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機械娘の心的外傷(トラウマ)~旧タイトル:SAMPLE  作者: 日吉 舞
亡霊とテロリスト
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第8話

 西暦二〇四〇年。

 人類は、今世紀初頭から継続する地球規模の問題に翻弄されるまま過ごしていた。

 先進国、発展途上国から排出される二酸化炭素による地球温暖化の進行と環境破壊。

 中東、アジアでの内紛継続。

 緩やかな、しかし確実な天然資源の枯渇。

 最早一部の国だけではなくなった、格差による社会の二極分化。


 無論、日本とて例外ではなかった。国家の安定や国民の生活よりも、自らの安寧の方が大事な政治家による締まりのない政策で、少子化に起因する労働力の不足が決定的な打撃となったのが二〇一九年。

 この国の将来を見捨てた若者が、大挙してまだ希望が持てる外国へと押し寄せたせいもあるだろう。それまで徹底的に拒否してきた移民を慌てて受け入れるようにしたのは良かったが、同時に国内の治安が壊滅的なまでに悪化した。


 労働力の不足は、事務職員程度のスキルを持たせたロボットの大量投入によりある程度の回復ができても、人間がもたらす世の中の乱れを正すのは容易なことではない。

 結果、これまで施行されていた法律の大幅な一斉改正の要望が世論として高まり、施行されたのが二〇二三年。主に改正されたのは刑法、少年法、刑事訴訟法等の犯罪に直接影響するものが多かったが、その中で最も大きいのは銃刀法の改正であった。施行後からある程度の準備期間を置き、一般市民でも許可さえ得れば銃火器と武器が所有できるようになったのである。


 同時に、日本は自衛隊を撤廃。世界第二次大戦後初の自国軍として「国防軍」を擁するようになった。無論これには諸外国の猛烈な反対に遭ったが、増加する組織的、大規模な外国人犯罪及び無差別テロに対抗するにはこの道しかなかったのである。

 それから一七年が過ぎた現在でも、世の中は相変わらずだ。

 これといった特技がなく、人生に目標を持たぬ者は、家に引きこもり親の脛を死ぬまで齧る。

 多少の知識がある者は専門職に就き、過酷な労働の対価としてなけなしの収入を得る。

 体力にだけ自身がある者は、軍属となり野心を死ぬまで燃やし続ける。


 だがいずれの道も、将来が約束されるわけではない。

 親はいつか死ぬ。会社は突然倒産する。軍属になっても、自分の命が終われば終わり。

 この時代に産まれた若者たちに、楽な生き方などなかった。





「……先生。杉田先生ってば。いつまで寝てるつもりなの?ねえ、杉田先生!」


 共同研究室のデスクで突っ伏して眠る杉田医師の肩を何度も揺すったが、一向に起きる気配がない。未来は呆れて溜息をついた。今は九月下旬。温暖化が進み気温が高い日が続いてはいるが、そろそろ夏の暑さも一段落している。冷房が適度に効いている研究室内は、昼寝に最適な環境だった。


「もー!相変わらず寝起きが悪いんだから……よし」


 悪戯っぽい顔になり、未来が杉田の寝顔を至近距離から覗き込む。眉をしかめたりしているところを見ると、夢を見ているのだろう。未来の指が、時折細かく震えていた杉田の睫毛をくすぐった。


「ぎゃっ!」

「おはよ、先生」


 奇声を上げた杉田が上半身を跳ねるように起こすと、傍らの未来が意地の悪い笑顔を向けた。


「……未来か。また、何て起こし方するんだ」

「だって、先生がいくら起こしても起きないんだもん。助手のみんなが笑ってたよ?昼休み、もう三〇分前に終わってるし」


 方法としてはソフトだが、神経にはよろしくない起こし方をされた杉田医師は不機嫌そうだ。それでも、未来には全く悪びれる様子がない。まだ寝ぼけ眼で眼鏡を探している杉田へ、未来が再度悪戯っぽい瞳を向けた。


「それよりも先生、夢見てたの?時々唸ってたみたいだけど」

「人の寝姿を観察しないでくれよ。未来と会ったばっかりの頃の夢がね……」


 生欠伸を噛み殺し、杉田が眼鏡をかける。


「私、その頃とあんまり変わってないでしょ?」

「そうだな。強いて言えば、少し老けた?」


 何ともデリカシーがない一言に、未来が憮然とする。


「せめて、大人顔になったって言ってくれない?私は二三歳なんだから、まだまだ顔が変わるんだよ」

「まあ、それもそうか……けどそれは、喜ぶべきことなのかも知れないな。経年による劣化以外の変化が表れるということは、それだけ顔の修復がうまくいったってことだからね」

「うん、全然違和感もないし。ここまでうまく治って、本当に良かったよ」


 傷一つ残っていない顔でにっこりと笑って見せる未来は、嘗て生死の境をさ迷う重傷を負っていたということなど、微塵も感じさせない。彼女のサイボーグ改造手術から二年以上経っているが、今のところは特に問題もなく仕事をし、全く普通の日常を過ごせていた。

 もっとも、その「普通」という括りには、軍隊の特殊部隊に準ずる戦闘訓練を日々こなしていく非日常も含まれているのだが。

 ただ幸いと言うべきなのか、未来がその成果を発揮せねばならない実戦はまだ一度もなかった。

 このままずっと、訓練だけで終われる日が続いてくれればいい。

 恐らく杉田と同じように願っているであろう未来が、ふと自分の胸を軽く押さえた。


「どうせなら、もうちょっと胸も大きくなりたかったかも、だけどさ」

「ば、馬鹿なこと言うなよ!命がかかってたあの状況で、そんなことできるわけがないだろ!」


 派手な細身の柄物シャツを盛り上げている膨らみについ目をやってしまった杉田が、怒鳴ってから慌てて目を逸らす。

 診察の時に何度も見ている筈の女にさえ未だ慣れない杉田は、自身の顔がかっと熱を帯びているのを感じていた。もともと女性全般が得意でない杉田の反応を見た未来が、明らかなからかいを帯びた口調で返してくる。


「うそうそ、冗談だってば。それじゃあ全身美容整形だもんね。私はそこまでやるのは……」

「杉田くん!未来も!」


 鋭い女性の声が研究室の奥から上がり、驚いた二人の会話が中断される。計器の裏側から、しゃがみこんでいたらしい大月が立ち上がって歩いてきた。いつものように、ハイヒールが床を打つ音が上がる。


「美容整形してる人を馬鹿にするようなことを言うのは駄目よ。ケルビムの研究でも、トップクラスのシェアがある商品を開発している分野でもあるんだから」

「……はい」

「以後慎むようにね」


 未来が肩をすくめる。未来と杉田の横を、大月の足音が通り過ぎていった。


「大月さん、いたんだ。最初に言っといてくれればいいのに」

「ああ。ここ何日かは本社と行ったり来たりしてるけど、また戻ってきたんだ……僕が寝てる間に入ってきたのかな」


 大月の姿は、未来がリハビリ開始時に初めて会った頃と殆ど変わっていない。年齢不詳の美しさがある女性ではあるが、若いスタッフに八つ当たりかとも思える態度を取る傲慢さも、当時と同じだった。


「あの人、私にばっかり文句つけるような気がする。これからはここに来る前に、大月さんがいるかどうかチェックしとこうかな」


 大月が研究室から出て行ったのを確認し、未来が悪態をつく。

 あの女専務は杉田たちの直属の上司でプロジェクトの責任者当たる存在であったが、未来は強引で他人の気持ちを無視しがちな人柄を好きになることなど、この先ずっとない気がしていた。

 彼女のリハビリプログラムが全て終了し、日常生活を送るのに支障がないことも補償されると同時に、プロジェクトの次の段階がスタートしていた。


 プロジェクト名は「次世代歩兵計画(Advanced Woriar Project、通称AWP)」である。肉体を強化した人間、つまりサイボーグの兵器転用研究プロジェクトだ。未来は心肺機能や骨格、筋肉及び感覚器を徹底的に強化したサイボーグで、男性プロスポーツ選手の約二〇倍の筋力を持つ。例えば垂直跳びは八メートル以上、走り高跳びは一五メートル以上、握力は片腕九〇〇キロ以上といった数値を叩き出す。

 また眼には高精度なレンズとカメラ、各種センサーが仕込まれ、熱反応や金属反応の調査が可能になっており、聴覚は人間の五〇〇倍にまで引き上げ可能だ。未来が杉田や生沢から聞いた話では改造は生体パーツを主体としており、これまでの機械パーツの移植に伴う問題としてあった拒絶反応も、最小限に抑えられたものだという。


 被験者である未来の、常軌を逸した能力を更に高めるために開発された装甲強化服を装着し、人間では活動が不可能な現場に送り込むことが、プロジェクトの主な内容だった。

 その中心にあるのは、日本有数のコンツェルン中核を成す製薬会社ケルビムである。親会社であるセラフィムを筆頭に、他の医療器具や精密機器に関連するグループ会社が相互に協力する巨大組織が、このプロジェクトの背景にあるのだ。


 ただし内容が内容なだけに、AWPが即時に公にされることがないことは自明の理である。

 今のように訓練とメンテナンスのみが繰り返される平和な日々では、プロジェクトの目的も薄くなっていると言っていいだろう。が、むしろこんな日常がずっと続けばいいと、杉田は願わずにはいられなかった。

 それにしても、今日未来はここに来る予定ではなかった筈だ。

 自分のささやかな願いが破られてしまったのかという予感に、杉田は傍らに佇む未来へかける声が緊張したのを感じた。


「それより未来、何でここにいるんだ?メンテナンスは一昨日やったばっかりだし、何かあったのか」

「ううん、別に何もないと思うけど……リューに呼ばれたんだよ。専用装備が来たから、試射につきあえって。あ、いたいた」


 研究室の奥からこちらに向かってくる若い男に、未来が声をかける。

 リューというのはニックネームで、彼の本名は田原隆三だ。しかし、非常に日本人らしい名前と反比例する彫りが深い顔、ヘイゼルの瞳、軽く巻いた茶色の髪という西洋絵画に描かれた人物のような容姿に、誰もが違和感を禁じえない。本人もそれが気になっているらしく、呼ぶときは苗字か「リュー」にして欲しいと初対面のときに告げるのだ。


 しかしこう見えても、リューはこのプロジェクトで未来のパワードスーツと武器整備、作戦展開時の司令役を兼任する国防軍戦略部に籍を置いていた元軍人だ。彼は日本人の父、アメリカ人の母を持つハーフだったが、日本に帰化したのはこの数年のことで、それ以前はアメリカ軍に所属していたという。

 ただ、アメリカ軍時代のことは彼の口から語られたことがなかった。日本に来る以前も、中尉という若さに見合わない高い階級であったことを考えれば、彼が優れた戦士であったことはわかる。が、何か触れられたくないことでもあるのだろう。

 未来がすらりと背の高いリューが下げている、白い紙箱を目ざとく見つけた。


「あ、今日のおやつ買っといてくれたんだ。ケーキでしょ?リュー、甘党だもんね」


 箱の中身を確かめようとした未来だったが、有名パティスリーのものらしい箱は、彼女の手が届かない高さにひょいと持ち上げられてしまった。


「試射が終わってからです」

「ちぇ、ケチ……そう言えば、もう射撃場の準備ってできてるの?」


 ふてくされた未来が腕組みすると、リューが頷いた。


「私はスーツ着てったほうがいい?」


 再度、美貌の青年が頷く。杉田や大沢と違いは白衣を着ていないが、色落ちして膝が破けたジーンズに地味なプリントのシャツという格好が、ラフな私服でいる未来よりもこの場にそぐわない。


「いつものトレーラー、駐車場にあるんでしょ。準備してから行くから先に行ってて」


 言うが早いか、未来は革ジャケットの胸ポケットからIDカードを取り出していた。研究室の出口に向かう小さな背中に、リューが追いかけるように続く。二人が出て行った後の研究室は、杉田には妙に広く感じられた。

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