際には違うことをやるが、恵美子は勝手に相手の理屈を自分の理屈に翻訳する。
そしてそのフィルターを通した考えを正しいと自信を持つ分、大月よりもたちが悪い。
先ほど恵美子に対して抱いた違和感が、ようやくわかったような気がした。
恵美子の、ありのままの未来を愛している、だから何があっても関係ない、という肯定の言葉を一度も耳にしていないのだ。彼女が愛している娘とは、あくまで自分の要求を満たしてくれるだけの存在なのであろう。
娘のことは親が何でも知っているのだからそれが当たり前、自分が一番あの子のことを理解しているのだから間違えようがない、というこれも都合よく歪められた解釈だ。
ここから先、どうやって未来が殺意を持っている可能性が高いことを話せばいいのか。
下手をすれば未来がそんな娘であるはずがないと、恵美子の反感を煽るだけで追い出されそうな気がするが、それでも伝えるまで意地でも帰るわけにはいかない。
杉田は恵美子が席に戻るまでの僅かな間に、何とか方法を見つけ出さねばならなかった。
恵美子が廊下の途中にあるトイレから出てくると、雨が庭の木々に跳ねる音と冷んやりとした空気の流れが感じられた。
一部がガラスでできたリビングに通じるドアから射し込む照明が、より暖かく見える。夜の闇が覆い始めた晩秋の空間は、雨のせいでこれもまた一層冷たい。明るい色のフローリングの上を流れてくる玄関からの僅かな寒気に、彼女は身震いして両腕を掌で擦った。
それにしても、とドアを後ろ手で閉めつつ先の杉田医師とのやりとりを思い返す。
どうしてあの医師は、こちらの家庭事情にまで首を突っ込もうとするのだろう。
夫が出ていった後に二人の娘を女手一つで育て上げ、家を守り続けてきた苦労の何がわかるというのか。
夫は仕事一筋で家を空けることが多く、たまに海外出張から帰ってきてもごろごろしてばかりで、家族と口をきくことさえ少なかった。恵美子が文句を言っても夫は一向に態度を改めることがなく、夫婦仲は日毎に冷えていき、喧嘩が絶えなくなった。
そんな中、唯一心の慰めになってくれていたのが長女の薫と次女の未来、二人の娘たちの存在だった。
何があっても支え合って生きていこうと、幼い二人を抱きしめては言ったものだ。
「うん。おかあさんの力になりたいから、わたしもいっしょうけんめいがんばるね」
と、未来が舌足らずに言って大きな瞳で見上げてくれた頃が懐かしい。
時が過ぎて二人は成人し、姉の薫は外食チェーンの経営者として成功した青年実業家と、二三歳で結婚した。その立派な結婚式に出席し、薫の艶やかな花嫁姿を目にした恵美子は、涙が零れそうになるほど誇らしげに思ったものだ。いい教育を受けさせ、心から若い二人の縁を応援した甲斐もあり、喜びもひとしおだった。
なのに未来は、結婚して家庭を築くどころか貯金を小さな会社設立のためにつぎ込み、移民ばかりを雇って、便利屋などという商売と呼ぶにもおこがましいことを続けている。
恵美子の反対を押し切って入学した大学も結局中退して、挙げ句の果てには報酬目当てで臨床実験に参加して事故に遭い、生き延びるために人間であることさえ捨てた。
未来は、母であり人生の先輩である自分の言うことに反発し、ことあるごとに逆らってきた。故に、そんな悲惨な境遇に転落したと言っても過言ではない。
そして、その辛さに耐え切れなくなってきているという。
ならばやはり、肉親が支えるべきであろう。
未来の多くを知る自分が一番の支えになれるはずだ。
娘を守るのが、親としての当然の務めなのだ。
それに大月という、身元も地位もしっかりした同性が未来の側についてくれている。リビングで待っている杉田医師を信用しないわけではないが、彼は所詮組織の末端だ。情報が正しく伝わっているかどうか定かではないし、大月が自分を利用しようとしているというのも、あの女取締役を妬む誰かが流した噂か何かかも知れない。
世の中の女性進出は加速しているが、それでもまだ大企業は男社会である。女の役職に敵が多いことは、恵美子自身痛いほどよくわかっている。
杉田には今後は大月専務と直にやりとりする旨を伝え、帰ってもらうことにしよう。
決心して、恵美子がムートンのスリッパを履いた足をリビングへ向けたときだった。
玄関脇にある階段の上の方から、何かが割れたような音が上がった。
そろそろ年式の古くなってきた掃除ロボットがまた何か落としたのかと思ったが、今二階では何も稼動させていないはずだ。
かと言って今時二階の窓から入ってくるような強盗もいないし、第一窓のほぼ全てに防犯装置がついている。警報を鳴らさずに侵入してくるのは不可能だ。
不審に思った恵美子は、迷わず階段の方へ踵を返した。




