第60話
『本日、この後午前十時より危険物除去作業のため、九段坂上交差点を中心とした半径二キロ圏内が立ち入り禁止となります。現在付近の道路は移動する住民の車で混雑していますが、避難の完了が確認され次第、全ての道路が閉鎖される予定です。なお、この範囲を通る各種鉄道は、この手前の駅で折り返しの運転となります。作業が終わり安全が確認されるまでは、一部高速道路も交通規制の対象となりますので、今後の情報にご注意ください……』
自作ノートパソコンのモニターから淡々と告げる若い女性アナウンサーを見て、若松が口元を歪めた。
「交通規制が予定通り行われるということは、連中の作戦決行も間違いないということだな」
彼はそこで言葉を切り、崩して座った体勢から背後に控えるP2を見上げた。
「この付近で大型の車両が通れる道路は、どうしても限られる。立ち入り禁止区域に人がいなくなったら、手筈通りに地図のポイントに出て待機してろ」
「本当にレールガンを街中で使うのか?即時発見されるリスクが高くなるが」
「それも作戦のうちだ。俺の指示通りに行動しろよ。勝手な真似は許さないからな」
P2の口調に相変わらず抑揚はないものの、若松を訝しむ響きが僅かに含まれている。それを見透かしたかのように、若き天才科学者は不敵な笑みを浮かべた。
「準備はとっくに整ってる。お前が俺の思い通りに動けば、必ずP3は仕留められるんだ。お前さえ、俺の言う通りに動けばな。もししくじったら、俺がお前を一思いに破壊すると覚悟しておけ」
「……心得ておこう」
P2はゆっくりと瞬きをして頷いたが、何を考えているかは伺わせない無表情を保っている。
普段と変わらない様子の戦闘用サイボーグに頷いてから、若松はノートパソコンの画面をデスクトップモードに切り替えた。
この数日間でアジト周辺のトンネルを入念に調査し、戦闘を有利に展開するための罠を仕掛け、武器弾薬も分けて設置した。何も問題はないはずだ。後はP2を送り出し、自分はここで指示を出せばいいだけだ。
「おい、どこへ行く?」
ふと背を向けて、明らかに狭すぎる出入り口に向かったP2へ若松は苛立ったような声を投げつけた。安楽椅子ごと身体の向きを変えると、組んだ細い足に纏いついたレザーパンツが僅かな軋みを上げる。
「トンネルに戦闘の邪魔になる市民が紛れ込んでいないか、確認する」
「それは構わんが、地上の様子は常に確認するようにしろよ」
「わかっている」
短く答えてから、P2は巨大な全身を目一杯に縮めアジトの扉をくぐっていった。
未来の左脚がぶるぶる震えているのは、パワードスーツを着て座っていても隠せないようだった。
「やっぱり、今日の戦いが怖いのか?足が震えてるじゃないか」
心配そうに言って気遣わしげな視線を向けてきた杉田へ、待機所の椅子に座っている未来が淡々と答えた。
「違うよ。これ、例の痙攣発作だよ。今日はいつもよりちょっと長いみたい」
これぐらいはいつものことだ、と彼女は態度で示している。その素っ気ない言葉に、正面に立って頭部の電極の位置を確認している杉田の手が止まった。
時刻は午前九時四五分を回ったところだった。未来、杉田、生沢、リュー、ドライバー、他4名のスタッフを乗せたトレーラーは、予定の時間通りにC-SOLを出発していた。
トレーラーは、待機場所である北の丸公園に向かって順調に走り続けている。この巨大なコンテナを担いだ大型車は一般道で目立ってはいたが、大手引っ越し業者を装っているため、特に怪しまれることもなかった。
郊外に向かう方向が混雑しているのを尻目に、一同は静かに戦いの地へと滑っていく。
その中で杉田は、未来のアンダースーツのフードに埋め込まれた各種検査装置の電極位置を調整していた。今の未来は、既に専用装備である三五ミリ機関砲とバックパックを装着し、武装は九割完了している。唯一露出していた頭にも、ぴったりとしたフードを被って髪を全て中にたくし込み、耳と顔だけを露出させた状態だった。
科学の鎧に包まれているのにもかかわらずはっきりとわかる脚の震えに、杉田は思わず言った。
「今もまだ、こんなに酷い痙攣が出てるのか」
「だって、これは特に治療とかしてるわけじゃないし。もう慣れちゃったから」
未来は軽く笑ってかわそうとしたが、思い詰めたような顔の杉田はそうは行かなかった。
「……未来。今日の作戦は中止にできないか、僕からリューに相談してみるよ」
「え?」
真正面に立つ杉田の突然の提案に、未来はぎょっとして彼の顔を見上げた。
「こんな状態の君を戦わせるわけにはいかない。危険すぎる」
「今更、もう引き返せないじゃない。無理だよ。それに、私なら大丈夫。P2にも私と同じ症状が出てるんだから、互角の条件で充分戦えるよ」
すぐに落ち着きを取り戻した未来は静かに反論したが、杉田もなかなか自分の主張を曲げようとはしない。
「未来は戦うための道具じゃないんだ。それならやっぱり、体調を万全にしてから臨むべきじゃないか」
「……そこまで心配してくれるのは嬉しいよ、先生。でも、それは多分誰も許しちゃくれないよ」
「だったら、せめて発作の原因追究が終わるまで、時間をずらしてもらう。それなら……」
しぶとく反論を続ける杉田が思い出すのは、今もまだ引き続き分析を続けている助手たちのことだ。
C-SOLでは、彼らによる夜を徹した分析作業が続けられている。早ければ午前中にでも、はっきりとした結果と修正プログラムが入手できそうなのだ。
だが、未来は首を振った。
「駄目だよ。今の私じゃなければ、楽をしたい気持ちに負けて動けなくなる。状況が完全に整ってるんだから、もう後に引こうとは思ってないよ」
静かに杉田を諭そうとする未来には、普段見せている不安定さや脆さは見当たらない。自らの弱さを完全に封じ込めた、落ち着いた戦士の姿がそこにあるだけだ。
「けど……!」
冷ややかですらある未来へ対し、杉田の口調がやや強くなった時だった。
デザートイーグル発砲音の十数倍はあろうかという爆発音が轟いて二人の身体を打ち、大きな振動がトレーラーを襲った。
「うわっ!」
「先生!」
未来が鋭く叫んで立ち上がり、勢いよく前方に投げ出されそうになった杉田の上半身をがっちりと抱き止めた。そのまま脚を踏ん張り、進行方向へ働く強い重力に逆らう。
トレーラーが急停車したのだ。
「大丈夫、先生?……リュー、一体何があったの?事故?」
慣性が収まった後、腕の中で呻く杉田の無事を確認した未来がリューに呼びかける。
『わかりません。今確認してるところです』
不測の事態に舌打ちを漏らしていただろうリューの声は、特殊通信でもやや乱れたように聞こえる。
未来は聴覚の感度を引き上げたが、事故を思わせる雑音は何も聞こえてこない。第一、もう立入禁止区域に入っているのだから、他の車や歩行者はいないはずだ。
緊張を帯びた未来の顔が、彼女の腕から解放された杉田へと向いた。
「杉田先生、上の生沢先生を見てきてもらってもいい?」
「あ……ああ。大丈夫だ」
まだふらついた足取りながらも立ち上がった杉田が頷き、処置室へ続くドアに向かっていく。彼の背が自動ドアの向こうへ消えるのを見送る未来に、リューの通信が再び届いた。
『後方確認カメラで、十メートル後ろの道路上に半径数メートルの陥没があるのが確認されました』
「陥没って、今通ってきた道路に?」
『擂り鉢上の形状からして、地盤沈下やガス爆発ではありません。恐らく敵襲です。多分レールガンで狙ってきたんでしょう』
敵襲というリューの言葉に、未来の眉が跳ね上がった。
「冗談でしょ、こんな街中なのに。それに、私たちがこのトレーラーに乗ってることは誰も知らないはずじゃない」
『残念ながら、事実である可能性は極めて高いです。情報が漏れたか、敵の予測が的中したんでしょうね。あちらから仕掛けてくるとは、完全に想定外でした』
リューは苦々しげに、ほぼ断言していた。
何が起こったのかを受け入れた未来は、自分の脳をアドレナリンが駆け巡るのを感じた。今何をするべきかが瞬時に閃き、武装を仕上げるべく、コンテナから呼吸マスクを掴み上げる。
「車体の被害は?敵のおおよその位置は掴めてるの?」
未来は質問を続けつつ、淀みない動作でマスクの両側に背中から伸びる呼気濾過装置のパイプを繋いだ。続いて、右肩の三五ミリ機関砲の位置を確かめる。
『大丈夫、弾丸は当たってません。位置は今確認してます』
きびきびと未来に伝えるリューは、コードネーム「スコーピオン」と名づけられたトレーラーの指令室で、補佐役の二人へと忙しく指示を出していた。
「とにかく、ここに留まるのは危険です。運転手に急いで発車の指示を。目的地には変更なし。ただし、可能であれば経路は変更して下さい」
「了解」
リューの隣で国防軍時代の部下だった大橋がレシーバーを取り、運転手に命令を下す。彼は同時に向かっている端末で、目的地までの安全な経路を探索し始めた。
敵襲と予測がついた瞬間から室内は緊張に支配され、ぴりぴりと乾いた空気が漂い始めた。
トレーラー二階部分にある指令室は、大人の男数人が入ると手狭な空間だ。各種レーダーと幾種類もの通信機器やプラズマモニター、それらを制御する複数台のサーバーで、部屋の半分以上は埋まっている。束ねられたケーブルが床のあちこちを這っている様子が、更に雑然とした印象を強めていた。
指令室に入ってすぐ左の壁には備え付けの簡易デスクがあり、ノート型の端末が五台並んでいる。それらは国防軍のデータベースに直結したものや各種システムの監視など目的に応じた構成となっており、それぞれを使い分けて支援を行う仕組みとなっいた。また、このうち二台は未来の脳波やパワードスーツのモニターに使用される。
反対側の壁には司令官であるリューのデスクがあり、端末と工具、マニュアルが入った外部記憶装置の箱が積まれていた。
機械の冷却ファンが唸りを上げる中、リューの指示の下で通信担当の大橋と榎本の両名が忙しなく視線を動かしていた。彼らは攻撃を受けたにも拘わらず、浮き足だった様子はない。
二人が落ち着いて司令官である自分の命令に従う姿を見て、リューは無意識のうちに頷いていた。戦闘に慣れていないC-SOLのスタッフでは、こうはいかないだろう。
大橋がドライバーへ経路を伝える隣では、榎本が複数のレシーバーを使い分けて通信を行っていた。
「スコーピオンからアンドロメダへ。敵のものと思われる銃撃を受けた。立入禁止区域内のビルの屋上に、ヒューマノイドタイプのロボットのようなものがいないか調査してくれ」
『アンドロメダ、了解。銃撃のだいたいの方角はわかるか?』
「スコーピオンの前方としか判断がつかない。こちらはチェックポイントへ再出発した。以後、経路変更がある場合は随時伝える」
『了解。これより高度を下げて調査に入る。しかし、本当にそんな奴がいるのか?』
榎本の通信相手である軍用ヘリのパイロットの低い声は、訝しげだ。
アンドロメダはヘリのコードネームで、戦闘支援のため国防軍が手配したものだった。ただし軍用ヘリとは言っても数人乗りの小型で武装もしておらず、主に偵察機として使用される機体だ。アンドロメダはスコーピオンを追跡するように飛んでいたが、ここからは先行して調査することになるだろう。
「このご時世だ、何がいたっておかしくはないだろ?アメリカだって、FBIにサイボーグの特別捜査官がいるって噂だしな」
『へえ、そいつは初耳だな。技術大国の日本も負けちゃいられないってとこか』
「まあ、戦場では一番会いたくない相手でもあるな。奴は武装してるぞ。高度を下げすぎないように警戒しててくれ」
『了解。それらしいのを発見次第、すぐ伝える』
榎本は軍の仲間同士らしく、パイロットとは親しげに話を締め括りレシーバーを置いた。通信はスピーカーを通しているので、指令室にいる全員が内容を把握できるのが便利だ。
スコーピオンが停車している間はローター音が響いているのが指令室でもわかったが、再び走り出した今はエンジン音に紛れて気にならなくなっている。
「ったく、危うく手術台の角で頭打つとこだったぜ」
そこへ、処置室に通じる階段から生沢がのっそりと頭を出した。
「生沢先生……どうしたんです?その格好は」
「見りゃあわかんだろ。さっきの急ブレーキで、コーヒーを頭からかぶったんだよ」
「だから、チェックポイントに着いてから一息入れようと言ったでしょう」
白衣の上半身にコーヒーの茶色い飛沫を纏った生沢の後ろから、杉田が説教口調で言った。
「とにかく着替えてください。そのままでは、折角清潔に保たれている処置室が雑菌だらけになりますから」
「わかってる。だがその前に一服させろよ」
生沢は真顔のリューにむっとしながら、ポケットのタバコを出してくわえ、ライターで火をつけようとする。
「車内は禁煙ですってば」
「堅いこと言うな。コーヒーをぶちまけちまったんだから、代わりの精神安定剤くらいいいだろ」
咎めてきた杉田に悪態をついた生沢が、ライターと入れ替えで携帯灰皿を取り出す。そのいつもと変わらないベテラン医師の行動に、一同が苦笑しかけた。
『アンドロメダからスコーピオンへ。目標らしき人物を捕捉』
その時アンドロメダからの一報が飛び込み、指令室は再び刃のような緊張が満ちた。
「距離と方向は?」
『スコーピオンの北西およそ一三〇〇メートル、高層ビルの屋上だ。監視しつつ、画像と座標を送る。奴は場所を変える様子はない。まだそっちを狙ってるようだ。気をつけろよ』
「スコーピオン、了解。経路変更して、なるべく陰に隠れられるように進行する」
榎本が端末に新しいブラウザを起動し、アンドロメダの偵察カメラ専用ビューアを開く。そこに現れたのは、リューと杉田には見覚えがある黒いアーマーを纏った男の姿だった。画面上の彼は、油断なくレールガンと思しき巨大な銃を下方に向けて構えているように見える。
アンドロメダのパイロットと通信を終えた榎本が、リューと視線を合わせて頷き合った。
「未来、聞こえましたか?やはりP2の姿が確認されました。距離は約千三百メートル、北西の高層ビル屋上です」
リューがP2の位置をマーキングされた立体地図ソフト上の画面で確認して未来に呼びかけると、すぐに返答が返ってきた。
『了解。装備品のチェックも終わったから、いつでも出られるよ』
心なしか高揚している未来の口調はしかし、落ち着いている。リューは新たに引き直されたチェックポイントまでの経路を、大橋のモニターで確認した。
「約三分後に差しかかる曲がり角で、コンテナの後ろを開けます。気をつけて出撃して下さい」
言いながら、リューが視線を今度は後ろにいる杉田へ向けた。
促されたような気がした杉田が、反射的に待機所へ降りる簡易エレベーターに足を踏み入れる。
一階に下ったエレベーターから降りると、未来がヘルメットを被っているところだった。
彼女が大体のコネクタ位置を合わせて頭を押し込み、顎の隙間にあるセンサーに触れると、全ての接合部が自動接続されてヘルメットがベストの位置に収まっていく。その後、左右からフェイスガードがしゅっと音を立てて飛び出し、呼気マスクの上を覆った。あとは目線代わりのカメラ、各種のモニターが仕込まれたバイザーを下ろせば武装は完了だ。
「未来……」
そのバイザーを下ろす直前だった未来に杉田が声をかけると、ヘルメットの隙間の視線が動いた。
「そんな顔しないでよ、戦うのは私なんだから。戦闘中のサポートはよろしくね」
未来の声は外部用スピーカーを通しているため、普段と変わりなく聞こえた。目が細められ、ヘルメットの下にある口許が笑っているのがわかる。逆に杉田は、不安そうな表情が眼鏡の奥の瞳に満ちていた。
スコーピオンが出撃ポイントに到着するまで、ほんの僅かな間しかない。焦った杉田は、戦いに赴く彼女に言うべき言葉を探しあぐねていた。
それでも、顔を見ながら話すのが最後になってしまうかも知れないこの時に、何も言わずにはいられない。
戦いが終わったら、みんなでのんびり遊びに行こう。
それとも、二人だけで食事にでも行く方がいい?
いや、そんなことよりも、身体のことについては何も心配しなくていいと伝えるべきなのか?
焦ってしまいちっとも気の利いた一言を思いつけない杉田が唇から出したのは、平凡すぎる文句であった。
「その……僕は、ずっと待ってるから」
「待ってる?待ってるのは私の方だよ、先生」
「え?」
やっと出た若い医師の一言に返した未来の声が、低く響く。
『チェックポイントまであと三〇秒です。準備をお願いします』
「了解、スタンバイ」
杉田の驚いた顔を見返す前に、未来はリューからの特殊通信を合図にして顎の下のセンサーに触れ、ヘルメットのバイザーを下ろした。
一瞬だけ視界が真っ暗になり、ヘルメットが密封される機械音と空気音が上がる。その後一秒の間も空けずに眼前が明るくなり、ブーンという軽い唸りと共に内部モニターに先と同じ景色が映し出された。
彼女は一二・七ミリアサルトライフルを両手に構えて、コンテナの後ろを向いた。両膝を緩め前傾姿勢を取っておく。
その時、出撃前の最後になるであろうリューからの特殊通信が再度入ってくる。
『これ以降は通常通信に切り替えます。では、スロープを下ろしますよ。いいですか?』
「いつでもいいよ。敵の詳細位置もよろしく」
『ではスタンバイ……ゴー!』
低い号令が発せられると同時に、四本の角が突き出た頭が無意識に頷いた。
同時に、待機所後部の壁が倒れてアスファルトの道路へと下ろされる。重い金属の両脚がトレーラーの床を蹴り、鈍い輝きの人影が駆け出した。
ロボットの如き姿のサイボーグ戦士、未来は冷たい晩秋の空気の中へと躍った。




