第71話
狭い道路を挟み、校舎と変わらない高さがある赤レンガ色のビルの屋上に片膝をついた未来の声が新たな緊張と不安を帯びた。
「P2はここに逃げ込んだみたい。足音が消えてないから、建物の中で移動はしてるみたいだけど」
『大学のようですね。飛び道具は使いづらい場所ですが……』
リューが息を継ぐ。が、彼の次の言葉はなかなか出てこなかった。
「どうしたの、リュー?何かあった?」
彼が戦闘中に会話を途切れさせるのは珍しい。焦る気持ちもあってか、未来はヘルメットの中で眉根を寄せた。
『……悪いお知らせがあります』
「何?プログラムの修正が間違ってたとか、そういうオチ?」
躊躇いを見せたリューに、未来の口調が意識せずにとげとげしくなる。
『さっき、大月専務から連絡が入りました。一六時までに作戦を完了しろと』
「えっ?」
これには未来も驚いて、声色が高くなる。
大学の時計台に目をやると、時刻は既に一四時を回っていた。
「どういうこと?そんなの、保障できないじゃない」
『銃声や爆発音が続けて上がっていたせいで、どうもマスコミが騒ぎ出しているそうですよ。情報操作をするにしても限界があるし、貴女たちの存在が一般の目に触れる危険が高くなるから、何とか戦闘を一六時までに終わらせろ。と、そういうことのようです』
事実を伝えるリューも、口調が皮肉に彩られていた。
大月は、国防省で今回の作戦について高見の見物を決め込んでいるはずだ。
確かに彼女はAWP最高責任者ではあるが、作戦の遂行に関しては何の権限も持っていなければ、指揮を執れるような高い軍事的才能も持っていない。
あまりに勝手な言い種に、未来は折角直ったSNSAがまた誤作動を起こすのではないかと思うほどの憤りを感じた。胃までに鈍い痛みが走るのは、決して気のせいではないだろう。
第一、マスコミを遠ざけるのは統率者である大月の一番の役目ではなかったのか。
『とにかくこれが敵の誘いだとしても、乗らないわけにはいきません。突入してください。聴覚は常に最大感度をキープするようお願いします』
リューは未来に対し、それでもはっきりとした指示を出した。
一六時というタイムリミットを守れるかどうかは全くわからないが、P2を倒さねばならないことには変わりないのだ。
マスコミ関係者が騒ぎ出したというのなら、国防軍の監視をかいくぐった記者たちがこの付近まで来る可能性もある。その場合にもし至近距離で戦いを演じることになったら、彼等を守れる自信はない。
もっとも、大月がそんな心配をしているとも思えなかった。彼女なら、勝手に入り込んできた命知らずな連中は勝手に死ねばいいと切り捨てるだろう。
若き司令官の言葉でストレスを振り切ろうと、未来は大きく頷いた。
「了解。ここで決着をつけるから、作戦の指示をよろしく」
遠隔操作を用いてセキュリティシステムを解除し入り込んだのは、九段地区によくあるタイプの大学だった。
複数の建物が寄り添って狭いブロックに建ち、高さがある。当然その中にはロビーや食堂、教室、ホール、食堂、大講義室といった無数の部屋があり、一つ一つの空間は壁で仕切られて且つ、戦うのにも充分な広さがある。飛び道具を持った敵を相手にするには適した環境だ。
P2は地上二十階程度の造りと見えるキャンパスの五階部分で足を止め、聞き耳を立てた。
P3らしき足音は聞こえない。恐らくもう追いつかれてはいるだろうが、こちらから積極的に動いていなければ、よほど近くにいない限り居場所を掴まれる危険はない。厚い金属で覆われた胴体の奥にある人工心臓は、普通の人間よりも遙かに鼓動が外に漏れにくいのだ。
彼が今いるのは、普段大学の職員たちが書類の受付等のデスクワークを黙々とやっているであろう、庶務課の一角だ。
雑然と並んだグレーの事務机にある小さな端末を起動させ、ディスプレイにOSのログイン画面を出す。そこで本体の外部端子に指を触れネットワークにログインし、大学内の基幹システムに侵入した。
理工系大学のセキュリティシステムの場合、学内で開発された強固なものを使用している可能性もあるが、文科系大学の場合はシステム自体が古く、セキュリティも甘いことが多い。P2は数秒で、学内の電子機器情報を保有するディレクトリに達することができた。
そこから使えそうな機械類の情報を吸い上げつつ、先の戦闘を思い返す。
P3は確かに、こちらの不意を突く奇襲を最も得意とすることが伺える戦い方をしていた。
しかし、それは彼女の専売特許ではないのだ。それを身体に叩き込んでやればいい。自分の能力が許す範囲で使えるものは全て利用すれば、決して不利な闘いにはならない筈であった。
自分の意思で作戦を立てる愉しみは、P2が永らく錆びつかせていた戦人としての感覚に潤滑油を注し、高揚した空気が感覚を持たない手足を包み込んでいく錯覚さえ覚えさせる。
事実上、P2の人生でこれが最後の闘いとなろう。
「私を失望させるなよ、P3」
P2は端末の端子から指を離すと、声に出すことなく呟いた。
彼は手始めに大学内で充電器に繋がれ、スタンバイ状態となっている全てのロボットたちのシステムに無線で起動命令を送った。
方々で旧式のドーム型掃除ロボットが低い唸りを上げ、HARの胸に埋め込まれたLEDが光り、小型ヒューマノイドタイプの警備ロボットが立ち上がり、箱型荷運び用ロボットが車輪を軋ませる。
この時代に生きる者にとっては日常の一部である雑音が空間に溶け込んでいくが、無人状態の学内では不気味に聞こえるかも知れない。
その小さな空気の振動は、感度を最大にまで上げていた未来の耳にも届いていた。
「全部の建物の中から、機械の音が一斉に上がってきたよ」
『恐らくP2が、中にいるロボットたちを遠隔で操ってるんでしょう。しかし、C-SOL襲撃時とは違います。ここは文科系大学のようですから、校舎に危険物は存在しません。直接彼らが攻撃してくることもないでしょう』
まだビルの上から大学全体の様子を伺っていた未来にリューが答えたとき、ガラスが砕け散る大きな音が奥から響いた。意識せず、未来がアサルトライフルの銃口を向ける。
ガラスが割れたのは、大学敷地内の一番奥にある低めの建物の入口に当たる自動ドアだったようだ。ただし、全ての建物の入口自動ドアが開け放たれたままのため、P2がそのどこに身を潜めているかまでははっきりしない。
P2は既に大学内に侵入し、セキュリティシステムを掌握した上でドアを開け放したのだろう。
彼はあっさりと、この学び舎を自分の要塞へと変貌させたのだ。
『罠かも知れませんが、敵がどこにいるかわからない以上は行かないわけにはいきませんね。上から奇襲されづらいルートを通って、音がした建物へ侵入してください』
未来がリューの命令に頷いて、煉瓦色のビルの屋上から目の前の道路へ飛び下りた。勢いを止めずに花壇の縁へジャンプし、今は花をつけていないつつじや低い生垣の上を飛び越える。
花壇を越えた先は狭い中庭になっており、その隅に並んだ木のテーブルやベンチの横を走り抜けると、先ほどガラスが割れた音のしたキャンパスが見えた。
割られたのは入口の自動ドアで、巨大な蜘蛛の巣状のひびが分厚いガラスに広がっており、床に鋭い破片が散っている。外から何かがぶつかったらしく、建物の内側のほうが破片が多い。
周囲は相変わらずロボットの稼動音と思しき機械音で満たされていて、聴覚の感度を上げている未来には煩わしいほどだ。一旦二足歩行するものに対象を絞ったフィルタリングをかけても、複数のそれが残る。いずれも金属の足音であるが故、そのうちのどれかP2なのかという判別はできなかった。
「とりあえず、順次確認するから」
その対象の多さにぴりぴりしながらも、未来は銃口を突き出しつつ建物内へと走りこんだ。
入口左にある、シャッターが下りた売店の横を走り抜けて奥へと足を進めると、未来自身でも学生時代に見慣れていた、よくある造りの廊下と講義室の並びが目に飛び込んでくる。
入口は建物の隅に位置しており、上階に通じる階段は未来がいる廊下の右手と奥の突き当たりにあるのが確認できる。その距離が五十メートルもないことから、この棟がさほど広くないことが伺えた。
ロボットの稼動音は、主に教室の内部から聞こえてくるようだ。一階の廊下から奥へ意識を集中して再度音を拾ってみると、ワックスがかけられた床を車輪がこする音を複数確認できる。
この階にはP2がいないと判断し、未来はそのまま階段を上がっていった。
途中の踊り場まで辿り着いたとき、今度ははっきりと金属の何かが床を打つ音が鼓膜を震わせた。未来の足が止まり、アサルトライフルの銃口が意識せず上げられる。
足音のようなその音は、やはり複数聞こえたのだ。しかもその一つは、ゆっくりとこちらに近づいてくる。踊り場で構えていた未来は、視界に二本の足が入った瞬間にアサルトライフルを撃ち込んだ。巨大な弾丸が片方の足を貫いて火花を散らすと同時に階段を駆け上がり、その正体を確認する。
「……何だ、警備ロボットか」
拍子抜けした未来が、ヘルメットの中で息をつく。
警備ロボットは一般で使用されているロボットの中でも普及率が高く、様々なタイプが存在する。
未来の実家にいるような犬型の他、最も古いタイプになる箱型やドーム型、最新型である人間を模ったヒューマノイド型など色々だ。機能も警備会社や警察へ画像を送るもの、光と爆音を発するもの、衝撃波や超音波を発して侵入者を撃退するものもある。
未来が先に攻撃してしまったのは、最新機種に近い形のものであった。
太腿部分を破壊されて仰向けに倒れたヒューマノイド型ロボットは、それでも健気に立ち上がろうと片手をついている。滑らかなそのしぐさは、モーターの音を伴っていても、重傷を負った人間を思い起こさせて胸が痛くなった。
「ごめんね」
と、その側で一言謝り、視線を残してから二階の廊下へ行こうとした未来へ、警備ロボットが半身を起こした体勢から右腕を翳した。
反射的に彼女は身を引いて、ロボットの右腕についた筒から発射されてきた弾をよける。
液体蛍光ペイント剤が入った数ミリの弾が軽い音を立ててボード壁にぶつかり、鮮やかなオレンジ色の染みを作った。
「危ないな。最近の警備ロボットって、こんな機能までついてるの?」
『いえ。この手のロボットは逃げる相手に対してだけ、ペイント弾を撃つものですが……』
リューが言い淀んだとき、奥の教室の自動ドアが開いた。中から同型のロボットたちが更に二台、走り出てくる。
「っと!」
未来が先と同様に、ロボットの指先から発射されてきたペイント弾を走って避けた。
「こいつらにとって、私は敵ってわけ?」
『そうかも知れません。C-SOLでHARが操られたときのように、プログラムが書き換えられているんでしょう。あまり気にしないで、P2を探すことに専念してください』
未来が悪態をつくが、リューの口調はあまり緊張感を伴っていない。大学の中に危険物がないだけに、大した障害にはならないと言いたいのだろう。
「きゃっ!」
頷いた未来が廊下を走りながら二体のロボットに撃たれたペイント弾を再度かわしたとき、床が氷のように滑った。慌ててバランスを取り直そうとするが叶わず、横倒しの体勢で未来は派手に転倒した。
『どうしたんです、貴女らしくもない』
リューが呆れた口調で、倒れた姿勢のまま無様に床を滑っていく未来にこぼす。
「好きで転んだんじゃないっての!何これ……洗剤?」
滑りながらも身体を回転させて起き上がった未来が、床を濡らしていた液を指に取って眉をひそめた。粘りがあるそれは、清掃用ロボットが本体のタンクに内蔵している液体洗剤のようだった。これもP2がロボットを支配し、予めここに撒いておいたのだろう。
舌打ちした未来が突き当たりの階段に走り寄ろうとしたとき、今度はその手前の踊り場からHARが飛び出してきた。すんでのところで避けられたが、危うく正面から激突するところだった。
未来へのダメージ自体は無いに等しくとも、こんな子どもの悪戯じみた嫌がらせに近い仕掛けは、神経を逆撫でするのに十分だった。
「ったく、やりにくいったら……!」
苛ただしげに呟いてアサルトライフルを構え直し、未来はようやく辿り着いた階段を駆け上がった。
『苛々するのはわかりますが、落ち着いてください。冷静さを欠いては、相手の思う壺ですよ』
「わかってるよ!今度は反撃されないように、徹底的に壊してやるんだから」
リューへ半分怒鳴るようにとげとげしく応え、未来は三階の踊り場へ上がった。
そこには、箱型の警備ロボット三体が待ち構えていた。
すかさず、未来のアサルトライフルがバーストで火を吹く。狙いすました銃弾は、白い旧型ロボットの心臓部を寸分の狂いもなく貫いた。
が、彼らは消火器を思わせる音と共に灰色の気体を一斉にボディから吹き出した。
『催涙ガスですね』
「何さ、こんなもの!」
リューがいちいち解説する中で、未来は鼻息も荒く叫んだ。
普通の人間ならば呼吸困難に襲われる催涙ガスだが、密閉式のヘルメットと高密度呼気フィルタに守られた未来には痛くも痒くもない。それに、この旧型のロボットはこれ以外の攻撃方法を持っていないはずだった。
煙でゼロに近い視界の中でも、彼女は構わず音を頼りに足を進める。灰色のガスが充満した廊下の奥に、やはり金属の足音が認められる。先のヒューマノイド型警備ロボットかも知れないが、確かめる必要はあった。
そのうちの一つに狙いを絞り、未来が煙の中へ発砲した。
金属の何かに弾丸が弾けて響き、鈍い音の塊が複数、煙を叩いてその後を追う。
床を中心に聞こえてきた不規則な不協和音は、未来に敵の存在を知らしめた。
「逃がすか!」
P2のものか定かではないが、硬質なボディを持つ動体がいることは間違いない。
下がりかけるその音たちへ、未来が銃口を突き出す。彼女がトリガーをもう一度絞ろうとした時、小さな射出音が煙の中で二度、別々の方向から異なるタイミングで上がった。
未来はほぼ神経の反射のみで第一撃をかわしたが、次弾は叶わなかった。
ヘルメットのバイザーに当たり、軽い音を立てて潰れたのは、鮮やかなオレンジ色の塗料入りボールだった。
「ああもう!」
未来が思わず吐き捨てて、特殊樹脂製のバイザーを乱暴に拭った。いくら強い曇り止め加工が施されたバイザーでも、完全に水分を除去してくれるわけではない。
彼女の指には、バイザーを傷つけそうになるほど力が込められている。連続した小さな邪魔が、確実に平常心を削り取っていっているのは明らかだ。
だが、重なった苛立ちも彼女の野生的とも言える感覚の全てを遮断することはできなかった。
視界の隅をたゆたっていた煙が僅かに空気の流れと違う方向へ揺らぎ、同時にその中から襲いかかってきた黒い手が空を掴む。目標を捕らえるべく伸びた指は、気配を察して身体を沈めた未来に掠りもしなかった。
その屈んだ姿勢から柔軟な膝を使ってP2の臑に回し蹴りを放った未来の頭上へ、一瞬遅れて煌めく刃が突き込まれる。
がん、と鈍く重い音が上がり、両者の金属を纏った強靭な脚が衝突した。
未来の蹴りは確実にP2の軸足に衝撃を加えていたが、相手の重心をぐらつかせるには至らない。
もし回避が間に合わず今しがたの腕に捕まっていたら、危うく心臓を一突きににされるところだった。
女戦士の背中に冷たい汗が湧く。背後への接近を許してしまったのは、P2が操る警備ロボットの足音や煙幕に気を取られ、注意力が散漫になっていた証拠だ。
ようやく再び姿を晒してきたP2は、低い体勢で咄嗟に身動きが取れなくなっている未来へそのまま腕の大型ナイフを振り下ろした。
すんでのところで、未来は片足で床を蹴りつけて横へ逃れる。しかし、踏み込んできたP2の刃は続けて横に払われ、彼女の無防備な脇腹へ鋭く迫った。
鈍く、ナイフが無機物を穿つ衝撃音が上がる。
「……くっ!」
未来が顔をしかめ、低い呻き声を漏らす。
P2が刀身を食い込ませたのは、未来が身体を捻って前面に翳したアサルトライフルだった。打ち込まれた重い衝撃に銃身がしなり、悲鳴を上げる。
攻撃を止められたP2の腕が伸び切ったほんの僅かな隙に、未来が前蹴りを見舞った。
鉄筋コンクリートの柱すら薙ぎ倒す強烈な一撃を胴に喰らい、P2は短く唸って後退した。
『駄目です、撃たないでください!』
まだ晴れない催涙ガスの煙の中に消えようとする敵に向かってアサルトライフルを撃ち込もうとした未来に、リューが慌てて警告した。




