第68話
「動くな!」
そう思った矢先に見覚えがある黒い姿を彼女の瞳が捉え、反射的に未来は鋭く叫んでいた。
同時に、腰に構えたアサルトライフルの銃口を鋭く向ける。緊張するのよりも先に身体が反応したのは、自分でも驚きだった。
P2は、このアジトの一番奥に位置すると見られる部屋で背を向けて佇んでいた。
敵である未来の声は確実に届いているのにこちらを向く素振りは見せず、ぼんやりと立ち尽くしているように見える。武器を構えた未来とP2との距離は僅か数メートルだ。この位置からフルオートでアサルトライフルを頭に撃ち込めば、確実に破壊できるだろう。
だが、攻撃してくる気配をまるで感じさせないP2の様子に違和感を覚えた未来は、安全装置に指をかけながらも発砲するのを躊躇った。
『どうしたんですか。撃つんです、早く!』
未来と同じ視界をカメラ越しに見ているリューが、焦らされて攻撃を促してくる。
そこに捉えられているP2を後ろから確認した限りでは、銃器を持っているようには見えない。若松とP2を生存させたまま連行できる可能性も見出した未来は、銃身を上段で構え直して命令した。
「そこから動くな。身体をこっちに向けろ」
今一度低く警告を発した未来へ、P2が視線を向けてから振り向いた。
「意外にこの場所を早く見つけたのだな」
黒い鎧の如き姿をした男は静かに言いながら身体の向きを変えたが、その一挙手一投足をも見逃すまいとしていた未来は、彼の背後に見えたものに気づいて息を飲んだ。
見覚えがある、つんつんに立てた短い金髪の頭と幾つものシルバーピアスで飾った耳に、白いシャツと黒の革パンツを纏った細い姿。
敵サイボーグの後ろに倒れていたのは、彼の作り主である若き天才工学博士、若松貞明だった。白いシャツの背には大小の赤黒いが模様が散っており、うつ伏せになっている身体の下で暗赤色の血が小さな池を作っている。
完全にこちらを向いたP2の右手首からは、内蔵された高周波振動ナイフが手甲のように突き出ていた。
切っ先が毒々しい赤で染められているのを見咎め、未来の声が震える。
「……まさか……あんたが、やったの?」
聞くまでもなかったことだが、P2は答えない。
未来はアサルトライフルの照準をP2の頭に合わせたまま、聴覚のレベルを最大に上げた。
倒れたままの若松には、僅かな心音と呼吸音が確認できる。心臓を一突きにされたわけではないようで、まだ命が助かるかも知れなかった。
「何てことを!そいつ、あんたの親も同然だったんでしょ!そこから早く……」
女サイボーグの外部マイクを通した怒声を平然と聞き流し、P2は言い放った。
「親を殺して何が悪い」
P2を若松から離す命令を出そうとした未来に、パワードスーツの肩が揺れ、構えた銃口が跳ね上がるほどの動揺が走った。
「な……」
「この男は私を支配し、自分の意のままにお前と戦わせようとした。私はこの男の道具ではない」
続けてP2が発した言葉が、未来の心を氷柱となって貫いたかのようだった。
『ーー貴女が考えることはいつもいい加減ねえ。お母さんの娘なんだから、ちゃんと言うとおりにやればできるはずなのよ』
『貴女の意見は聞いてないわ。できるかできないかを答えなさいーー』
母や大月専務の声が未来の中を走る。
何故、こんなときに二人の記憶が蘇るのだろう。
未来のアンダースーツを着た下の素肌に、どっと冷たい汗が湧き出てくる。
自分のことでありながら理解できず、彼女は声を上ずらせた。
「だ、だから殺そうとしたって言うの?こいつが、あんたを自分の好きに操ろうとしたから?」
「私は誰の指図も受けずに、全力を尽くしてお前と戦いたかった。だがこの男は、自分が納得しなければ私には何一つ許さなかった。だから殺したまでだ」
P2は未来が発砲しないことを感じてか、足元の若松へ意識をやった。
「最強の身体を作ったこいつに、感謝してはいる。しかし、この身体も精神も結局は私という個人のものだ。支配までされる筋合いなどない」
倒れ伏したままでいる嘗ての主たる存在へ吐き捨てるように言うと、P2は目の前の未来へと視線を戻した。
未来は息ができなくなるほどの痛みを胸に覚えていた。
P2が自分の考えに基づいて作戦を立てても、首を縦に振らない若松。
未来が意見を述べても、耳を貸さない母。
未来を人間として見ず、仕事のパーツとして扱っている大月。
個人という存在を認めない、傍目には優秀な保護者や上司に見える人物の存在。
P2は、合わせ鏡の向こうにいる自分だったのだ。
「私はもう自由の身となった。あとは、お前と心行くまで戦い尽くすのみだ。お前も全力を振り絞って戦うがいい。私とて、お前を女と思って容赦はせん」
「嫌だよ、そんなの!私は……あんたと戦いたくなんか、ない!」
P2が真っ直ぐに未来の顔を注視するが、未来は呻いて構えていたアサルトライフルをじりじりと下げ出した。
『未来、何を言ってる?今のうちにそいつを撃て!そいつは特殊警備隊を十人以上殺してる殺人機械のサイボーグなんだぞ!』
「生沢先生は黙ってて!」
P2との会話を聞いていた生沢医師が通信越しに口を挟んだが、未来が強く制した。
彼女の声は、泣き出しそうな悲痛さに彩られていた。
「だって……P2を縛ってた若松はもう倒れたんだよ。私たちに、戦わなきゃならない理由なんかないんだから!」
生沢は意外な未来の反応に驚いたらしく、沈黙した。未来の言葉から通信の内容を察したP2が、左半面に残されている眉を僅かに動かす。
「戦う理由?簡単だ。私はお前と戦いたいから戦う」
「嫌だ、戦いたくないよ!」
未来は銃口を完全に下げただけでなく、無意識のうちに半歩退いていた。
P2が自分と同じ存在だと知り、未来の心から敵対心や怒りは溶け、消え失せていた。彼を殺そうとするのは、自分を殺そうとするのと同じことなのだ。
「若松は死んだも同じだ。もう私の身体を維持できる者はいない。どうあっても破壊される運命なら、最後にお前と力の限り戦って死ぬ」
しかし、P2は間を詰めようと踏み出してきた。明らかに、C-SOL襲撃時とは違う口調だ。深い感情が込められ、熱っぽく聞こえてくる。
彼が未来との死闘を渇望していることは、その声を耳にした者なら誰でもわかるほどだった。
永らく凍結状態にあり、人の心を捨てて生きる目的も曖昧なままでいたP2は、P3である未来と出逢ったことで、自らの生命が躍動する喜びを取り戻していた。
若松という作り主の命を受けて、最強の身体を持ちながらも奴隷のように一生を全うするより、後戻りが許されない極限状態で死力を尽くし、戦士として悔いを残さぬように心身を燃やしたい。
そんな想いは、人間としての心を持たなければ決して得られないものだ。
が、それは本来ならば非情に徹することができた未来の心を深く抉り、勝っても負けても血を流し続けねばならない結末をも意味していた。相手が単なる殺人鬼、心を持たぬ冷酷な半機械であれば、彼女は何の躊躇もなく破壊行為に及んでいたのだ。
人の心を取り戻したP2、機械と人の谷間で苦悩するP3。
彼ら二人が戦う宿命を負って出逢ったのは、辛辣極まりない運命の皮肉としか言えなかった。
「破壊されるだけじゃない!私はあんたの設計をベースにして作られてるんだから。今のAWPには、あんたが傷ついても直せる技術者が絶対にいる。だから、そんなに自分を追い詰めないで!」
未来はアサルトライフルを完全に下げていた。彼女の口調は、説得と言うよりも懇願に近く聞こえる。
それが、P2には不可解だった。
「我々は戦闘用サイボーグだ。戦う使命以外に何もない。それなのに何故、お前は戦いを避けようとする?」
「そんなの、私たちが人間だからに決まってるじゃない」
人間だから、同じ人間の誰かを傷つけたいとは思わない。
平和に、安らかに過ごしたいと願う。
それが当然なのだ。
低く響いた未来の言葉を受け、P2は視線を僅かに彼女から外した。
「……まだ、お前は自分が人間だと言う思いに縛られているのか」
じわり、とP2の言葉が未来の心に氷の手を伸ばしたようだった。心臓が嫌な旋律を刻んで乱れ、酸素が薄いわけでもないのに息が苦しくなってくる。
「人間であろうとするからこそ、お前はそこまで苦しまねばならないのではないか?いっそ、そんなものは捨ててしまえ。そうすれば、戦うことを考えればいいだけになる」
僅かに背を屈めた未来の表情はヘルメットに隠され、P2が伺い知ることはできない。
それなのに、彼は痛みを抱えて揺れる未来の心を、決して他人と分かち合うことができない孤独の果てにあった気持ちを、そのまま言葉に表していたのだ。
そして、片方しかないその瞳は深く、同情と哀れみを静かに湛えていた。
「やめてよ……」
弱く頭を振った未来は、唇を震わせて儚げな声をパワードスーツの中に篭らせた。
「やめてったら……そんな目で、私を見るな!」
「戦え、P3」
これ以上口を動かし続けても無駄と判断したのか、P2が更に未来へと足を踏み出した。
「……嫌だ」
拒絶した未来がアサルトライフルを構えることなく、下がる。
幾多もの機械が唸る狭い研究スペースに刃の如き鋭さの緊張が満ち始め、P2が無造作に下げていた右腕を構えた。
『戦え、未来!でなきゃ、お前が殺されるんだぞ。奴が話の通じる相手じゃないってことは、もうわかっただろう!』
狼狽した生沢が通信で未来に怒鳴った時、無言のP2が巨大なナイフを一閃させた。未来は正面を向いたままで背後の通路へ後退し、右足に重心を移した一瞬で踵を返すと、全力で出口へ向かって跳んだ。
抑え目の跳躍で除染テントに突っ込み、防水加工を施されたオレンジ色の布を突き破るようにして外へ逃れる。
未来が外トンネルの中程で振り返ると、後を追ってきたP2が鉄の扉の間に両腕を差し入れ、狭すぎる出口を広げて出てくるのが目に映った。未来は彼の様子を黙って見るだけで、隙だらけのところを攻撃しようとはしない。
『何してるんですか、撃ってください!今のうちです!』
舌戦では静観を決め込んでいたリューが、司令室で叫ぶ。
が、未来は構えたアサルトライフルの安全装置を外してすらいない。
リューの言葉が終わるか終わらないかのタイミングで、P2がアジトから完全に全身をひねり出した。すかさず、彼はナイフを振り翳して未来に肉薄しようとする。
やはり未来は発砲する素振りを見せない。
アジトが隠されていたトンネル支線は本線ほどの広さはないが、それでも五メートル以上の内径があり、工事車両などの障害物がない。強力な飛び道具を携えた未来の独壇場のはずであるのに、勝利の好機を投げ捨てているようなものだった。
彼女はアサルトライフルを無造作に下げたまま、フェイントを織り混ぜて襲いかかってくるP2を迎え討った。
P2の右腕に仕込まれた高周波振動ナイフは、軍隊で教えられるナイフコンバットで使用するそれとは大きく形が異なり、西洋の剣と同じ両刃である。それに加えて手甲に内蔵されているため、刀身自体が手をそのまま防護する点も厄介だ。
彼はそういった利点も生かした独特のコンバットスタイルを習熟しており、格闘方法も突き、払い、斬りつけを巧みに操ってくる。
未来はアサルトライフルを盾として使うことなく、また左腰に下がったナイフを抜くこともなく、繰り出されてくる斬撃を全て体捌きでかわしていた。
戦意を喪失して、防戦するのが精一杯になっているのか?
P2は一瞬疑ったが、P3の動きに少しも重いところはなく、攻撃を見極めて刃を避ける冷静さは損なわれていないように見える。敢えて回避に専念しているかのようだった。




