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機械娘の心的外傷(トラウマ)~旧タイトル:SAMPLE  作者: 日吉 舞
敵味方、満身創痍
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第78話

「杉田先生が、もう私の担当じゃないって……」

 生沢から事実を聞かされた未来の声は、消えに入りそうなほどに力を失っていた。

「俺も、どうしてなのか訳がわからん。だが、隠しててもすぐにお前は気づくだろうと思ってな。あいつが戻るよう上に掛け合ってるところだから、そのうち何とかなる。あんまり心配はししなくても大丈夫だ」

「……うん。ありがとう、生沢先生。私なら大丈夫だから」

 悲しみで凍りついた表情で俯きかけた未来は、すぐに明るい口調に戻って笑顔を見せた。

 しかし目は笑っておらず、無理をしていることが明らかだ。

「無理するな。我慢してたら苦しくなるだけだぞ」

「ううん。私の味方は杉田先生だけじゃないんだし、一生会えないわけじゃないんだから……だから、平気だよ」

 心配そうな生沢に対しても、未来はなお気丈な態度を崩さない。が、やはり声が上擦って不自然に高めのテンションになるのは、本人もわかっているのだろう。

 彼女は人に弱みを見せるのを、極端に嫌う節があった。

 それを唯一許せていた相手が、杉田だったのだ。

 生沢は頷いた。

「また何かあったらすぐに呼んでくれ。遠慮するなよ」

 多分この意地っ張りな娘は、誰かが部屋にいる限り生の感情を出すまいとするだろう。そっと言い残して、生沢は退出していった。

「ちぇ、別に我慢なんかしてないのに」

 廊下に消えた生沢の背を見送って呟いた矢先のことである。

 未来の黒い大きな瞳から再び涙が落ちた。

「……やだ、何これ」

 戸惑った声を上げ、自由に動かせる左手の甲で乱暴に両目を拭う。それでも、はらはらと零れてくる透明な滴を止めることがどうしてもできなかった。

 負けたくないのに。

 ただ誰かに会えないことで、どん底に落とされたように悲しくなる自分に負けたくないのに。それなのに、息をするのが苦しいほどにまで胸が疼く。

 泣かないことを早々に諦めた未来は、暖かい涙が頬を伝うに任せてベッドに背を沈めた。鈍くも激しい痛みに耐えながら、部屋の隅にある蘭の鉢植えを見る。

 やはり、夢うつつの中で交わされていた生沢と大月の話は現実だった。

 杉田が持ってきてくれる花は、季節の花を未来の好みに合わせてアレンジしてくれたもの以外に見たことがない。それに生沢に花のことを尋ねたときの反応は、便利屋の仕事でもよく見たことがある、嘘をついた人間の典型的なものだった。

 彼ら二人の会話を全て覚えているわけではなかったが、大月が自分とP2を同時に殺そうとしたのは、ほぼ間違いないのだろう。

 プロジェクトの目的云々という話からすると、やはり自分は使い捨ての実験体なのだ。

 改めて真実を知った日のことを思い返した未来の心が、急激に冷えてくる。

 何故人権が法律によって保護されているはずの自分が、無機質なモノ同然に扱われなければならないのか。

 もちろんその疑問も、怒りもある。

 だがそれも、杉田という支えを失った自分には重すぎる感情だった。

 そして人として触れ合うことのできた、もし生きていれば一番の理解者になってくれていたであろう、同じ実験体のP2をも目の前で奪われたのだ。

 P2を人間として葬る。

 皮肉にも未来が持っていた目的は果たされたが、彼に与えられたのはあまりに理不尽な死だった。

「それとも私たちは……そう、見られて当然なの?」

 実験体だから不条理に殺されても、何をされても文句は言えない。

 サンプルには、温もりも優しさも向ける必要がない。

 どうせ最後はゴミになるのだから。

 役に立たなくなれば必要なくなるのだから。

『お前は自らの意志に反して機械の身体となり、戦いの道具にされ、死してからも研究材料として扱われ、安らぎさえ得られない。その重荷を押しつけた者たちを、本当に守りたいのか?』

 初めてP2と相見えたときの言葉が、未来の心をよぎる。

 未来をサイボーグの実験体として選んだのは、ケルビム女取締役の大月だ。

 彼女が今まで生み出してきたサイボーグたちを、単なる出世のための道具としてしか考えていないことはもうわかっている。

 その下にいる杉田、生沢、リューたちメインスタッフも、騙されていたとは言え、未来をサイボーグにした者たちだ。

 しかし彼らは親身になって傷を癒し、世話をし、生き残るための術を教えてくれた。

 たとえそれが表面上のものだったとしても、未来にとっては心地よく、暖かなものであったことは真実だった。

 なのに、結局彼らが会社の言いなりでしかいられないこともまた、真実だ。

 何を信じればいいのかよくわからない。

 苦しい。

 ベッドの傾きを戻して楽な姿勢を取り目を閉じてみても、胸の奥がじわじわと締め上げられる苦痛は容赦なく未来を襲ってくる。

「杉田先生……」

 虚ろな瞳を宙に向け、無意識のうちに未来はその名前を唇に上らせていた。

 会いたい。

 一目だけでも会いたい。

 何の打算もない想いで見つめてくれる、純粋な瞳にもう一度触れたかった。

 死んだら絶対に許さないと喉を引き裂かんばかりに絶叫し、戦う気力を失いかけていた自分に立ち上がる力をくれた声を聞きたかった。

 嘘でも構わないから、ずっと側にいるよと言って抱きしめて欲しかった。

 が、それが叶わぬ願いであることは、このプロジェクトに二年も携わっている経験上察しがついている。

 一度関係者でなくなった者には厳格なセキュリティ規格に基づいた措置が取られ、社内施設ではその後一切の関わりが絶たれてしまうのだ。もしこれを破れば、情報漏洩事件として殆ど勝てる見込みのない訴訟が待っている。

 それとも、自分如きが研究者たる彼に対し、こんな気持ちを持つなど許されないのか。

 ただの実験体の分際で人の温もりを求めるのは、間違ったことだと言うのか。

 彼の負担になることはしたくないが、どうやってこの苦しみを抑えればいいのだろう。

 今はただとめどなく流れてくる涙に溺れて泣き、心を落ち着けることぐらいしか思いつかない。朝の光が訪れる頃には、疲れて眠ることもできるかも知れない。

 子どもの時、夜更けまで響いた両親の恐ろしい怒鳴り合いに怯えていた頃のように。

 自分の改造に隠されていた事実に、心を壊されかけた夜のように。







 一一月も中旬にさしかかり、都心でも冷たい風がビルの谷間を駆け抜けるようになってきた。日差しはまだ暖かいこともあるが、換気のために開けた窓から肌を刺激する空気には、冬の匂いが感じられる。

 クローゼットの奥から引っ張り出してきたコートの前を閉め、杉田は車から降りた。

 愛車である黒のアウディTTクーペを入れた新宿駅前の地下駐車場も、心なしか寒い。土曜日の午後である今の時間は彼以外にも人は多く、人と車の喧噪とが混ざって賑やかだった。

 地下駐車場の特有のオレンジ色に照らされた通路で、若い医師は何組ものカップルや家族連れとすれ違いながら地上へ急いだ。

 先日未来のマンションを訪れた時とほぼ同じ道を通り、地下街から東口方面に出る。

 日本はよく世界で一番早くクリスマスが来る、と言われているが、この新宿の街はそれが顕著だと実感する。まだ当日まで一ヶ月以上あると言うのに、レストランや居酒屋の店先にクリスマスツリーが置かれ、プレゼント用の品々が赤や緑のラッピングで彩られてショーウインドウを飾り、クリスマスソングが大音量で流れている。

 普通ならお祭り好きな日本人の心が浮かれ始める頃だが、今の杉田にそんな余裕はなかった。

 左手の時計を見ながら、待ち合わせの場所へと急ぐ。

 この地区に乱立しているファッションビルの地上階にある、けばけばしい原色のイルミネーションで飾られたカフェに、彼は駆け込んだ。

「ごめん、遅れて!」

 外装と同じくうるさい音楽が満たした店内に相手を見つけ、杉田は即時で遅刻を謝った。

「いえ、私は大丈夫ですから……」

 まだ息を弾ませている杉田に困り顔をして、翔子はテーブルから立ち上がろうとした。

 彼女の歳よりも幼く見える丸顔は相変わらずだが、ベージュのトップスにオフホワイトのカーディガンを重ね、落ち着いた茶色のスカートとブーツという組み合わせにセンスの良さが感じられる。暖かい感じの色使いにフリルや細いリボンで愛らしさを加えた女の子らしい雰囲気が、彼女の誰からも好かれる印象を強めていた。

 その翔子を軽く手で制すると、杉田はコートを脱いで彼女の正面に座った。

「急に頼んで悪かったね。引き受けてくれて助かったよ」

「いえ。私も、未来先輩のことがずっと気になってましたし」

 制服姿のウエイトレスから水を受け取り一気に飲み干した彼は、ようやくそれで落ち着いた。そこで、翔子が浮かない顔をしていることに気づいた。

「早速なんだけど……未来はどんな様子だった?」

「良くないです。今まで私が会ったことがある先輩とは、ほとんど別人みたいで」

 飲み物の注文もそこそこに杉田が口を開くと、翔子が辛そうに視線を落とした。軽く巻いた茶色の髪が肩で揺れ、なだらかな曲線を描く頬に影を落とす。

 翔子は未来の後輩であり、行きがかり上でAWP関係者となった人物だ。

 杉田は大月と言葉を交わした二日後、翔子に未来の面会へ行くよう依頼していた。

 念を入れて生沢やリューには連絡せず、研究所運用システムの穴を突き、関係者専用の連絡窓口を使ったのが却って都合が良かった。泊まりがけで仕事をする関係者の家族が着替えを届けたり、ちょっとした実験の参加者に面会するのはよくあることだし、便利屋の事務をやっている翔子は口裏を合わせるのがなかなかうまかったのだ。

 しかし、そうまでして翔子が会った未来は酷い状態だったという。

 杉田は表情を曇らせて声を低くした。

「良くないって、どんな風に?」

「私がいる間、殆ど何も話してくれなかったんです。いくら話しかけても、返事すらしないでずっとぼんやりしてて。表情も全然変わらないし、起きて目は開けてるのに、眠ってるのと同じって言うか……刺激に反応できないって言うか。私が許可された時間は三十分だけだったんですけど、結局先輩が喋ったのは一言だけです」

「一言?」

「ええ。杉田先生に会いたいって、私が帰るときに。殆ど独り言みたいでした」

 杉田が息を飲む。

 小さく溜息をついて、翔子が紅茶を口に運んだ。

「事務所のみんなも心配してるんですけど……昨日、セラフィムとパワーズの重役の方が来たんです」

「え?」

「パワーズの子会社にならないか、って話でした」

 意外な話の展開に、杉田が眼鏡越しに目を丸くする。

 セラフィムは日本有数の総合商社で、パワーズはその系列にある民間軍事開発会社だ。双方ともAWPと切っても切り離せない関係にあることは、言うまでもない。

 彼が注文したコーヒーが運ばれてきたが、手をつけずに翔子に話の先を目配せで促した。

「対応したのは副所長でした。突然そんな話を持ち出されても困るから、一旦こちらで検討することにして引き取ってもらいましたけど。ただ、先輩は過去の軍絡みの案件の関係もあって、この前週刊誌にも載ってたテロリストのアジト殲滅作戦にも参加した。そのときにかなり酷い怪我をしたから、今会社に来られないのは知っていると……」

「そう、セラフィムやパワーズの役員が言ってたのか?」

 頷いて、翔子は再び紅茶を一口啜った。曇りがちだった彼女の表情は、テーブルにカップを置くと更に悲しみでくすんだ。 

「私は先輩が不在になってる理由を、そう説明してはいなかったんですけど……あの記事のことはみんな知ってますから、事務所のメンバーは納得してました。先輩は今回の作戦での働きが評価されてて、パワーズの役職クラスに引き抜かれる可能性もあるとかで。そうなるとここの事務所の責任者は兼任できなくなるから、パワーズの子会社にならないかって言う話の流れだったんです。もちろん子会社化するに当たって適切な対価は支払う用意があるし、経営の内容にまで口出しするようなこともないから、とも言ってました」

「でも、未来の様子を見る限りそんな話はとても信用できない。そういうことだね?」

「はい」

 今度は杉田が乾いてきた口の中を潤すために、湯気を立てているコーヒーに口をつける。苦味が強いが暖かいブレンドコーヒーは身体に染み渡るようだったが、温度を下げてきた心の中までは暖めてくれないようだった。

 未来が翔子にどれだけ事前情報を与えていたかはわからないが、今回重傷を負った原因を大体は知っているはずだ。

 だから、存在自体が極秘であるサイボーグの未来がパワーズの社員になるなどありえない。そして何より、未来が自分の会社を放り出すような人物であるはずがないことも、翔子は理解している。

 それだけに、裏でどのような思惑が動いているのかある程度は感じられるのだろう。

 彼女は冷めかけた紅茶のカップを摘んでいたが、白い指は感情を抑えるために震えていた。

「酷い話です。ユースフルは、未来先輩が一人で出資して作った会社なんですよ?今だって副所長が先輩の分をちゃんとカバーしてくれて、新しく人も増やしたから問題ないんです。それに何より、みんな先輩の帰りを待ってます。私だって、必ず先輩は戻ってくるって信じてるのに。なのに、会社を乗っ取ろうとするなんて……」

 翔子が鼻をすすった。泣きそうになるのを堪え、顎を上げて杉田の目をまっすぐに見つめてくる。

「私も、何だって協力しますから……お願いですから、先輩の居場所を奪うようなことはもうしないで欲しいです。これじゃ、あんまりです」

 純粋に女所長のことを心配する翔子の視線を受け、杉田は困惑していた。

 未来の事務所がほぼ買収に近い形式で、パワーズに併合されようとしている。全く予想していなかったことだった。

 AWPでは密接な協力関係にあるパワーズ、プロジェクトを統括するセラフィムの重役を動かせる人物など、ケルビムの専務である大月しかいない。

 彼女は一体何を企んでいるのであろうか?未来の会社をセラフィムグループの傘下に入れても、何も得をすることはないはずだ。

 杉田はもうP3プロジェクトの関係者ではないが、AWPという母集団から外れたわけではない。第四次サイボーグ計画に協力する気がない以上、まだ全貌が見えてこない大月の陰謀を徹底的に探り、全力で阻止しなければならなかった。


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