第79話
終焉を迎えつつあるP3プロジェクトと、次のサイボーグを生み出すためのP4プロジェクト。その中心人物である大月は同じ頃、見慣れない男たちとともにC-SOL内AWP棟のロビーにあった。
黒大理石の床が鈍く光るロビーにあるカフェテリアでチョコレートマフィンを買っていたリューが、その一団を見て眉を顰めた。
「あれは……」
大月専務が出迎えているらしい中年から初老の男に、リューは見覚えがあったのだ。
名前までは思い出せないが、確か国防軍の幕僚クラスにある者だ。連れている部下らしき男数人もスーツ姿でいるところを見ると、敢えて目立たないようにしているのだろう。
AWP棟では戦闘用サイボーグを開発していることもあり、軍関係者の来訪もさして珍しいことではない。それでも、上層部が来るのは今までにないことだった。先日共同作戦の展開が終了したばかりということもあるし、報告のための会議でもあるのかも知れない。
が、それならば当日AWP側の司令官であった自分が呼ばれないのはおかしい。
いささか不自然な状況に、リューは口許までもへの字になりかける。
「あいつら、何者だ?」
そこへ背後から大柄な男がぬっと現れ、耳打ちするように囁いた。
エスプレッソを買っていた生沢だ。
「軍のお偉いさんですね。久しぶりに、昔の上司を見ましたよ」
「大月の奴、やっぱり何か企んでるな」
二人は意識せず、大月の視界に入らない観葉植物の影へと移動していた。
十メートルは離れたロビーの一角で、完璧な営業用の笑顔を満面に浮かべた大月が一階の奥にある応接室へ客人を率いていく。何か話しているようだが、声は広いロビーに響く喧噪にかき消されて内容までは聞こえてこない。
特に一番年長に見える男性と大月とは、かなり親しげな様子に見えた。
「休日にこんな辺鄙な場所までご足労願って、申し訳ありません。私の都合がどうしても今日しかつかなかったもので」
「いや、別にこの程度のことで気を使わんでも結構ですよ。私もこの施設には前々から興味がありましてね。是非一度中を見たいと思っていたから、丁度いい機会になった」
その棘がある視線には気づかず、大月と初老の男性ははにこやかな笑顔の下で会話を続けていた。
男は国防軍陸上部隊の現幕僚長、横山だった。歳の頃は五十台後半といった外見で、やや恰幅が良く大柄な身体に、白髪が多い銀の頭髪を持つ。軍部で高い地位にありながらも気さくで暖かな人柄に好感を持つ者が多く、国内外を問わずに高い人望がある男だ。
しかし現役時代には各種テロや暴動鎮圧に関して最も高い指揮能力を持ち、隙のない戦略と用兵を得意としていたのもまた、彼である。今はもう戦闘の現場に出ることはなく会議に忙殺される日々を送ってる身だが、時折見せる眼光には、目を合わせた者の動きを凍りつかせるほどの鋭さを残していた。
その威厳は、並んで廊下を歩いている大月にもひしひしと伝わってくるほどだ。
彼女にとって最も食えないのはこの男、横山だった。
幾多もの修羅場をくぐり、功績を上げてきた実力に相応しい迫力と剛胆さを持っており、底の浅い策略はすぐに看破するほどの洞察力も兼ね備えている。今回のP2に対する作戦展開でも氏の協力により得られた人材や物資も多く、彼なくして作戦の成功はなかっただろう。
この偉丈夫は、作戦当日は報告を逐次受けるのみで実際に現場にいたわけではなかったため、今日の視察には少なからぬ期待を抱いている様子だった。
視線を僅かに隣の大月へと向け、彼はどっしりとした印象のある声で問う。
「しかし本当なのかね、あのスーツの着用者が若い女性だと言うのは」
「ええ。若い女性とは言っても、私共が最新技術の粋を集めて育て上げた戦闘用サイボーグです。先日の作戦時に切断された右腕もほぼ元通りですし、これからの国内治安維持や海外での作戦展開時も、大いに活躍できることは間違いありませんわ」
横山は他の軍幹部と共に一階の応接室に上着を置いた後、大月にエレベーターに案内されていた。
その間も会話は続けられ、横山の後ろに続いている部下たちも耳を傾けている。彼らもまたAWP内に足を踏み入れるのは初めてのため、ちらちらと施設内の様子に視線を走らせている様子が伺えた。
エレベーターが最上階である五階に到着して全員が下りると、大月が先に立って廊下の奥にある自動ドア前に進んだ。
「ここから先は、一部の関係者のみしか立ち入れないセキュリティエリアですので」
彼女は一言断ってから声紋と虹彩認証を済ませ、後に特別な許可証を一人一人認証させてから全員をセキュリティエリアに入れる。
広く大きな窓が連なった廊下に個人研究室が並ぶエリアの一番奥に行くには、まだ別のドアを通らねばならない。同じように許可証をあと二つのドアに読み込ませ、一行はようやく最重要エリアの廊下に辿り着いた。
明るい午後の陽光に満たされた廊下の突き当たりに自動ドアがあり、大月は傍らのインターホンでその中へと声をかけた。
「未来、この前話しておいたお客様が見えたわ。入るわよ」
返事を待たず、女専務が自動ドアの二重セキュリティ認証を済ませて中へ足を踏み入れる。
この病室に初めて入る者には、怪我人が過ごしている個室にしてはかなり広く殺風景な部屋、といった印象を与えていた。壁紙とベッド回りのカーテンはアイボリー、シーツと床はベージュで、電動式ベッドの横には汎用型アシストロボットのHARが控えている。
他の家具は小型の空間投射型テレビと飾り棚くらいしかなく、唯一ピンクの蘭の鉢植えが彩りの少ない空間で存在感を持っているかのようだった。
それほどにまで、入院着姿でベッドに半身を起こしている人物の存在感は稀薄になっていたのだ。
「彼女が間未来。AWP初の成功例であり、戦闘用サイボーグ実験第参号体です」
敢えて自信濃厚な口調は落とさず、ベッド脇に立った大月が未来を紹介した。
が、未来は挨拶の言葉を発しようともしなければ、目線を動かすことさえしない。
幼さの残る、どこか遠いところを眺めている瞳は焦点が散っており、大月の言葉は一つも耳に届いていないと思えるほどだ。顔色もひどく、青白いのを通り越して土色に近い。
大月は昨日一度来客のことを告げにここへ来ていたが、たった一日で未来はげっそりとやつれ、生気を殆ど抜かれているかのように見えた。
こんな姿では、最前線に立ち獅子奮迅の戦いぶりを見せる戦闘用サイボーグであるという謳い文句など虚しく響くだけだった。
それでも大月は、これまでと同じ態度を変えようとはしない。
「申し訳ありません、休養目的で投与されている睡眠薬のせいでぼんやりしているようで。昨日はこんなことはなかったんですが」
「話をしても構わんかね?」
「ええ、構いませんが……あまりまともな反応は、期待できないかと」
大月が答えると、僅かに眉根を寄せた横山が彼女と逆のベッド脇へと歩み寄った。
「間さんだね?初めまして。私は大月専務の知人で、横山という。よろしく」
「……はい」
腰をかがめて視線の高さを合わせ、穏やかに話しかけてきた横山に未来はのろのろと瞳を向けた。
「君は、先週素晴らしい戦いを見せたと聞いているんだが。覚えているかね?」
数秒間無言でいた未来は、動かした瞳を下に向けた。
「あまり……」
「……これから、また戦うことができると思うかな?」
横山の問いに、未来は答えない。
表情という彩りを失っている顔はひどく疲れているのか、周りから与えられる一切のことを拒んでいる様子にも見えた。
「答えたくないかね?」
諭すように落ち着いた口調を崩さない横山へ、未来は呟いた。
「……すみません」
「戦っていたときのことが思い出せるかね?」
「いいえ」
「自分に自信は?」
「……」
「あまり考えたくない?」
間を置いた後、未来は微かに頷いた。
「疲れているところを済まなかった。大月専務、違う場所を案内してくれるかね?」
そのまま俯いた未来の隣で立ち上がり、横山が正面の大月へ視線を投げかける。
親子ほどに歳が離れた二人の様子を厳しい表情で眺めていた大月が頷いた。
未だに姿勢を変えていない未来を残し、一同は静かに病室から退出していった。
「間くんは、大分参っとるようだな」
大月が最後に病室の中を一睨みして出てくると、横山が溜め息の混ざった調子で言った。
「本当に申し訳ありません。今はまだ傷が回復しておりませんので、確かに本調子ではないのですが」
恐縮し切った大月も、やれやれと言いたげに首を振る。
「しかし動けるようになれば、彼女は地球上で最強の戦士に間違いありません。いかなる命令が下されようともそれを忠実に守り、実行するのも大きな特徴です。戦場でも単体で一個中隊に値する戦力にも匹敵するかと……」
「いや、それでは困る」
「は?」
強くサイボーグの有用性を押し出そうとした大月を、横山がぼそりと口を挟んで遮った。
女専務が意外そうに、そして怪訝そうに顔をしかめる。
「違反の一つもしないようでは困る。命令を絶対に果たす者だけが優秀な兵士なのかと言われると、そうでないことも多い。単独行動を主体とするのなら尚更だ」
セキュリティエリアの外へ歩き出した一団の中、二人の会話は続いたが、大月は怪訝そうな表情をこびりつかせたままだ。
納得が行かなそうな女専務を尻目に、横山が続ける。
「盲目的に服従することが目的という者は、ある程度の価値しかない」
「と、仰いますと?」
大月が相変わらず腑に落ちない様子で虹彩、声紋認証を済ませ、セキュリティカードを摘み上げる。
「家族や恋人、祖国、自分の夢や誇りでも、とにかく守りたいものを持つ奴は厄介なほど強い。その気持ちが強い者ほど臨機応変な柔軟さで物事に対処し、結局は勝つ。普通に生きていく以上に、戦場では精神力が重要だ」
「精神力ですか?」
全員がセキュリティエリア外に出たことを確認した大月が鸚鵡返しに尋ねると、現陸上部隊幕僚長は頷いた。
「つまり心だ。それをおろそかにすれば、自軍を勝利に導くことは難しい。どんなに命令を死守できてもだ」
エレベーターに乗り込んでからも、横山の話は続いていた。
「私も、現役の頃には海外に派遣されたが……間くんの目は、戦場で悲惨な目に遭った子どもや兵士たちと同じだ。誰も信じることができずに、心を閉ざした目だな」
「心などなければ……感情の動きがなければそうやって心を閉ざすことも、死を恐れることもありませんわ。それでも、心は重要だと仰るのですか?」
「人間というものは不思議でね。どん底から這い上がる度に、それまでとは比較にならないほどの強さを得る。だが、捨てるものがない奴は所詮、限界を越えることはできん」
横山が感慨深げに呟いたとき、一同は応接室の前まで戻ってきていた。
廊下から玄関ホールに続く空間は午後の太陽が射し込み、研究員や来客たちの話し声で賑わっている。
「とにかく間くんが精神を回復して、自分の判断で戦う姿を見るまでは、彼女の身柄引取は見合わせてもらうとしよう」
大月が応接室のドアをロックするなり、横山が言った。
まるで死刑宣告でも受けたかのように、大月の表情が一瞬凍る。
一呼吸の間も置かず、彼女は反論の言葉を口にしていた。
「命令に忠実に従うだけでも、十分な戦力にはなり得るはずです。彼女は物理攻撃への耐性も普通の人間とは違いますし、スーツを着せて陣頭に立たせるだけでも、敵を威圧するのに……」
革張りの黒いソファーに横山が腰を落ち着けると、彼女は更に持論を述べようとする。
「大月くん」
ガラスのテーブルを挟んで正面に座った女取締役を、横山は手を上げて制した。
「君は優秀だよ。しかし我が軍は、必要のなくなった実験体を情けで引き受けるところではない。優れた戦士なら歓迎するが、考えられない人形は必要ない」
横山幕僚長の言い方は、決して恫喝するような強い調子ではない。
一方でこの男が持つ格や迫力は、大月など足元にも及ばないものだった。普段は誰に対してでも堂々とした態度を崩さない大月も、流石に彼が纏う重く濃い空気に圧されそうになる。
「しかし……」
「それとも、そんなに急いで間くんを軍に入れねばならない理由でもあるのかね?」
「彼女はまだ軍と連動した大規模作戦や、完全武装した状態での隠密行動などは訓練されていません。より実戦的なデータがなるべく早く欲しいと、仰っていたではありませんか」
「そうだったかね?予算が削減される、と言う話を先に聞いたからだと思うが」
横山がとぼけるふりをして核心をつついてくるが、これ以上突っ込んだ話をしても得られるものはない。
そう直感した大月は、決断を下すのも早かった。
「先に言った言わないの話には、実りがありません。検討課題とさせて頂くことにして、残りの視察を進めさせて頂こうかと思いますが、如何でしょうか?」
大月の提案に、横山は頷いた。
「そうさせてもらう。そろそろ、部下も退屈し始めてる頃のようだしな」
ソファー越しに直立して並んでいた若者三人のうち、一人があくびを漏らしたことを気配で察したのだろう。幕僚長の笑いを含んだ調子に、いかにも真面目そうな印象がある部下の一人が耳まで赤くなった。
「それでは、改めて施設案内をさせて頂きます。こちらに資料を作ってきましたので、ご覧ください」
大月がポケットからデータを仕込んだ立体映像端末を出し、映像資料の投射を準備し始める。
にこやかな笑みを戻して表情も武装し、彼女は自らの戦闘態勢を整えた。
国防軍幹部による視察が終了したのは午後遅くで、傾いた陽の光がAWP棟の中へ斜めに射し込む頃であった。視察対象は最新型サイボーグである未来個人の他に各種医療設備、パワードスーツと武器のメンテナンス設備と訓練場や、共同研究室もその一部に入っていた。
共同研究室に大月が横山ら軍関係者を案内したときは生沢がおり、胡散臭そうな視線を向けられはしたものの、視察自体はほぼ無事に終わったと言っていいだろう。
ただ、未来が最悪のコンディションだという印象を与えてしまったこと。
その一点を除いては。
来訪者を見送ってから報告書作成に手をつけることなく、直ちにセキュリティエリアに一人向かっている大月は、最早激しい憤慨の表情を隠そうとはしなかった。もし誰かが彼女の顔を見れば、いつもの冷静で完璧なそれがここまで歪むものか、と驚くほどだろう。
大月は未来が指示したことを守らなかったことにも腹を立てていたが、それよりも気に入らなかったのは横山幕僚長の言い種だった。
まさかあの堅物から、B級映画で使い古されたような安っぽい根性論を振り翳されるとは思わなかった。
傷を負っても不屈の精神で立ち上がってくる兵士は現実に存在するし、敵に回せば手を焼くことは確かではある。が、百人の強い心を持った兵士より、肉体能力で人間を遙かに凌駕し、命令に絶対服従し、死を恐れないロボットに近い一人の方が有用に決まっているではないか。
あの老いぼれが現役時代に何を経験したかは知らないが、数字に残る実績や効率を重視するならば、精神論などまるで説得力を欠いていることは明らかだ。
やはりここは実際に軍事演習を行い、それを直に視察させるのが最も有効と言えよう。
とは言え、今のろくにベッドから起きられない状態の未来では、すぐ訓練に復帰させるのは難しい。
しかし皮肉なことに、大月は未来からまともな判断力を奪うことを当面の目的としていた。
徹底的な孤独の淵に突き落とすために愛する男から引き離し、通信手段を全て取り上げて情報を与えず、仲間との接触も厳しく制限して、独りぼっちにする時間を長くした。
そして狙い通り、怪我と戦闘の精神的ダメージ、寂しさからくるストレスに耐え切れず、未来は急速に感情の動きを鈍らせていった。
強靱でいながらも脆い側面を精神に抱えた未来は、本心を杉田以外の誰にも見せず、一人で悩んで自分を追い込む傾向があることは、早いうちからわかっていた。彼女はサイボーグである自分がどうあるべきなのか、いつも答えを探し求めていたのだ。
だから、わざわざ杉田がこっそりと手配した精神科医に薬を処方してもらったり、カウンセリングを受ける必要があったのだろう。
そしてP2との戦闘ではあろうことか敵に手を差し伸べ、救おうとしたその時に相手を失った。
彼女がそのことで大きなショックを受けたことは、渡りに船だった。
大月は未来のの弱さを利用することを、以前から考えていたのだ。
苦しいのは心があるからだ。
それなら、もう何も考えないほうがいい。
どうせ、悩むような心など邪魔になるだけなのだから。
心なんて、捨てた方がずっと楽になる。
貴方を楽にしてあげたいからこう言っている。
言うことさえ聞いていれば、もう迷うことも、悩むことも、苦しむこともないのだから。
泣くことに疲れ果て、弱らせた未来の心に対して、大月は何度もこう囁くつもりでいた。そうすれば思考能力の衰えた未来はじわじわとその言葉に犯され、こちらの言うことに服従するようになる。
魂のない、命令のままに動くサイボーグ戦士が生まれたら、そこで彼女を軍に引き渡すつもりでいた。
が、今はどうにも中途半端だった。昨日未来の様子を見たときに、今日の来客から質問を受けたら何でもはい、と答えるように指示しておいたのに、未だ彼女はそれに背くだけの本能的な反抗心を残している。
やはり未来を従わせるには、決定的な力が必要なのだ。
そのための準備は既に済ませてある。
それでも効果が見込めない場合は、薬物投与も考慮したほうがいいだろう。
「未来、入るわよ」
セキュリティエリアにある未来の病室へ来た大月は、形だけインターフォンに声をかけてから入口の自動ドアをくぐった。




