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第7話

 二人の男がベッド脇に立っても、未来はぼんやりとした視線を動かそうとしない。

 彼女を再び興奮させないため、この部屋は音や光などの不要な刺激を極力なくし、立合者も杉田と生沢だけにされていた。

 まるで捕虜を尋問するかのような雰囲気がある中で、ベッドの脇に立つ杉田が未来に声をかける。

 生沢の持つボイスレコーダーは、既に録音を開始していた。


「やあ。気分はどう?」

「……あまり、良くはないです。何だか……ぼーっとして」


 話しかけてくる相手の方を見ようともしない未来の受け答えは素直で、まるで自分の意思を感じさせない無機質さがある。呟くような声は小さく聞き取りにくくはあっても、静まり返ったこの部屋では訊き返す手間はなさそうだった。

 ゆっくりとした口調を心がけ、杉田が話を続ける。


「落ち着くための薬を注射したからね。もうちょっとしたら眠くなってくると思うけど、それまで少し話をさせてもらうから。簡単なことを聞くから、答えてくれるかな?」


 少し間を置いて、未来が返す。


「はい……」


 思考もぼやけている意識に他人の言葉が届くのは、多少の時間が必要となるのだろう。虚ろな目をしながらも意識を保っている未来に、杉田は質問を開始した。


「君の名前と年齢は?」

「間、未来……二十一です」

「仕事は?」

「……便利屋、やってます」

「ここがどこか、どうしてここにいるのかはわかる?」


 杉田から穏やかに投げ掛けられてきた質問であったが、未来は数秒間だけ沈黙した。


「……病院……私は……確か、治験のバイトで……移動でバスに乗ってた。そしたら、そのバスがどっかにぶつかって……」


 そこでぼそぼそとした声が途切れる。

 ただ、彼女に表情の変化は見られない。事故の恐怖に再び襲われて言葉が出なくなったのではなく、単純に思い出せないでいるだけのようだった。

 助け船を出すように、杉田がその先を補う。


「そう、君は事故に遭った。そして大怪我をして、治療のためにここへ運ばれた。生きるか死ぬかの瀬戸際だったんだ。それは覚えてる?」

「はい」


 実はここは最初に彼女が救急搬送された病院ではなく、複数の企業が共同で運用している研究所の一棟だ。しかしそんな細かいことを説明しても、今の未来は混乱するばかりだろう。

 そこは追々話すことにして、杉田は未来に確認するように続けた。


「そして君は、何日もずっと眠っていたんだ。それでさっき目が覚めて、自分の身体を初めて見たんだね?」


 未来はすぐには答えない。

 やはりここが病院ではないことを暗に伏せても、今の彼女はそこに気づけるほどの注意力を持っていないらしい。が、先に酷く暴れたことを思い出させると、虚ろな顔にそこで初めて感情の動きが垣間見えた。

 変わらず動かない瞳の上にある眉が僅かに寄せられ、落ち着いていた呼吸が苦しげに乱れかかってくる。反射的に力が入ってしまったのか、鈍い輝きを放つ義手が高く、小さな軋みを上げた。


「はい……私の手も足も、全部私のじゃなかった……動かせるのに、何も感じなくて。それに……顔まで、あんな……」

「驚いて、それで暴れたんだね?」

「はい……私、ロボットになっちゃったのかって……みんな、ちょっと触っただけで壊れちゃうし……」


 その異音の上に声を被せる形で、杉田が未来を誘導した。

 そしてなるべく理解しやすい単語を選び、いよいよ彼女がまだ知らない事実を明かすことを試みる。


「君の手足は、別のところで治してるんだ。すぐにつけ直してあげるから、安心して待ってて欲しい」

「……え?」

「約束する。必ず、健康な状態に戻せるからね。顔も今はまだ復元中だけれど、ちゃんと治るから」

「……顔……」

「顔もだよ。それは保証する」


 この忌々しい金属の手足が離れ、元の身体に戻れる。

 半端な骸骨になってしまった顔も、以前と同じものになる。

 喜ばしい話を聞いた筈の未来であったが、混乱しきったまま半覚醒状態にされた頭では、全ての出来事を一度に消化できないのであろう。

 単語でしか返事を返せていなかった彼女は、やや早くなっていた呼吸が落ち着いた数十秒後に呟いた。


「……よかった……でも、何で私、あんなことに……」

「今の君には、人工のパーツが数え切れないくらいに使われているんだ。そうしなければ、命を助けることができなかったから」

「人工……?」


 再度、未来の返す言葉が短くなる。

 投げかけられてきた話を頭の中で反芻しているらしい患者に、杉田が頷いて見せた。


「そう。残念ながら……そのままでは治せないほど、君の怪我は酷かった」


 きっぱり言いながらも、若き医師の声が揺れているのがわかる。

 生沢は、後輩医師が懸命に言葉を紡ぐのを未だ沈黙して見守っていた。明白な形で助けを求められない限りは口出ししないつもりで、注意深く杉田と未来の様子を窺い続ける。


「今君の胸で動いている心臓や肺も、金属じゃない部分の骨も、全て人の手で作られたものだ。それで、普通の人とはちょっと違う身体になることになったんだよ」

「普通とは、違う……」


 話の核心に触れた杉田が緊張を示しながらもわかりやすい言葉を選んで聞かせると、未来はまたそれをぼそりと繰り返していた。


「もともとそれは、軍隊で実験用として作られていたものなんだ。強い身体にするためのね」

「強い……身体?」

「それに早く慣れてもらうために、今の手足も同じくらいの力が出るようになっている。けれど移植さえ終われば、見た目は全く普通の人と変わらなくなるんだ。ただずっと、僕たちみたいな専門の医者が見なきゃならないけど」


 未来は答えない。

 包帯の間から覗かせている顔の右半面に動きは見えず、耳から入ってくる情報をただ頭に入れているだけ、という状態になっていることは見た目にも明らかだ。半覚醒状態の脳では、処理できない内容なのだろう。


 それも無理はない。

 たとえ彼女の意識が正常な状態にあったとしても、こんな突拍子もない話はまともに信じることなどできないはずなのだ。

 今の段階でこれ以上話をしても、互いに徒労に終わるだけであろう。そう判断した杉田は、微笑みに努めて優しい口調を乗せて話を切り上げた。


「ちょっとの間だけ不自由だけど、僕たちが必ず自由に動く体に戻してあげる。僕たちを信じて、待っていて欲しいんだ。それまで、ゆっくりお休み」




 話が終わるまで室外に待機させていた数人のスタッフが入室し、未来の回りで忙しく動き回っている。

 杉田からの説明が終わっても、未来の半分眠ったような意識状態は変わっていない。

 視線を宙に散らしっぱなしでいる彼女は、白衣の若いスタッフたちに脈や血圧などの基礎状態を確認されるがままになっている。未来は既にベッドからストレッチャーに乗せ換えられ、先に壁やベッドを破壊してしまったのとは別の病室に移る準備が進められつつあった。

 未だ薄暗い部屋の中、何人ものスタッフがてきぱきと動き回る忙しない様子を見守りながら、生沢が軽く溜め息を漏らした。


「何とかうまくいったようだな」

「次は、もう少し踏み込んだ辺りまで説明しないといけませんよね……生沢先生が言った通り、こうやって少しずつ受け入れてもらうしかないと思っています。彼女が、ちゃんと僕たちを信頼してくれるといいんですが」


 応える杉田の声にも安堵の色が表れていたが、彼の不安は拭えていないようだった。そればかりか、手にしたタブレットの説明用資料に落とされた黒い瞳には辛さが浮き出ている。


「それにしても……こんな説得を続けなきゃならないなんて」


 彼が手にした薄型電子機器の画面には、まだ説明が終わっていない項目が箇条書きのテキストで記されていた。

 強化した四肢の移植が終わったら、即時で厳しいリハビリが開始されること。

 ある程度までの回復が見込めたなら、実銃を使用した射撃訓練が早々に盛り込まれること。

 彼女の存在自体が軍事機密扱いとなるため、自分の身体のことは決して口外してはならないこと。

 いちいち挙げればきりがない。


 その一つ一つの文言が未来という人物の持つ全てをがんじがらめに縛り上げ、横に逸れることを許さないことを意味しているのだ。

 彼女の人生を全く別のものに変えてしまったのだという実感を、杉田は今更ながらに感じているのであろう。

 だが、この状況を嘆いたからと言って覆せるわけではない。

 生沢の杉田を見る視線が、厳しさを帯びる。


「もうあの子のサイボーグ化は止められない。今更、人間に戻すのは不可能だ」


 無精髭の武骨な医師は、静かでありながらも厳しく言い放っていた。

 が、冷たい印象をもたらすものではない。

 あくまで目の前にある事実を受け止めようとする強さと、覚悟とをいだく男の重みがあった。


「だからこそ、俺たちが全力で支えてやらにゃならん。最終的には、本人の精神力が頼みになるがな」


 うとうとと眠りにつこうとしている未来を見やりつつ続いた生沢の言葉に、杉田がこぼした。


「生沢先生は……良心が痛まないんですか」

「馬鹿野郎。お前にゃ、俺が心底から真っ黒く染まった鬼か悪魔にでも見えるってのか」


 生沢から呆れ半分で突っ込まれて、杉田は慌てて否定する。


「そんなことは……」

「情けねえ顔は、絶対に患者の前で見せねえ。そう決めてるだけだ」


 再び未来の姿を瞳に捉えた生沢は、何も構えたふりを見せずに自然とそう口にしていた。

 杉田が思わず見上げた先輩医師の横顔は、四十手前にしては皺が多く刻まれており、ぼさぼさの頭にはところどころに白髪も混ざっている。それは全て、この男が背負ってきた患者の人生がもたらしてきた結果なのであろう。


 生沢は誰より医師であることに誇りを持ち、いかなる時でも患者に寄り添うことを忘れない。だからこそ、患者を不安にさせないという信念にも幅と厚みを見出すことができた。

 それに比べて、自分は何と浅く狭い人間なのだろう。

 人間としての格の違いを見せつけられた気がして、杉田はつい卑屈な台詞を口に上らせた。


「そうですよね……僕は、そこまで強くいられないですよ」

「そうやって、自分のことを決めつけんな!人間なんて必要に迫られりゃあ、いくらでも強くなれるもんなんだよ。俺も理不尽な出来事を乗り越えていくことで、どんどん図太くなっちまったんだからな」


 自虐的になっている若い後輩をたしなめる生沢であったが、言っていることの後半に自嘲の響きが混ざるのは、隠せていないようだった。


「要するに、お前に足りないのは経験ってことだ。医者の才能に関しては……認めたくはねえが、正直お前の方がずっと上だと俺は思ってる」


 人というのは、不可抗力で強くならざるを得ない生き物であろう。子を産み育てている母親の心が父親のそれを上回るのも、そうでなければ自分たちを守ることができないからなのだ。

 強くなれない者は、結局他の何かを当てにしていたり、最初から諦めてしまっているだけだ。

 医者としてやっていくためには、どうしても自分を信じ、頼りにしていくタフさが必要となる。それができない人間はそもそも医者になるべきではない。自分を信じることができない人間に、他人の命を預かる資格などないのだ。


 若輩の杉田にはまだまだ伸びる余地があり、生来の才覚がそこに合わされば、素晴らしい医者になれることは間違いない。

 生沢が胸の裡に秘めた想いには気づいていないのか、杉田はいつの間にかストレッチャーに乗せられた未来へと注意を向ける先を変えていた。


「強くならないといけませんよね。患者のために……僕自身のためにも」


 そして数人のスタッフがストレッチャーを押して部屋を出ていく後につくために、杉田自らも足を踏み出す。今度もまた、生沢がのりの効いた白衣の背を追う形となった。


「……して……」


 その時、ストレッチャーの車輪が上げる高い軋みに低い声が混ざった。

 既に眠りに落ちている未来の唇が僅かに動いたのに気づいた杉田が、思わず乗り出して彼女の口許に耳を寄せる。

 包帯の間から覗く右半面の顔を苦しげに歪ませた未来は、殆ど聞き取れないほど掠れた声で、しかしはっきりとこう呟いていた。


「返……して……私の、身体……」


 深い悲しみと、絶望すら感じさせる低い声。

 凍りついたように、杉田が足を止める。

 が、ストレッチャーは構わずに部屋の自動ドアをくぐり抜け、未来のぐったりとした身体を運び出していく。


 杉田は、動くことを忘れて立ちつくすしかなかった。

 その痩せた肩に生沢が手を置いてくれたことにも気づけず、ただただ遠ざかっていく患者の姿を見つめることしかできなかった。

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