第62話
未来のパワードスーツの中の肌が総毛立ち、危険を察知した本能が瞬時に神経へ命令を下した。
「やばい!」
反射的に吐き捨てた未来の両脚が、空中廊下の屋根を蹴破らんばかりに叩く。
大きく後方へ跳んだ金属の影へ、半瞬遅れてガトリング砲の弾丸が殺到した。コンクリート製の天井に歪な穴を幾つも穿ち、連続した超弾音が上がる。
一段下に位置するビルの屋上へ体勢を整えつつ着地するまでの短い間に、彼女は機関砲の銃身を跳ね上げて前方の高層ビルへと再度視線を合わせた。辛うじて、ビルとビルの谷間を三角跳びの要領で下っていく人影のようなものを一瞬とらえ、こちらは着地と同時にビルの陰へと転がり込む。
機関砲から発射された貫通弾が目標に着弾するまで、およそ一秒はかかる計算の距離だった。
発砲音が届くまでは二秒以上を要することから、P2は弾丸が飛来する空気との摩擦音で攻撃に勘づいたのだろう。
舌打ちに重ねて、未来は報告した。
「ごめん、射撃は失敗した。接近戦の準備に入る!」
『了解。敵の動きは?』
「こっちから見て左によけて、ビルを降りてるみたい。多分今ので位置がばれたから、向かって来ると思う」
リューに報告を続けつつ、ビルの陰から未来は再度目標付近へとズームを絞った。先のビルは下半分が別のオフィスビルの群に埋もれており、P2の姿は確認できない。
同じビルの窓の中を、慌ただしく警備員らしい制服姿が横切る。未来が撃った貫通弾は屋上に設置してあった大型空調機用室外機を数台と、給水塔をまとめて粉砕したのだ。
立入禁止命令が出ているとは言っても、やはり少しは人がいたのだ。これ以降も、用心するに越したことはない。
状況を正確に分析した未来に、引き続きリューからの指令が飛んだ。
『わかってるかとは思いますが、これからはアサルトライフル主体で戦うように。弾薬類の補給と支援用にキャタピラロボットを二台、向かわせます。こちらは当初の目的地まであと少しです。落ち着いたら、もっとましな支援ができますよ』
「了解。引き続き援護よろしく」
未来とスコーピオンとは互いにGPSで現在位置が把握でき、彼女が頭の中に描いた地図にはその配置関係がきちんと記されている。リューたちの目的地は北の丸公園で、そこにスコーピオンを停めて司令部とする予定だった。
未来が単独行動に出ている今、P2がスコーピオンを狙う確率は若干低くなる。
古びたビルの屋上から裏手の道路に着地した未来は、バックパック側面に取りつけてあった一二・七ミリアサルトライフルを腰の位置に構えた。人気がない交差点の手前まで走っていき、角に建つジュエリーショップらしいビルの大理石の柱へ隠れる。
聴覚の感度を最大にまで引き上げると、自分と同じ色を帯びた鈍い音が、一定のリズムを刻みながら近寄ってくるのがはっきりとわかった。街中のせいで音が散って判り辛いが、どうやら他に生き物を思わせる雑音はない。
このファッションビルや飲食店が密集する一帯の屋外は、幸いなことに完全に無人のようだ。P2もそれをわかっているのだろう。敢えて足音を忍ばせようと言う走り方ではない。機関砲発砲時に位置が割れた以上、いつまでも留まっているのは危険だった。
未来は両足をたわめ、先とは道路を挟んで反対側のビルへ向かって跳んだ。僅かにせり出している褐色の吹き付けタイルに覆われた五階窓の庇を蹴り、更に八階窓の庇も踏み台にして、狭い屋上に上がる。
音に最大限の注意を払いつつ、未来は確認の連絡を入れた。
「代わりの偵察ヘリはいつ来るの?」
『今C-SOLを発ちました。それでも、あと三十分はかかります』
そこから次々と別のビルの屋上を跳び移っていく未来は、リューからの返答に思わず唸りそうになっていた。
それまでの間は、P2の正確な位置が掴めない。頼りは強化された自らの感覚のみだ。
しかし当初の予定は、地下トンネルでの戦闘展開だった。偵察ヘリはあくまで周辺の警戒用で、大してあてにできなかったはずだ。それを考えれば、さしてマイナスでないとも言える。
それに、このヘルメットには簡易レーダーも備わっており、相手が二十メートル以内の至近距離で動いていれば、正確な位置が捕捉できるはずだった。バイザーの内側に映った視界の隅にあるその簡易レーダーには、まだ何の反応もない。
足音の発生源正面から少しずつずれていく未来は、何度目かになるビル屋上の着地時にぐらりと左へ身体を傾けた。突然左足が踏ん張れなくなり、着地時の衝撃が逃しきれなかったのだ。慌てて汚れたコンクリートに左手をつき、体勢を立て直す。
「くそっ……この足め!」
口には出さず心で悪態をつき、彼女は忌々しげにがくがくと震える左の太股を拳で叩いた。
例の痙攣発作だ。よりによって、今日はいつになく酷い。
「……負けない。こんなことに、負けてたまるか。絶対に!」
未来は再び心の内で呟き、高く低く跳躍を繰り返した。暗灰色のビルの森を跳んで移動するのは、少ない歩数でこちらの移動音を抑え、P2を攪乱しつつ後方へ回り込むつもりでいるからだ。
不意に、今まで一定間隔で聞こえていた足音が途切れた。敵も跳び上がったのだ。
「敵の足音が消えた。間もなくエンカウント!」
元の位置から百メートル程度、左前方のビル裏手階段へ回り込んだ未来の声が、一層乾いた緊張に彩られる。
彼女が金属の非常階段の踊り場に低い、体勢を保った刹那のことだ。鋭い警告音が耳に届くと同時に、簡易レーダーが僅か五メートル右に敵の出現を告げた。
瞬時に反応した未来だが、構えたアサルトライフルの銃口を向けることはせず、そのまま六階下の道路へと身体を躍らせる。
彼女が落下する僅かな時間に身体を捻り、三連バーストで放った弾丸と、空中のP2がガトリング砲でばら撒いたそれとが互いの姿を見失い、ビル壁で高い音を立てて幾つも跳ね返った。
未来よりも重量がある筈のP2は、脚のブースターの推進力を助けに未だ宙に留まり、ターゲットに銃口を向け続けている。
地面へ着地した未来が、視界の隅に捉え続けていたP2にアサルトライフルを再び発砲した。
未だ空中で不利なはずのP2は、ガトリング砲発砲の反動を利用して巧みに体勢をずらし、殺到してきた弾丸をかわす。
P2の脚部に仕込まれているブースターは、未来を遙かに上回る跳躍力も彼に授けていた。
その黒く光る金属の両脚が到達したビルの壁面を蹴りつけ、更に通りの奥に建つオフィスビルの窓に勢いを保ったまま飛び込んだ。
分厚いガラスが突き破れる破壊音が、澄んだ秋の空気に響き渡る。
「まずい!あいつ、ビルの中に……」
立入禁止区域とは言え、ビルの中に人がいる可能性はある。
表通りに出かけてアサルトライフルを構えていた未来は反射的に駆け戻り、同じビルの一階の窓へ先のP2と同じく突っ込んだ。再び、ガラスが砕ける音がビルの谷間に散る。
『落ち着いて!敵の行動に振り回されていては、勝ち目がありません。外に戻って、支援ロボットの到着を待ってください』
グレーの絨毯敷きの廊下にガラス片を纏って転がり込んだ未来へ、リューの厳しい声が飛んだ。
彼女は油断なく立ち上がって素早く辺りを見渡し、廊下の角まで一気に移動する。
「落ち着いてるよ。わざわざビルの中に来たってことは、不利な場所に誘い込みたいんでしょ」
一息置いて、未来は聴覚を全開にした。
嫌な予想は的中していたようで、このビルの中であろう距離と方向に複数の呼吸音が認められる。オフホワイトの光沢がある壁は薄いようで、中の音を捉えるには却って都合がいい。
敵の思う通り、未来には民間人を巻き込む危険性がある場所で戦うつもりがない。しかし、敵が積極的に非戦闘員を盾に取るつもりであれば話は別である。被害が広範囲に渡る前に、全力で阻止するべきだ。
欲を言えば事が起こる前に、迅速に。
「大丈夫だよ。とにかく、ここにいる一般の人たちに手出しされる前に、あいつを追い出すだけだから」
『……了解。スコーピオンは目的地に到達。支援ロボットはビルの側に待機させておきます』
作戦外の行動を理解してくれたらしいリューの応答に、未来は無意識に頷いていた。
P2が侵入したのは四階で、未来が踏み込んだのは一階だ。
ごく一般的なオフィスビルの構造に倣い建物の端まで走ると、案の定非常階段が見つかった。
恐らく侵入時にP2ともに監視カメラに姿が映っているだろうが、なりふり構ってはいられない。綺麗に掃除された絨毯に片膝をついて重い非常扉を開けた未来が、低い姿勢のままで薄暗い空間に潜り込む。
くすんだ色の階段の上下からは、先の呼吸音以外何も聞こえてこない。立ち上がって数歩下がり、上の踊り場へ一気に跳び上がる。すかさず半身を返してまた、次の踊り場へ跳ぶ。
そうして三階に達する直前、ごく小さな異音が彼女の鼓膜を震わせた。堅いものが踏み潰されたような音だ。
跳躍しかけていた未来が踏みとどまり、アサルトライフルを中段で構えた。
異音の発生位置は眼前で閉ざされた非常扉の向こう、建物中程だろう。
パワードスーツの手が非常扉のレバーを静かに押し下げ、素早くその隙間へ滑り込む。
先に続いていた廊下は、五メートルほど先で鋭く右に折れている。
白い小綺麗な壁に囲まれた廊下を数歩で駆けた未来が、曲がり角の向こうへアサルトライフルの銃口を突き出す。
その明るい廊下の半ばで防犯カメラを握り潰したP2が、ガトリング砲を未来へ向ける。
二人の発砲はほぼ同時だった。
火を吹いた二丁の銃から吐き出された弾丸はまたしても高速で動く的を捉え損ね、ボード壁に鋭い音を立てて跳ねた。狭いオフィスビルの廊下に、大型銃器の連続した発射音が耐え難いほどの轟きとなって籠もり、硝煙の臭いが立ちこめる。
「くっ!」
バイザーの下で舌打ちした未来は、P2の左半面に露出した顔に同じ感情の動きを認めた。P2が廊下の奥へ後退し、未来は逃すまいと詰め寄る。
再び、両者の持つ銃から弾丸の束が吐き出される。
互いの距離は縮まらないまま銃撃の応酬が続くが、互いに動き方を心得ているだけに一発も命中しない。P2の姿が、廊下の端の曲がり角に消えたその時だった。
「何だあ?何の騒ぎだ」
場違いにテンポが遅い中年男性と思しき声が、未来の後ろから上がった。
廊下の中程に位置している自動ドアが開き、くたびれたスーツ姿の眼鏡をかけた男性が太鼓腹を揺らしてのそのそと出てきたのだ。
未来が彼を視界の端に掠めて動揺し、アサルトライフルのトリガーを引くのを躊躇った僅かな隙に、P2の構えた六本の銃身が無慈悲な銃弾の疾風を浴びせかけた。
未来に撃ち返す余裕はない。
蒼いパワードスーツの女は、来たるべき衝撃にその場でアサルトライフルを翳して両足を踏ん張った。刹那、パワードスーツが弾丸を弾く金属音が幾重にも響く。耳障りな甲高い空気の振動に彼女は顔をしかめた。
「くっそ、痛ててて……!」
豪雨のように降り注いだ鉛弾が間断なく身体を叩く鈍痛に呻き身体を揺らしつつも、未来は防御姿勢でただ、耐える。
P2が放った全ての弾は、未来の装甲に浅い傷をつけて跳弾した。後ろにいた男性に命中しなかったことは、着弾音でわかっている。
が、男性は廊下に呆然と尻餅をついて未来を見上げるばかりだ。何が起こったのかも理解できていないに違いない。瞬きをするのも忘れて、壁や床に穿たれた銃痕を眺めている。
未来には男性に声をかけたくてもかけられなかった。きっと自分のことも人間だとは思えないだろうし、パワードスーツを纏った姿で民間人に積極的に接触することは機密漏洩に当たる。
P2が更にビルの奥へ走り出し、反射的に未来も駆け出した。
廊下に残された男性もようやく我に返り、情けない悲鳴が迸る。彼は恐怖のあまり失禁した下半身で這いつくばり、必死にドアの内側に逃げようとしていた。
『未来、敵を追ってはなりません。追うのではなく、追わせるようにして下さい』
未だ被弾した装甲が薄い煙を上げている未来に、リューからの命令が飛ぶ。
「そんなこと言ったって、どうすれば……」
周囲の音に気を配りながら、足を止めた未来が歯噛みした。咄嗟に民間人は守れたが、姿を見られたことが大きな懸念だ。まだ他に人がいたら、正体を隠して戦い切る自信はない。
『一般市民に目撃されたのは、後でどうとでもなります。それより、有利に戦うことを優先するんです。未来なら、何か思いつくと断言できますから』
「……何、その根拠がない自信は」
意識せず、未来の声に笑いがこもる。こういったところで前線にいる者の心を軽くできる術は、リューが優れた司令官たる証拠だ。
P2にこちらを確実に追わせるには、攻撃されたくないところを攻撃するか、奪うかするのが一番だろう。ふと思い当たるところがあり、廊下の隅で足を止めた未来が問うた。
「P2が最初にいたビルから降りて来る時なんだけど、武器は何を持ってたっけ?」
『動画を確認します』
ヘルメットの内蔵スピーカーから、リューが榎本に何事かを話しているのが聞こえてくる。未来の視点カメラの映像は全て録画されるため、記録は簡単に見ることができるのだ。
P2が今何を所持しているかも、はっきりするはずだった。




